27
いまだ日の高い時間、ライモンド・メンディーニは古代遺跡の中に足を踏み入れていた。
名目上は警備として遺跡内を見回るということになっているが、目的は別にある。
既に発掘も調査も終わっている遺跡の一室に向かい、ライモンドはそっと足を踏み入れた。
室内の装飾がまだ綺麗に残っているそこは彼女のお気に入りで、逢瀬の時はいつもここを使っているのである。
「カタリーナ様……」
囁くように彼女の名を呼ぶと、部屋の隅にある柱の陰からぱっと白い影が飛び出してきた。
プラチナブロンドの髪の毛とはしばみ色の瞳の淑女……カタリーナ・レグラマンティである。
後ろにはメイドのリンダの姿もあり、悲痛そうな眼差しを向けてそばに控えていた。
ライモンドが腕を広げると、カタリーナはわっと抱き着いてきた。
「ああっ、メンディーニ様!お会いしたかった!」
「カタリーナ様、泣いておられたんですか?お可哀想に……」
彼女は妖精のようなかんばせを、既に涙で濡らしていた。
さめざめと泣く彼女が哀れで、ライモンドはその体をしっかりと抱きとめて背中をさする。
愛し合っていることがわかる、逢瀬の光景である。
だがカタリーナには夫があり、それはライモンドの雇い主にしてこの地方の領主。
しかも彼らの娘が自分の婚約者となっている。
ライモンドとカタリーナは道ならぬ関係であった。
それでも気持ちに蓋は出来ず、二人はこうして人の目を盗んでは逢瀬を交わしている。
「いったい、何があったのですか?急ぎの用だと聞いたのですが……」
「そうなの……ああ、ひどい、ひどいのよ……たすけて、メンディーニ様……」
「こんなに怯えて……お可哀想に……」
この泣き顔を見ていると、胸の中に庇護欲と強い怒りが湧き上がってくる。
彼女は実の夫に愛の無い結婚を迫られ、無理矢理関係を持たせられた過去がある。
娘のヴァンダはそんな彼女を嘲り、冷たく接している。
このことは初めて会った日に語られており、ライモンドは憤慨しつつカタリーナを助けたいと思ったのだ。
繊細でか弱いカタリーナが、夫と娘……冷酷な二人のあたりに耐えられるとはとても思えない。
「また、卿に何か言われたのですか?それとも、ヴァンダ嬢に?」
「う、うう……ああ……」
二人の名を出すとさらに激しく泣き出してしまい、ライモンドは困り果てる。
あまりにも可哀想で再度問いかけることも出来ずにいると、柱のそばで控えていたメイドがすっと前に出た。
「ライモンド様、私から説明いたします」
「ああ、リンダ。一体何があったんだ?」
リンダは自分と同じくカタリーナを守ると誓っている一人だ。
レグラマンティ家では唯一彼女だけがカタリーナの味方であり、こうしてライモンドの補佐をしてくれることもある。
忠実なメイドは深刻な眼差しでこちらを見ながら、ゆっくりと口を開いた。
「お恥ずかしいことなのですが、実は……旦那様が魔法遺物の横領と横流しを行っていたのです」
「何……!?それは本当か?」
「はい、確かに聞きました。先ほど私たちの前で自ら告白なさったのです」
「なんてことを……!」
ライモンドは胸に宿った怒りがさらに燃え上がるのを感じた。
このか弱いカタリーナを虐げるだけでなく、不正まで行うなど領主の風上にも置けない。
生来強い正義感の持ち主のライモンドは、レグラマンティ卿を問い詰めたくて仕方なかった。
「ならばこの不正を暴かなければ!リンダ、卿はいったいどこに遺物を横流ししているんだ!?」
「だめ!だめよ!メンディーニ様……!」
警備団全体で調査してやろう、そう意気込む己の胸元で、突然カタリーナが叫ぶ。
ぎょっとして視線を転じると、彼女はぽろぽろと涙を流しながら首を横に振っていた。
「駄目?いったいどういうことなのですか?」
「カタリーナ様はこれからのことを案じているのです。卿の罪が暴かれれば、お二人が会えなくなると」
そう続けたのはリンダであった。
ライモンドはその言葉の意味がわからず、首を捻りながら彼女に視線を転じる。
メイドの表情は真面目そのもので、真意をはぐらかしたりしている様子は無い。
戸惑ったままいると、胸の中で嗚咽をあげていたカタリーナがぽつぽつと語り始めた。
「あの方がいなくなったら……怖いの、わたくしはどう暮らしていけばいいの……?わからないわ……」
「え?それは……」
「実家に戻るの?そうなったらメンディーニ様に会えなくなるわ……そんなのは辛い、辛いのよ……」
涙ながらに己と会えなくなる寂しさを訴える彼女は愛らしい。
愛らしい……が、ライモンドの胸にふと違和感が浮かんで、おずおずと口を開いた。
「しかし……カタリーナ様、不正は不正です。正さなければ……」
「メンディーニ様!わたくしと離れてもいいとおっしゃるの……!?」
ぱっと顔を上げたカタリーナが、涙にぬれた目でこちらを見た。
その表情に罪悪感がつのり、ライモンドは慌てて「違う、違います」と首を横に振る。
しかし彼女は自分の言葉が信じられなかったようで、すっと胸元から離れて行ってしまう。
そのまま近くの柱のそばで座り込み、顔を覆って泣き出してしまった。
慌てたリンダがカタリーナのもとへ駆け寄り、その肩をさすった。
「ライモンド様、カタリーナ様を追い詰めないでください!ただでさえ弱っていらっしゃるのに……!」
忠実なるメイドはライモンドを睨みつけ、甲高い声で怒鳴りつける。
その剣幕にさらに戸惑いが加速し、泣き叫ぶカタリーナに罪悪感が追い募る。
何も言えずにカタリーナの涙を見つめていると、リンダが夫人を慰めながら静かに言った。
「ライモンド様、旦那様はお二人の関係に気づいているようです……」
「……!」
「ご自身の不正とともにお二人の関係も暴露すると……そう言っておりました」
その言葉を聞いて、ライモンドは愕然とした。
まさかあの他者に興味の無さそうなレグラマンティ卿が、自分たちの関係に気づいているとは思っていなかったのだ。
いや、それよりも良からぬ事態になったことに、汗がにじみ出る。
カタリーナを守るために今の関係になったとはいえ、彼女はまだ人の妻である。
人の目からみれば、自分たちもまた罪びと……。彼女の言うように、別れさせられるのは必至だった。
それにあの執念深そうなレグラマンティ卿や、冷徹なヴァンダ嬢のことだ。
彼らが自分たちをどう扱うか想像するだけで恐ろしかった。
顔を青くしうつむくライモンドをじっと見ていたリンダが、不意に小さく囁いた。
「だから、ライモンド様。旦那様と交渉すればいいのではないでしょうか?」
「なに……?」
どういうことかと顔を上げると、メイドは薄っすらと笑みを浮かべてこちらを見つめている。
「正確には旦那様の罪をお嬢様の罪にするのです。調書を改ざんし、それをたてに旦那様と交渉すれば」
「な、なにを言っているんだ?そんなことをしたら……」
「貴方がたの関係を黙っていると約束させたら、お嬢様を開放すれば問題ないでしょう。大事なのはカタリーナ様の御心を守ることです」
その言葉にはっとして、カタリーナを見る。
彼女はいまださめざめと泣いている。
ライモンドと別れるかもしれないことを、心から嘆いてくれているのだろう。
もしこれ以上カタリーナに負担がかかれば、彼女は倒れてしまうかもしれない……。
(僕はカタリーナ様をずっとお守りすると誓ったんだ……)
彼女の話を聞き、境遇を哀れと思うたび、自分の中の正義感が刺激された。
何故こんなか弱く優しい存在が、理不尽に虐げられなければならないのかと怒りに燃えた。
弱きは守られ、強きは手を差し伸べるべきなのだ。
ライモンドはずっとそう信じて生きてきた。
(だから、彼女を守るためには……)
自分が手を汚すしかないのかもしれない。
それにレグラマンティ卿は趣味にばかり没頭する偏屈屋、娘のヴァンダは父の肩を持つ冷酷な人である。
少しばかり罰を受けるべきではないか?
そう考えるとわずかに心が軽くなり、ライモンドはおずおずとリンダを見、そしてカタリーナを見た。
ぽろりと伝う彼女の涙に心を痛め、静かに、静かに、口を開く。
「わかった……ヴァンダ嬢に、全ての罪を着せよう……。何をすればいい?」
きっぱりと、強い意志でライモンドは言い切った。
その時である。
「ライモンド……やっぱりお前の答えはそうなんだな……」
押し殺すような怒りを秘めた聞き覚えのある声が、遺跡内に響いた。