第八十九話
ヴァンの心境はちょっと進むかもです。
眠れない。
ヴァンはベッドの上で、背に温かな感触を感じながらそう思った。
こうしてベッドに潜り込んだのは月が真上の空に移動した深夜で、その前はアリアたちと他愛無い会話や魔力回復について話していた。
師匠やヘリオスたちは男性陣の部屋で基礎訓練をすると言っていたが、今はもうアリアたちと同じくベッドに横たわって眠っているころだろう。
実際、この部屋で起きているのはヴァンだけだ。四つあるベッドのうちの二つと、ヴァンのすぐ後ろから規則正しい寝息が聞こえてくる。
そしてその中に、ヴァンが眠れない原因となっている人物がいた。それは、すぐ後ろから聞こえてくる寝息の人物、アリアのせいだ。
以前のようにがっしりと抱きしめてきているわけではなく、ヴァンに左腕をただ乗せている状態のアリア。
それだけで、ヴァンの心臓は早鐘のように鳴り響き、眠ることが出来なくなってしまう。
「・・・・・・・・・・・・」
体を捩じらせてアリアのほうへ向き合う。
二人でかぶっている毛布は、アリアより小柄なヴァンに密着しておらず、体を動かしてもアリアから毛布を奪うようなことは無いので、長く真っ白な髪を引っ張らないよう注意するだけで済んだ。
体の向きを変えたあと、視界に入ってきたのはアリアの下着姿。
この下着姿も、眠れない原因の一つになっている。ヴァン自身も下着姿だが、それはアリアの体温と毛布のおかげで特に問題は無い。
起きているときは赤面して直視すら出来なかったが、今は相手が眠っているという安心感からか、ヴァンはアリアから目をそらさずにいることができた。
といってもやはり、黒い下着に包まれた豊満な胸を眺めることは出来ず、視線はアリアの寝顔にだけ注がれている。
静かに閉じられた瞳と、少しだけ開いている淡桃の唇。波打つ金髪は首の辺りからベッドへと流れ落ちていた。
じっと見つめるヴァンの頬が少し赤くなる。アリアの唇を見ているだけで、昼間のことが思い出されて心臓が高鳴ってしまう。
だというのに、アリアはそのことを全く気にしている風も無く、普通に接してきて、今は同じベッドで寝ることすら躊躇しない。
「・・・・・・俺としたのは、そんな簡単に・・・・・・何もなかったように出来るのか?」
アリアの寝顔を見上げてヴァンは呟く。
「・・・・・・あ・・・・・・」
自然と出てきたその言葉で、ヴァンは気づいた。何故アリアの態度を不満に思っていたのか。何故アリアにも慌てたり、挙動不審になってほしかったのか。
自分とのキスが、アリアにとって大事なことではないように思えたからだ。
それに気づいた今、ヴァンは自分の体温が上がっていくのが分かる。
恥ずかしい、とヴァンは思った。つい両手で顔を覆ってしまうほど恥ずかしい。
つまるところ、ずっと感じていた不満は、自分とのことを重要視してないように見えたから拗ねていただけなのだ。
アリアにも、自分と同じことを感じて欲しい、考えて欲しい、慌てて欲しい。
自分を、見てほしい。
ヴァンは顔から両手を離してアリアを見上げる。
閉じられた碧眼は自分だけを映して欲しい。淡く柔らかい唇からもれる言葉は、自分の名であってほしい。形の良い小さめの耳には、自分の声だけ響かせたい。
この感情を、何と呼ぼうか。
目の前で、今自分がこんなことを考えていると知らずに、安らかに眠る少女を、美しいアリアを、独占したいと思うこの感情を。
「・・・・・・アリア・・・・・・」
小さく呟いて、恐る恐る右手でアリアの頬を触る。滑らかな肌をすべるように撫でていき、唇に触れた。
それは少し乾燥していて、昼間感じた時とは違った感触が指に当たった。
惚けた表情で唇を二、三度軽く押し、そのままアリアのアゴへと手を下ろしていく。ヴァンの右手は意思を持ったように下へ下へと動き続け、最後にはアリアの胸に触れる。
押せば押すほど沈んでいきそうな柔らかさを、黒い下着越しに手のひらで味わう。
力を入れたら潰れてしまいそうだと思いつつ、強く力を込めたいという欲求が腹のそこから湧き上がる。
体が勝手に動いたのかヴァンの右手に少し力が入り、それに反応して眠っているアリアから声が漏れた。
「ん・・・・・・」
一段と高く心臓が跳ねる。
ヴァンは慌ててアリアから手を離すと、目を閉じて眠っている振りをした。
暗くなった視界の向こうでアリアが身じろぎしているのが分かった。
しばらく目を閉じていたが、また規則正しい寝息が聞こえてきたところで視界を開く。
アリアは先ほどと変わらない寝顔で静かに眠っていた。
「・・・・・・ふぅ・・・・・・」
安堵の溜息を漏らすと同時に、怒りにも似た後悔と反省の念が胸中に渦巻く。
俺は一体何をしてるんだ。眠ってるアリアに勝手に・・・・・・しかもむ、むむ・・・・・・を揉むなんて!! 馬鹿だ! アホだ! 変態! 鬼畜! 下劣! 下種! 女の敵! 外道! 蛆虫! マゲッツだ、俺なんてマゲッツ以下だ!!
「・・・・・・っ」
ひとしきり自分に対して罵詈雑言を並べたヴァンは、アリアを起こさぬようベッドから降り、空いているベッドに潜り込むと目を固く瞑った。
毛布でくるまった体を丸めるが、先ほどまで心地よかった温かさは戻ってこない。
やっぱりアリアのところへ戻ろうという考えが一瞬頭をよぎるが、思い直して再度自分へ罵詈雑言を並べ、無理矢理意識を睡魔に手渡す。
今のヴァンはもう、自分のあの感情はなんだったのかを考える余裕は無かった。
「ふぁ〜・・・・・・ん」
「眠そうじゃな、ヴァン。夕べはよう眠れんかったのかえ?」
昨夜と同じ食堂で、朝食を目の前にして欠伸をするヴァンにフランが尋ねる。
ヴァンはしょぼしょぼと手の甲で目をこすりながら答えた。
「ん・・・・・・ちょっと夢見が悪くてな・・・・・・」
「夢? 悪夢でも見ましたか?」
実はアリアの胸を揉んで悶々とした夜を過ごしたのであまり眠れなかったというわけにもいかず、適当に言ったというのに、セレーネが食いついてきてしまった。
「いや、悪夢ってほどじゃないから。もうどんなのか覚えてないしな」
曖昧に返すと、会話を聞いていたアリアが難しい顔で口を挟む。
「夢といえば、私も変な夢見たわよ」
ぎくりと胸に何かが刺さった気がした。もしや起きていたのだろうか? 否、あの時アリアは確実に眠っていたはずだ。
ひとまず、そうでないことを祈りつつ聞いてみる。
「・・・・・・へ、へぇ、どんな?」
「えぇっと、なんでか分からないんだけど、ヴァンに似た赤ちゃんを抱いててね、私がお母さんなの。それで、その赤ちゃんにおっぱいあげてる最中って夢なんだけど・・・・・・」
「なんじゃそれは。おぬしらの間に子供が出来るはずなかろう」
「分かってるわよ、それくらい。夢だって言ったでしょう」
呆れ顔に苦笑いをつけたフランに、アリアが頬を膨らませて反論した。
セレーネとヘリオスも苦笑していて、ウラカーンは「おっぱい・・・・・・か」と真剣な表情でアリアンの胸を見つめ、ラルウァがどこか遠くを見つめて残念そうに溜息をついている。
「全く、みんなして・・・・・・夢だって言ってるのに、ねぇ? ヴァン。って、どうしたのっ? すごい汗よ!?」
アリアが、冷や汗を滝のように流すヴァンを見て驚きの声をあげる。
「い、いいいやや、おおお、俺がそそそそ、そんなことするわけないだろう!」
そして何を焦っているのか挙動不審で料理を食べながらヴァンが叫ぶ。その様子に怪訝な表情をするアリアだが、すぐに笑いを落として言う。
「何言ってるの? 夢の話よ?」
「あ、ああ、あぁ。ゆ、ゆめの話だったな、うん、夢の話か」
落ち着きを取り戻していくヴァンだが、内心、心臓が破裂しそうなほど跳ねている。
理由は言わずもがな。昨日のヴァンの行動が、アリアの夢に影響していると分かったからだ。
アリアも、その夢はヴァンが胸を揉んだから見たなど思うことすらないだろうが、それでもヴァンは気づかれないかと心中穏やかではない。
ヴァンにとって、あの行動は『バレたらアリアに嫌われる』と思ってしまうほど、大胆で破廉恥なものだったというわけだ。
小さく可憐な顔を蒼白にして料理をゆっくり食べていくヴァンを見て、アリアは不思議そうな表情で首をかしげた。
ヴァンだけ心穏やかでない朝食を終えた七人は、またも町近くの森、ヴァンが秘宝を吸収した場所へ赴いていた。
「さて、じゃあ、早速始めよう。ヴァン、頼むぞ」
「はい、師匠」
ラルウァの言葉にヴァンは一つ頷き、両目に意識を集中させる。普段見慣れている森に変化が起きたのはすぐだった。
ヴァンにしか分からない変化だったが、空気中のマナがそこかしこに漂っている。それは、白であったり黒であったり、はたまた虹色であったりと様々だったが、霧のように漂うそれは、普段は見えないものであった。
秘宝を吸収したときにヴァンが目覚めた力。アリアたちの推測では、魔力を『視る』ことができるからこそ、秘宝が吸収できるのではないかということだが・・・・・・。
どちらにしろ、ヴァンは魔力を具体的に視ることができる特別な力を持っていた。といっても、それが判明したのは昨日のことである。
「では、私からやってみますね」
マナが視えているのを皆に伝えると、セレーネがヴァンの前に立った。
今からするのは、意図的にマナを体内に取り込む方法を探すこと。
マナは自然と体が吸収してくれるのだが、それではセレーネたちの魔力回復が遅く、『気門』も狭まったままなので戦闘力の低下が否めない。
ゆえに、昨夜の話し合いで決まった『ひとまず魔力を完全に回復させる』のを実践しようとしているのだ。
ラルウァが言った『マナの深呼吸』という言葉で、マナは自在に吸収できるかと思えば実はそうでなく、実際は『深呼吸』をしたつもりでも実感が沸かない上に回復量が増えた気もしてこない。
しかし、今は魔力が具体的に視えるヴァンがいる。
どのように魔力とマナを形象すれば効率良く回復が行えるかを、まさに『視て』もらえるのだ。
実感が沸かなくとも、しっかりと吸収できているのだということが分かれば、それでいい。
「・・・・・・」
ヴァンの前に立つセレーネから、透明な湯気のようなものが漏れ出し、セレーネを囲む丸っぽい何かもそれに合わせてゆらゆらと揺らめく。
もっとも、それらが視えるのはこの場でヴァンだけだ。
じっと見つめるだけのヴァンに、痺れを切らしたフランが声をかけた。
「ヴァン、黙ってないで何とか言わんか。どうなっておるんじゃ?」
集中している最中だったが、ヴァンは気にした風も無くそれに返す。
「あぁ。セレーネを包んでた丸っぽい・・・・・・何かが波を持ったみたいに動いてて、湯気が出てる感じだ。・・・・・・セレーネ、今の俺の言葉をそのまま形象して、丸っぽい透明な液体が・・・・・・こう、他の液体を取り込むようなのを思い浮かべてくれ」
言われるがまま、ヴァンの言葉を頭に思い浮かべていくセレーネ。ついフランもそれを頭で想像してしまい、何故か顔をしかめた。
セレーネを包む透明な丸っぽい何かは、徐々に空気中に浮かぶ白や黒に伸びて、重なる。
「今だ、取り込んだ白とか黒が、透明になるように形象を!」
セレーネが眉をぴくっと動かしてそれに集中した。しかし、思うようにいかないのか、透明な丸っこい何かに重なった白や黒は、ゆっくり漂って離れていく。
「・・・・・・駄目か・・・・・・」
ぽつりと呟くヴァン。その後ろからフランが再度口を出す。
「のぅ、今ヴァンが言うように想像したんじゃが、透明なスライムみたいなやつが出来たぞい?」
告げた瞬間、セレーネの透明な丸っぽい何かがうねうねと動き、丸っぽい部分を素早く伸ばして周囲の白や黒を『食べて』いった。
ヴァンはフランに返事をせず、見開いた目をセレーネに向けたまま呟く。その後ろではヘリオスが額に手を当てて溜息をついていた。
「す、ご・・・・・・どんどん吸収していく」
ある程度食べ終わったあと、セレーネが目を開いてフランに微笑みを向ける。
「フランさん、それはあれですか? 私がアメーバっぽいって言いたいのですか?」
「え? な、なにいっておるんじゃ、そんなこと一言も言っておらんぞい!」
「そうですかそうですか。フランさんは私が、ああいうヌメヌメしてプニプニでウネウネ動く単細胞生物のようだと言いたいわけですか。分かりました。よぉく分かりましたよ」
微笑みなのに目が全く笑っていない。
「ま、まつのじゃ、おちつけ! わしはただヴァンが言うおぬしの魔力とやらがそういうイメージだといっただけであって・・・・・・!」
「問答、無用、です」
最後の部分にハートマークをつけたセレーネがフランに跳びかかる。
「のわぁっ、ま、まてい! 何をする! ひゃ!? ひゃひゃひゃっ、や、やめんかっ、くすぐるでないっ、あはっ、あははははっ」
「どうせ私はスライムです。スライムはスライムらしく、ウネウネ動きますよ」
黒いドレスと長いドレススカートを身に着けているにもかかわらず、本当に軟体生物のようにフランに絡み付いていくセレーネと、くすぐられすぎて苦しげな表情しか浮かべられないフラン。セレーネの真っ白な髪ですら、フランの赤く長い一房の三つ編みに絡み付いていく。
ウラカーンが、絡み合う二人から視線を外さずにヘリオスに尋ねた。
「・・・・・・ねぇ、かなりキャラ変わってるんだけど、どうしたの、セっちゃんは」
「・・・・・・・・・・・・・いや・・・・・・まぁ・・・・・・昔、ちょっと・・・・・・な。姉さんは、スライム系にいい思い出がなくて・・・・・・名前とか聞くと、たまに壊れるんだ」
「はぁー・・・・・・まさに淑女って感じのセレーネがあんなになるなんて・・・・・・」
「ふむ・・・・・・ああなるほどのトラウマを抱えているというわけか」
「・・・・・・まぁ、トラウマってわけじゃないんだが・・・・・・」
「その前に、ヘリオス。そういうのは前もって教えておいてほしかったんだが」
もっともな意見を出したのがヴァンだけだという傍観者たちは、とりあえず、フランとセレーネをおいといて、ヘリオスとヴァンの魔力回復を試すことにした。
「ひぃ〜、ひぃ〜、も、もう許してくりゃれぇ・・・・・・」
「うふふ、うふふふふ、ほらぁ、スライムってこんななんですよぉ? うふふふふふ」
その場その時その瞬間、同じ森の中であるにもかかわらず、ヴァンたちとフランたちの間には見えない境界があったといふ。
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ヴァンが、ヴァンが!(←落ち着け
さて、というわけで、セレーネがセクハラを働く話になりました。
セレーネ「!?」
魔力も回復して次から修行がはじまるかもしれませんね!