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 胸を鮮血で汚し、倒れていくヴァンダ嬢。

 全てがはじまった日に見たものと同じ光景に呆然としていると、再び世界が暗転していく。


 このまま終わるのでは何もわからないと、カストは慌てた。


「おい、もう少し見せてくれ……!彼女を、ヴァンダ嬢を助けたいんだ……!」


 胸元の石は、懇願の声を聞き届けることもなく無言で輝く。

 今までずっと死の運命を変えてくれた魔法遺物だが、その様が妙に憎たらしかった。


(あの時、俺が素直に死んでいれば彼女も苦しまなかったのだろうか……)


 カストが繰り返したから、彼女は父の不正に苦しみ、婚約者の裏切りを知り、母の身勝手さに振り回された。

 そしてついには二度……彼女は己の目の前で命を奪われてしまった。


 ただ彼女を苦痛から救いたかっただけなのに。

 カストは顔を歪めて「ヴァンダ」と小さく彼女の名を呼んだ。


 再び胸元が真紅に輝き始める。

 同時に、ぴしり、と何かが壊れるような音がしてカストはぎょっとした。


 はっとネックレスを見ると、輝く石に小さなひびが入っている。

 まずいと考えた刹那、視界は白く染まり、カストは目をつむった。


 そのまましばらく瞼を閉じたまま、立ちすくんでいた。

 ふいに地面の感触が草の柔らかさに変ったことに気づき、カストはゆっくりと瞳を開ける。


 穏やかに降り注ぐ陽光と体を包み込む柔らかな風。

 初夏のさわやかな光あふれる景色……そこが見覚えのある庭だったことに、カストは一瞬呼吸を止めた。


「……カスト様?」


 風よりも穏やかな声が聞こえ、あっと振り返る。

 やはり見覚えのある白いベンチには、赤毛の美しい令嬢が微笑みながら座っていた。


「どうしたの?突然黙り込んで。どこか具合が?」

「あ、ヴァンダ嬢……俺が見え……」

「?」


 令嬢が、ヴァンダ・レグラマンティが不思議そうに小首を傾げる。

 その様子に、どうやら今は誰かに視認されるようだと考えて「何でもない」と首を振った。


「おかしなカスト様。疲れていらっしゃるのかしら?」

「ああ、そうかもな。……少し疲れたのかもしれない」

「まあ、カスト様が弱音を吐くなんてよっぽどね!もしよかったらおかけになって」


 言って彼女は席を詰め、カストにベンチを進める。

 婚約者のいる令嬢と二人きり。少し迷ったが、彼女の厚意に甘えることにした。


 本当に疲れていたのだ。


 ため息を吐きながらゆっくりとベンチに腰を下ろす。

 握りこぶし一つぶん、二人の間には距離が空いている。


 カストとヴァンダはそのまま言葉を交わさなかったが、しばらくして令嬢がそっとこちらを覗き込んできた。


「どうかしたのか聞かせて頂いても?その、よろしかったらだけど……」

「ああ……」


 おずおずと尋ねてくる彼女に、カストは頷く。

 何となくこれも石が見せたいつかの風景だろうとは感じていた。


 ならば喋ってしまっても問題はないだろうと、頭の中を整理しながら口を開く。


「実は助けたい人がいて、少し頑張りすぎたんだ」

「助けたい、方……?」

「ああ、真面目で責任感が強くて立派な人だ。姿勢や所作も綺麗で、本当に尊敬できた」


 ちらりとヴァンダを見ると、真剣な様子でカストの話を聞いている。

 その様子に少しだけ微笑み、静かに話続ける。


「厳しい人かと思ってたんだが話してみると気が合ったんだ。その人も小説が好きでな」

「まあ、仲の良いご友人だったのね」

「そうだな。色々なことを話し合ったよ。本当に楽しかった」


 そう、最初は彼女の書いた小説からの興味だった。

 彼女が生きていればこの小説の続きを読めるのでは?などという他愛のない下心。


 だが実際に彼女と会い、話すうちにその気高さと内面の愛らしさに気づいた。

 時間を繰り返し、様々な彼女を見るうちに芽生えた気持ちはどんどん大きくなっていった。


 カスト自身も気づかないうちに、彼女に惹かれていったのだ。


「その人の抱えているものを何とかしたくて頑張って、頑張って。だが空回った。逆にその人に迷惑をかけたかもしれない……」


 自分の手は彼女を守るには、あまりにも短すぎる。

 武骨で役立たずで、いったい何のために鍛えてきたのだと情けなくなるばかりだ。


 膝元で拳を握りながらカストはうつむき、そのまま口を閉ざす。

 再び二人の間に沈黙が訪れた。


 さわり、さわり、と穏やかな風が自分たちの体を包み込んでいく。

 庭木越しに降り注ぐ光は清涼感のある緑色で、ヴァンダの赤毛の色合いを引き立てていた。


 まるで彼女自身が世界が包容する美しい色彩になったかのようだった。


 時が止まったかのような時間を過ごし……やがて最初に口を開いたのはやはりヴァンダ嬢だった。


「カスト様にそこまで思われるなんて、その方はきっと幸せでしょうね……」

「……そんなことはないさ」

「いいえ、きっと貴方の気持ちはその方に伝わっているわ」


 首を横に振るカストに、ヴァンダは微笑む。

 柔らかなその表情が、カストの胸をかきむしりたくなるほど苦しくさせた。


(死に戻り、頑張れたのは……あんたを好きになったからだ)


 ―――どうしてそこまで?

 その問いの答えにそう返していたら、ヴァンダはどんな顔をしたのだろう。


 気になるが、その己の言葉を待っていたヴァンダはもうどこにもいない。

 虚しくなって口を閉ざし、三度目の無言の時間が二人に訪れた。


 穏やかな風と陽光。

 会話が無くとも、こうして二人でいるのは妙に心地いい。

 僅かだが沈んでいた心が慰められていくようだった。


 このまま時間が止まればいいのに。


 一度、二度、深く呼吸をして、カストは膝の上で手を組んで前を見る。

 穏やかなレグラマンティ家の庭を眺めながら、沈黙を惜しむように口を開いた。


「なあ、ヴァンダ嬢」

「なあに?」


 ヴァンダがぱっとこちらを見た気配を感じる。

 だが、彼女の顔には視線を寄せず、ただ前だけを見つめながらカストは続けた。


「もし今の、辛いことや苦しい現状から逃げられるとしたらどうする?」

「え……?」

「これから嫌なことが待ち受けているとして、逃げる手段があるなら、ヴァンダ嬢は……」


 そこまで言って、カストは言葉を切った。

 あまりにも意味のない、馬鹿げた問いだと思ってしまったのだ。


 確かに今のヴァンダは両親の疑惑について頭を悩ませているとは思う。

 たった一人の人間が抱えるには重すぎる問題だ。


 逃げたい、放り出したいと思っていても誰も責められない。


 だがもし彼女が「逃げたい」と言ったら、カストはどうするつもりだったのだろう。

 ヴァンダの手を取ってどこか遠くへ……などという所業は許されるはずもない。


 逃避行が上手くいくなど、おとぎ話の中だけだ。


 それにこの問いに「逃げたい」と答えたいのは、カスト自身では無いのか?

 自分の中にある暗い気持ちを疑問としてぶつけてしまったことを、今更ながら恥じた。


 ぐっと言葉を飲み込み、視線を地面に落とす。

 暗澹たる気持ちが心の中に渦巻いている。


「わたくしは逃げないわ」


 刹那、凛とした声がして、はっとカストは振り返る。

 宝石のように美しい緑の瞳が、じっとこちらを向いている。


 真摯なそのまなざしのまま、ヴァンダは穏やかに続けた。


「逃げることは責めないわ。それも一つの手段だもの……でもきっとわたくしは逃げたことを後悔するの」

「……」

「そういう性分なのよ。逃げて楽になってもきっと戻りたくなるわ。だから逃げないの。どんな苦しいことがあっても」


 その緑の瞳の強さに、カストの心臓が強く脈打つ。

 撃ち落とされたような、何かが弾けたような、だが決して嫌じゃない感触に彼女の顔を凝視する。


 一秒、二秒、そのまま見つめ合い……やがてカストはふと微笑んだ。


「そうか、そうだよな。あんたはそう言うはずだ」


 カスト・フランチェスキが好きになったヴァンダ・レグラマンティはこういう女性だったはずだ。


 改めて彼女の顔を見る。

 誇り高く、厳しく、美しい、令嬢らしい気高さと年頃の愛らしさを併せ持つ人。


 彼女を助けたい。彼女の綴る物語を最後まで読みたい。

 その一心でカストは今まで行動してきた。


 最初の気持ちをようやく思い出して、また少しだけ微笑みを深くする。


「……俺も逃げないことにするよ。あんたを助けるまで、逃げない」

「え?」


 ヴァンダが首を傾げた……と同時に、世界が再び暗転する。

 消えていく彼女の顔を見つめながら、カストは誓った。


 ───彼女の小説を読み終えるまで、何度でも死に戻ろうと。

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