第百二十七話
鼻をつく異臭に甘い香りが混じった時、ラルウァの意識は完全に覚醒した。
硬い地面の感触を引き剥がし、視界を灰の大地で埋める。顔の横から地に垂れる黒髪が見えると、口から自然と息が漏れた。
膝を曲げて体を起こし、立ち上がろうと膝を起こす。途端、腹から焼け付くような熱がせり上がってきた。あまりの熱さに胸の皮服を握り締め、膝を地面に戻す。
喉にこもった熱を出そうと口を開けば、吐息に黒煙が混じっていた。どんどんと腹からのぼってくる熱が、やっと出口を見つけたと言わんばかりに口から飛び出そうとする。
ラルウァはすかさず出口を封じ、熱を口の中で転がした。腹にまだ熱が溜まっている感覚がする。次第にその熱も体の上へ上へと上っていき、口の中で一塊となった。
二、三度、熱の塊を舌で転がした後、首を少し後ろに傾けて勢い良く口から吐き出す。
ラルウァの口から真っ赤な塊が飛び出し、地面に音を立ててぶつかる。塊は炎が固まったような、奇妙な物だった。
真っ赤に燃えるそれは、ドロリと溶けてしまいそうなのに、形としてそこにある。もし触れることが出来るなら、柔らく硬いという微妙な感触を味わえることだろう。
燃え続けるそれを一瞥し、ラルウァは立ち上がった。視界が揺らぎ、頭痛がする。両腕が痛い。足もだ。肘も膝も胸も背中も首も、体の中ですら痛みが走っている。近くにあるもの全てを破壊すればこの痛みも治まるのではという考えが頭をよぎった。
ラルウァは懐かしむように目を閉じ、その衝動を感じる。そんなことはあるはずがない、そう首を振ってその考えを振り払えたとしても、しかし、また沸々と衝動が浮かんでくるだろう。
この衝動を、前に感じたのは何十年前だっただろうか。あの時は――――。
思考の沼に入る前に、再度甘い香りが鼻腔をくすぐった。目を開き、肺一杯にその香りを吸い込む。不思議と痛みが和らいでいく気がした。
優しい香りだ。まるで本人の心のように。
「・・・・・・ヴァン・・・・・・」
呟き、今度こそ立ち上がる。行かなければ。一歩を踏み出し、大地を踏む。
ズン、と大きな音が響き、地が揺れた。ラルウァは足を止め、怪訝な表情で下を向く。
いくらなんでも足音としては大きすぎる。衝動におされてつい力を入れすぎたか?
首を捻るラルウァの背後で、また、ズン、と音が響いた。いや、今度は二重三重に重なった、ズン、だった。僅かにずれのある不協和音のような鈍重な音。
最初に首を動かし、次に体を後ろに向ける。
目に入ったのは、大きくひしゃげた丸太が数本。視線を持ち上げると、沢山の丸太は目の前の生物たちの足だと分かった。
数日前に、仲間たちと戦った奴よりかなり小さいが、ラルウァはこの生物たちが何と言われているか知っている。
冒険者の多くは畏怖を持ち、力を持たない人間が出会えば死を意味し、他の魔獣を軽く凌駕する力を持つ。
竜種。
ラルウァの目の前には、丸太八本分の竜種が居た。
そこに大気を巨大な広い布で叩くような音が響く。見れば四匹の竜種の後ろで、一匹の竜が地面に降り立つところだった。ズンと音が鳴り、丸太は二本追加される。
改めて五匹の竜を眺めた。それぞれ体色が違うが、同じような姿をしている。丸太は足だと分かったが、腕が無い。
ほかの生物なら腕が生えているはずであろう部分からは、大きな布のようなの羽が伸びていた。
この竜種が、何と呼ばれているかも、ラルウァは知っている。
ワイバーン。
竜種の中で一番多いが、特別に弱いといわれている竜。だが、それは竜の中では、という話だ。
あるいは、一匹だけでも小さな村を滅ぼすことが出来るだろう。あるいは、並みの冒険者では十を超える数をもってしても倒せはしないだろう。
それが五匹も、ラルウァの目の前に居る。
頭に浮かんだのは、何故という疑問。
視線を自身の右下へと移す。その先には黒焦げた人とも狼とも取れぬ形をしたモノ。
ライカニクスとの闘いの気に当てられて、集まったのか?
鼻を動かして甘い香りを肺に入れる。
それとも、肌で感じられるほど強い魔力に惹かれて来たか?
頭だけを動かして軽く後ろに目をむける。
あまり考えられないが、ここに住み着いた異形に殺された同種の復讐?
うなり声を上げるワイバーンどもを見据え、唇をゆがめる。
もしくは、竜種に近づいた自分を、新入りが縄張りに入ったと勘違いして挨拶に来たか、だ。
ともあれ、もし自分がこいつらにやられてしまったら、血気盛んで縄張り意識が強いと言われているワイバーンのことだ、そのまま遺跡の中へと行き、自分たちの領域を争うとしている連中に牙を向くだろう。
ヴァンたちがこの程度の竜種に遅れを取るとは思えないが、運が悪いことに弟子とその仲間たちは今忙しいはずだ。
それに、エーピオスが竜種を狩っていたと言っていたのが気になる。もしかしたらテリオスは他の生物から何かしらの力を取り込めるのかもしれない。
この考えが正しければ、戦闘中、テリオスがこの五匹のワイバーンから何かを吸収し、力を強める危険がある。
どちらにせよ、こいつらを放っておくわけにはいかない。
ラルウァの四肢から激しい炎が立ち上る。それを合図に、ワイバーンがそれぞれ咆哮を大気に響かせた。
「・・・・・・今回は、守るものが自分の命だけではないな」
過去を思い出し、呟く。あの時は今より数は少なく、守るのは自分だけでよかった。
しかし、現在は違う。数は二匹多いし、守らなければならないのも増えた。
あの時拾った、可愛げの無かった顔を思い出し、苦笑する。
断言しよう。現在の俺なら、何でも出来る!
五匹合わせての咆哮より、猛々しい雄叫びを上げ、ラルウァは大地を蹴った。
白銀の光が目の前で一筋踊る。
それは対峙しているオートマータで、心を奪われた少女で、助けたい相手。
「く・・・・・・ッ!」
白の斬撃が目前に迫り、ウラカーンは自前の爪で何とか抑える。
幾度も襲い掛かってくる攻撃は一寸の躊躇も容赦が無いどころか、殺意すら乗っていない。決められたことしか出来ない人形、そのままだった。
「ぜやぁッ!」
左右から同時に来る魔剣を両手の爪の甲で押さえ、前蹴りを放つ。鈍い音を鳴らせてエーピオスの小さな体が後ろへ飛ぶ。
空中で体を捻る少女の姿が視界に写る。瞬間、右端に黒の風が入り込んできた。視線を移せば、それは友となった男のものだと分かり、そして、友はウラカーンに背を向けながら両手の巨剣を振り回している。
ヘリオスが剣を振るごとに破裂音が聞こえ、魔力が四散したであろう光の粒子が見えた。恐らく、ヘリオスという壁がなければ、向こう側には魔弾を大量に放つ黄色のフリルドレスを纏う少女が見えるはずだ。
「グラウクス、姉さんをッ!」
叫ばれ、ウラカーンは即座に振り向き奔る。次に視界に入ったのは、五つの僕を従わせ、赤いフリルドレスを纏った少女から逃げるセレーネだった。
赤いレースが縫われた真っ黒なドレスと真っ白な長い髪を靡かせ、セレーネは何度も跳ねる。激情の少女を正面から見据えて自らの後方に跳ね続ける。
「だっ、りゃあ!」
セレーネとドラステーリオスまでの距離半分を、ウラカーンは跳躍することで一気に縮めた。その間にも、セレーネの僕である魔球は激情の少女の打撃を八度受けている。
ウラカーンが右足を伸ばして飛び蹴りを放つ。しかし、その蹴りはセレーネのすぐ前の床を抉るという結果に終わる。外したことに何らかの言葉を思い描く前に、叩きつけた右足を軸にして後ろへ跳んだドラステーリオスを追いかけた。
同時に、セレーネはウラカーンが来た方向へ魔槍を撃った。魔力の槍は真っ直ぐに飛来し、ヘリオスを通り過ぎて今まさに走り出そうとしているエーピオスに到達する。
轟音を鳴らして魔槍は霧散し、その衝撃でエーピオスはヘリオスへ攻撃を仕掛けることが出来なかった。
「よくもエピをっ!」
甘い声を響かせてアペレースは標的をセレーネに変える。光り輝く巨大な円柱状の魔力の塊、その空洞を思い切り横に動かす。
「ヘン! デュオ! トリア! テッタラ!」
続けて叫ぶ。それに合わせて筒の空洞から魔弾が一つ、二つ、三つ、四つと飛び出した。
対し、セレーネは両手を上に上げ、振り下ろすように前に突き出しながら叫び返す。
「ディオ・ディス!」
セレーネの突き出された両手から魔矢が四本、一気に発射された。放たれた魔矢は射線上にある魔弾にぶつかり霧散する。魔弾も同じく、光の粒子となった。
四つの紅い瞳も例に漏れずぶつかり合う。だが、お互いの瞳はもちろん、消えることは無い。幼さのある紅い瞳が激突を拒否した時、セレーネはしかし、視線の先を追わなかった。
それを隙と見た魔族の女は右手を大きく振り上げる。瞬間、アペレースが抱える巨大な筒の真下、その灰岩石の床を魔槍がいくつも貫き現れた。
ガキン、と金属音を鳴らし、三の魔槍が巨筒を穿つ。
セレーネが振り上げた右手を握り締めた。あれは恐らく、アペレースの独自の魔術。遠くからでも感じられる力は、相当な魔力が詰まってることを意味している。それを壊すことが出来たのだ。無駄になった魔力はかなりのもののはず。
しかし、アペレースの唇は、歪んでいた。まるで悪戯に成功したかのような、そんな笑み。
セレーネがその笑みに怪訝な顔を作る前に、無邪気な少女は両腕を勢い良く左右に広げた。巨筒を掴んだまま。
パキン、と小気味良い音を鳴らし、巨大な筒が砕け散る。だが、アペレースの両手には光り輝く筒のようなものが握られたままだった。
長さは腰に抱えていたそれの半分しか無く、空洞も二回りほど小さい。それでも、セレーネはその二つの筒が先ほどの巨大な筒と同じようなものだと分かった。その二つの小さな筒からも、一部分から棒状のものが突き出ており、アペレースがそれを握っていたからだ。
「ありがと、セレーネお姉さま」
言うや否や、無邪気な少女は左手の小さな筒をセレーネに向ける。同時に右手に握る筒もウラカーンに向けた。
「スフェラ」
続けて声を発する。そして、二つの小さな筒からも魔弾が発せられる。
「なっ・・・・・・」
セレーネの顔に驚愕の色が現れた。それは、何も両手で別々の方向に魔術を行使したことによるものではない。
一発ずつ発射される魔弾が、次々に飛び出してきたからだ。六発目、七発目、八発目、九発目・・・・・・。いや、両手を合わせれば十八発目だろうか。どちらにしても驚きを禁じえない。
元々、『連射』という形象ならば特に難しいことではない。だが、正確にはそれは『連射』ではないのだ。
最初に『何発撃つか』または『何発撃てるか』を決めなければなならいのだから。先に『全ての形象を終える』必要があるのだ。魔術はその『完成された形象を行使する』というもの。それは魔族も人間も関係が無い。
セレーネやアリアも、十の魔矢を放ちたいなら、『十の魔矢』の形象を行わなければならない。そして、十本の魔矢を撃ち終えた後、さらに十本放ちたいのなら再度『十の魔矢の魔術』を形象するのだ。 にも関わらず、アペレースは絶え間なくその筒から魔弾を発射し続けている。言うなれば無呼吸で常に全力疾走しているようなものだ。
最初に『二十の魔弾』を形象した、というのも考えられない。もうすでに、あの二つの筒の魔術を行使しているからだ。もし魔弾を生成するなら、あの小さな二つの筒も一度消し、また一から形象しなければならないはず。そうしなければ新たに魔術を行使できない。
セレーネの思考は、目の前まで迫ってきた大量の魔弾によって中断させられた。
自分は良い。だけど、ウラカーンはドラステーリオスに意識が向けられているはず。目の前の魔弾と同数の魔弾を避けられるはずが無い。
一瞬で判断し、横へ大きく跳ぶ。視線はウラカーンへ向かう十の魔弾。視界の端でドラステーリオスがウラカーンから、否、魔弾の射線から逃れようと自らの後ろへ跳んだのが見える。あのおバカさんは魔弾に気づいていない・・・・・・!
右手で床を叩き回転、ドレススカートが地面を擦るが気にしている場合ではない。そのまま膝立ちになり左手をウラカーンと魔弾の間の空間に向けて突き出した。
「スクローレン・カタッラクテース!」
そこでウラカーンは魔弾に気づく。目を多少見開かせ、舌打ちと共に跳ぼうとするが、避けるには距離が足りないだろう。
そして、ウラカーンが再度目を見開かせた。目前で魔弾を遮るように、真っ白に輝く滝が現れたのだ。否、現れたというより、何も無い空間から流れ出した、というべきか。
ともかく、その滝に魔弾は吸い込まれ、結果としてウラカーンに魔力の衝撃を味合わせることは無かった。小さく息を吐く。
呆然としながらも半獣がこちらに目を向け、三度、目を大きく開かせた。
その反応にセレーネも面くらい、
「セレーネお姉さま、余所見はだぁめ」
聞こえてきた声に、愕然としながらも視線を前に戻す。そこには、自身の前に着地しようとする、両手の筒をこちらに二つとも向けた、無邪気な少女の姿があった。
速すぎる。
まさか、あの巨大な筒が小さくなったことで動きやすくなったとでも言うのか。
二つの小さな空洞に光が集まる。
防御の魔術を、駄目、他のを使っている。まずはそれを解除してから、それから再形象、間に合わない。なら手を魔弾の前に、いけない、魔装を纏ってない、手ごと弾かれて、なら、どうやって、駄目、駄目、間に合わない。
光が一際大きく輝く。思わずセレーネは目を閉じかける。刹那。
アペレースの腹に巨剣が添えられた。
「はぁぁぁッ!!」
気合の声、ヘリオスが巨剣を振り上げて黄のフリルドレスに包まれた小さな体を投げ飛ばす。アペレースはそのまま天井に激突した。轟音が鳴る。
アペレースの代わりに水色のフリルドレスが視界に入った。それが剣を構えながら飛び上がったエーピオスだということが分かったのは一瞬だった。
ヘリオスはあのオートマータとの剣戟中に、自分を救ってくれたのだろう。その代償がこの、隙。
即座に行使中の魔術の形象をかき消し、弟に代わって迎撃を。しかし、目の前にはヘリオスが。魔術が使えない。
「や、っめろ!」
叫び声を率いたウラカーンが、飛び蹴りをエーピオスのわき腹に叩き付けた。横からの衝撃に水色のフリルドレスが吹き飛ばされる。
「グラウクス、左だッ!」
しかし、そこで終わりではなかった。激情の少女が宙に浮くウラカーンのすぐ側に現れ、
「オレを無視するたァ、良い度胸だゼッ!」
怒声と共に半獣の頭を蹴り飛ばす。ウラカーンが凄まじい速度でセレーネとヘリオスに向かってきた。
二人はその衝撃を流すつもりも無く、受け止める。ぶつかった痛みが顔をしかめさせた。
「ぐっ・・・・・・あっ!?」
ウラカーンが頭を振りながら、顔を上げる。合わせて声も上げた。セレーネとヘリオスも反射的に視線を上げていた。
目に入ってきたのは、激突した天井から落下しながら、二つの筒の空洞をこちらに向けているアペレース。
少女は少しだけ埃っぽくなった姿で、きゅっと唇を閉め、そして開いた。
「――――ポリヴォロン・キーリア」
二つの空洞から、一気に魔力が放出される。魔力は大量の光線となり、アペレースを中心にして真っ直ぐ正面に、しかし方向はバラバラに飛ぶ。大気を切り裂く音を響かせながら、飛ぶ。
眼前まで迫って、セレーネは気づいた。これは一つ一つは魔弾なのだと。それが大量に並び、まるで一筋の光線のようになっているのだと。
「・・・・・・クソ」
セレーネは、激しい金切音で耳が埋まる前に、弟の吐き捨てるような声が聞こえた気がした。そして、光が目の前を真っ白に塗りつぶす前に、巨剣が一瞬だけ視界を占領した。
いつの間にか、光と、轟音と、激痛は去っていた。セレーネはゆっくり目を開け、砕けた床の欠片を見つめた。
「う・・・・・・く・・・・・・」
ゆっくりと起き上がる。いや、起き上がろうとした。だが、出来なかった。去っていったはずの激痛が、また体中を襲ったのも理由になるが、それ以前に、体に何か重いものが圧し掛かっていたからだ。
何とか体をずらして、上体だけを持ち上げる。同時に、ずるりと重いものが体の両端から落ちた。
「ヘリ、オス・・・・・・」
セレーネは左下に落ちた重いものを見た。黒い皮服は所々千切れ、そこから見える肌は赤く染まっている。
「ウラカーン・・・・・・」
セレーネは右下に落ちた重いものを見た。自前の爪は数本折れ、ヘラヘラな笑顔を見せてくれた顔は眠っているように見える。
呆然とする魔族の女は、そんな仲間の姿を見たくないとばかりに、視線を前に移した。
その先に居たのは、三体のオートマータ。両手に剣を持つ水色のフリルドレスを真ん中に、黄と赤が左右に佇んでいた。思ったより離れた位置に居たが、それでも彼女たちの顔まで見ることが出来る。
エーピオスは変わらず無表情だった。瞳には光の欠片すらない。だが、左右の二人には陰が見えた。まるで、戸惑いと後悔と悲しみが混ざったような、そんな顔。
ざわり、と体が総毛立つの感じた。頭にあるのは疑問か、心にあるのは怒りか、体中を渦巻くのは憎しみか。
セレーネは自身ですら分からない感情に戸惑いを感じた。しかし、躊躇いは無かった。
二人をここまで傷つけ、そんな顔をするなら、何故信じてくれなかったのか。何故、助けたいという想いを信じてくれなかったのか。何故、エーピオスが言った事を信じてくれなかったのか。
何故、自分たちの心を、信じてくれなかったのか。
「・・・・・・もう、いいです」
セレーネの口から言葉が漏れた。そんなことは言いたくなかった。だけど、出てしまった。
「もう、許しません。ヘリオスを、ウラカーンを、私の大切な人たちをここまで傷つけて・・・・・・私の大切なアリスの言葉を拒絶して・・・・・・」
アペレースとドラステーリオスの、表情が、泣きそうなものになっているのに。
ゆっくりと立ち上がる。体の痛みは、肉体からの制止の声は、ただ怒りを湧き上がらせるだけだった。
「・・・・・・私は、アリスのように優しくありません、よ?」
魔力を増やす。マナを吸い込む。沢山、沢山、沢山。アレを使うために。
あぁ、もし、もしこのあと。アリスは私を怒るだろうか。いや、恨むかもしれない。もしかしたら、大嫌いだと言われてしまうかもしれない。もう二度と口を利いてくれないかもしれない。
でも、もう抑えられない。だって、私は怒ってしまったのだから。ヘリオス、起きて。ヘリオス、はやく起きて。私を止めて。いえ、やっぱり眠ってなさい。全てが終わるまで、眠っていなさい。あなたが次に起きたときは、きっと、居ないかもしれないけれど。
壊さなきゃ。大切なものを奪う人を壊さなきゃ。
「バ、ババァ、てめェ、な、にをする気だ?」
「エ、エピ」
「・・・・・・・・・・・・」
ふふっ、心があると、大変でしょう? 怖いっていうのも感じなきゃいけないんですから。
「・・・・・・テアー」
紡ぐ。
しかし、それが、今は最後まで紡がれることは無かった。
「だめ、だ。姉さん」
セレーネを正面から見据える、真っ赤な瞳。
「ヘリオス・・・・・・?」
「そ、そーそー、それはちょっと、お仕置きには厳しすぎる、ってー」
次いで、隣から間延びした声が聞こえてきた。見れば、やっぱり、ヘラヘラとした笑い顔。
「ウラカーン」
二人は今にも崩れそうになる体を腕で押さえ、立っている。一瞬呆けていたセレーネは、思わず叫んでいた。
「何を、二人とも! いけません、あとは私に任せて、休んで」
「だーかーらー、セっちゃんに任せたらどギツいお仕置きになっちゃうでしょー?」
遮って笑うウラカーンの足元、砕けた床に血が流れ込んでいく。
「でも、こんなに血がっ!」
「僕達三人で、あの子達を助けないと」
微笑むヘリオスも、体中から流れる血で出来た赤い泉に床の欠片を浸させていた。自身の傷などお構いなしに、振り返って三姉妹を見やる。
唯一エーピオスだけが何の思いもない瞳でこちらを見つめていた。
「少しは、頭冷えたか」
「なに、言って、おにいちゃん、血、沢山出てるよ? なんで、なんでまだ立つの? どうしてわたしたちをそんな目で見るのっ!? なんで本気じゃないの!!」
頭を振って嫌々をするように叫ぶアペレース。両手に持つ筒はいつの間にか消えていて、右手は側に立つエーピオスの左腕を握っている。
「そりゃ君らを助けたいからねー」
「ざけんな・・・・・・ざけンなッ! オレらを助けるだ? 助かってねーんだよ! 一番、一番大事ンなのが助かってねーんだよッ!」
ウラカーンの言葉に怒声を返し、ドラステーリオスもエーピオスの腕を掴む。両端から腕を掴まれたオートマータは、魔剣を消さず、立っている。
「だ、そうだ。エーピオス。お前をこんなに大事に思ってる妹が二人もいるんだぞ」
ヘリオスが光の無い瞳を真っ直ぐ睨む。
「そうだよー。だからさぁ・・・・・・いつまでも寝てないで、さっさと起きろこのバカッ!!」
ヘラヘラの笑みが消えたその叫びは、あまりにも悲痛で、少女たちの胸すら締め付ける。
そして、その悲しみは、しっかりと。
「・・・・・・・・・・・・ァ・・・・・・」
それは、とても小さなものだったかもしれない。でも、その場に居る誰もが、待ち望んだものだった。
大好きな姉を、二人の妹が見る。やっぱり瞳に光は無い。
「おねえ・・・・・・ちゃん?」
「エピ・・・・・・?」
恐る恐る、声を落とす。震えて今にも消えてしまいそうなほどか細い声。
だが、返ってきたのは無情なものだった。
「・・・・・・モンダイ、ナシ。ゲイゲキ、ゾッコウ。ハイジョ、サイカイ」
目に見えて二人の表情に陰が入る。一筋の雫が頬を伝う。
側に立つヘリオスとウラカーンも痛みに耐えるような顔で歯を食いしばっていた。セレーネも、一度はあきらめたセレーネも俯く。
「・・・・・・あ」
甘い香りが鼻を擽った。
弟も、半獣も、無邪気な少女も、激情の少女も――心を失った少女にも、この香りは届いているのだろう。
目を閉じれば見える。この香りの持ち主が。大切な妹が。
あきらめていない。まだ、まだ頑張ってる。
「・・・・・・姉である私が、そうそうにあきらめるなんて、駄目ですよね」
呟き、三人に目を向けた。
「分かりますか、この甘い・・・・・・優しい香りが。アリスはあきらめていません。自分のために、私たちのために、今まで出会ってきた人たちのために・・・・・・そして、あなたたちの、ために」
甘い香りが肺に入れば、不思議と疲れが癒えていく気がする。体を蝕んでいた激痛も、もうほとんどなくなってきている。
「だから、私も・・・・・・もう、あきらめません。絶対に、あなたたちを助けてみせます。一緒に笑いあうことが出来る、そのときになるまで」
「うそだ、うそだっ。そんなこといって、パパを殺す気なんでしょ!? この、この匂いだって、おねえさまはパパを殺そうと・・・・・・!」
「アリスは、テリオスを倒すといっていた。でも、殺すわけじゃない。救うために、止めるんだ」
「それがエーピオスとした約束だしねー」
アペレースの言葉を遮って、ヘリオスとウラカーンも一歩を踏み出す。もう腕で体を支えていることはしていなくて、恐らく、セレーネと同じように痛みが消えていっているのだろう。
「ですから・・・・・・一緒に、頑張りましょう? 大好きな人たちと、居られるように」
右手を差し出しながら、自然と頬が緩んだ。
怖がるように、無邪気な少女が姉にくっつく。激情の少女は困惑の表情で二人より少し前に出た。だが、少女二人の視線は姉に向けられている。
短い、沈黙。
お願い。頼む。目を覚ませ。一緒に、また、笑って。
誰も口には出さなかったが、皆の想いが集中する。光を全くうつさない、その真っ赤な瞳に。
そして、赤い瞳が一瞬だけ、揺れた。
「――――ワ、タシ、ハ――――」
皆の想いが、感情が、心が、希望に変わる。
刹那。
遺跡の最奥が、破壊された。
轟音を鳴らして壁を砕き、地響きを従えて天井を叩き落し、異形の叫び声を発しながら、
ソレは姿を現した。
読んでいただきありがとうございます。
ご都合主義?コヅツミが崇める神はデウスエクスマキナですので問題ありません。うそですごめんなさい。
それはさておき、最終更新日から11日がたってしまってましたね。お待たせしてしまいました・・・。
しかもまた長いしっ。一万字こえましたよ!クライマックス周辺のラストスパートは区切りがつけにくくてこまっちゃうなぁったのしいなぁっ。
・・・えー、こほん。こんなコヅツミですが、どうか最後までお付き合いくださいまし。ではではー。