第七話
魚の活躍は最後です。
目が覚めるとヴァンは身動きが取れなかった。なぜか? それは背中に当たる大きくやわらかい感触と、自分を押さえ込むように回されている誰かの腕のせいだ。それは誰か。ヴァンは思い当たる人物は一人しか居ない。
「おはよう、ヴァン」
耳元に吐息が辺り、凛とした声が耳の奥をくすぐってきた。
「・・・・・・起きてるなら離してくれないか」
顔を枕に埋め、努めて冷静に言おうとしているが、少し上ずった声と、蒼い髪の間から見える真っ赤な耳がそれを台無しにしている。その姿にアリアは背筋がゾクゾクする快感をおぼえてしまった。
「ええー、いやよー、ヴァンがかわいいからいけないのよ?」
「何勝手なことをい、ひゃん!」
言ってる最中に耳を噛まれた。
「なにする! 離せ! はーなーせー!」
体をくねらせ、アリアの魔手から逃れようともがく。が、この細腕のどこにそんな力があるのか、振りほどくことができない。
「お前ほんとに魔女か!? この怪力め!」
慌てるヴァンの口調に昨日までの遠慮は無い。お前呼ばわりである。
「あら、ひどい。私はいたって普通よ。ていうか、その姿になったから相応の腕力しかないんじゃないの?」
その言葉にヴァンの動きが止まる。冷や汗が流れた。もしそうならかなり大変なことである。むしろ、昨日のうちに確かめなかった自分はおかしかったのではなかろうか。
「アリア、ちょっと待て。離してくれ。お、い、まっ、耳を、ふあっ、噛むなー!」
はむはむと噛み続けるアリアに暴れるヴァン。結局アリアが満足するまでその腕が解放されることはなかった。
「ヴァン、いつまで寝てるの? もうお昼よ」
襟にフリルがついた白服に、茶のスカートをはいたアリアは、いまだバスローブのままベッドに横たわってるヴァンに言った。
「・・・・・・誰のせいだと思ってるんだ」
いいようにいじくりまわされたヴァンは体に力が入らない。その顔にはまだ赤みが差している。
「とかいって、きもちよかったでしょ?」
「んなわけあるかー!」
アリアの言葉にヴァンが起き上がりながら叫ぶ。憤然とした様子でヴァンはドタドタと風呂場に向かった。
風呂場に備え付けられている浄化魔道具に手を突っ込み、服を取り出す。ためつすがめつ、汚れが落ちているのを確認すると、それを着た。相変わらずのだぼだぼだが、服の袖とズボンの裾をまくり上げることで問題は解決する。それでも服の肩がずり落ち、下に隠れている胸の辺りが見えそうになるので、マントを羽織るしかない。最後に道具袋を取り出す。
この浄化魔道具の最大の利点は、魔力による殺菌なので紙や魔道具を一緒に入れても大丈夫ということである。一家に一台は欲しい。閑話休題。
道具袋をベルトに下げ、風呂場のドアを開ける。ドアの前で待っていたアリアがマントを差し出してくれた。
「ありがとう。お前のマントなのに、悪いな」
受け取りながら礼を言う。
「いいのよ、あなたの柔肌がいやらしい目で見られるの、我慢できないもの」
お前が一番いやらしい目でみてる、とは口が裂けてもいえなかった。
二人は部屋から出て、受付に向かった。料金支払いのためだ。ヴァンが道具袋から銀貨を一枚取り出す。銀貨十枚は金貨一枚、銅貨百枚は銀貨一枚、銅貨一枚は食卓のお魚一匹分。
アリアが銀貨二枚を受付にわたし、カウンターに置かれたヴァンの銀貨を手に取り、そのままヴァンの道具袋に戻す。
「おかえりー、っておい」
「ここは私が出しておくわ。いえ、出させてちょうだい。それくらいの価値はある時間をすごさせてもらったんだから」
その言葉に、素直に礼を言おうと思ったのだが、何を思い出しているのか鼻息を荒くさせているアリアをみて、開いた口を閉じざるを得なかった。
ため息をつきながらヴァンは宿屋から出た。後ろからアリアが何か言ってくるが無視した。
空を見上げる。灰色の雲が一面に広がっている。
「雨が降りそうだな」
「そうね」
独り言だったのだが、追いついてきたアリアが相槌を打つ。顔を見上げる。その視線に気づいたアリアが見返し微笑む。自然と自分の頬が緩んだのが分かった。
二人は大通りを歩く。目的地は港ではなく、森の近くの川。
「魚、港で釣るんじゃないの?」
肩から大きなかごを担ぐアリアがパンを食べながら聞く。朝ごはんという名の昼ごはん。同じくパンを頬張りながら、かごを肩にかけているヴァンが答えた。
「依頼紙を良く見てみろ、期限が書かれてるだろう」
言われてアリアはスカートのポケットから紙を取り出し、見る。確かに、一番下のほうに『期限:三日間』と書かれている。
「ほんとだわ。これって依頼を受けてから二日後までって意味なのかしら?」
「あぁ、そうだ。昨日受けたから、明日までだな。その間に釣りだけで二十匹捕まえる自信は?」
最後のひとかけらを口に放り込み、ヴァンが問う。
「自慢じゃないけど、釣りなんて今までしたこと無いわ。よって、これっぽっちもありません」
アリアもパンを食べ終えて言った。ヴァンが肩をすくめる。
「だろうとおもった。それにわざわざ釣りバカがごった返している町の港にいくより、貸切の森の川が大漁に取れるだろうしな」
「でも、いいの? 森の川にすんでる魚なんて、たべられないんじゃない?」
不安げに聞いてくるアリア。ヴァンは首を横に振った。
「食べられる魚を捕まえて来い、なんてどこにも書いてないぞ? 『魚を捕まえてこい』って文字しか、俺には見えないな」
そういってニヤリと笑った。そこでアリアも合点がいく。
「ははーん、なるほどぉ。ヴァンって結構ワルね」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない」
確かめたいこともあるしな、ヴァンがつぶやいた。首をかしげるアリアだったが、ヴァンは言葉を続けなかった。
しばらく歩くと、街の門が見えてくる。今は開かれているが、戦時になると巨大な鉄格子で閉められる。大きな門の左右に、衛兵が立っていた。衛兵はこちらをじっと見てくる。この衛兵に限った話ではない。大通りを歩いているときも、通り過ぎる人は振り返り、離れている人もこちらをみていた。その視線のほとんどが男だったことから、アリアの美しさに見ほれているのだろうとおもっていた。だが、ヴァンはその半分が自分に向けられているのに気づけない。男だったときも奇異の目で見られていたので、慣れてしまったせいもあるだろうが。
門を過ぎ、しばらく街道を歩く。もうヴァンとアリア以外人影は無い。そこでアリアは背伸びをしてはき捨てるように言った。
「ほんと、いつになってもあの気持ち悪い目には慣れないわ!」
男嫌いだからこそ、その視線がどういう類のものか分かってしまうのだろう。苦笑しているとアリアがヴァンに抱きついてきた。
「・・・・・・いや、意味が分からないんだが」
「消毒よ」
ますます意味の分からないヴァンだったが、こうしているのは恥ずかしいので、ぐいっと押し返す。アリアが不満そうな顔をしている。
「とりあえず、近くの川にいくとするか。昨日、あの魔獣を探しているときに見つけたところがある」
非難の視線を感じながらも、ヴァンは森の中に足を踏み入れた。しぶしぶといった様子でアリアも歩き出す。
相変わらず森には様々な気配が漂っている。こちらを様子見している魔獣のものだろうか。襲ってくる気配はない。そもそも、野生の動物というのは本能で相手と自分の力量差が分かる。魔獣も例に漏れず、勝てない相手に向かってくることはほとんどない。もちろん、空腹に負け、無謀な狩りをするときもある。
「この辺りでみかけたんだが・・・・・・」
森を見渡す。
「あ、あれじゃない?」
アリアが声をあげ、指差す。その先を見ると、太陽の光が水に反射してきらめいている。近づくと全容が見えてきた。といっても見えているのはこの川の一部分だけだろう。川幅は大きく、深さもそれなりにあるようだ。岩がところどころから頭を出している。川の水は右から流れてきていて、その先は深い森に覆われ窺うことは出来ない。左をみると、木々の間から街の防壁がうっすら見えた。この川の水は街で使われているようだ。防壁の下に流れ込んでいくのが遠目でも分かる。
「どれどれ、うん、魚は結構いるな」
川を覗き込みながらかごを地面に置き、マントを脱ぐ。アリアもそれに倣いかごを置く。その表情は楽しそうだ。
「それで、どうやって魚をとるの?」
「あまり期待されても困るが・・・・・・まぁ見てろ」
ヴァンは、すっと川の側にしゃがむと手を水の中に入れ、目を閉じる。はたから見るとただじっとしているだけにみえるが、アリアには今ヴァンが何をしているのかが分かった。ヴァンのもつ魔力の流れが水にいれた手に集まっている。
「はぁっ!」
気合を込めた一声。瞬間、ヴァンを中心に衝撃が走る。地面を。川面を。石ころが浮かび、水しぶきがあがり、川が流れを乱された。響く音が次第に小さくなっていき、川が落ち着きを取り戻す。と、なにやら得体の知れない魚っぽい生物が大小問わず川から浮かんできた。同時に、ヴァンがかごをもってひょいひょいと岩を飛び移り、浮かんできた魚を手早くかごに放り込んでいく。その様子はさながら水の精霊が川と戯れているかのようだった。
「とまぁ、こんな感じで水に魔力をぶつけて、その衝撃で魚を気絶させて捕るんだ。・・・・・・どうした?」
戻ってきたヴァンがアリアの顔を見上げる。その声にアリアは、はっと我に返った。
「あ、い、いえ、なんでもないわ。まさか魔力にこんな使い方があるなんて思わなくて」
「まぁそうだろうな。俺もこのやり方を発見したのは、森で迷って死にそうになってたときだし」
そういってヴァンは笑う。顔や髪に水滴がつき、それらが日の光で輝いていた。
「さて、俺の分は終わり。次、アリアやってみろ」
「えっ、もう終わったの!? それにやってみろって・・・・・・二十匹も捕ったらもうこのあたりに魚いないんじゃない?」
「そうでもないさ。俺の魔力じゃ深いところまでは浸透しないからな。アリアの魔力をぶつけたらもっと浮かんでくるはずだ」
「そ、そう? それじゃあやってみるわ。水に手をいれればいいの?」
川の側にしゃがみながら、顔をヴァンに向けるアリア。
「いや、あれは俺が魔装系が得意だったから直接触っただけだ。アリアは放出系が得意だろう? 魔力を固めて投げ込めばいい」
魔装系、放出系、それぞれそのままの意味で、身に纏うか投げつけるか。
「分かったわ」
立ち上がり、両手を上に掲げる。地響きのような音がし、両手の先の空気が揺らいでいく。火の先が揺らめくのに似ている。それは明らかに球形で、徐々に大きくなっていく。大きく。大きく。
「お、おい、アリア?」
ヴァンが焦り声をかける。だが、聞こえていないのかアリアはさらに力を込めていた。魔力の塊はさらに大きくなり、すでにアリアの身長より直径が長い。
「アリア! バカ、でかすぎだ!」
「え!?」
ヴァンの声にやっと気づいたアリアが、慌てて魔力の塊を川に投げ込む。
「ちょ、まて!」
ヴァンの制止は間に合わず、強大な魔力は川にぶつかった。川面が不自然なほどへこんだかと思うと、弾けた。文字通り、川が弾けた。大量の水はほとんどが上空に高く舞い上がり、川岸に大波が覆いかぶさっていく。川の底が一瞬見えるほどの大爆発だ。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
もちろん、川の側にいた二人はびしょ濡れ。大波がひいた後遅れてくる川の水の雨を盛大に浴びた。かごは波にさらわれ、ヴァンが捕った魚も今は川の流れに支配されている。
どちらからでもなく見合った二人。お互い、髪はぬれて体にへばりつき、川底にあったのか水草が頭やら肩やらに乗っかっていた。
「ぷっ・・・・・・」
「あはっ」
先に吹き出したのはどっちだろうか。そんなことはどうでもよかった。今はただお互いの悲惨な姿を笑いあうべきだろうから。
読んでいただきありがとうございます。嘘つきました。魚は活躍しません。すみません。がんばります。