壁に、窓が現れた。
壁に、窓が現れた。
「………………」
目をこする。
もう一回、壁を見る。
窓が、ある。
「???」
窓に触る。
向こう側は……見慣れない風景。
なんとなく、窓を開けてみる。……開いた。
恐る恐る窓から顔を出し、辺りを見回してみるが……絶対に、見覚えのない光景。どこか外国の田舎? ぽつぽつとお屋敷って感じの建物が見えているけれど、絶対に日本のどこかにあるだろう風景じゃない。
「……どういう事?」
首を傾げる。
自宅があるこの場所は、地方都市とは言えそれなりに大きい街だ。当然、こんな緑豊かな場所じゃない。
この窓がある壁、向こう側はお風呂なんだけど? てか、なんでここに窓が出来てるの? こんな近距離でパソコンいじってて気づかないって、ありえる? そもそも、窓ってこんな短時間で作れるものなの? 今は夜なはずなのに、なんでこの窓の外は昼みたいに明るいの?
次々に湧いてくる疑問。
腕を組み、考える。
……………………うん、わからない。
「疲れてるんだな、よし、寝よう」
窓を閉じて、パソコンの電源を落とす。
この日はそのままベットに潜り込んだ。
**********
目を覚ますと、やっぱり窓はあった。
「…………」
なんだろう。なんか、窓の外、向こうの方に道があるのかな? そこそこ行き交う人の姿とか見えるんだけど……この壁の向こう側ってお風呂なんだけど、どうなってんの?
「夢……じゃなかった? 現実?」
現実だとしたら、これはいったい何なんだ。
昨夜、いきなり現れた窓。
夜だったハズなのに、窓の外は明るかった。
そして、今も窓の外は明るい。
「疲れが取れてないのかな……」
確かに、このところ忙しかった。
締め切りのきつい仕事が重なり、同僚がやらかしたミスの後始末に追われ。
終電で帰宅する事一週間、なんとかギリギリ間に合わせてやっと年末の休みを返上せずにすんでほっとしていたところだ。ただ、おかげで帰省は出来なくなったけど。
肉体的にも精神的にも、かなりキツかったのは事実。
窓の外を見つつ、思考は完全に現実逃避。
馬車らしき物体が、行き来しているのはまだわかる。
だけど、馬車を引いているのが明らかに馬じゃない。いや、馬もいるんだけど、馬じゃないのもいる。というか、見たことない生物がいる。それこそ、ゲームとか漫画の世界でしか存在しないんじゃないかなーと思えるような生き物っぽいのが。
「………………」
考えてみるが、私の頭じゃ答えは出せないらしい。というか、普通に意味わからん。
「うん、いいや。キニシナイ」
これは、ここに窓型のモニターを設置して、何かの動画を垂れ流しにしているだけ。
そう、思うことにした。
**********
うん、現実逃避して、これも部屋の景色の一部と思おうと考えていた時期もありましたよ。
だけどね、こちらから見えているってことは、向こうからも見えているって事でもあったらしい。考えてみれば、当たり前だけど。
「自分の家に、とつぜん、まどができたらなんだろうって思うでしょ」
「ごもっともです」
窓越しに話をしているこの少年、向こう側のこの窓が出現した家の住人で、パトリックというらしいです。黒髪に薄い青と言うか灰色っぽい青と言うか、そんな感じの瞳をした絶対に将来はイケメンになるだろう少年。こっちで言うところの小学校低学年くらいだろうか、着ている服からしていいとこのお坊ちゃんぽいんだが、詳しくは知らない。
「これ、おいしいね」
そして、手には湯気の立つカップ。中身はミルクココア。ニコニコする美少年、眼福です。
「そっちにはココアってないの?」
「ぼくは、しらない」
「そうなんだ」
返事をしつつも、自分も同じものを飲んでおります。
この窓、出窓みたいになってるから、ちょこっとテーブル代わりに色々と物が置けるんだ。ここ数日、おやつの時間にこうして情報交換という名の雑談をしています。いつの間にやらどっからか木の箱を持ってきて、窓の下に階段状に積み上げてた。一番上に座って、足をプラプラさせてるのが可愛らしい。
パトリック君との交流が始まって、三日。
なんでこんなことになっているのかと言えば、現実逃避しようと決めたあの日、不意に窓をこんこん叩かれまして。
なんだと思って窓を見たら、彼がこちらを見ていたわけですよ。
で、私もなんかもう訳わからないながらも何が起こっているのか知りたかったというのもあって、ちょっと窓を開けてみたんですね。
そうしたら開口一番に、【おねえさん、だれ? そこ、どこなの?】って相手が聞いてくるわけです。
見た目、外人な男の子が日本語(?)で話しかけてくるわけですよ。もう、この時点で意味わかんないじゃないですか。
思わず、なんで日本語話せるんだみたいなことを口にしたら、そこから質問攻めにされまして。
答えられる範囲では答えたけど、結局のところは何もわからないまま話せば話すほど、二人とも頭の上に?マークが飛び交う感じ。
でまあ、良くわからないけど、交流できるんだからこれが消えるまではたまにお話ししようかという事になった。なんでも、こういった現象に詳しそうな人に心当たりあるらしいんだけど、連絡を取れる人が今ちょっと遠方に行ってるんだって。ただ、その人にこの話をすると仕事を放り出して戻ってきそうだから、戻ってくるのを待つとか言ってた。
私としても、何か少しでもわかれば多少はスッキリするんじゃないかと思ったんで、その知り合いが戻ってくるのを待つことに。それまで、この窓がこのまま残っているかはわからないけれど。
「これおもしろいね。パリパリしてておいしい」
本日のおやつ。ポテトチップスです。
飲み物は初日にミルクココアを出してあげたら気に入ったらしいので、今のところはミルクココアに固定。おやつは、買い置きのスナック菓子をその時の気分で出している。甘いのもしょっぱいのも大丈夫みたいだけど、高そうな服を着たお坊ちゃんが食べてると違和感半端ない。今更だけど、こんなの食べさせて大丈夫だったかなと心配になってくる。
「それならそっちでも作れるんじゃない?」
なんせ、ジャガイモを薄く切って揚げるだけだし。
「ここまで芋をうすく切るの、むずかしいんじゃないかな」
「え、スライサーとかないの?」
「すらいさー?」
きょとん顔で首傾げるのやめて。
美少年、可愛い。男の子なのわかってるけどマジ可愛い。こんな弟ほしいわ、下には兄弟いなかったからちょっと憧れる。
「ちょっとまってて」
ささっとキッチンからスライサーを持ってくる。
「これ。ここに芋をセットして、こうやって使うの」
「すごい、こんなのあるんだ! これいいな、父上に見せたい」
なんでもパトリック君のお父さんは魔道具と言われる道具の開発をしているらしい。画期的な道具を色々と作ってて、その道では有名らしいよ。魔道具とか言われても、私はよくわからないけど……聞いた限りで判断すると、こっちで言うところの家電とかが近いのかな。ただし、動力が電気じゃなくて魔力。この窓の向こう側は魔法が存在する世界らしい。もう、本当に意味わかんない。この窓が一番、意味わかんないけど。
「だったら、貸してあげるよ。あ、ついでに」
刃の部分を変えれば、他の切り方もできる便利道具。包丁使うのが下手な私には必須道具だけど、他のメーカーのも持ってるから別に戻ってこなくても問題ない。
「いいの!?」
「うん。予備があるから、大丈夫だよ。返すのはいつでもいいからね」
「ありがとう!」
にぱっと笑った顔が可愛い事! さっきまでキリリとして大人っぽかったのに、途端に年相応に見える。
ざっと使い方を説明すると、パトリック君はニコニコしながら大事そうに抱えて戻っていった。残ってたポテトチップスは紙袋に入れて持たせてやったよ、実物があった方が再現しやすいだろうからね。
ただ、あっちの世界には存在しないだろうプラスチック製品を渡して大丈夫だったんだろうかと、今更ながらちょっと心配になったが。
「まあ、なるようにしかならないよね」
そう呟いで、窓を閉じた。
**********
パトリック君との交流は継続中。
取り敢えず、窓にはカーテンをつけた。
100均で突っ張り棒を買ってきて、カーテンは家にあったバスタオルで代用、カーテンが閉まっている時は不在、という事をに。正月休みが終わったら今の頻度では会えないだろうから、その辺りもきちんと説明しておいた。
それと、しばらく交流して判明したことではあるが、どういう仕組みかはわからないけれど、こちらが朝だろうと夜だろうと、繋がった先の向こうはいつも昼間くらいらしい。パトリック君の話だと、どうやらほぼ同じくらいの時間らしく、その時間になると壁に窓が現れるんだそうだ。
窓が現れるって何。ていうか、そんな訳の分からない現象を前に平気で近づいてくるこの子は大丈夫なんだろうかと、本気で心配になった。子供の好奇心、怖い。
ついでに、この窓の事は他に誰か知ってるのかと聞いたら、可愛く【秘密】って返ってきた。いやいやダメでしょ、さすがにそれは。
ただまあ、聞いた感じではパトリック君には常に護衛がついているそうで、その護衛から親には報告が行ってるらしい。私とこうしているのをわかった上で何も言わないんだったら、たぶん大丈夫なんだろうけど……いや、本当に大丈夫なのかな。
まあ、私がとやかく言う事ではないし、こうやって窓越しにしか接触できないから、そこまで危険視はしていないだけかもしれないけど……うん、考えても仕方ないよね。なるようにしか、ならない。
**********
それからもちょくちょく交流は続いていたんだけど、なぜか訪ねてくる美少年が一人増えた。パトリック君が連れてきたんだけどね、銀髪のこれまた可愛い子なんだけど……いや、なんでだろう。満面の笑みでこっち見てるんだけど、どうしたらいいのかな。
「えと……お友達、かな?」
パトリックの隣にいる銀髪の少年をちらっと見ながら訊ねると。
「おい、だよ」
「オイ?」
「ぼくの姉上のこども。おいっ子だよ」
「甥っ子」
一瞬、意味が分からなかった。
兄弟とか従兄弟とか言われたらまだ納得したけど、まさかの甥発言。
だって、どう見たって同じ年ぐらいだよ!?
「ヴィクトルです。パトリックと同じ七さいです」
あ、パトリック君、七歳だったのね。知らなかったよ、お姉さん。
でもヴィクトル君、私が好きだったゲームの推しになんとなく似ているんだけど、キノセイかな? いや、そもそも名前が違うしこんなに愛想の良いキャラじゃなかったから、間違いなく違うんだけど。ちょっと気になる。髪と瞳の色が同じだから、そう見えるだけかな。
「ぼくと姉上、十九さい、はなれてるんだ」
十九歳……でもそれって、十九歳でこのヴィクトル君を生んだって事だよね? というか、パトリック君のお母さんは後妻さんなのかな? やっぱりお貴族様ってヤツ?
色々と新たな疑問が降ってわいてくるが、取り敢えず二人にミルクココアを入れて渡してあげた。
パトリック君は慣れたもので、美味しそうに口をつけていて。
ヴィクトル君、一口飲んで目がキラキラしてる。ちょっと眩しいかもその笑顔。
「これ、おいしい! はじめて、こんなおいしいの!」
「ね、言ったとおりだったでしょ?」
「うん! これ、ジゼルにも、のませてあげたい!」
ヴィクトル君の妹だそうです、ジゼルちゃん。ただ、ここまで連れてくるのは難しいらしい。まだ三歳で、いまはちょっと体調を崩しがちなので家から連れ出せないそうだ。
どうやらヴィクトル君、ここからも見えるけど隣(そうは言っても、かなり距離がある)のお屋敷に住んでいるそうで、確かに三歳児を連れて歩いてくるにはちょっと距離あるかなって感じ。……どれだけ広いのよ。
「おじいさまがおむかえに来てくれれば、ジゼルもこれるよ。でも、おじいさま、いまおでかけしてるから」
「うん。父上、いま、おともだちのところへ行ってるんだ」
ヴィクトル君のおじいさん=パトリック君のお父さんってことだよね。なんか、頭がこんがらがって来たわ。
それからおやつを出して、詳しく話を聞いてみたら、パトリック君が前に言ってた、こういった事に詳しそうな人に連絡取れる人って、お父さんの事だったらしい。いまは仕事の関係で国外へ行っていて、もうちょっとしたら帰ってくるそうだ。
それはそうとお子様たちよ、君たちがここへ来ていることは誰かにちゃんと言っているのかな?
「母上は、しってるよ」
「ごえいがね、ちゃんと、はなれたところで見てるよ」
うん、パトリック君のお母さんは知っているようだ。そして、ヴィクトル君にも護衛がついてるのか。やっぱりお貴族様なんだね、この子たち。パトリック君も、護衛がいるって言ってたもんね。
「はい、今日のおやつ」
「「わあ、きれい!」」
美少年たちの、輝くような笑顔。
ふふふ、今日は近所で評判のケーキ屋さんでプチケーキの詰め合わせを買ってきたのだよ! 見た目も可愛いし一口サイズだから一度に何種類も食べられるしで、お気に入りなんだ。いつもは十個入りのを買ってくるんだけど、今日はパトリック君にもと考えて二十個入りを買ってきてしまった。さすがにちょっと量が多いかと思ったんだけど、逆に丁度良かったかもしれない。
「好きなの取っていいよ」
「「いただきまーす!」」
それぞれ手を伸ばして、好きなのを手に取って。
美少年たちの、ニコニコな笑顔。……兄貴がここにいたら悶絶してそう。子供好きだったからな、あの人。
ふとそんなことを思い出しつつ、はむはむと口を動かす少年たちを観察しつつ、自分はコーヒーを飲んでいると。
「ん? 誰かな?」
少年たちの後方に、こちらに近づいてくる人影。
おお、如何にも騎士って感じの格好したイケメンが近づいてくるよ。
「クリス!」
ヴィクトル君が、木箱の椅子からぴょんと飛び降りると、男性の方へ走っていく。
少年に手を引かれてこちらに近づいてくる金髪のイケメン……なんだろう、こう、ちょっと近寄りがたいというか近づいちゃいけないというか、なんか気安く話しかけてはいけない感じのオーラがすごい。年齢は……私と同年代かな。二十代半ばくらいに見えるけど。
「初めまして、お嬢さん。お名前を窺ってもよろしいでしょうか」
「あ……ハイ。江田真希……いや、マキって言います」
フルネーム名乗っても仕方ないよなと思って、名前だけ告げる。
「マキ様とおっしゃるのですね。自分はヴィクトル様の父君の従者をしておりますクリスと申します。どうぞお見知りおきください」
そう言って、優雅に礼を……おお、ファンタジー世界! 腰に剣さげてるし騎士様だよまさに!
内心、テンション爆上がりだけど、さすがにそれを表に出さないだけの理性はある。……自分でも思うけど、神経図太いよね。なんでこんな訳の分からん状況で、こんな冷静に対処できているんだか。
「あ、いや、様とかいらないんですけど……えーと、取り敢えず先に言っておきますけど、なんでこんなことになっているのかは私にもわからないので、お答えしようがありませんよ」
先に、言っておく。だって、聞かれたって困るし。むしろ私が聞きたい。
「承知しております。パトリック様は危険から身を守るための魔道具をお持ちです。それが反応しない時点で危険はないだろうとパトリック様の母君が判断し、様子を見ておりました」
あ、なるほど。ちゃんと監視してたのね。
……ヴィクトル君、何時の間にやらまた箱に座ってケーキ食べ始めてるね。マイペースだな、君。
「あ、よかったらどうぞ」
自分達だけで食べてるのもなんだと思って、クリスさんにも勧めてみたけれど。
「いえ、お気遣いなく。ところで、いまのこの状態ですが、マキ様にとっても理解不能な事象だと思います。それで、少しお話を伺わせていただけないかと思いまして」
「はあ、構いませんが。私にお答えできることであれば」
「ありがとうございます」
あくまで礼儀正しいクリスさん、なかなかの好印象です。もっとこう、威圧的な態度を取られるんじゃないかとちょっと構えてたんでね。
そして、いくつか質問を受けてわかったことは。
やっぱりここは、地球のどこかではないらしいという事。
まあ、魔法なんて言葉が出てきた時点でそうだろうなとは思ってた。こんな事態に巻き込まれているのに、意外に冷静な自分にはちょっと驚いているけれど。
それとこの窓、パトリック君も言っていたけど、やっぱり出現する時間が決まっているそうだ。こっでは常に窓はあるけど、いつ見ても昼間なのはそういった事が関係していたらしい。ついでに、こっちはいま夜ですよって言ったらものすごく驚いていた。
取り敢えず、この日はお子様二人がケーキを食べ終わった時点でお話し終了。残ったケーキを名残惜しそうに見ていたので、箱に戻してクリスさんに渡した。お家にもって帰って、妹さんにもあげてね。
**********
次から、美少年二人+イケメン騎士様が来るようになった。
いや、別にいいんだけどね? なんだろう、こう、顔の造詣が桁違いに良い連中に囲まれる居たたまれなさがハンパないんだけど。
「じゃあ、まきちゃん、二十五さいなの?」
これは、パトリック君。クリスさんに名乗ってから、私の呼び方がお姉さんからマキちゃんに変更された。なぜだ。
「そうだよ」
「えー、うそだぁ」
「クリスとおんなじには見えないよ」
お子様二人に、否定された。
まあ、童顔な種族だからねぇ、日本人は。その中でも、さらに童顔だからねぇ、私。というかクリスさん、やはり同年代でしたか。……軽く目を見開いて驚いているらしいのは見なかったことにしよう。
「じゃあ、けっこんしてる?」
「してないよ」
「「ええー」」
おい待て、その反応はなんなんだ、お子様たち。
「あの……こちらでは、女性は遅くとも二十代前半で伴侶を得ているのが一般的ですので」
クリスさんから、苦笑交じりに補足が入った。
まあ、そうだろうとは思ったよ。ヴィクトル君のお母さん、二十歳前でヴィクトル君生んでるんだし。
しかし、お仕事何しているのって話からなぜか一人暮らしだよって話になり、そこから更に結婚話に話が流れるとは思わなかった。やっぱりあっちでは女性の一人暮らしはそう多くはないみたい。
「ねえねえ、マキちゃん」
「ん? なに?」
「そっちのお部屋、どうなってるの?」
ちょこんと首を傾げて、ヴィクトル君が聞いてくる。てか、君もマキちゃんって呼ぶのか。別にいいけどさ。
「こっち? 普通の部屋だけど。なんかおかしい?」
「「おかしい!」」
声揃えるな、お子様!
なんでそんなはっきりキッパリ言われたのかと思ったら、そこはクリスさんから補足が入った。
どうやらこの窓と私以外、真っ白な空間があるだけで他には何も見えないんだそうだ。え、なにそれ怖い。
棚があったりベットがあったりする、普通の部屋なんだけど……そうか、向こうからは見えてないんだ。だから、好奇心の塊のようなお子様たちから、あれは何とかの質問が飛んでこなかったんだと納得。
「あ、そうだ。あのね、きょうの夜にね、父上もどってくるよ」
おお、という事は何かしら進展が期待できるかも!
「お忙しい方ですが、この件に関しては最優先で動いていただけるかと」
クリスさんからも頼もしい言葉をもらい、この日は解散。
次に期待をしつつも、もしかしたらあの子たちとの交流も終わりになるかもしれないと考えると、ちょっと胸が痛かった。
**********
翌日。
お子様二人とクリスさんは来なかった。
代わりに。
目の前にいるのは、黒髪の四十代くらいの男性。
知らない人、なハズだった。それなのに、さっきから動悸が治まらない。
「…………元気そうだな。マキ」
どくんっと、胸が躍る。
私には、六歳上の兄がいた。
当時、難関と言わる大学に通っていて、自分もよく勉強を見てもらっていた。
その兄が、二十一の誕生日を迎える直前に、行方不明になった。
出かけた先で、女性が子供を海に投げ落としているの見つけて友人に女性を拘束させ、自分は冷たい海に飛びこんだ。
救助が来るまで、岸壁に捕まって子供二人を励ましながら耐えていたと聞いている。
レスキュー隊が来て先に子供二人を引き上げ、次に兄をと見た時にはすでにそこに兄の姿はなかったそうだ。
以来、兄は行方不明のまま。
女性は、被害にあった子供たちの父親が通う会社の重役のお嬢さんで、横恋慕の果てに及んだ犯行だったらしい。
いくら誘っても相手にされず、言葉でも態度でもキッパリと拒絶され続けて。
次第にそれが憎しみに変化して、子煩悩な父親から宝物を奪ってやろうと、言葉巧みに連れ出して、という事だった。
そんなくだらない理由で、そんな理不尽な女の我儘に兄は巻き込まれたのか。
悔しい、以外の言葉が出て来なかった。
あれから十年。
失踪宣告をして区切りをつけるべきなのは、私も両親も頭では理解していた。
でも、死体が上がらない以上、どこかで生きてるんじゃないかって、私も両親も、どうしても諦められなかった。
でも。
目の前の男性は、兄とは似ても似つかない。面影なんて、一つもない。
それでも、目の前の男性が兄なんだという確信めいた思いは消せなかった。
ここに、兄とは全く別の姿をした兄がいる。
それが、意味するのは。
信じたくなかった、認めることが出来なかった事実を、受け入れざるをえなかった。
「なんで……勝手にいなくなったの」
「うん。悪かった」
「私も、お父さんもお母さんも! ずっと待ってるのに!」
「ごめんな」
「なんで…………なんで、帰ってきてくれないの!!」
顔も声も、全然違うのに。
困ったような顔をして頭を撫でてくるそれは、記憶にある兄そのもので。
涙腺が崩壊して、ボロボロを涙を流す私の頭を、兄はただ黙ってなでてくれた。
しばらくして落ち着くと、兄は色々と訪ねてきた。
私の事、両親の事。
「そっか……もう、二十五か。あのお転婆がなぁ」
「いつの話よ」
「だってお前、じいちゃん家の庭にあった灯篭倒したり、よく木に登って降りられなくなったりしてたじゃないか」
「小さい時の話でしょ!!」
なんで、そんなしょーもないこと覚えてるの!
怒る私を、目を細めて眩しそうにこっちを見てくるその姿が、以前の兄を被る。ああ、やっぱりこの人は兄なんだなと、実感する。
兄は、自分の事も話してくれた。
こっちで生まれて、今は侯爵という貴族の位を持ってるらしい。似合わないねと言ったら、笑いながら小突かれた。
以前の自分だった時の記憶は、結婚して暫くしてから、ある日唐突に思い出したそうだ。思い出した当初は色々と戸惑ったようだけど、でもそのおかげで色々と回避することもできたらしい。
「まあ、大半はお前のおかげだな」
そう言って兄は笑っていたけど、何がどうして私のおかげなのかは教えてくれなかった。
それから、しばらく二人で色々な話をした。
他愛のない日常の事や、私の仕事の事。
兄の家族や友人たちの事。
あっという間だった。
話したいことは、まだまだたくさんあった。
でも。
その時は、来てしまったらしい。
「……やはり、一時的なモノだったか」
私と兄を隔てる窓が、ぼやけてきている。
この窓がなくなったら、この交流も終わる。
あの可愛い子たちとも、兄とも、二度と会う事は出来ないだろう。
「マキ、これを」
そう言って、兄は懐から細長い箱と手紙を渡してきた。
「クリスから報告を受けて、ここに来ればお前に会えると確信していた。……後で中を確認して」
「……うん。わかった」
兄もこうなる事を予想していたのだと、この時になって気づいた。
悲しい。
心に痞えていた、しこりのようになっていたモノは、まだ完全に消えたわけじゃない。
もう、会えなくなるのは、仕方のない事なのだとわかっているけれど。
「……兄ちゃん、これ」
そう言って、足元から大量の紙袋を渡す。
私も遠からず、こんな日が来ると思って大人買いしておいた品物の数々。
あまりの量に兄が目を白黒させているけど、知った事じゃない。全部受け取れ。
「なんだ、これ? ……ココア? おい、なんだよこの量」
「パトリック君とヴィクトル君、それ気に入ったみたいだったから。あと、他にも色々と入ってる。あ、そっちってビニール袋とか存在しないんだよね? 適当に誤魔化して処分してね」
「お前なぁ……」
呆れたような声。
でも、顔を上げられない。
「マキ」
優しい声。
やめてよ、もう泣きなくないのに。
「ごめんな。会えて嬉しかった」
「にい、ちゃん」
「俺は、こっちで幸せにやってるから。お前も幸せになれ」
「兄ちゃん!!」
顔を上げた瞬間、ふわっと眩い光が辺りを包み込む。
眩しさに目を瞑るその直前、見えたのは優しい笑顔の兄と……その向こうに、手を振る少年たち。
次に目を開けた時、そこはただの壁だった。
**********
あれから、一年。
昨年末は比較的穏やかに仕事も終了し、年末年始の休みに突入。でも、今年も帰省は見送った。昨年と同じようにパソコンをいじりつつゲームをしつつ、正月休みを消化中。
あの時、兄から渡された箱、中身はネックレスとイヤリングだった。
まだ一緒に暮らしていた時、私の成人式のお祝いの時には誕生石のネックレスをくれと言ったのを覚えていてくれたらしい。兄らしいな、と思う。
あと、一緒に渡された手紙には色々と衝撃的なことが書かれていて、なんで繋がっていたときに言わないんだって思わず吠えた。わざと黙ってたな、意地悪兄貴め。
手紙は両親にも見せた。
最初は何の冗談だと言われ、まるで信じてくれなかったけれど、書かれていた内容や筆跡から何か感じたらしい。しばらく考え込んでいた。
後日、失踪宣告を出す決意がついたと連絡が来た。私も、それでいいと思うと返事をしておいた。
もう、兄に会える日は来ないだろう。
でも、かつて自分の兄だった人は、別の世界で幸せに暮らしているってわかって。それが分かっただけでも、心は軽くなった。
これで、私も前を向けると思う。
兄ちゃん。
私は私なりに頑張るよ。
だから、兄ちゃんも元気で。