第百二十話
「皆様、お久しぶりです」
人形――エーピオスがそう言い、フリルドレスのスカートを摘んでお辞儀をする。
左右をリシャとアリアに支えられるヴァンが、乱入者を呆然と見上げて声を落とした。
「お前・・・・・・どうして、ここに・・・・・・その、竜」
混乱する頭から勝手に言葉が流れる。疑問が多すぎて、最後まで言うのも面倒に感じた。
しかし、竜の頭の上で大量の鎖を握り締めるエーピオスは、それに答えた。
「この竜、私たちが逃した獲物でして。今までの竜種と違い、とても強い竜だったのですよ」
淀みなく続けられる声。
聞いたことを答えてくれているはずなのに、ヴァンは違和感を感じた。
「・・・・・・獲物? なぜ竜を」
思わず聞き返したヴァン。だが、エーピオスは聞こえていないのか、さらに言葉を続ける。
「それで今、やっと追いついたところなんです。お姉様方が相手をしてくださっていたおかげで簡単に倒すことが出来ました。ありがとうございます」
違和感が確信に変わる。
「この度はご迷惑をおかけしました。ですけど、町のほうまで行かなくて安心しましたね。これでこの町が滅ぶようなことがあれば、おじ様は喜びそうですが、私としては気持ちのいいものでは」
「エーピオス!」
ヴァンがかすれた声で叫ぶ。人形は先ほどまで声を出していたのが嘘のように、ぴたっと止まった。
違和感の正体。それは、エーピオスが話していたのは、ヴァンに対する答えではない。前もって用意していた言葉の羅列を読み上げていただけなのだ。
同じ顔を持った少女が二人、見つめあう。一人は赤い色彩を持って。
そこで、赤を持たない少女が再度口を開いた。
「――動かないでください、ヘリオスお兄様、セレーネお姉様」
次出てきた声は、少女の意思が乗っている。ヴァンの視界が名を呼ばれた者に向かう。
ヘリオスは飛び上がるために足を曲げた状態で動きを止め、セレーネは魔弾を三つほど出現させていた。
竜の頭に立つエーピオスは、ヴァンを見下ろしたままだ。
「お二人が動くより早く、私の剣はお姉様たちを貫けます」
その言葉は、その場の全員に向けられているだろう。しかし、効果のほどがあるのは恐らく、ヘリオスたちとフラン、そしてウラカーンだけのはずだ。
レリアはゴーレムが破壊された影響で魔力が逃げ出しているし、ラルウァはそのレリアの傍を離れられない。
ヴァンも満身創痍で、アリアも魔力がほとんどなくなってしまっている。それに、リシャも居る。
「本当に、やるつもりがあるのか?」
緊迫した空気が流れる中、ウラカーンが声を投げた。
そこで初めてエーピオスはヴァンから視線を外す。そのまま目だけで鉤爪の男を見た。
「・・・・・・したく、ありません、ので、お願いします。動かないでください」
少しだけ震える声で人形が返す。
ウラカーンの反応を見ず、エーピオスはすぐにヴァンへと目を戻した。
「お姉様」
一つ言い、黙る。
戸惑うような、躊躇するような、そんな色を表情に塗り、息を吐いた。
何を言うつもりなのか、ヴァンたちの表情が険しくなる。予想できる事といえば、ヴァンにこちらへ来てほしいといった類の誘いだが・・・・・・。
しかし、高く甘えるような声が読み上げる内容に、表情が驚愕のものになった。
「・・・・・・私たちは今、この大陸中央の大空洞、その外殻――この町から北東にある遺跡に居ます」
それは決めたことをするために必要な情報。まさかそれが、それを、この少女が教えてくれるとは。
思考をめぐらそうとして、ズキンと激痛が走る。あまりの情報に一瞬忘れかけたが、頭から血を流しているのだと思い出した。
「そこにテリオスが・・・・・・?」
それでも何とか聞き返すと、エーピオスが安堵の息を吐いてうなずく。
「待つんだ、アリス。エーピオス、何故それを僕達に教える? 何が狙いだ?」
すんなり信じてしまったヴァンに代わって、ヘリオスが警戒の声を出した。
フランもそれに続く。
「確かにのぅ。普通に考えてそれは罠だと思うんじゃが・・・・・・わしらが素直にそこへ向かうと思うておるのかえ?」
二人の言葉にエーピオスが少しの悲しみを瞳に宿らせるが、ラルウァとレリアも自分を睨みつけているのを見て、今度こそ俯いた。
「・・・・・・疑われるのも仕方ありません、ね。こうしてお姉様たちを人質のようにしているわけですし」
声にも悲しみが入り込んでいる。
ヴァンは霞んできた目でしっかりとエーピオスを見上げた。
「なら、これ、だけは教えてくれ。どうして、俺たちにそれを教えたのか、だけを」
喋ることに頭に痛みが走るが、かまわず続ける。
ただ、敵対しているから、という理由だけでエーピオスの言葉を全て拒絶したくなかった。
エーピオスは顔を上げてこちらを見つめてくる。今にも泣き出しそうだと、思った。
「――もう、私たちでは・・・・・・私では、出来ないのです。止められないのです。お父様は・・・・・・お父様は私たちにキオクを与えたことで、戻れなくなってしまいました」
雫が一筋、頬を流れる。
「でも、私はキオクを失いたくない。お父様に、お返ししたくない・・・・・・消えたくないのです」
それは、人形が願った、たった一つの。
「・・・・・・お姉様・・・・・・お父様を、私たちを・・・・・・助けてください」
言い終わるのと同時に、エーピオスの姿が消える。次いで鎖につながれた巨大な剣たちも霧散した。
「待――!」
ヴァンの叫びは竜の巨躯が地に倒れる轟音でかき消される。
そして、ヴァンも、自らの叫びに頭を貫かれ、意識が消えていく。
「ヴァン! ヴァン!」
この声はアリアだろうか、リシャだろうか。両の耳から二つの音が聞こえてくるので、多分二人のなんだろう。
ヴァンの閉じられていく視界に、仲間たちが駆け寄ってくれる姿が映った。
一瞬だけ真っ白になった世界。
見えるようになった視界に入ってきたのは、赤で綺麗に染め上がっていた少女ではなく、灰色の壁だった。
見回せば、何度も見てきた部屋であるのが分かる。妹たちと共に、部屋の隅にどかした瓦礫の山。無邪気な妹が「眠るときに痛くなってきたから」と言い、昨日拾ってきた所々焼けているローブ。激情の妹が足を引っ掛けて転んだ木の根。人狼のおじ様が取ってきてくれた肉。
どれもこれも、キオクにある。
「おねーちゃんっ」
一つ一つそれらを思い出しながら眺めていると、後ろから急に抱きつかれた。
同じ声をしていても分かる。この声は無邪気な妹、アペレースのものだ。
「どうしかしましたか、レス?」
軽く首を右に向ける。すぐ近くに自分と全く同じ顔があった。
アペレースが頬を膨らませる。
「もー、どうしかしましたか、じゃないよぉ。どこいってたの〜?」
ぷりぷりと怒っているが、声は心配したというそれだ。
カンジョウを素直に出す妹に、アペレースは小さく微笑んで頭を撫でた。
「すみません、竜種を町へ逃がしてしまって・・・・・・」
妹が、驚きと多少強くなった心配の色を表情に浮かべる。
「えぇっ、ほんとー? だいじょうぶだったの?」
「はい。竜が向かった先の町にたまたまお姉様方がいらっしゃって。町のほうに被害はありません」
アペレースに明るさが戻った。そして、もう町はどうでもいいと言わんばかりに次の言葉を出す。
「おねーさまたちがっ? お兄ちゃんもいた?」
お兄ちゃんという単語。これが誰を指すのか、エーピオスには分かっている。以前から妹がまた会いたいと言っていたヘリオスお兄様のことだ。
「えぇ、いらっしゃいましたよ。とてもお元気そうでした」
「そっかぁ! んんーっ、会いたいなぁ、お兄ちゃん。次会ったら遊ぼうって約束してるんだぁ」
「そうなんですか。それは楽しみですね」
うん、と嬉しそうに笑う妹に、エーピオスの顔も自然と笑みが浮かぶ。
そこにぶっきらぼうな口調の声が聞こえてきた。
「おせェぞ、どこで油売ってやがったンだ」
見なくても分かる。もう一人の妹、ドラステーリオスのものだ。しかし、顔を向けなければ「無視すンな!」と怒りそうなので姿を見ることにする。
目に入ってきたのは、この部屋の唯一の出入り口に立つ、同じ顔をした少女。違うのは不機嫌そうにしかめ面をしているところか。
「ただいま戻りました、スーリ」
「・・・・・・おう、おかえり」
言えば、目を背けながらも返してくれる。
不機嫌な妹はそのまま言葉を続けた。
「オヤジが呼んでンぞ。話があるんだと」
伝えられたことに、心臓が大きく高鳴った。呼吸を止めてしまう。
普段なら問題なく父のところに向かい、お呼びでしょうかと微笑むことが出来るが、しかし、今、というタイミングでは。
「・・・・・・エピ? どうしたのぉ、顔色悪いよぉ?」
すぐ横から甘えた声でアペレースが聞いてくる。そこでやっと息を吸えた。
「い、え、平気です。行って参りますね」
自分の体に回される無邪気な妹の腕をやんわりとほどき、歩き出す。出入り口につくと、ドラステーリオスが道をあけた。
まだ不機嫌そうに顔を顰めているもう一人の妹を見て小さく微笑み、エーピオスは部屋を出る。
大きな不安をココロに抱いて。
「・・・・・・失礼、します」
この遺跡の一番奥の部屋。一番大空洞に近い部屋に、エーピオスは足を踏み入れた。
何度か入ったことがあるが、やはり、広い。今は真っ暗で見えないが、この入り口から真っ直ぐ向こう側に、大きな椅子が壁に貼り付けられているはずだ。
父はいつもその椅子に座っている。
「来たか、エーピオス。近くに来い」
奥の闇から低い声が響いてきた。
体が強張るが、それを悟られぬようにゆっくり足を前へ出す。父は、自分がすぐ近くに来るまで何も言わなかった。
目の前まで来れば、暗くてもぼんやりとでも父の姿を見ることが出来る。
もう、初めて見たときの姿とは全くの別物になっている、父の姿が。
私たちをお創りになったのは、二つ目の秘宝を吸収したときだと仰っていた。それからいくつの秘宝を取り込んだか・・・・・・。
いつもなら、それで当然と思っていた父の姿が、今は怖い。
「――な、何か御用でしょうか。お父様」
その恐怖が声から出てしまった。冷静に言おうと思ったのに、出てきたのはつっかえて上擦った声。
父が、ふっと笑った。
「何を恐れる。私はお前がどこに行っていたのか、聞きたいだけだ」
優しげな声音で言われ、エーピオスの体から緊張が抜ける。
本当に、何を怖がっているのだろう、と思った。この方は私の父だ、と自分に確認させる。
「あ、は、はい。お父様の魔力にと竜種を狩ろうとしたのですが、予想外に強く取り逃がしてしまって・・・・・・それを追って少し外まで」
「ふむ。して、その竜は?」
即座に聞かれ、エーピオスが言葉に詰まる。
「そ、それは・・・・・・申し訳ありません。振り切られてしまって」
「ほぅ。あの巨大な黒竜を見失ったというのか」
心臓が高鳴った。何故。
どうやって返そうかと焦るエーピオスに、テリオスは止めを刺した。
「ところで、アリスは元気そうであったか?」
時が、止まったのかと思った。
「ばれぬとでも思っていたのか、エーピオス」
体の震えで時間が動き出したかのように感じた。
「記憶を与えたのは失敗だったかもしれぬな。感情を持てば私の意にそぐわぬこともしてしまう」
ぬるり。両腕と両足に何かが巻きつく。ゆっくりと自分の体に目を向けた。
何か触手のようなものが腕と足に絡み付いている。その触手は父の背中から出ているように見えた。
「お、とうさま」
何をされるのか分からない。分からないからこそ、怖い。
懇願するような声で呼ぶ。
「やはり、人形に意思などいらぬよ」
腕や足に巻きついていたものに力がこめられ、宙に持ち上げられた。
「なに、を」
瞳に怯えを浮かべ、口を開くが言葉は最後まで続けられない。
エーピオスの口に一本の触手が無理矢理入り込んできたからだ。
「ぐっ!? んぐぅ、お、えっ」
触手は喉をこじ開け体の奥へ奥へと入っていく。ぴっちりと喉を埋める触手のせいで、息が出来ない。
嘔吐しそうになるが、触手が邪魔をしてそれも出来ない。
耐えるように目をきつく閉じるエーピオスだが、次の瞬間、びくっと体を震わせて目を見開かせた。
「お前に与えた記憶を返してもらうとしよう。ついでにそのいらぬ心も消してやる」
頭から奪われていく感覚を覚える。何が奪われているのか。それも分からない。分からないのも奪われる。奪われる。奪われる。奪われる。
頭が真っ白になるまで奪われる。真っ黒になるまで奪われる。光が奪われる。闇が奪われる。何もかも奪われる。
胸が締め付けられる。心臓が小さくなる。心がなくなる。消えていく。カンジョウが消えていく。オモイが消えていく。ココロが消えていく。
消える消える消える。私が消える。あぁ、消さないで消さないで、妹たちを消さないで。
「む? くくく、自らが消えるというのに、妹たちの心配か。ふん、良かろう。あとの二体のは消さないでおいてやる」
本当ですか。本当ですカ。あぁ、スーリ、レス、私は消エます。消えてシマいます。私を覚えてイテクださい。わたしをワスレナイでください。
あなたタチはきえないカラ。よかっタ。よかッタ。ヨカッタ。
サヨウナラ。
光が消えていく人形の瞳から、雫が一つ、こぼれ落ちた。
読んでいただきありがとうございます。
エーピオス・・・・・・!かわいそうなことをしてしまいました。
次はヴァンからスタートです。
・・・え?エーピオスの記憶奪われる部分がエロい?
はっはっは。何を仰いますことやら。この作品は全年齢対象でございますですよ?はっはっは。