第六十三話
ちょっとしたほのぼの話です。
「さて、はじめるか」
工房長宅の台所で、ヴァンが開始の言葉を口から出す。真っ白で長い髪は後頭部少し上で縛られ一房になっている。
左に立つアリアは真剣な表情で頷き、逆側にいるエリュトはそんなアリアをみて苦笑した。二人ともヴァンと同じように頭の後ろで髪を結っている。
セレーネも手伝おうとしたが、やはり台所の広さ的に四人では無理があった。仕方なく居間で酒を飲むフランと工房長の相手をしている。ヘリオスとオイエス、ウラカーンの三人も話しながら酒を楽しんでいた。ちなみにセレーネは飲めない。
「じゃあ、アリア、俺と一緒に食材を切ろう。形から入らないで、指を切らないことだけを注意しながらゆっくりやろうか」
「う、うん」
ヴァンが一つ野菜を取り、アリアも取る。ヴァンが包丁を食材に乗せると、アリアも乗せる。ヴァンがたんっと小気味良い音を出せば、アリアも同じ音を出す。完全にヴァンの動きを真似るアリア。ヴァンもそれに気づいているのか、笑いつつゆっくりと食材を切っていく。
エリュトは隣でスープを作っていて、湯気立つ鍋からは良い匂いが漂っていた。
今回の夕食の支度はアリアにヴァンが付きっ切りだったため少し時間がかかったが、前回のような惨事は発生しない。
何気に聞き耳を立てていたフランと工房長、オイエスの三人はほっと胸をなでおろしていた。
料理が全てテーブルに並べられ、前の料理を知っているフランたちが目を見開かせる。
「こいつぁすげぇ。全部普通、いや、美味そうにみえるじゃねぇか」
「全くじゃ。この前のような紫色の何かとか、汁的な何かとかがないのぅ。いやはや、すばらしい進歩じゃな、アリア」
今度はセレーネたちが目を見開かせ、工房長とフランに視線を向けた。料理を評するにはあまりにも恐ろしげな単語が出てきたのだから、当然である。
そんな三人とフランたちを見て、顔を少し赤くしたアリアが怒鳴った。
「失礼ねっ! ・・・・・・そりゃたしかに前はちょっと失敗しちゃったけど、今回は大丈夫よ! 味見だってちゃんとしたんだからっ」
「それ、毒見ってや、どわぁっ!?」
ウラカーンは最後まで話せなかった。空気を切り裂いてフォークが顔面に迫ってきたからだ。間一髪で避けると、赤い髪が少しはらりと落ちる。
「味見だって、言ったでしょう?」
まるで戦闘中のような鋭い視線でウラカーンを睨むアリア。殺気すら感じる視線に、ウラカーンはこくこくとうなずくしか出来なかった。
「がははっ、さぁて、いただくとするか! さめちまうからな!」
二人のやり取りを笑い飛ばし、両手を合わせて「いただきます」という工房長。その場に居る全員がそれに倣った。
「がーっはははははっ!」
「はーっはっはっはっはっ!」
「あはははははーっ!」
工房長さん家の夕食に、三人の笑いが響く。工房長とフランはかなり酔っていて、上二つの笑いは二人のものだ。では、最後の笑いは誰のものか?
ヴァンである。ヴァンはアリアとフランに挟まれて座っていたのだが、左隣に座るフランのお酒を誤って飲んでしまい、しかも一気飲みだったため一瞬にして出来上がってしまったのだ。
「ヴァンー、おぬしけっこうイケる口じゃのぅっ、かんぱぁーい!」
「あははははーっ、かんぱぁいかんぱーい!」
「がーっはははは!」
何が気に入ったのか、ヴァンとフランは何度もグラスを叩き合わせて乾杯をし、工房長は大笑いしながらジョッキのビールを飲み干している。
ぐびぐび飲み続けるヴァンを見かねて、さすがにアリアが止めた。
「ヴァン、もう飲んじゃだめよ、終わりにして?」
なるべく優しく言うが、ヴァンは首をぶんぶん横に振り、グラスを両手で持ち胸の前に持っていく。
「やーだーっ、もっと飲むー!」
駄々をこねるヴァンに、アリアが声を少し荒げた。
「バカいわないの! お酒弱いくせに、明日きつくなるわよっ」
叱られたことに肩をびくっと震わせて泣くそうな表情になるヴァン。
「ふぇ、わぁーんっ、ごめんなさいーっ、怒らないでー」
わんわんと泣き出すヴァンに、アリアは頭を抱えてため息をついた。セレーネとヘリオスはヴァンの豹変ぶりにおろおろ戸惑い、ウラカーンは何やら感心したような顔でほぅほぅーとうなずいている。
「はぁ・・・・・・怒ってないから、もう飲むのは終わり、ね?」
「えぇ、でもー・・・・・・」
「はっはっはっ、良いではないか、アリアよ。飲みたいときに飲む! これが酒の嗜み方じゃぞ!」
「・・・・・・それはフランだけよ」
「がーっはっはっは!」
「親父も飲み過ぎだよ!!」
「そうですよ、工房長、いい加減にしてください」
酔っ払い三人から酒を取り上げようとするアリアとエリュトたち。だが、酔っ払いは時には笑い時には泣き時には怒り、なんとか酒を飲み続けようとする。
「もう、いい加減にしなさい!」
とうとうアリアがヴァンに怒鳴った。ヴァンは徐々に顔を歪ませていき、また泣き出す。
「わぁーんっ、アリアが怒ったーっ」
椅子から勢いよく立ち上がると、両手の甲で目を隠して、ヘリオスとセレーネのほうに走り出した。
そのまま隣り合って座る姉兄の間に飛び込むとそれぞれの腕を握り、泣き叫ぶ。
「わぁーんわぁーんっ!、お兄ちゃんーっ、お姉ちゃんーっ、アリアがこわいー!」
お兄ちゃんお姉ちゃんと呼ばれ、二人が固まる。アリアとウラカーンも驚いた表情をし、フランでさえも酒をぶーっと噴き出した。
何とか復活するセレーネとヘリオスは、お互い自分を指差し、
「お、おにいちゃん?」
「お姉ちゃん・・・・・・って、呼びましたか?」
頭上から降りかかる疑問の声に、ヴァンがセレーネたちを見上げ、首をかしげた。顔は赤く、紅い瞳は涙で濡れている。
「うん・・・・・・ちがうの?」
また泣きそうになるヴァンに、二人は慌てて首を横に振った。
「い、いや、違わないよ」
「えぇ、私たちはアリスのお姉ちゃんとお兄ちゃんですよ」
「うん・・・・・・ぐすっ」
こくんとうなずき、二人の腕へ再度顔をうずめるヴァン。真っ白で長い髪を撫でる二人の瞳からも涙の雫が一筋流れた。
何かを言おうとしていたアリアだったが、涙を流す二人をみて、まぁいっかと呟き料理に手を伸ばす。
ウラカーンはヘラヘラ笑いながら爪に刺した料理を口に運び、フランは微笑みながら静かに酒を飲み下す。
工房長たちは不思議そうな顔をしていたが、共に旅をしている仲間にしか分からないことなのだろうと、その光景を見守ることにした。
「ううーん・・・・・・頭痛い・・・・・・」
小鳥が囀るさわやかな朝の空気の中、女性陣が眠った部屋でヴァンが苦しげにうめく。昨夜寝るときにアリアたちが脱がしたようで、うつ伏せになっているベッドの上で下着姿だ。
そんなヴァンを呆れ顔で見下ろすアリアが、口を開いた。
「だから、昨日はもう飲むなって止めたのに」
「・・・・・・覚えてない」
「大丈夫ですか、アリス?」
ヴァンのベッドに腰掛けて、額に手を乗せるのはセレーネだ。
「あぁ・・・・・・冷たくて気持ち良い・・・・・・」
ふぅっと力を抜くヴァンを見て、セレーネが微笑みを浮かべる。と、部屋の扉が開き、フランが入ってきた。手には水の入ったコップと何やら小さな包み紙を持っている。
「情けないのぅ。あれしきのことで二日酔いとは。ほれ、水と薬をもらってきたぞい」
「どれくらい飲んだか覚えてないから何ともいえない・・・・・・ありがとう」
体を起こし、水と小さな薬包紙を受け取る。折りたたまれた紙を開き、中に入っていた粉を口の中に流し込み、水を飲む。
「・・・・・・ふぅ・・・・・・効いてきたかも」
「即効性はないぞい?」
「・・・・・・こういうのは、思い込みなんだ。現実を突きつけないでくれ」
軽くジト目で見上げてくるヴァンに、フランはそりゃすまんかったのぅと笑った。
「ほらよ、これ飲みな」
居間ではヘリオスがエリュトから、ヴァンが飲んだのと同じ薬をもらっている。
「すまない・・・・・・」
「それにしても意外だなー、あんとき酔ってたようには見えなかったけどー、二日酔いにはなるんだー?」
ヘラヘラと笑い、ウラカーンが薬を飲むヘリオスを見た。
「あぁ・・・・・・普段はそんなことないんだが・・・・・・昨日はちょっと衝撃というか・・・・・・」
言おうとしていることに気づいたウラカーンは、あぁーとうなずく。
「昨日のヴァンちゃんねー、あれはびっくりだねー、かなりの豹変というか、何あれ? 泣き上戸? 甘え上戸? かわいかったなー」
「・・・・・・あぁ・・・・・・お兄ちゃん、か・・・・・・ふふふ」
思い出して嬉しそうに笑うヘリオスに、ウラカーンとエリュトが少し引きつった笑みを浮かべる。
「ヘ、ヘリオス、妹にお兄ちゃん言われて何嬉しそうにしてんの? 気持ち悪いよ?」
「まるで変態のようだね」
はっと我に返ったヘリオスは慌てて二人に弁解した。
「ち、違う。いや、呼ばれたのは嬉しかったけど、でも、仕方ないじゃないか! もう十数年も会ってなくて、兄と思われてないんじゃないかと僕が何度思ったことか! そのときにまだ兄と呼んでくれたことがどれだけ嬉しいか! 分かるだろう!? グラウクス!!」
「えぇ、オレっちに振るなよー・・・・・・えーと、オレっち兄弟いないからわか」
「そうか、分かってくれるか! 小さかった頃は「お兄様〜」なんて呼んでくれてたが、お兄ちゃんか、ふふ、いいものだな、なぁグラウクス!」
「いや、だから、オレっちに振るなって・・・・・・ていうか、同意求められてもー・・・・・・」
結局弁解できていないヘリオスは今後エリュトから微妙な目で見られることになる。
ちなみに、工房長は酒を飲んだ次の日は目一杯眠るらしく、ウラカーンたちを寝させてくれた部屋で爆睡中だ。
影が薄いオイエス君は出勤しています。
読んで頂きありがとうございます。
酔っ払ったヴァン、恐ろしい娘っ!でも、作者はそんな娘にするつもりは全く無かったです。なんでああなったんでしょう?
そしてヘリオスが何だか妙に変態さんになってきてます。こっちもそんなこと言わせるつもりは無かったんですが・・・はて?
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