第45話 獣人族の少年
婚約披露パーティーを終えた翌日、カルリアナとディートシウスは婚約お披露目の旅に出た。
簡単にいうと、シュテルンバールの領民に公妃となるカルリアナを紹介しつつ、領内の町や村を視察するための旅だ。ケルツェンの王侯貴族にとっては慣例となっている、婚前旅行ともいえる行事だ。
「新婚旅行もいいけど、婚前旅行もいいよねー。なんだか響きが卑猥で」
「くだらないことをおっしゃらないでください」
いつものように突っ込みを入れつつも、昨夜ディートシウスと話したことは、カルリアナの心にこびりついている。
だが、今はどうしようもないことだ。結婚式が近づいてきたらまた改めて話し合おうと決め、カルリアナはディートシウスとたわいもない会話をしながら、馬車に揺られた。
数か所の町や村を回り、宿に泊まりながら行程を進めていく。広大な分、シュテルンバールの景色はアルテンブルクと比べ雄大で、町も大きい。港町も回ると聞いているので、カルリアナは楽しみだった。
シェジュとの国境沿いの町に向かう途中の街道で、急に馬車が停まった。
隣り合って座っているカルリアナとディートシウスは顔を見合わせた。
シュテルンバールは代々王族が領主である関係で、街道も整備されている。悪路でよくあるように、車輪が穴にはまったとも思えない。第一そんなことになったら、もっと馬車が揺れたはずだ。
人通りの多い街道ではめったにないことだが、魔物でも現れたのだろうか。
ディートシウスが席を立つ。
「何があったのか俺が確かめてくるよ。危険かもしれないから、カルリアナはここで待っていて」
「……はい。気をつけてくださいね、ディート」
カルリアナがうなずいてみせると、ディートシウスは安心させるようにほほえんで馬車を降りていった。
カルリアナは彼が戻ってくるのを待った。
ところが、数分待っても十分待っても、ディートシウスは戻ってこない。
自分の不安が時間の流れを錯覚させているのではないかと思い、懐中時計を何度も確認してみるが、やはり十分近くたっている。
さすがに遅すぎると思い、カルリアナは外に出ようと馬車の扉に手を掛けた。
そのとき、ちょうど従僕が近づいてくるのが窓から見えた。彼によって扉がノックされ、開けられる。カルリアナは問いかけた。
「何事ですか?」
「失礼いたします。すぐそこで獣人族の子どもが助けを求めておりまして……殿下が、怪我の治療を伯爵閣下にも手伝ってほしいとおっしゃっておいでです」
「その子どもが怪我をしているのですか?」
「いえ、子どもの保護者と思われる、獣人族の青年が怪我人でございます」
「わかりました。参りましょう」
ディートシウスも治癒魔法を使えるはずだ。カルリアナの力が必要ということは、相当ひどい怪我なのだろう。
(命に関わるようなものではないとよいのですが)
カルリアナは馬車を降り、従僕に先導されて街道脇にある山の手前まで歩いていった。
現場に着くと、たたずんでいたクラウスが一礼した。すでに事態を把握し、護衛の任をこなしているらしい。
クラウスが手で示した方を見ると、地面に片膝を突いたディートシウスの姿がある。彼の傍らには、とがった耳と白い毛色、尻尾のぶち模様から、ユキヒョウ族ではないかと思われる白髪の青年があおむけに横たわっていた。裸の上半身に、ディートシウスが魔法で応急処置を施している。さすが軍人であり冒険者だ。
ディートシウスの反対側に黒髪の男の子が、その様子を見守りながらしゃがみ込んでいた。裏に黒っぽい模様のある丸く茶色い耳と、黒い房毛の生えた茶色い尻尾を持っているから、ライオン族の少年だろう。歳は七、八歳くらいに見える。
今にも泣きだしそうな表情は、見ているこちらが哀れさに立ちすくんでしまうほどだ。衣服は薄汚れているが、顔立ちは整っている。
声をかける前に、ディートシウスがこちらに気づいた。
「カルリアナ! ちょうどよかった。俺と一緒に、彼に治癒魔法をかけてほしい」
「かしこまりました」
カルリアナはディートシウスに駆け寄ると、彼の隣にしゃがみ、ユキヒョウ族の青年の様子を観察した。
(創傷面は水で洗い流されていますね……この魔力反応の跡は、ディートの水魔法でしょうか。血も拭き取られていますね)
そのうえ、魔法で止血された患部は清潔な状態だった。完璧な応急処置。
だが、槍か何かでつけられたとおぼしき、左胸と左脇腹の傷は大きい。
カルリアナ以外の貴族女性だったら、気分を悪くし、目を背けていただろう。
それに、青年は気を失っているようだ。ひどい痛みのためか額には汗の玉が浮かび、呼吸が少し荒いものの、熱に浮かされているようには見えない。治癒魔法で怪我さえ治せば、時間はかかっても目を覚ますかもしれない。
顔を上げたとき、ライオン族の少年と目が合った。奇麗な金色の瞳だ。彼がケルツェン語でしゃべった。
「……マルクを……マルクを助けて」
すがるような目。それなのに、彼の目には不思議な力があった。誇り高いライオンの目だ。
カルリアナは彼が少しでも安心するようにほほえんでみせた。そのあとで、ディートシウスに顔を向ける。
「どこから治癒魔法をかけますか?」
「左胸から。出血がひどかったからね。俺が先にかけるよ」
ディートシウスが青年の患部に手のひらをかざし、魔力を集中させた。カルリアナも彼に倣う。集中させた魔力が淡く白い光を放ち始めた。
患部に魔力を注ぎ込むこと数分。二人掛かりで治癒魔法をかけたおかげか、傷は塞がった。
カルリアナとディートシウスはホッと息をついた。ディートシウスが念のため、傷があったところに包帯を巻く。青年の寝顔と呼吸は、いつの間にか穏やかになっていた。
カルリアナは少年にシェジュ語で声をかけた。
「もう大丈夫ですよ。意識を取り戻すのはまだ先になるかもしれませんが、命に別状はありません」
少年は少しだけ安心したような顔をした。
***
カルリアナとディートシウスは、随行しているメラニーとクラウスも交え、獣人族の青年と少年を今後どうすべきか話し合った。
次の町まで二人を連れていき、診療所に預けるという案も出たのだが、カルリアナは青年の意識が戻るまで一人心細い思いをするであろう少年のことが心配だった。
それに、まだうまく言葉にはできないが、あの少年は何かが気にかかる。
「あの子と怪我人を馬車に乗せて、いったんシュテルンバール城に戻ることはできませんか?」
クラウスが眉間にしわを寄せた。子どもと怪我人とはいえ、正体不明の者たちを主君に近づけたくないからだろう。普段はディートシウスに辛辣な言葉を吐く彼だが、その忠誠心は本物だ。
ディートシウスが口を開いた。
「俺は構わないよ」
クラウスがすかさず言う。
「殿下。むやみやたらに情けをかければよいというものではございませんよ」
「わかってるって。ちょっと引っかかっていることがあってね。それに、カルリアナの提案だし?」
カルリアナは今月、大尉から少佐に昇進したばかりのクラウスを見上げた。
「ナウマン少佐、何かあれば責任はわたしが取ります。あの子たちを城に連れていくことをお認めください」
メラニーが加勢してくれた。
「そうですよ、クラウスさま。お嬢さまのお言葉には必ず意味があります」
「しかし、護衛計画はもちろん、旅行スケジュールも狂うのでは?」
密かに心を寄せているクラウスの問いにも、メラニーはハキハキと答える。
「これからお城に戻っても、お嬢さまと殿下の休暇が終わるまでには、すべての行程を終えられると思います。まだ旅行を始めたばかりですし、スケジュールは緩めに組んでありますからね。お二人もああおっしゃっていらっしゃいますし、いざというときは、わたしもお嬢さまをお守りします」
クラウスは顎をさすって、何かを考えているようだった。やがて、その手を下ろし、灰色の瞳を一同に向ける。
「メラニーさんの意見には一理あります。ですが、あの少年はともかく、青年のほうはわたしども臣下の馬車で移動させてください。殿下もそうですが、伯爵閣下も今から王族としての気構えというものを学んでくださいますよう」
〝あの子は青年と離れて寂しがるでしょうね〟と思いながらも、これがクラウスの最大限の譲歩だとわかっているカルリアナは、力を込めてうなずいた。
クラウスの言うとおり、青年は臣下の乗る馬車に同乗させ、カルリアナたっての願いで、少年だけカルリアナとディートシウスが乗る馬車に同乗させることになった。
しばらく青年と引き離されることになった少年は、少し落ち着かない様子を見せたものの、おどおどはしていなかった。
(明らかに身分が高そうなわたしたちと同乗しているというのに、しっかりしたものですね)
どうも、一般的な子どもとは違うようだ。
それになぜ、あんな所に怪我人といたのだろう。青年はどうしてあんな重症を負ったのだろう。山賊や魔物にでも襲われたのだろうか。それとも、無理にシェジュとの国境を越えようとして兵士に?
(シュテルンバールにシェジュ人が訪れるのは日常的なことですし、国民が亡命してくるほどシェジュが政情不安定だという話は聞いていませんが……)
カルリアナが考え込んでいると、向かいの座席に座っている少年がじっとこちらを見つめてきた。そのことに気づいたカルリアナは微笑してみせる。
「そういえば、まだお名前を聞いていませんでしたね。なんというのです?」
少し間を置いて、少年は答えた。
「……ギュス」
「ギュスですか。いい名前ですね。わたしはカルリアナです」
「わたしはディートシウス」
「ギュス、あの男の人はあなたのご家族ですか?」
「違う」
「そうですか。彼はどうして大怪我を?」
少年の顔が暗くなったので、カルリアナは質問を取り消すことにした。
「言いたくないのなら、無理に話さなくても構いません。もし話したくなったら、いつでも聞きますから」
「……ありがとう」
「え?」
「マルクを助けてくれて」
ギュスの声は小さかったが、カルリアナは胸が温かくなるのを感じた。今まで黙っていたディートシウスの方を見ると、彼もまた、ほほえんでいた。




