第六十話
六の十倍ですよ。
駆けるヴァンに向かって魔獣も疾走した。両者の距離が一気に縮まり、魔獣がヴァンを噛み砕かんと口を大きく開かせる。
「ふっ!」
それをヴァンはまたも跳躍することでかわし、空中で前転。右足のかかとを魔獣の額へ叩き込む。全体重と遠心力を乗せた踵落としは大きな鈍い音を響かせた。
地面に伏せさせることは出来なかったが、少し動きを止めるには十分だ。蹴った足はまだ魔獣の頭に乗っている。それを軸に、体を魔獣へ引き寄せた。
「はっ!」
前のめりになりながら、右拳を獣毛に隠れている首へ振り下ろす。首は比較的柔らかく、拳がめり込む感触を覚えた。今度は落とした右腕一本を支えに、首の上で逆立ちになる。勢いをつけ首より少し後ろの背中に左足で踵を落とし、すぐさま左へ回転。地へ落下しながら、右後ろ回し蹴りを魔獣のわき腹へえぐりこませた。
流れるような攻撃だったが、魔力への衝撃を与えただけで肉体的ダメージはほぼない。四肢の炎では獣毛を少し燃やす程度だ。猛火まで育てさせられない。
着地し、左腕を思い切りうねらせ再度わき腹へ叩き込む。左拳から伝わる衝撃は、まるで大木を殴っているようだった。
「ちっ、打撃は意味が無いか・・・・・・!」
魔力の衝撃から立ち直った魔獣の右前足の爪を避け、距離を取るが、魔獣は執拗に追ってくる。
噛み付きや爪での切り先をかわしつつ、ヴァンは考えた。
やはり、この姿での物理攻撃は効果が薄い。見た目どおり少女並の力しかなくなっている今、格闘戦で倒すのは無理だろう。
ならば、と両足の魔力を爆発させ後方へ大きく跳躍しながら四肢の炎を消す。使える魔術はあと一つ。炎の剣のみ。
宙を舞い、詠唱する。
「我求むは獄炎の剣・・・・・・フレア・ソード」
形象を練り固め、魔力を炎と化し、形を剣に成す。地に降り立った時、ヴァンの右手には燃え盛る炎の剣が握られていた。
着地と同時に奔る。魔獣もヴァンへと走り続けていて、また距離が一瞬で縮まった。
魔獣が突き出した口をさらに前へと突き出す。今度は跳ばずヴァンも真っ向から迎え撃つ。大口を裂こうと炎剣を横に薙いだ。
「はぁっ!」
鈍い音が響き、ヴァンに噛み付こうとしている牙は、ヴァンではなく炎剣を噛み止めることになった。
炎が魔獣の牙を黒ずませ、口の肉を焦がしていく。ヴァンは両手で炎剣を握り力を入れるが、震えるのは自らの両腕だけで炎剣は微動だにしない。
「くっ・・・・・・あっ!」
魔獣が炎剣を咥えたまま頭を思い切り振り上げ、口を開く。炎剣を握っていたヴァンの体が宙を舞う。
自分で跳ぶならまだしも、飛ばされた空中では身動きが取れない。そんなヴァンめがけて、魔獣は身を屈め跳躍した。
跳んでくる魔獣に対し、炎の剣を振り下ろしぶつける。それを支えにしてなんとか口の中への落下を防いだ。
「だぁっ、ていっ」
二撃三撃と炎剣を落とすが、力の入らない空中な上、ただでさえ非力なヴァンの力では小さな火傷をつけるだけにとどまり、切り裂くまで至らない。
炎の剣で叩いてくるヴァンを煩わしく思ったのか、再度口で炎剣を挟む魔獣。ヴァンの体がぐんっと下へ引っ張られる。慌てて炎剣を放し、地面に叩きつけられるのをさけるが、次の瞬間、頭に激しい鈍痛が走り、頭上からの衝撃で結局地面に叩きつけられた。
魔獣が頭を思い切り下げると同時に回転、太い尾をヴァンへ直撃させたのだ。
「がっ・・・・・・はっ・・・・・・」
地に横たわりながら両手で頭を押さえる。首がもげるかと思った。地面に叩きつけらて全身が酷く痛い。生きてるのが不思議なくらいだった。
だが、ここで痛みに耐えているだけでは本当に死んでしまう。上からは魔獣がヴァンを目指して落下している。
鈍痛響く頭から両手を離し、地面で四つん這いになった。自分と地面を大きな影が覆う。ぐっと四肢に力を入れると痛みが走る。それでも構わずに四肢の魔力を地面にぶつけ、横に跳ぶ。否、それはもう跳ぶとは言えず、転がるというものだった。
そこから離れると、遅れて魔獣が降り立ち、土を砕く音が響く。ごろごろ転がるヴァンが立ち上がろうとすると、間髪入れずに魔獣がヴァンへ飛び掛った。
「アリスッ!!!」
高い女性の悲鳴が、草原の大気を揺らす。刹那、跳躍した魔獣の上から魔力の槍がいくつも降り注ぎ、魔獣の体を貫いていく。魔槍は魔獣を通り過ぎ、地面に突き立った。それで終わらず、さらに周囲の地面からも魔力の柱が斜めに飛び出し、多数の魔力の槍に磔にされている魔獣を何度も穿つ。最後に魔力で出来たそれらは魔獣を包むように一つにまとまると、四散した。
残ったのは草花たちを染める大量の血と、ヴァンの目の前に落ちてきた魔獣の牙一つだけ。魔獣の巨体は文字通りこの世から消滅したのだった。
目の前の蹂躙を呆然と見ていたヴァンは、叫んだセレーネへ視線を向ける。
白い髪と赤い瞳の女性は全身に魔力の余韻を残したままヴァンへ駆け寄ってくる最中だった。その隣にはアリアも一緒に走っていて、後方には無数の魔獣の死骸が転がっている。
あぁ、今回も守られただけか・・・・・・。ヴァンは表情を落とし、心配の声をかけてくるアリアたちに、安心させるための返事を返した。
ギルドで合流した六人は受付へ魔獣討伐の証拠を渡す。ヴァンは先ほど目の前に飛んできた牙を渡し、フランたちも魔獣の牙と皮であると思われるものを出した。
「少々お待ちください」
受付嬢はそれを受け取ると、奥から出てきた筋骨隆々のムキムキ男二人に渡す。討伐依頼をこなし持ってきた物が証拠となりえるかどうかの審議が行われるのだろう。ヴァンの経験からいってそう時間が取られることも無いはずだ。
ヴァンは窓口から離れ室内に置かれていた長椅子へ腰掛ける。戦闘でのダメージはアリアの治癒術で治療済みだ。
むしろ、ここに来るまでのときが大変だった気がする。セレーネは街に戻るときに何度も痛いところは無いかと聞いてくるし、ヘリオスにいたってはボロボロになっているヴァンを見て慌てふためき、ヴァンを背負おうとしたりウラカーンを引っ張って医者を呼びに行こうとしたりと、ギルドに来るまでかなりの時間がかかった。
「ふぅ・・・・・・」
心配してくれるのは嬉しいのだが、ここまでされると少し気疲れしてしまう。今でこそ二人は落ち着いているが、常にヴァンの側にいる。
隣に座るセレーネと、長椅子の前に立つヘリオスがヴァンのため息を耳にし顔を覗き込んできた。
「疲れたのか、アリス?」
「それとも、まだどこか痛みますか?」
二人のこの言葉も何度目だろうか。ヴァンは苦笑してセレーネたちを見る。
「本当に大丈夫だから。今までだって何度も討伐以来を受けてきたし、この程度では疲れないよ。傷もアリアに治してもらったしな」
ヘリオスの両隣に立つフランとウラカーン、ヴァンの隣に座るアリアの三人も同じように苦笑していた。
「心配性じゃのぅ、おぬしらは」
「そーそー。過保護はいけないとおもうなー、オレっち」
「でも、ヴァンはホントに無茶ばっかりするから、心配する気持ちも分かるわ。ヴァン、もっと自分を大事にしなきゃ駄目よ」
この後全員から、あまり心配かけるなと説教をされることになり、少々理不尽に思いながらも嫌な気になることは無かった。
ギルドから報酬をもらったあと、一泊するために宿を探すことにする一行。
ヴァンが馬車を使い次の街に行こうと提案したのだが、もう少しで夕暮れになるしヴァンの体のこともあるので、多数決で一泊することになったのだ。
二つの依頼をこなし手持ちの資金は銀貨六十枚と銅貨二十六枚になっている。大所帯だが、それなりの宿も取れるだろう。それでも複数の宿を回り、空いている部屋を探すのは大変だったが。
やっと見つかった宿は少し高めで、一人銅貨四十枚。ウラカーンは、明日の朝ここに来るよーと言って帰ったので、今は居ない。
五人で銅貨二百枚。つまり銀貨二枚。銀貨六十枚もあれば微々たるものに思えるがヴァンは苦い顔をしている。
「・・・・・・むぅ、あそこの宿はやはり安かったな・・・・・・」
ぶつぶつ呟きながら、宿の受付から鍵を受け取った。ちなみに、五人は一つの部屋で寝ることになっている。ヘリオスは、別の部屋にしたほうがと言っていたが、セレーネは姉でヴァンは妹、アリアとフランも気にしてない上に、同じ部屋に泊まったほうが少し安いのでそのようになってしまった。
むしろ、ヘリオスが襲うとしたらヴァンだけだろうと二人の女性に言われ、男として見られていないことにへこむべきか、変態としてみられていることに嘆くべきか、襲わないと信頼されていることに喜ぶべきか、悩むヘリオスであった。
「へぇ、じゃぁヴァンは小さい頃から甘いもの好きだったの?」
「えぇ。食事前にも甘いものを食べていて、よく婆やに叱られてました」
「あの時は確か、一週間おやつ抜きにされていたな」
ベッドに腰掛け、セレーネたちとアリアがヴァンの昔話に花を咲かせている。きっかけは、昔のヴァンを知りたがったアリアの言葉だ。
その話に耳を傾け、昔の自分が完全に消えていないことに少し安堵するヴァン。
「今でも甘いものはよく食べますか、アリス?」
話を振られ、ヴァンは少し考えた後答えた。
「甘い物は好きだけど、最近は食べる機会がなくなってきているな。甘味処は少し高いし、あぁ、言ってて食べたくなってきた・・・・・・」
思い出しているのか物欲しそうな表情になるヴァンを見て、アリアとセレーネも続く。
「そうねぇ、最近全然そういうの食べてないものね」
「私も結構甘い物は好きですし・・・・・・食べたいですねぇ」
ヘリオスが女性三人に苦笑し、提案する。
「なら、何かとってみたらどうだ? メニューがテーブルにあるぞ」
指差す先を見ると、広い部屋の真ん中にテーブルがあり、そこの上にメニューらしきものがおかれていた。
ヴァンがぴょんとベッドを飛び降りてテーブルに向かう。メニューを手に取るととことこ戻り、またベッドにぼすっと座った。
「えーと、あ、あるある。おいしそうな名前だな・・・・・・」
「結構安いわね。とってみない?」
「大賛成です。フランさんはどうですか?」
三人がメニューに落としている視線をフランへ向ける。フランは顔をしかめて首を横に振った。
「わしは甘い物が苦手じゃて。遠慮するぞい。・・・・・・酒はないかの?」
最後の部分で同じようにメニューを覗き込むフラン。
その夜、ヘリオスは幸せそうに甘いものを食べる少女たちと、酒を楽しそうに飲む女性という正反対の絵を、肩身狭そうに眺めることになった。
読んで頂きありがとうございます。
あまり進んでませんね、ていうか全然進んでませんね。
姉弟の過保護さをちょっと出したかったんです。