ただの挨拶なのに
扉に付けられたノッカーを叩いたら、執事が出て来た。ミラー家に来るのは初めてだから、この家の執事たちとは面識はない。
でも、面識はなくても、使用人のお仕着せを着ているから執事だ。
屋敷内で働く使用人にはお仕着せが支給されていて、屋敷の外で働く馬丁や庭師などは自前の服である。屋敷の外で働く使用人は服が汚れる仕事が多いからだ。
それ以外にも、屋敷内で働く使用人は頭と顔の良い人物が選ばれる。
ランドリーメイドやキッチンメイドなど下級の女使用人は持ち場に主家の人間や来客が来ない場所の為、関係ない職もある。キッチンメイドは紹介状で技能の証明がされていない女使用人が初めに就く職で、頭の良さや特技や適正から様々な職に割り振られていく。
ランドリーメイドは反対にキッチンメイドが兼任したり、主婦が通いで洗濯の仕事をしにきたりしている。
「ようこそ、お越しくださいました。ダヴェンフィールド嬢。奥様がお待ちです」
恭しく接してくれる執事。主家の人間や来客に対する態度らしい態度である。
わたしの家とは大違いだ。
遠目からでも歓迎してくれていると感じたミラー家は、使用人ですら、わたしを歓迎してくれるらしい。
案内されたのは婦人用のサロンだった。婦人用のサロンは来客を迎えるには小さめで、数十人を迎え入れて社交をおこなうサロンとは違い、家族の居間としての役割も担っている。
サロンにはミラー夫人がいた。
ミラー夫人とはミラー家では初めてだけど、お茶会などの社交の場では何度も顔を合わせている。それどころか、お母様よりミラー夫人と一緒にいる時間が長いくらいだから、見間違うはずもない。
「よく来てくれたわね、アリス嬢」
「ミラー夫人、お招きありがとうございます」
顔を合わせた時と同じようにミラー夫人は歓迎してくれた。
目の奥が熱くなった。
なんて、優しい人だろう。
ううん。優しいなんて言葉じゃ言い表せられない。
お母様やお父様と違って、ミラー夫人は血の繋がりもない赤の他人だ。将来、結婚する(予定の)フェルナンドの母親だ。
それなのに、こうして歓迎してくれている。
フェルナンドがお姉様とばかり一緒にいても、わたしを嫁にしてくれようとしている。
最低限のマナーも知らず、見限られて、婚約をお姉様と入れ替えられていてもおかしくないというのに。
邪魔者だと、はっきり、お母様に言われたせいか、ミラー夫人の歓迎が、形式的な挨拶でも嬉しかった。
泣いちゃだめだ。
止まれ、涙なんか止まれ。
涙なんか、もう流さないって決めたのに!
お母様の思いを知っても涙は出てこなかったのに、ミラー夫人に挨拶されただけで、涙が出そうになる。
「やっと来てくれたわね。本当なら――あら、どうなさったの?」
わたしの目の前が滲んで、ミラー夫人が言葉を途切れさせた。




