想いの保存方法
わたしは貴方が好き。
でも貴方はわたしが嫌い。
だから、わたしは貴方が好き。
そういうわたしを「気持ち悪い」ってハッキリ言ってくれる貴方を好きになってしまった。
◇◆◇
「化粧でもせんと男にはモテないぞ〜?」
「別に、モテたくないし」
くちゃくちゃと音を立てながら嫌味な指摘をしてくるお父さん、毎度毎度のことで逃げようのない晩御飯にしてくるのが嫌だった。
お父さんは「機会がないからなぁ」なんて言うけれど、土日に昼間からお酒を飲むのを辞めたら良いのに、とか、わたしの気持ちを汲んでくれるならいつでも話し相手になるのに、そういうことを無視して話てくるから嫌になる。
──自分が気持ちよくなりたいだけなんでしょ。
お母さんはそれに同意するでも否定するでもなく、ただ黙って黙々とご飯を食べ続ける。困ってるわたしに助け舟も出さずに下を向いてるだけ。
「聞いてるかぁ〜? 親の言うことは聞いといた方が、ためになるんだぞ? なあ母さん?」
「…………そうね」
──何か言ってよ。話題変えるとかさ、なんでしないの?
──むかしみたいに、さ。
結局、わたしがご飯を食べ終えて部屋に逃げ帰るまでお父さんの嫌味なお節介は止まらなかった。毎日毎日アレやれコレやれうるさくて、もう、聞きたくないって。子供を人形だとでも思ってるの?
でもお父さんはわたしが好きだから、善意でいってるだけ。きっとそう。
昔から酔ってるときは素直で、わたしを「かわいいなぁ、かわいいなぁ」と褒めてくれる。だからわたしは愛されている。
でもそんなお父さんが私は嫌い。
一方的に愛されてるだけだから。押し付けているだけなのに、愛を与えていると勘違いしている。独善的、気持ちが悪い。
そう思ってしまう。
お父さんに何かを言う資格なんて無いのに。
『ごめん無理だわ』
LINEにポツンと残されたメッセージ。
たった一通、彼から届いた返答をいまでも眺めてる。
十四歳の頃に同じクラスの彼に宛てたメッセージの断片は上へとスクロールすればいくつも見つかる。気持ちの悪い文字列だ、その数にして十数ほど。長いし読みづらいし、本当になんというか黒歴史。
幸いその黒歴史は誰にも知られてはいない。彼が口外しなかったから。まあ、彼にとってはわたしに告白されたこと自体が黒歴史なのかもしれないけど。
それがもう三年も前のこと。
それでもわたしは、
いまでもわたしは、
貴方のことが好きだよ。ネットで調べたら女は未練がましくない、なんて書かれてたけど本当なのかなって疑いたくなるくらい。
なんでまだ好きなのか、わたしにも分からないのに。
フラれたのにいつまでもよく視線を送っていたから、
貴方に「気持ち悪い」って言われたこと。
言われなくてもわかってる。
気持ち悪いよなぁ自分。
自嘲してベッドに潜りこむ。
自傷していると他の嫌なこと、痛む心が軽くなる。冷たくて麻痺していくような感覚。すこしだけ心地がいい。
それがまた気持ち悪くてジンジンと痛むけれど、他の痛みがあるよりはマシな気がした。
◇◆◇
高校二年生の夏休み、その直前。
「なあ夏休み、その、なんか予定とか、ある?」
彼が三年前のことを脳内からポップアウトさせたみたいに自然に私の予定を聞いてきたものだから驚いた。
それでもわたしはあくまでも冷静に、
「なに、なんで?」
とだけ返した。向こうから話しかけてくることなんてないからその疑問は本物だ。彼は、というと……視線を逸らしたり息を詰まらせたりとまるで、あのときのわたしみたいだ。
「その勉強教えてもらいたくて……」
「べんきょぉ?」
思わず変な声が出てしまった。彼がなんでわたしに?
というかなんでわたし?
「自分ですれば良くない?」
「いや……まぁ、そうなんだけどさ」
いつにもまして歯切れが悪い。友人の人達と喋っているときと大違いだ、三年前のことを気にして頼みづらい、とか? それなら尚更、わたし以上に頭の良い人は多いし他の人にあたればいいのに、なによりそういう雰囲気でもなさそうだから、本当に不思議で不思議でしかたない。
「関東の大学行くんやろ」
「え、あぁ……親にはまだ言ってないけど」
理由は単純にあの家に居たくないから。そんなことを彼に伝えても意味がないので肯定だけしておく。というよりなんで知ってるんだろう? わたしのことなんて興味ないと思ってたのに。
「俺も大学行こう…………かな、て」
「へぇ」
と、さも興味なさげに。でも本当は興味ある。ありまくりだ。ないと言えば嘘になるんだから。
「できればお前と同じとこ」
「は? はぁ。……なんで?」
もうよく、分からない。罰ゲームか何か?
「さっきからよく分かんないんだけど、友達に言わされてるとかそういうこと?」
「あ、いや、違う。違うくて……、ただ純粋に……」
純粋に?
「同じとこいきたいなって」
堂々巡り。何が言いたいのか、とても意味がわからない。わたしより上背だった彼も自信のなさが現れたのか猫背になってしまっている。わたしより低くなった頭が、彼の瞳が上目遣いでわたしを見た。そして、意を決したように──。
「俺、お前のこと好きになった……から。
いや、さ。言いたいことは俺もわかってるつもり……だから。前、お前から告白してきて酷い言い方してフッた、じゃん? 都合がいいとか、そういう……。たぶん、そう思ってると思っ、俺は思ってんだけどさ……」
実際その通りだし、なにを今更と、そう思っている。だけど心の中にあるこの感情は何だろう。今まで感じたことのないもの。それが何かわからないけれど、幸せな気持ちになれる物じゃないことはたしか。
「高校入学して……からだから。中学んときは、その、本当ごめん……。お前が俺のこと、今でも好きとは思ってない。けど、けど、なにかキッカケがないと一生言えん気がしたから伝え、たかった、んです……」
ああ、そうだ。分かった。この気持ちの正体が。
そして同時に、思い出してしまった。
幸せだった時のこと、家族仲がまだ良かった時のことを。
彼は、いまのお父さんに少しだけ似ている。
わたしの気持ちを考えない、愛を押し付けている。
いままで、いままで我慢してきたわたしの気持ちを知らないで、いまでも好きなわたしを傷つけていることを知らないからそんなことが言えるんだ。自分が『後悔』したくないから、そんな自分よがりな考えで。
怒りの感情はなかった。ただ嬉しい気持ちはあった。
まだ好きだったから、わたしには彼にとっても良い返事をできる、その選択肢があった。
「ごめん」
ここで、彼の想いに応えれたなら、
わたしは幸せになれたかもしれない。
わたしはまだ未練があるから。わたしが望めば彼を、貴方と……わたしは両想いになれたのに。
ふと、視界が滲んできた。ほおに触れて、気がつく。
……わたし泣いてる。
でも、だって。
わたし、お母さんみたいになりたくない。
お母さんはお喋りな人だった。わたしが小学生の頃はすくなくとも家で一番うるさかった。なのに、喋らなくなった。
だって、お父さんと会話をしなくなったから。
あんなに「お父さんと会えて良かった」とか「しあわせだなぁって思う」なんて言っていたのに。
あれは、嘘だったの? 分かってる。
違う、そうじゃないんだって。
嘘に変わったの。ただ単純に、好きじゃなくなった。
そうやって、考えてやっと腑に落ちる。
貴方に未練があった理由。
貴方に嫌われても良かったって思える理由。
わたしが二人みたいになりたくなかったからだ。
嫌いだっていう貴方を好きになれば、この想いは実らなくて済むんだから。これ以上、
壊れることも無い。悲しむ人もわたしだけで終わる。
「そっか……ありがとう」
いまにも消えてしまいそうな声音が、泣き出しそうな表情が、わたしの心を乱そうとしてくる。
だけど答えは変わらない。長く一緒にいればいるほど風化していくと知っている。全部が全部そうでないことも分かってるつもり、だけど無理。わたしにはそういう理想を描けない。
わたし貴方にそんな顔をさせるつもりじゃなかったの。
でも貴方はそのうち他の人を好きになるよ。その人はきっと、両想いになれる人だよ。そうして、その想いを貴方は風化させていくの。忘れて溶かすように。思い出さなくても幸せでいられるように。
でもね、もう一つ。わたし気がついたことがあるの。
一方的な愛は長続きする。
わたしを愛するお父さんのように。
貴方がわたしに想いを告げたように。
だから貴方のそれも、わたしのお父さんのように相手の想いを知らなければ、もっとずっと長続きしていたんだろうね。
わたしは、そうはしない。
この気持ちを抱え続けて傷に変えて愛を刻み込む。
これがわたしの、わたしなりの愛の示し方。
お父さんと同じ、歪なカタチ。だからこれは、
絶対に実らせちゃいけないの。
お母さんのように削れていくから。理想は現実に剥がされていってしまうから。
『好き』を長続きさせるには、こうするしかないんだよ。