みかん
早朝六時、いつものウォーキングコースのど真ん中に、みかんが落ちている。
まだ薄暗い、街灯すら消えていない人気のない細い道路のド真ん中、アスファルトの上にやけに目立つオレンジ色の塊。
誰だ、落としたのは。
大き目のみかんだな、八朔?いや色合いがみかんだ、しかしみかんにしては大きすぎる。
こんな大きさだったらさあ、落としたら気が付きそうなもんだけど。
なんで拾わなかったんだ、そもそも落としたのか、それともここに供えてあるとでもいうのか。
あたりに人はいない。
拾って持って帰っても、まあ、恥ずかしくはない。
拾うか?だがしかし。
何でもかんでも拾ってくる旦那とは違って、私はモノをむやみに拾わないことを硬く心に誓っているのだ。
もしかしたら毒が注入されてるかもしれないじゃん。
もしかしたらテレビが隠し撮りしてるかもしれないじゃん。
人の悪意ってのは本当に突拍子もなくてですね、いきなり襲い掛かりましてですね。
よし、拾うのはやめよう、だがみかん、君はここにいてはキケンだ。
…避難させておくか。
歩道のブロックを踏み越えて、道路のど真ん中にいるみかんを拾い上げる。
「やあやあ、おはようございます、ミカンのふりしててよかった、私はね」
私は拾い上げたみかんを歩道のブロックの上において、いつものウォーキングコースに向かった。
一周1,5キロの公園をぐるりと一周する頃には夜が明けて、眩しい朝陽が輝きだした。
今日は晴れだな、まだ端のあたりがオレンジ色に染まる空には、雲一つ浮かんでいない。
コンビニによって朝ご飯を調達し、家に向かう。
朝の光に照らされる、アスファルトの上にやけに目立つオレンジ色の塊。
みかんがまたもや道のど真ん中に鎮座しているのが遠目に確認できた。
…なんというはた迷惑な。
みかんはみかんらしくこたつの上で積まれてなきゃダメだろ。
決してしゃべってはならぬのだ。
決して移動してはならぬのだ。
歩道のブロックを踏み越えて、道路のど真ん中にいるみかんを拾い上げる。
「やあやあ、ありがとうございます、信じてましたよ、私はね」
私は拾い上げたみかんを歩道のブロックの上において、家に帰ろうと。
「何これ!みかんじゃん!!!」
ちょうど小学生の登校時間の様だ。
集団登校の小学生たちとすれ違う。
「おい!!拾うなよ!!!」
班長らしき少年がやんちゃそうな男子を叱っている。
「ちぇ!!なんでえ、こんなもん!」
ふてくされた男子は、勢いよくみかんを蹴り上げた。
みかんは、勢いよく転がって、転がって転がって転がって…。
細い路地から、交通量の多い道路に飛び出した。
ずぶちゃざしゅっ!!!!
みかんは車のタイヤでつぶされ、瞬時にY軸方向の数値を著しく喪失した。
オレンジ色の果肉が、見る見るうちにアスファルトになじんでゆく。
…なんだ、つぶれてみたら、ただのみかんだった。
食べ物は粗末にしたらいかんなあ。
私は騒がしい集団登校の列とすれ違いながら帰宅した。
手を洗い、うがいをしてこたつの元へ。
テレビをつけて、こたつの上にあるみかんに手を伸ばす。
「やあやあ、ひどい目にあいました、でもこうして」
皮をむいて、みずみずしいみかんをひと房、口に入れる。
…なんだ、食べてみたら、ただのみかんだった。
もぐもぐもぐ、もぐもぐもぐ。
机の上には、みかんの皮だけが残った。
みかんの皮を、くずかごにポイと投げ入れて、私は二つ目のみかんに手を伸ばした。
二つ目のみかんは、何も言葉を発しなかった。
みかんの皮を、くずかごにポイと投げ入れて、私は三つ目のみかんに手を伸ばした。
三つ目のみかんも、何も言葉を発しなかった。
私はくずかごの中のごみをキッチンの生ごみの袋とひとまとめにし、ごみ収集所に持って行った。
ちょうどパッカー車が到着し、ゴミの袋を収集スタッフに手渡した。
「いつもおつかれさまです。」
みかんの皮の入ったごみ袋は、パッカー車の中に消えた。
私は食べ切ってしまったみかんを買うために、スーパに向かった。
六個入りのみかんを買おうか、ばら売りのみかんを買おうか迷っていると。
「やあやあ、こんにちは。」
「あれ、三宅さん、こんにちは、お買い物ですか。」
裏のおじいちゃんが買い物に来ていた。
箱入りのみかんを一つ買って、シェアすることになった。
こたつの上にみかんを積んで、ふと考える。
最近のみかんはやけにフレンドリーだな。
昔のみかんは気難しかった。
やれ交配するな、やれ剪定するな、やれおかしな薬剤を塗りたくるな。
いつしかみかんは不満すら口にすることなく、ただただ耐えている存在になり果てていたとばかり思っていたのに。
時代は変わったな、私も変わらないといけないかもな。
私は閻魔帳を広げて、粛清予定のページを、びりりと破り捨て、空のくずかごに投げ込んだ。