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 ゆらゆらと波間にたゆたっている心地で、カストは目を開けた。


 目の前に広がるのは完全な黒。気の遠くなるほど広い闇。

 瞼を閉じた時以上に何もない漆黒の世界で、カストは嘆息する。


(また、俺は死んだのか……)


 初めて見るここは、死後の世界というものだろうか?


 脇腹に感じていた激痛は今はない。

 膝の上に倒れていたほのかなぬくもりの感触もどこにも無かった。


 ただ胸の奥に虚無感と絶望感が残っているだけだ。

 それだけなのに、指先一つ動かすのも億劫になっている。


(また守れなかった……)


 再びヴァンダを危険な目に合わせてしまった。

 それだけでなく、彼女をかばったつもりでかばわれてしまった。


 あの時自分が負傷していなければ、不審者の訪れに気づくことも出来ただろう。


 己をかばい、背中を撃たれたときの彼女の痛みと苦しみを思うと、胸を裂かれるような気持ちになる。


(……俺は無力だ。ヴァンダ嬢一人救ってやることが出来ない)


 これで三度目。

 三度繰り返しても、彼女の身に起こる災難を回避させることは出来なかった。


 魔法遺物の横流しを調べ、原因となったライモンドの不貞を調べ、真相がわかったとしても危機は去らない。


 むしろカストが関われば関わるほど、ヴァンダの苦難は大きくなっているのではないか?

 二度目、三度目のときの彼女の死顔を思い出し、奥歯を噛み締める。


 どうあがいても、彼女のその命は尽きてしまう運命なのだろうか?


(俺一人の力では無理なのか……)


 人一人すら、助けることが出来ないほど己は弱いのか。

 無力感に襲われて、カストは暗闇の中で目を閉じる。


 ここで眠ったらもう二度と生の世界には戻れないような気はしていた。


 その瞬間だった。

 ふと胸元に熱がこもったような違和感があり、カストは瞼を持ち上げる。


 視線を違和感の元へと転じると、シャツの下で何かが淡く光っている。

 美しい赤の燐光に、カストは慌てて首元のチェーンを探った。


「……ネックレスが」


 予想は当たっていて、光っていたのは祖父から譲り受けた赤い石だった。

 電灯よりも、否、ろうそくの光よりも小さくほのかな明かり。


 先の見えない暗闇の中、唯一の光だと思うとあまりにも頼りなすぎる。

 しかしカストはその淡い赤から目が離せなかった。


「……あっ」


 瞬きもせず凝視していると、にわかにネックレスの光がちかりと大きくなる。

 目が開けられないほどの眩さに目をつむり……しばらく時間が経ったあと、恐る恐る開く。


 そこはもう、先ほどまでの絶望的に広い暗闇の世界ではなかった。


「……ここは?」


 何となく見覚えがある雰囲気の部屋だった。


 天井が高く、窓も大きく、明るく清潔。

 装飾やじゅうたんも上等のもので、明らかに貴族か裕福な家の一室なのだとわかる。


 いつもの死に戻りと違う。

 一度目の時からずっと変わらず、己が戻ってきたのは警備団の詰め所……薔薇の見える窓の前だった。


 見覚えのない景色に戸惑い、きょろりと周りを見回すと、部屋の中央のベッドに人がいることに気が付いた。


 シーツを頭までかぶっており、どんな人物なのかはわからない。

 眠っているのかと思ったが、よく見ればシーツ越しの体が小刻みに震えている。


 僅かなその動きに流されてか、恐らく香水だろう花畑のような香りがふわりと鼻孔に届く。

 千切れそうな細い泣き声もシーツの中から聞こえており、カストは首を傾げた。


(この香り、声……まさか……)


 その予感を確かめる前に、部屋の扉がゆっくりとノックされる。

 まずいと思ったが隠れる時間も無く、扉は開かれ男が入室してきた。


「おはよう。気分はどうだい?よく眠れたかい?」


 赤毛で緑色の瞳を持った、穏やかそうな青年だった。

 見覚えのある顔立ちだったが、恐らく会ったことはない。


 それよりも部屋に侵入した不審者として扱われるだろうことに焦って、カストは身を固くする。


 しかし青年は騒ぐどころか、言い訳を用意するこちらに視線を向けもしなかった。

 まるでここに誰もいないかのように、にこやかにベッドに歩み寄る。


(見えてねえのか……)


 まさかこれも、魔法遺物のおかげだろうか?

 呆然と見守っていると、青年が盛り上がったシーツに手を当てて優しく揺さぶった。


「カタリーナ?どうしたんだい?泣いているのかい?」


 カタリーナ。

 その名前にカストの肩がぎくりと跳ねる。


 やはり、あのベッドで身体を横たえているのはカタリーナ夫人。

 悲壮感のある哀れで庇護欲のかきたてられる……聞き覚えのある泣き声だと思ったのだ。


(……ってことは、あれはレグラマンティ卿!?まさか、若い……それに表情が違う……)


 見覚えのある青年の正体を思いつき、カストは眉を跳ね上げる。

 親戚か何かという可能性もあったが、領主の奥方を名前で呼ぶ理由はない。


 しかしレグラマンティ卿だと思われる人物は若く、雰囲気も明るい。

 己の知る領主とは違う点が多すぎる。


(なんだ?どうなってやがる……?)


 混乱したまま声を出すことも出来ず、カストは成り行きを見守った。

 青年に揺すられていた女性は、やがてびくりと震えながら体を丸める。


「さわらないで……」

「え?」

「さわらないで!気持ち悪い!!」


 いまだ肩に触れていた青年の手を、ぱしりとシーツから伸びてきた手が払った。

 その瞬間、彼女の体をおおっていたシーツがふわりとずれた。


 ゆるやかに流れるプラチナブロンドと長いまつげに縁取られたはしばみ色の瞳。

 寝巻に包まれた華奢な細い体は、相変わらず小刻みに震えている。


 儚げな印象も全く変わらぬその女性は、間違いなくカタリーナ・レグラマンティ夫人だった。


 彼女は大きな目に涙を浮かべ、顔を歪めながら青年を見つめている。


「いや!やめて!気持ち悪い!気持ち悪い!来ないで……!」

「か、カタリーナ……いったいどうしたんだ?」

「やめて!触らないで……!」


 カタリーナ夫人の悲痛な声に、伸びかけた青年の手が止まる。

 彼の表情が戸惑いから悲しげなものに変わった。


 その変化に気づかない様子で、夫人は手で顔をおおってわっと泣き始めた。


「ひどい……ひどいわ……どうしてわたくしがこんな目に合わなければならないの……」

「どうしたんだ、カタリーナ?泣いてばかりじゃわからないよ……」


 傷ついていた青年が、それでも夫人を気遣いながら声をかける。

 しかしその声すら恐ろしいのか彼女は、離れるように体をずり下げ泣き続ける。


「本当は、こんな結婚、わたくしはしたくなかったわ……それなのに、お父様たちと貴方が無理矢理……」


 その言葉に青年はさらにショックを受けた様子だった。

 顔を真っ青にしながら、夫人を怖がらせないように小声で話しかける。


「そ、そんな……そんなことは聞いてないよ。君だって結婚に同意したじゃないか……」

「わたくしが悪いと言いたいの……!?」

「え?ち、違うよ。そうじゃなくて……」


 ぱっと顔を上げたカタリーナが、泣き顔で青年を見つめる。

 決して睨みつけるような威圧的な表情ではなかったが、悲し気なそれに彼は何も言えなくなってしまったようだ。


 戸惑い無言でいる青年に、夫人は今度はシーツに顔を埋めて泣き始める。


 しばらくして、足音を響かせながら誰かが部屋に入ってきた。

 エプロン姿のそれはどうやらこの家のメイドのようで、彼女は青年を無視してベッドに駆け寄った。


 そして泣き喚く夫人の肩を抱き何事か耳元で囁いたあと、ぎろりと青年を睨みつける。


「奥様がこんなに泣かれるなんて……!旦那様、いったい何をなさったんですか!?」

「ち、ちがう……僕は……」

「きもちわるい、きもちわるいの……ひどい、ひどいわ……」

「あ……」


 涙とともにもれた悲痛な声に、青年の顔色はついに土色気になってしまった。

 夫人の泣き声とメイドの睨みに堪えられなくなったのか、彼はそのまま踵を返して部屋を出ていく。


 去りゆく背中が小さく、あまりにも哀れだった。


 カストは青年が気になり、彼を追おうと一歩踏み出す。

 その瞬間、再びネックレスが強く光りだし、世界は一瞬にして暗転した。

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