第三話
ようやっとここまでこれました。
茶黒い体毛に覆われた魔獣が体を奮わせる。自らの胴体より幾分か長い両腕をだらりとたらし、突き出た口から荒い息を漏らす。
「言っておくけど、邪魔はしないでね」
呪文をつむぎ終えた少女がヴァンを睨みながら言う。それに対し、ヴァンは肩をすくめた。
「分かっている。そっちこそ、俺を魔術に巻き込むんじゃないぞ」
睨み力をさらにアップさせた少女を尻目に、ヴァンは魔獣へと奔った。迎え撃つ魔獣は、大人一人分ほどある太さの右腕を高々に振り上げ、横に薙いだ。ヴァンは体勢を低くし、それをかわす。遅れてくる風圧に体が飛びそうだ。さらに加速をつけ、跳ぶ。魔獣の右肩を踏み台にし、後頭部めがけて左回し蹴りを放つ。蹴りは吸い込まれるように魔獣を襲う。当たった瞬間、赤い炎が四方に飛び散った。衝撃を殺しきれず、魔獣の体が前のめりになる。
「悪くない速度ね。ついでにその自慢の足でお逃げになって」
ふざけた調子で少女が笑う。ヴァンは少女の言葉が冗談ではないことに気づき、右足で魔獣の即頭部をはじき、空中で一回転、離れところで着地。
「あら、残念だわ。一緒に焼いてあげたのに。フレイムアロー!」
少女の突き出された右手から矢の形をした炎が発射される。バランスを崩された魔獣は防ぐことができず、そのまま顔面に迎え入れる羽目になった。空気が震える。ヴァンは素直に感心した。少女が使った『フレイムアロー』は炎属性の中級魔術。それを呪文を唱えたあと、会話とはいえないが、他の言葉を間に入れても発動させている。遅延発動という高度な技術だ。
そんなヴァンの心中を知ってか知らずか、少女は悪女的微笑みを浮かべた。
「まだまだ!」
少女の右手から次々に炎矢が発射されていく。
発射。発射。発射。
もはや数えるのが馬鹿馬鹿しいほどの矢が魔獣にぶつかる。ぶつかる。ぶつかる。
少女は体をまっすぐ魔獣に向けると、両手を真上に掲げる。その少し上で炎球が作り出され、巨大になっていく。
「これでぇ、ラストォ!」
思い切り両手を振り下ろした瞬間、先ほどまでの矢と比べ物にならないほど大きな矢が飛び出す。もうすでに矢の形とはいえない。
爆音がけたたましくあげられ、ぶつかった衝撃で森がゆれる。先ほどは少女が呆然とヴァンをみていたが、選手交代よろしく、今度はヴァンが呆然とするしかなかった。
「すごいな・・・・・・」
もうもうと立ち込める黒煙を見ながらつぶやく。少女を向くと、視線が交わる。少女はフンっと鼻を鳴らし、ぷいっと顔を背けた。
「嫌われたものだな」
苦笑しながら黒煙に目を戻す。刹那、赤く光る双ぼうが見えた。体中から汗が吹き出る。考える前に走っていた。少女の下へ。少女は気づいていない。こちらに向かってくるヴァンだけを驚いた表情で見ている。黒煙が裂かれ、巨大な火球が少女を襲う。そこで少女は初めて、まだ魔獣が倒れていないことに気づいた。
ヴァンが少女を抱くのと、火球が地面と激突し、火柱をあげるのは同時だった。爆音と砂塵が舞う。すでに消えかかっている黒煙からのぞくのは、魔獣の赤い目。様子を伺うように見つめている。と、舞い上がる炎の中から一つの影が飛び出してきた。魔獣から十分離れた距離に疾走し、急停止。
ヴァンだ。その腕の中には少女が抱かれている。二人とも、衣服や頬がすすけているが、火傷を負っている様子はなかった。
ヴァンは少女を放すと、火がうつっているローブを脱ぎ捨てた。その下には革のシャツに皮のベスト、黒の長ズボンに、ちょこんと引っ付いている道具袋が隠れていた。その四肢には未だ炎がともっている。
「・・・・・・男に触られるなんて、すごく不本意だけど・・・・・・ありがと」
魔獣を見据えながら、素直とはいえないが礼を言う少女に、ヴァンも魔獣を睨みつけながら苦笑する。魔獣は先ほどの二人の攻撃に警戒しているのか、即座に襲ってくる様子はない。じりじりと体を移動させながら威嚇してくる。
「おかしいわ、私の炎をあれだけ喰らって平然としているどころか、逆に攻撃し返してくるなんて。というか、あの魔獣が炎を使うなんて聞いたことないわ。変よ」
「変だというなら、最初からそうだ。ギルドの依頼だとはいえ、金貨三十枚、しかも十人もつかってだ。そして君の存在。君がなぜ奴と戦っていたかは知らないがな。さらに言うなら、『レガベアード』の体毛は紫だったはず。茶色のやつなんかみたことがない」
少女の言葉にヴァンは答える。この依頼は最初から変ではあった。人死にが出るほど村が襲われていたにもかかわらず、今までこの依頼が来たことはなかった。普通なら、一番初めに襲われた村が少しの報酬でも依頼を出しているはずだ。なのに、突然金貨三十枚。法外な値段だ。そもそも、A級魔獣とはいえ冒険者を十人も使う意味が分からない。それほど凶暴な魔獣だと知っていたからなのか。『レガベアード』本来の毛色じゃないのは、突然変異だと言われればそれまでだが。極めつけにおかしいのは、この魔獣の魔力抵抗力の高さ。体が頑丈では説明が付かない。というか、こいつ火を吐いたか。
「考えていても仕方がないわ。信じがたいことだけど、火を吐いてきたということは、炎属性である可能性が高いわね。幸運なことに、私は火系のほかに水系も修めているの。ちょっとあなた、あいつの気を引いていて。詠唱に時間がかかるわ」
「ん? フレイムアローはあれだけ速かったのに、時間がかかるのか?」
ヴァンは疑問を口にするが、少女は盛大なため息をついた。
「あのね、詠唱が速いって分かるのに、私の得意属性は分からないの? 得意属性と反対の属性を使う場合、時間がかかるのは当然でしょ。それに、どうせやるならドカンと一発でかいのを喰らわせたいじゃない。私の十八番を平然と受けちゃって、はらわた煮えくり返りそう。ていうか、おしゃべりの時間はないわね。さっさと行きなさい!」
少女の言葉どおり、魔獣が雄たけびをあげた。ヴァンは、やれやれと呟き奔る。少女はそれを見届けると、目を閉じ、両手を水平に伸ばした。
「我が身に巡る魔の力よ」
ヴァンが振り下ろされた魔獣の腕を横にとび避ける。
「我が意思に通じ、氷となれ」
即座に地面を蹴り、魔獣のわき腹を拳で突く。
「我に仇なす罪人を」
魔獣が足を振り上げる。
「冷気の眠りに誘いて」
その巨木のような足を、ヴァンも自らの蹴りで応戦する。
「罰を与える檻と化せ」
結果は敗北となり、ヴァンは魔獣の力を利用して高く飛び上がる。ちらと少女に目を向けると、その体に青く薄い霧を纏っている。その姿はあまりにも幻想的であった。
「我求むは罪許さぬ罰!」
かっと開けた碧の瞳がヴァンの瞳と交差する。瞬時にヴァンが効果範囲から離れているのを確認すると、凛とする声を張り上げた。
「ゼロ・プリズン!!」
瞬間、魔獣を氷の壁が囲む。上も下も、右も左も。巨大な箱。魔獣はそこから逃れるようとするが、狭い氷箱の中では腕を振り上げることも出来ない。そこで、がばっと口開く。喉から赤い光が現れる。
「まずい、火を吐く気だぞ!」
ヴァンが氷箱から少し離れたところに着地し、叫ぶ。
「無駄よ、私の檻は、破れないわ」
くすっと笑う少女。言葉の結果はすぐに出た。
魔獣の喉から出る光は力を失っていく。光だけではない。氷越しに見える魔獣の体が、徐々に凍っていった。十秒もしないうちに氷像が出来上がる。
少女がゆっくりと右手を差し出し、
「さようなら」
指をパチンと弾く。氷の箱はあっけなく割れ、中の氷像も粉々に砕けた。周囲に舞う破片が光り輝き、美しいとさえ思えた。
「すごいな・・・・・・」
ヴァンが先ほどと同じセリフをはく。もうそれしか言えなかった。少女を見ると、少女もこちらを見ていた。穴が開くかというくらい。そういえば先ほど文句を聞くと言ってしまった気がする。ヴァンは後悔した。どんな罵りを受けるのか。ヴァンは四肢に纏う炎を消すと、少女に歩み寄った。
「あまり近づかないで」
さっそくぐさっとくる言葉に、ヴァンは心が折れそうになる。
「あなた・・・・・・うっ!」
何かを言いかけて、少女が顔をゆがめ、しゃがみこんだ。
「どうした、平気か?」
見ると、右足首から血が出ていた。怪我をしたかもしれない時は多すぎて何時怪我したのか分からないが、ヴァンは治療を施そうと少女の前にかがむ。
「近づかないでっていったでしょう!」
噛み付いてくる少女を無視し、腰の道具袋から消毒液を出した。ついでに比較的綺麗な布も取る。消毒液をかけようと、足首に手を伸ばす。
「触らないで! 治療術くらい使えるわ!」
少女に手を弾かれた。そっちから触ってくるのはいいのだろうか。
「黙っていろ、傷に障るぞ。それに治療術では傷は治るが、殺菌まではしない。菌が入ったまま傷をふさぐだけだ」
ヴァンの言葉に、少女が口をつむぐ。その様子を見て、ヴァンはゆっくり傷口に液を流す。
「ん・・・・・・つっ」
「沁みるか、少し我慢してくれ」
なれた手つきで布を巻いていくヴァン。それをだまって見ている少女。その表情には先ほどまでの嫌悪感は感じられなくなっていた。
「よし、出来たぞ。立てるか?」
ヴァンの言葉に、少女はゆっくり立ち上がった。ヴァンもついで立つ。
「・・・・・・・・・・・・ありがとう」
本当にぼそっと、消え入るような声。ヴァンは今日何度目かの苦笑をして、少女から離れる。
「大丈夫みたいだな、それじゃあな」
「あ・・・・・・」
ヴァンは背を向け歩き出す。少女は何かを言いたげに手を伸ばすが、すぐに引っ込めた。
そして、じーっとヴァンの背中を見続けている。ヴァンは視線を感じながらも気にしないことにした。そのせいで、少女が何事かブツブツ言っているのに気づけなかった。
ここで、ヴァンは良くも悪くも純粋といえる。好意的に接すれば、悪意で返されることはないだろうと思っているくらいだ。もっとも、話が通じる人間に関して、という意味だが。
それゆえ、少女がまさかこんなことをしてくるとは、まったく持って微塵にも疑わなかったのである。
もっとも、背中からくる衝撃は、疑問を持つ前に意識が絶たれるほど、強力であったわけで。
つまり、眠るときいつの間にか眠ってしまうように、ヴァンの視界は突然暗転したわけで。
ここでヴァンの人生は、ある意味、第二の人生を迎えることになるわけで。
読んで頂きありがとうございます。
次話からようやくプロローグ以降です。