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 ふと近くでかたりと何かが動く音がした。


 カストははっと目を開ける。

 部屋の中は薄暗い闇につつまれている。


 考え込みすぎて、そのまま眠り込んでしまったのだと気付いた。


(家の前に誰かいる……?)


 密やかな気配に、一瞬ネコなどの小動物が窓の近くを通ったのではないかと思った。

 だが奇妙な違和感……嫌な予感と同等のものを感じてしまい、カストの目が冴える。


 その違和感の正体を掴むため、夜の闇を映す窓をじっと睨み続ける。

 しばらく無音の状態が続いていたが、やがて窓の近くでぱしゃりと水が跳ねる音が聞こえた。


「……あっ!」


 途端に鼻が油臭さを感じとり、カストはベッドから飛び起きる。

 慌てて駆け寄り、勢いよく扉を開いた。


 目に飛び込んできたのは、窓枠の下にかがみ込むキャスケットをかぶった男の姿だった。

 その指にはすでに火がついているマッチがつままれている。


 まずいと思った瞬間、音に驚いたらしい男がはっと振り返り、マッチが滑り落ちた。


「あっ……!ちくしょ……っ!」


 カストが手を伸ばす前に、落ちたマッチが地面に触れ、ぼっと大きな炎をあげる。


 窓枠の下から地面にかけて油がまかれていたのだ。

 カストが先程嗅いだ臭い、聞いた音はまさに犯行の瞬間だった。


 炎はあっという間に大きくなり、カストの家の壁を登っていく。


「くそっ……!水を……!」

「ひっ……!」


 隣にかがみ込んでいたままの男が小さく悲鳴を上げて尻餅をついた。

 カストは一度部屋に戻ると布団を担ぎ、それを火の上に被せる。


 空気を遮断するつもりだった。

 が、それよりも炎の勢いが強い。


 布団はあっという間に飲み込まれ、炎はめらりと壁から屋根を舐め尽くしていく。


 まずい……!

 焦燥感に襲われるカストの後ろが、にわかに騒がしくなる。

 近所の住民たちが起き出したのだ。


「カスト!どうした!?」

「放火だ!手伝ってくれ!」

「何!?わかった!あんた、火消しを呼んでくれ!」


 斜向かいに住む警備団の仲間だった。

 カストは彼と共に家財道具を外へ運び出していく。


 誰かが呼んでくれたらしい火消したちも駆けつけて、消防ポンプでの消火が始まる。

 魔法遺物の技術から作られたそのポンプは、水を蓄えた巨大な機械にホースを繋ぎ、勢いよく噴射する仕掛けのものだ。


 足の速い馬に引かれたそれが二台、カストの家の壁に向かって水をかけている。


 しばらくすると火の勢いは小さくなり、やがて消し止められた。


 隣家に燃え移ることもなく、カストの家も全焼することはなかった。

 だが残念なことに、家の壁はほとんど黒くなっている。

 水をかけられたために、屋根から部屋の中まで水浸しだった。


 家財や大事な本類は先に運び出していたから無事であるものの、ここで生活出来そうにはない。

 消火を手伝ってくれた同僚が、努めて明るい笑顔で肩を叩いてくれた。


「カスト、お前しばらく宿なしだな。直るまで相部屋してもいいぜ」

「ああ、すまねぇ……あれ?」


 苦笑で返そうとしたカストは、ふと思いついてきょろりとあたりを見回す。

 火事現場はいまだ騒然として人が多い。

 だがつい先ほどまでそこで座り込んでいた放火犯の男の姿がどこにもなかった。


「おい、ここにいたキャスケット帽の男はどこ行った?」

「いや、わからんが……そいつが犯人だったのか?」

「ああ……」


 カストが頷くと、同僚も顔を険しくしてあたりを探し始める。

 火消したちや近所の住民も手伝ってくれたが、キャスケットの男は影も見えなかった。


 どうやら騒ぎの間に逃げられてしまったらしい。


 火消しは手配書を作ると言ってくれ、同僚は「災難だったな」と再度慰めてくれた。

 住民たちの「犯人逃げたって」「怖いねえ」と言う声を聞きながら、カストはがしがしと頭をかく。


(……今日放火にあったのは、偶然か?まさかライモンドか、カタリーナ夫人が……?)


 どちらかがカストを亡き者にしようとして、何者かをやとった?

 警備団も見回りを強化しようという提案を同僚と話し合いながら、先ほど別れた友人の顔を思い出していた、



 火消しとともに人相書きを作り聞き取り調査を受けた後には、すでに夜が明けていた。

 家に戻ることは出来ないので、近所の大衆食堂でカストは早めの朝食をとっていた。


 甘酸っぱいキイチゴのジャムとさくさくのクロワッサン。

 ミルクをたっぷり入れた紅茶を飲めば、僅かに疲れが癒える。


 この店のジャムは店主のお手製で、評判の高い一品だ。

 新鮮なキイチゴに加えられる砂糖の量は絶妙で、甘すぎず酸っぱすぎず。

 とろりと良い具合に煮込まれたそれが、クロワッサンの生地によく馴染む。


 目を細めてそれらを完食し、テーブルに頬杖をつきなながらため息を落とした。

 事情を知っている食堂の店主が、「大変だったねえ」と慰めの言葉とともに、カプチーノとビスコッティを持ってきてくれた。


「俺のおごりだよ。食いな」

「悪いな……恩に着る」


 それらもまた絶品で、ありがたさとともに舌づつみを打っていると、ふと食堂の扉が開いた。

 視線をちらりとそちらへ動かして、カストはビスコッティを落としそうになる。


 大衆食堂には似つかわしくない仕立てのいい緑色のドレス。

 帽子の下に隠れても目立つ赤毛は、時を巻き戻す前に幾度も見たから間違えるはずはない。


 扉の前に立っている人物……それは間違いなくヴァンダ・レグラマンティだった。


 時間が時間だったので誰もいなかった食堂の中、ヴァンダは独特の存在感を放っている。

 彼女は呆然とするカストを見つめると、かつかつと踵を鳴らしながらこちらに近づいてきた。


「あの、すみません。カスト・フランチェスキ様でよろしいでしょうか?」

「……ああ」

「少し、お話をよろしいですか?出来れば人のいない場所で」


 隣に立ったヴァンダに密やかな声で問われ、カストは頷く。

 さっとビスコッティを食べ終えて会計を済ませ、彼女とともに店を出た。


 そのまま二人無言で歩き、やがて人気のない道へと差し掛かる。

 口を開いたのはやはり、ヴァンダ嬢が先だった。


「突然、申し訳ありません。ヴァンダ・レグラマンティと申します」

「知っている……ああ、すみません。知っています。何度かお見かけしたことがありますから」

「あ、楽になさってください。わたくしもその方がいいから」


 緑の目を細め、ヴァンダは朗らかにそう気遣う。

 柔らかな笑顔だ。


 死に戻る前の彼女は最初の出会いのせいで、つんとした印象だったから妙に居心地が悪い。


 何処となくむずがゆそうにするカストに、今一度「気にしないで」とヴァンダが小首を傾げた。

 どうやら雇い主の娘に気を使っていると思われたらしい。


 どう言ったものかと一瞬迷ったが説明のしようがない。

 カストは頭をかいて「わかった」と頷いた。


「それで、今日はいったい俺に何の用があったんだ?」

「ええ。実は……カスト様にお聞きしたいことがあったのですが……」


 改めてそう告げられ、カストは内心「やはりな」と呟く。


「ああ、やっぱり。お母上のことか……」


 ある程度想像していたカストが告げると、ヴァンダは一つ頷き話を続ける。


「ご想像の通り。母の……カタリーナ・レグラマンティのことです。カスト様は、母と話されたんですよね」

「ああ、聞いていると思うが……レグラマンティ夫人に確認したいことがあったからな」

「母は……カスト・フランチェスキという方がひどいのだと泣いていますわ」


 責められるものだと思ったが、そう言ったヴァンダの口調は怒りとはまた違う。

 何処となくしようのない子供を見守る大人のような彼女に、カストはまじまじと視線を寄せてしまった。


 ヴァンダは己の目をしっかりと見つめ、少し苦いものを滲ませて笑う。


「気にしないでください。私も父も貴方が悪いとは思っていません。……いつものことですから」

「いつもの……?」

「ええ。母はいつもああなのです。何かあるといつも誰かが悪い、と」


 月に二、三度はあるのだと、ヴァンダは言った。


「彼女は少し臆病なのです。お気を悪くしないで、とは言えないけれど、貴方に謝りたくて」

「いや、あんたに謝ってもらうことじゃないし……気にしてねえよ」

「お優しいですね」


 そう言って、ヴァンダは深く息を吸い、吐いた。

 そのしぐさに妙に疲れたものを感じてしまい、カストは急激に不安になる。


(彼女は今、婚約者とお母上の裏切りのことを知らない)


 ヴァンダはもうこの時には、父親の不正のことは感づいているはず。

 そこにさらなる心労の原因を持ち出していいのか、しかし告げるなら早めの方がいいだろう。


 自分たちに毒を盛ったのはカタリーナ夫人とライモンドの可能性が高いのだ。

 ヴァンダの安全を思うなら伝えた方がいいと意を決し、彼女を見る。


 するとしっかりとこちらを見つめる緑の瞳と目が合った。

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