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第百二十六話

 手を伸ばしたつもりでも、腕に絡みつく触手に妨げられる。

 大切な、仲間。大切な人に、危機が迫っているのに、声を荒げるしか出来ない。


 守りたい。


 頭の中が一色に染まる。


 絶対に、守ってみせる!


 それは決意に変わり、瞬間、外気に晒されたような感覚を得た。同時に自分の周囲で何かが溢れかえる。

 すぐ近くでテリオスの驚愕の声が聞こえた。聞こえただけで、何と言っているのかは分からない。それを気にしている余裕も無い。

 炎と魔矢を纏う凶矢と、アリスとフランの間を見据え、

「守れぇっ! アミュンテーコォォン!!」

 叫ぶ。自然と口から飛び出た言葉を、叫ぶ。


「えっ!?」

「こ、これはっ?」

 炎が眼前に迫っている二人から出た声は、痛みからのもでも、恐怖からのものでもなく、戸惑いと驚きによるものだった。

 ヴァンの怒声を合図に、アリアとフランを守るように、楕円形の輝く壁が現れたからだ。

 狂炎が障壁に直撃する。守られている二人は直後に起こるだろう爆発を頭に描き、思わず腕で顔をかばった。

 しかし、アリアたちの予想は大きく外れる。

 狂炎は障壁に当たり、粒子となって霧散していったのだ。結局、狂炎は二人に少しの熱も与えることなく、消え去ってしまった。

 呆然とするアリアとフラン。その視線は触手に絡まれたヴァンへと向かっている。視界の端にはテリオスの驚きの表情も見えていた。

 三人の視線を一身に受けているヴァンも、同じく呆けた顔。だが、真っ赤な瞳が追うのは、何も見えない空間。

「ん・・・・・・なんじゃ、この、甘い匂いは」

 我に返ったフランが呟く。その言葉を聞き、アリアも鼻を動かした。

 とてつもないほどの甘い香り。目の前の障壁が出しているのかとも思ったが、香りは障壁が出る前から突然匂ってきたような気もする。

「これは、アリス、そなたの」

 声のしたほうに視線を向けた。テリオスは未だ驚愕の色を流していない。否、少しだけ違う色が混ざっている。

 予想していなかった何かに対する、戸惑い。

 何も無い空間を見ていたヴァンが、ゆっくりとテリオスを見やり、微笑んだ。紅い瞳を小さく細め、唇を舌で舐めるように、妖艶に微笑んだ。異形が息を呑む。

 今はそんな時ではない、とアリアは分かっていたが、その艶美な微笑みに心臓は勝手に高鳴ってしまった。

 


 ヴァンは目の前の光景に呆然とした。

 アリアとフランの前に現れて二人を守った障壁に、ではない。

 この部屋の変化に、だ。

 目に意識を集め、集中すればするほどにその変化がよく分かる。

 自分から湧き出る魔力が部屋中に広がり、全てのマナを自分の色に変えていっている。視線を落とし、自らに絡みつく触手を見た。

 触手にも、いや、触手だけではない。テリオスの体全体を黒い膜のようなものが覆っている。

 それが意味することは何か。

 ゆっくりと自分を捕らえている者に視線を向けた。目に映るのは驚きと予想外のことに対する戸惑いの表情。

 少しの優越感と、反撃の好機に、ヴァンは自分の唇が自然と広がるのを感じた。


「はぁぁっ!」

 全身から魔力を放出する。テリオスは目を見開かせるが、すぐに鋭いものへ変えて触手を蠢かせた。

 ヴァンは確信する。今なら見える。

 放出している魔力を、テリオスを覆う黒い膜が包み込むように動いていた。テリオスは自身に当たる魔力をこの膜で、文字通り自分の色に染めて吸収していたのだ。

 でも、もう効かない。

 ヴァンは自分の色に染めた空気中のマナで体を包み、触手ごと黒い膜を体から弾き飛ばす。

 自由になった体を捻り、触手を数本掴み引っ張る。

「りゃっ!」

 そのまま左足を横に振り、脹脛(ふくらはぎ)から魔力を放出する形象(イメージ)

 驚きを隠さないテリオスの顔目掛けて、振りぬいた。

 鈍重な音を響かせ、色白な細い脛と過去整っていたはずの顔が激突する。テリオスの頭は大きく後ろへ引っ張られるが、異形の体が動くことは無い。

 ヴァンは宙で余分に二回回転し、右足で異形を蹴り押す。黒のフリルドレスを纏う身体が高く舞い上がり、大気を振り払うように踊った。

 アリアとフランの前に浮かぶ障壁、それのさらに前に、白銀の長髪が降り立つ。

 障壁を背もたれに出来る近さで立つヴァンは、軽く握った左手の甲ですぐ後ろの背もたれをたたいた。障壁が瞬く間に小さくなり、消える。

 障壁が消えた後も、甘い香りはアリアたちの鼻をくすぐっていた。

「ちょ、ちょっと、ヴァン、今の何? それに、この匂いって・・・・・・」

 警戒しながら尋ねるアリア。視線の先にはヴァンに蹴られた時に仰け反った頭をそのままにしているテリオスがいた。

「今の障壁は俺が吸収した秘宝の一つ。『アミュンテーコンの腕輪』の力だ」

 変質した、な。と続けるヴァン。

 アリアとフランは記憶を掘り起こす。ヴァンがその名を持つ秘宝を吸収した日のことをだ。

 確かにあの時、ヴァンは自分の全身を魔力の膜で覆う力と、意識の届く場所なら障壁が出せる力を得たと言った。しかし、その二つがどういった効果をもたらすかは分からない、とも言った。

 障壁の力が、今、明かされたのだ。

「それが今の障壁じゃとして・・・・・・この甘い匂いは」

「『フォカーテの香水』、か」

 フランの言葉を遮って、首を仰け反らせたままのテリオスが呟く。徐々に首を真っ直ぐに戻し、グチグチと奇妙な音を鳴らした。

「アミュンテーコンの腕輪、それが変質した力は分かっていた。だが、まさかそれを使ってフォカーテの香水の力を隠すとはな。さすがだ、アリス」

「別に隠していたわけじゃない。俺を覆う蓋が開けて、フォカーテの力が溢れただけだ」

 ヴァンはもう理解していた。先ほどの久しぶりに外気に触れたような感覚。それを感じたのは『変質したフォカーテの香水』の力を抑えていた『変質したアミュンテーコンの腕輪』の加護がなくなったためだと。

 ヴァンは理解できた。『変質したフォカーテの香水』の力を。

 変質した力は自分の居場所を他に教えるというわけではない。その効果自体は、元々『フォカーテの香水』にあったからだ――もっとも、その効力のほどは比べ物にならないが――。

 では、本当の、『変質した力』は何だったのか?

 ヴァンは見る。何も無い空間を。

 否、自身の魔力となった、大気に(ひしめ)く大量のマナを。

「フォカーテの香水の、その甘い香り。それが届く範囲全てのマナを自身の魔力と同義にすることが出来るとは。素晴らしい、アリス、やはりそなたは素晴らしい」

 背後でアリアとフランが驚いているのが気配で分かる。

 そう、それが『変質したフォカーテの香水』の力。正確には、ヴァンから発せられる魔力が周囲に伝播していき、魔力に触れたマナが端からヴァンの魔力となっていっているのだ。ヴァン以外には、それが甘い香りとして認識されているだけ。

 すなわち、今この部屋の全てのマナは、ヴァンの魔力ということ。

「だが」

 テリオスが触手を数本、床に叩きつける。

「そこな毒を助けたのはいただけんな。フォカーテの香水が私の吸収する力と同じようなものだったから良かったものを。そなたを守っているアミュンテーコンの膜を解除すれば、私に全ての魔力を吸い尽くされるところであったのだぞ? それが分からぬ君ではあるまい?」

「そうだな。だけど、自分が危ないからって、二人が傷つくのを黙ってみていられるか」

 ヴァンが睨み返す。

「どういうことじゃ?」

 二人の言葉の応酬の意味が分からず、フランが首をかしげた。そんなハーフエルフに、金髪の魔女が答える。

「・・・・・・あの変態の体に触れた魔力は、かたっぱしからあいつの魔力になっちゃう。その体にヴァンが触れても平気だったのは、アミュンテーコンの変質した力があったから。だから、その力を解いてしまえば・・・・・・」

 アリアの表情にはわずかに怒気の色が含まれていた。

「なるほどのぅ、そういうことかえ」

 納得するフランも、呆れが大半を占めるがそれでも少し怒っているのが分かる。

 アリアがヴァンの小さな背中を見つめながら、口を開いた。

「ヴァン、今度そんなことしたら、何でも言うこと聞いてもらう権を増やさせてもらうからね」

「・・・・・・・・・・・・色々と言いたい事はあるが、すでに持っている風なのはどういうことだ?」

「まぁそれはおいといて、じゃ。この部屋全てがヴァンの魔力ならば、おぬしの反則技はもう使えんということじゃな?」

 犬歯を覗かせて、フランがテリオスを睨む。

 異形は何も答えない。が、先のヴァンの魔力放出と、それに次いで蹴りまで食らっているのだから、フランの言葉は正解だった。

 テリオスが一歩前に踏み出す。遅れて大量の触手がずるりと動いた。

「・・・・・・アリス、愛しいアリス。そうまでしてそこな毒を守りたいと言うのか?」

「少なくとも、お前がアリアを毒と言う間は、絶対にな」

 即座にそう返すヴァンを、後ろからアリアが潤む瞳で、正面からはテリオスが悲しげな目で見る。

 テリオスは頭から伸びる角を左右に動かした。

「手荒な真似は、もうしたくはなかったが・・・・・・仕方が無い。愛しいアリス、そなたには少々眠ってもらうとしよう」

 異形の触手が激しく動き出す。肩から突き出た甲殻がメキメキと音を立てる。黒い霧が大気を侵していく。

 ヴァンが四肢に宿る透明の炎を揺らめかせて構えを取った。

「お断りだ。お前の子守唄じゃ、安眠できそうにない」

 後ろのアリアも、両手を広げて身体中から火の粉を撒き散らせる。

「だから、代わりにあんたに眠りを贈ってあげる。永眠っていうやつをねっ」

 傍に立つフランがリャルトーの弓を左手の中で一回転させ、テリオスに向かって突きつけた。

「遠慮せず受け取るんじゃぞ?」

 ヴァンが膝を落として両足に力を込め、アリアが両手に炎塊を出現させ、フランが魔矢を秘宝に添える。

「行くぞッ!」

 目の前の異形を見据えながら、ヴァンは叫び、疾走した。


 テリオスとの距離は一瞬でなくなる。自身の魔力放出に加え、大気中のマナでさらに自分の体を押し出す。その速度は今までのヴァンとは比べ物にならない。

 しかし、速くなれば良いというものでもなかった。

 また部屋中に鈍重な音が響く。音の原因は、ヴァンがテリオスの腹部――と思われる部分に――体ごとぶつかったからだ。

「ぐ・・・・・・」

 うめき声をもらしたのは、ヴァンのほう。自分で停止できないことに気づいた瞬間、腕を顔の前で交差させたので、頭から突っ込むということは無かった。

 それでも痛みに声を出したのは、魔力に包まれた両腕が骨をきしませたからだ。

 テリオスの体は恐ろしいほど硬かった。生物であるのを疑うほど、硬い。まるで頑丈に作られた城壁を魔装を纏わずに叩いたかのようだ。

 わずかに顔を上げる。目に移るのはテリオスの信じられないといった表情。それほどまでに、ヴァンが速かったのだ。

 異形は今一度目を鋭いものに変え、ヴァンを抱きしめるように触手を動かす。それより速く、ヴァンは跳躍した。無論、周囲のマナも惜しげもなく使いながら。

 今度は何かを砕く轟音。気づけばテリオスの前にヴァンは居なかった。反射的にテリオスは上を向く。

 飛び上がったヴァンは空中で体を捻っている。予想以上に高く飛び上がれたのか、体勢を崩しているような格好だった。

 テリオスは触手の先端を上に向け、素早く伸ばす。先ほどヴァンからの攻撃を防いでいたときと違い、かなりの速さだ。

「フレイムアロー!」

「『スコルピオス』!」

 その触手に向けて、アリアとフランがそれぞれ矢を射る。咄嗟に撃ってしまった二人の顔に不安がよぎった。

 先はフランが自分たちの攻撃は有効になったのだと言ったが、確信を持っていたわけではない。言動においても優位に立てればという、どちらかといえば威嚇に近い。

 しかし、二人の不安は杞憂に終わった。


 数本の炎矢と魔矢は、ヴァンに迫る触手をことごとく撃ち落したのだ。ある触手は魔力による爆発によって破裂し、ある触手は燃え盛る炎矢に貫かれて灰となる。

 ヴァンは自分に迫る触手が無くなると、上下逆になるように体を捻り何も無い空間を蹴った。黒のフリルドレスに包まれた体がアリアとフランの前に着地する。

「助かった。加減が分からなかったから」

「もう平気ね?」

「あぁ。二人とも、魔力はいくらでも使ってくれ。俺が大気中のマナを二人に絶え間なく注ぐ」

「ほっ、それはまた豪気じゃなっ!」

 フランの嬉しそうな声を背に、ヴァンはまた駆ける。

 後方から、奔るヴァンを追い抜いて二種の矢がテリオスに向かう。テリオスはそれらの矢を、再生させたのかまた大量の触手を持って弾き落とした。

 直進ではあの触手に阻まれてしまう。

 ヴァンは左足から魔力を放出、さらにマナに体を押させる。斜め前に跳び、大気中のマナで自分を押し返すように一瞬で停止。そのまま右足から魔力放出、またマナも使う。

 それを繰り返し、ヴァンは文字通り縦横無尽に跳び回りながら異形との距離を無くしていく。その際、アリアとフランが放つ魔矢の軌道を大気のマナの動きで感知し、当たらぬように魔矢同士の間に入る。

 結果、ヴァンは大量の魔矢を隠れ蓑にしているようだった。故に、テリオスは目の前にヴァンが現れるまで、ヴァンの姿をはっきりと見ることが出来なかった。

「はっ!!」

 気合を発してヴァンが異形のわき腹、と思われる部分に右拳を叩きつける。テリオスの頑強さは先ほどぶつかったときに分かっている。自らの魔装とテリオスの体の間に、大気中のマナを集めて自分に来る衝撃を緩和させた。

 拳を当てている異形が僅かに動き、頭上から呻き声が聞こえる。

「やっ、はっ、たっ!」

 さらにヴァンは左拳を当て、右蹴りを放ち、左の膝をテリオスの顎に直撃させた。打撃を加えるヴァンの体はまるで浮いているように徐々に上へと上がっていく。マナで体を持ち上げているのだ。

「ぬぅ」

 顎を打ち上げられた状態のまま、テリオスが両手の触手をヴァンに向かわせる。だが、その触手は十を軽く凌駕する魔矢によって、引きちぎられていった。

「はあっ!」

 マナの流れが読めるようになったヴァンに、その魔矢は既知。左右の触手を意に介さず、右足でテリオスの顎をさらに蹴り上げる。くるんと縦に一回転し、そのまま地に降りずテリオスに体全体で向き合い、さらに右足の横蹴りを異形の頭の側面に叩きつけた。

 蹴りの勢いを殺さず、横に右回転しながら弧を描くように後ろへと飛んでいく。

 テリオスがヴァンの蹴りによって変えられた視線を前に戻した、瞬間、視界が炎一色に染まる。異形より遥かに大きな超大火球は、轟音と共にテリオスを飲み込んだ。

「『バライナ』ァァ!!」

 轟音に負けないほどの声量でフランが叫ぶ。手に持つ秘宝から、超大火球と同程度の、否、さらに大きな魔矢が飛び出す。極大魔矢は火球に後ろから深々と突き刺さり、魔力の爆発を起こした。

 魔力の爆発はつまり、超大火球が破裂するということ。

 極大の魔力と合わさった轟炎はテリオスどころかアリアとフランにまで迫ってきた。

「ちょ、ちょっとフラン! やりすぎよ!」

「ふむぅ。わしもそう思っておったところじゃ」

 慌てるアリアと腕を組むフランの前に、ヴァンが体を丸めて三度降り立つ。ゆっくり立ち上がり、二人を守るように轟炎に向き合った。

 ヴァンが目を開かせたと同時に、アリアとフランの鼻をくすぐる甘い香りが存在感を増す。 

 次の瞬間、二人はヴァンと違う意味で目を見開かせた。こちらに向かっていた轟炎が反転ことによって。

 轟炎は揺らめきをとめることなく、いや、さらに激しさを増やして三人から離れていく。しかも、左右にばらけた炎も、一箇所に書き集まっていく。それまるで意思を持っているかのようだった。

 しかし、それは違う。もっと大きな波に覆いかぶさられ、さらわれ、包まれたのだ。ヴァンが操る大気中のマナという、強大な波に。


「・・・・・・つっ、はぁっ・・・・・・」

 突然ヴァンが額を押さえてよろめく。

「ヴァンっ」

 即座にアリアが体を支え、心配そうに顔を覗き込んだ。

「大丈夫?」

「あ、あぁ。大量にマナを動かしたから・・・・・・少し頭痛がしただけだ」

 そんな二人の声を聞きながら、フランは一箇所で燃え上がっている『濃い』炎を見つめた。ヴァンの操るマナで無理矢理一箇所に纏められた膨大な魔力。それで出来た炎。

 本来なら爆発によって周囲を破壊し、蹂躙し、そして塵と消えるはずだった力。それが全てテリオスという異形を包み込んでいるのだ。ただの炎ではない、とてつもないほどの力があそこに集まっているはずだ。

 さすがのテリオスもあれだけの魔力の中では、いくら秘宝を吸収して頑丈になっていようとも、ただではすまないだろう。

 フランは思わず、大きく長いため息をつく。だが、気の抜けた体に再び緊張が走るのは、すぐだった。

 すぐ傍でヴァンが息を呑む。何故か、理由など考える余地も無い。

「・・・・・・頑丈にも・・・・・・ほどがある」

 近くでささやく甘い声には、苦渋が多分に含まれていた。

「そんな・・・・・・あれだけ喰らって・・・・・・」

 アリアの愕然とした声も聞こえる。

「化け物め・・・・・・ッ」

 この言葉を吐き捨てるのも、もう何度目か。フランは覚えていない。

 三人の視線の先、轟炎の中から異形が歩み出る。蠢く触手は生えた先から焼け落ち、肩から突き出た甲殻は今や爛れて鋭さは無い。過去端正だった顔には大きな火傷が見えるが、皮膚が落ちた先から新しい皮膚が出来、そしてそれもまた焼け爛れる。

 テリオスは轟炎の中、自らが焼けることも気にせず佇んでいた。

「・・・・・・アリス、愛しいアリス」

 燃え上がる炎音に混じって、枯れたような潰れたような音が流れてくる。


「そなたは、私を殺したいのか?」

 しゃがれた獣の遠吠えによく似た声。

 問われ、ヴァンはすぐに答えることができなかった。確かに今の攻撃は普通なら絶命するだろう。

 しかし、今のテリオスなら秘宝を破壊される程度で収まると思っていた。それに、もしテリオスの魔力が小さくなっていけば、すぐにでも大気中のマナと同化させ、炎を魔力に、魔力をマナにするつもりだった。

 もっとも、結局テリオスの力は少しも衰えなかったのだが。

「殺さない。けど、お前は絶対に倒す」

 自分たちの周囲にマナが集まるよう動かしながら、ヴァンは答えた。

 そうだ。殺したいわけではない。戦う力を殺ぐことが出来ればいい。つまり、『倒す』事が出来ればいいのだ。ゆっくり話し合えることが出来れば、何とかなるはずだ。

 だが、テリオスはヴァンから受けた答えを、愚かな優しさを理解しなかった。

「何が違う。何が違う? 倒すということは殺すということだ。そうだ、倒したいということは殺したいということだ。アリスが私を殺す? 殺したい? アリスは私を殺したい?」

 ぶつぶつと呟く。

「何故殺したい? 長年放っておいたからか? 人形を一つ壊したからか? 獣のせいか? 毒のせいか? 私が完全ではないからか? アリスが力を得たからか?」

 そこでテリオスの声がぴたりと止む。炎はまだ燃え上がったままだ。

 皮膚の爛れた顔をヴァンに向け、唇を歪ませた。


「・・・・・・そうか。分かった。私に力が足りぬからだな? そなたを手に入れるほどの力をもってはおらぬからだな? あぁ、だから完全になるまで待てばよかったのだあの人形が勝手なことをするからかいやそこな毒もいらぬことばかり愛しいアリスによからぬことをふきこんでたばかって邪魔だ邪魔だ邪魔だ全て邪魔だ私はアリスがほしいのだなぜ邪魔をするアリスが欲しいのだ欲しい欲しいアリスが手に入れられる力が欲しいそれならアリスが手に入るほしいほしいアリスがほしい力がほしいほしいほしいちからチカラ力ほしいもっとちからをもっとチカラをもっと力を」


 肉の裂ける音に、骨のきしむ音に、変わる音に、何より暗い声にヴァンの背筋が凍っていく。目の前で変わっていくことを止めなければ行けないのに指すら動かすことが出来ない。

 なんだこれは。頭が現実についていかない。

 異形の骨が肉を貫き、肉は飛び出た骨を飲み込み、腕はもはや腕ではなく、足はすでに肉の塊。突き出た甲殻は尖っていき、丸みを帯びて、さらに尖る。

 自らの体を食らい、増え、また喰らう。

 食い合いは繰り返され、異形は異形のまま大きくなっていく。天井の壁は無意味なもので、割られ砕かれ落ちてきた。

 瓦礫がすぐ近くで床にぶつかり、音を立てて弾け飛ぶ。アリアが悲鳴を上げてヴァンの手を掴む。

 いつの間に隣にと思ったが、どうやら無意識のうちに自分がアリアたちの傍まで下がったようだった。

 思わず、アリアと反対側に立つフランの手を握りそうになった。そのまま二人を引っ張り、全速力でここ離れたいと考えた。


 生まれて初めてだった。恐怖で、逃げたいと思ったのは。


読んでいただきありがとうございます。

そして今回も長ッ。いよいよクライマックスってやつです。どうなるんでしょうかねー。

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