17
古物商は詳しい取調べを受けるために連行された。
だがこの事件に関して、ヴァンダ嬢はまだ一同に固く口止めをしている。
レグラマンティ卿が屋敷に戻り、彼女が罪を認めさせたあとに正式に世間に発表される流れになっている。
彼が逃亡する恐れがあるための処置だ。
手続きを終え、カストとヴァンダがレグラマンティ家に帰還したとき家主の姿はなかった。
フットマンにレグラマンティ卿以外を通さないよう命じてから、二人は研究室に入る。
そこにも人の気配はなく、部屋主が帰ってきた様子もない。
ヴァンダは僅かに不安げに眉根を寄せた。
「お父様は帰ってくるかしら?」
「レグラマンティ卿は古物商が捕らえられたことを知らないはずだ。きっと戻ってくるさ」
カストの記憶が正しければ、このごろの卿はちょくちょく家を空けていた。
だが彼が逃げ出すようなことはなかったし、自ら命を絶つ様子も見えない。
恐らくあと数日もしないうちに自宅へ帰還するはずだった。
「……お父様はわたくしのために犯罪に手を染めたのね」
ぽつりとつぶやいたヴァンダ嬢は、研究室のデスクの上に乗っていたノートに視線を転じる。
薄汚れ、使い古された分厚いノートだ。
それをぺらりぺらりとめくり、彼女は小さくため息をついた。
「お父様は昔から研究がお好きだったわ……。熱中しているお父様はとても楽しそうだった」
「レグラマンティ卿はずっと魔法遺物に熱中していたんだよな……あんた、寂しくはなかったのか?」
思わず問うと、ヴァンダはこちらに視線を寄せて悲しげに優しげに笑う。
「少しね。でも魔法遺物だけがお父様の癒しだったのよ。わたくしも魔法遺物のお話を聞くのは好きだったし」
「そうなのか……」
「意外?」
「いや……ヴァンダ嬢らしい」
彼女の笑みがふと濃くなったが、すぐに表情が陰る。
レグラマンティ卿を思っているのだろう彼女に、カストは何も言葉をかけられなかった。
(ヴァンダ嬢とレグラマンティ卿は、仲がいいのか……)
彼女の冒険心や好奇心は、父親の話から培われたものなのだろう。
同時に幼き頃の記憶が、ヴァンダに心躍る空想の物語をつづらせているのか。
意外だったのは、偏屈なレグラマンティ卿がちゃんと娘とコミュニケーションを取っていたということだ。
以前聞いたライモンドの愚痴から、てっきり家族は不仲なのだとばかり思いこんでいた。
だがそうでなかったことが、ヴァンダの心に深い傷を負わせている。
「……お父様のお好きなものを汚したのは、わたくしなのだわ……」
「それは、あんたのせいじゃ……」
「いいえ、わたくしの将来を考えて脅迫にのってしまった。お父様はきっと悩んだはずだわ……」
ヴァンダの細い指が、ノートを……レグラマンティ卿の書いた文字をなぞる。
熱中して書いたのだろう、乱暴な癖字だった。
今まで見たことのない感情をたたえて、くしゃりと彼女の表情が歪む。
「大好きな研究を、魔法遺物を……自分の身が切られるような思いだったでしょう……」
「ヴァンダ、嬢……」
「わたくしのせいで……わたくしのために……」
ぱらりとその頬を伝ったものがあった。
それは緑色の目からとめどなく溢れ、彼女の頬を濡らしていく。
宝石のように美しいその雫は、紛れなく涙だった。
やがて彼女は顔を手で覆う。指の隙間からは、聞いているのが切なくなるような嗚咽が漏れ出している。
「ヴァンダ、」
ヴァンダ・レグラマンティがはじめてカスト・フランチェスキの前で泣いた。
その肩を抱き慰めるべきかと思ったが、流石に気恥ずかしいし自分らしくない。
僅かに悩んだ後、カストは彼女の隣に立って「肩なら貸す」と小さく告げた。
ヴァンダは顔をはっと上げてこちらを見上げる。
泣き顔をなるべく凝視しないようにそっぽを向きながら、「大丈夫だ」と続けた。
慰めにもならない言葉だろう。しかし、しばらくすると肩に彼女の頭が乗った。
ヴァンダの静かな泣き声が、研究室に響いていた。
そしてどのくらい時間が経っただろう。
「……ごめんなさい、服を汚してしまったわね」
ひとしきり涙を流したヴァンダ嬢が、鼻声でそう告げた。
肩のあたりが湿っている感覚がするが、特に気にせず「構わねえよ」と首を横に振る。
「少し、落ち着いたわ。……お茶でも用意させましょう」
感情が落ち着いたのか少し気恥ずかしそうにヴァンダは笑い、速足で部屋から出て行った。
遠ざかって行く彼女の足音を聞きながら、カストは小さく息を吐く。
抱え込んでいたヴァンダ嬢の思いは、あれで少しは流れ出てくれただろうか?
ぽりぽりと頭をかきつつ、カストは令嬢が眺めていたノートに視線を移す。
乱雑に、しかし熱意がこもっていることがわかる文字。
専門用語が多いその横に、精巧な絵が描いてある。
見覚えのある小瓶……間違いなく今日古物商から取り戻した魔法遺物だった。
(ここまで熱中していたものを……。そこまでヴァンダ嬢のことを愛していたのか)
犯罪に手を染めるその愛が、間違っていることはカストにもわかる。
しかしあの偏屈なレグラマンティ卿が見せた父の愛情に、何ともやりきれない気持ちになるのだ。
己を怒鳴りつけた卿の顔を思い出しながら……ふとあることを思いついてカストは動きを止める。
(……レグラマンティ卿がヴァンダ嬢に罪を着せようとするか?)
間違っているとはいえ、レグラマンティ卿の行動は深い愛情なのだろう。
しかしカストの経験した未来で、魔法遺物横領の罪はヴァンダ嬢にかぶせられていた。
彼女の将来を卿は守りたかったのだ。
自分の罪が愛娘にかかることなど、何が何でも阻止したのではなかろうか?
(あの時のレグラマンティ卿は何をしていた……?くそっ、もっとよく調べておくんだったな……)
上から命令を受け取って、何も疑わずに行動していた自分に腹が立つ。
しかし今までのことを総合すると、もしかしたらヴァンダ嬢に罪を着せたのは父親ではなく……、
(まさか……ライモンドとリンダが?)
その可能性に思い当たったとき、がちゃりと研究室の扉が開く。
見れば、ティーセットの乗ったカートを押したヴァンダが戻ってきたところだった。
「カスト様、お待たせしました。夜なのでリラックスできる香りのお茶を……」
「……ああ、すまねえな」
思考をいったん切り、カストは頷いた。
冷やしてきたのか、彼女の目の赤みが少し薄れている。
内心はどうあれ、見た目は落ち着いているようだったので少し安心した。
手伝おうかと申し出たが礼だからと断られ、カストはヴァンダが茶を淹れる様子を見つめる。
先ほど思いついた考えが再びよみがえり、おずおずと彼女に尋ねた。
「……なあ、ライモンドのことはどうするんだ?あいつはあんたを裏切っていた」
「そうね、こうなったからにはもう婚約は解消するわ。あちらが有責になるんだから、こっちに有利な条件でね」
きっぱりと言い切る彼女の口調に、未練はない。
ライモンドとヴァンダの関係が切れることにほっとしながら、「そうだな」とカストも同意した。
「ライモンドも馬鹿なやつだ。結婚の約束を結びながら……リンダと」
「リンダ?」
ヴァンダの目が大きく見開かれる。
その反応に違和感を覚えていると、彼女は眉をたれ下げくすくすと微笑んだ。
ティーカップ二つに茶を注ぎ、片方をカストに差し出しながらヴァンダは首を横に振る。
「やだ、貴方。浮気相手がリンダだと思っていたの?」
「……違うのか?だが、遺跡や研究所で何度も二人を見たぞ」
「リンダは橋渡し役だったのよ。大っぴらに会うわけにはいかないから」
「え?」
橋渡し?
首を傾げる己を見ながら、ヴァンダは自分の分のカップに口をつける。
カストも少し遅れて、彼女の淹れてくれた甘い果実の香りのする茶を口に含んだ。
鼻を通る甘さと、独特の苦み。そして暖かさに心が安らぐ。
カップから口を放しふと息を吐いた令嬢が、謎かけをするように声を潜めた。
「よく考えてみて。ライモンド様がいるときに遺跡に来ていたのはリンダだけじゃ……」
そこでヴァンダが、ふと言葉を切る。
どうしたのかと声をかけようとすると、その細い指からするりとカップが滑り落ちた。
「ヴァン、」
「あっ……!」
がしゃん!と叩きつけられたカップが割れる。
カストが声をかける前にヴァンダは胸を押さえて呻き、床に倒れた。
ヴァンダ!その名を叫んだつもりだった。
が、次の瞬間カストの口にしびれが走り、胃の腑から競り上がるような嘔吐感に見舞われる。
あ、と思う間もなくカストもまた床に倒れていた。
(……毒か!?)
察したが、もう遅い。
恐らく茶葉に毒物が仕込まれていたのだ。
カストの目の前ではヴァンダがのたうち回り、嘔吐しながら呻いている。
助けを呼びたいが自分も体がしびれて立ち上がれそうにない。
ヴァンダに向けて手を伸ばす。
しかしその指は彼女に触れることはかなわず、次第にカストの意識は闇に飲まれていった。