第百六話
「お母さん、洗い物終わったわよ」
夕食を食べ終わった後、食器の後片付けをしていたアリアが、腰掛で濡れた手を拭きながら母たちが寛ぐ居間へ戻ってきた。
「あら、ありがとう。ヴァンちゃんもリシャちゃんも、片付けをやらせちゃってごめんなさいね」
レリアが礼を言いつつ、アリアに続いて居間へ入ってきたヴァンとリシャに声をかける。
「いえ・・・・・・平気です」
その謝罪に首を横に振るリシャ。
「・・・・・・それは全然いいんですが・・・・・・」
同じくヴァンもそれを伝えようと口を開くが、自分の体を見下ろして苦い顔をした。
アリアが腰掛をつけていることから分かるように、リシャとヴァンも洗い物の手伝いをする際エプロンを勧められたのだが。
「やっぱり、普通のが良かった・・・・・・」
溜息をつくヴァンがつけるエプロンは、黄色を基調とするシンプルなリシャのエプロンとは違い、全体的に桃色をしていて回りは白いフリルに包まれ、さらにハート型の絵が胸に大きく描かれているものだった。
黒いフリルドレスの上につけているので、かなり重厚な印象を受ける。
「いやいや、かなり似合っておるぞ、ヴァン」
「ねー、ぴったりだよねー」
そんなヴァンに対しフランとウラカーンが賞賛の言葉を贈るが、両者とも口を押さえて微妙に肩を震わせながらでは台無しだ。
「えぇ、本当に」
「やっぱりアリスは桃色も似合うな」
セレーネとヘリオスからも同じく言葉を贈られるヴァン。こっちの二人の場合は本心からの言葉なのだろうが、ヴァンにしてみればどちらも複雑極まりない。
「なんでそんなにいやそうな顔するのかしら・・・・・・かわいいのに」
微妙な表情になっているヴァンを見て、アリアがぼそっと呟く。
その呟きはヴァンの耳に届きさらに苦い顔をさせる原因となった。
「あ、そうだわ。アリア、フランさんたちがお休みになる部屋の準備をお願いしてもいいかしら?」
座ろうとする少女三人に、レリアが思い出したように言う。
椅子に手をかけていたアリアはすぐに頷いた。
「うん、分かったわ」
「あ、アリア、俺も手伝う」
「・・・・・・私も・・・・・・手伝います」
テーブルに椅子を引っ込めさせて踵を返すアリアの後を、ヴァンとリシャが追う。
「いいの? ありがと」
「それなら、私も手伝います」
セレーネが席を立ち、ヴァンたちに続こうとするが、それをフランが止める。
「ちょっと待たんか。セレーネ、わしと一杯せんか? おぬしとはまだ飲んでおらんからのぅ。レリア殿、酒か何かはないかの?」
椅子から立ち上がったセレーネがフランを見下ろし、眉をひそめてたしなめた。
「フラン、夕ご飯もご馳走になって泊めてもいただくのに、お酒まで・・・・・・」
「あら、気にしなくていいのよ。むしろ、一緒に飲めるなら楽しいわ」
レリアが楽しげな様子で横から口を挟むが、セレーネはそれでも渋い顔のままで異の声を出そうとする。
「で、ですけど・・・・・・」
「まぁいいじゃないか、姉さん。たまには飲んでも」
「え?」
自身の言葉を遮って言う弟に、一瞬驚きの表情を浮かべるセレーネだが、すぐに普段の微笑みに戻り、考えるように頬に手を当てる。
「・・・・・・そうですね。もう数百年飲んでませんし。アリア、アリス、そういうことなので、申し訳ありませんが・・・・・・」
ふぅと息を吐いた後セレーネは前言を撤回し、居間の扉の前で成り行きを見守っていた少女三人に謝罪の言葉を投げた。
「別にいいわよ。セレーネはさっき気づいたばっかりなんだし、無理しないで休んでてね」
軽く手を振って居間から出るアリアに、軽く笑みを浮かべるヴァンと小さく会釈をするリシャがついていった。
「部屋はこっちのほうね」
居間から家の奥に続く廊下を歩きつつ、アリアがさらに先を指差す。木造の壁や天井は綺麗に磨かれていてシミ一つない。
揺れる金髪と白い服に包まれる背中に視線を向けながら、ヴァンが声を投げる。
「泊めてもらって悪いな」
「気にしないで。あんなことがあったあとじゃ、どこにも泊まれないだろうし、部屋も結構余ってるから」
返ってくるアリアの言葉に、ヴァンはその通りかもしれないと思う。
魔獣の襲撃は言わずもがな、今思ったのは部屋数のことだ。この家はアリアとレリア、二人の母娘だけで住んでいたには大きすぎる気がする。
そういえば、と気づく。アリアの父親はどこにいるのだろうか。
レリアは何も言わなかったし、アリアも父を聞く素振りも無かった。となると、別居か死別か・・・・・・もしくは師匠のように放浪の旅に出てるのかもしれない。
何となく気になるが、しかし何となく聞きづらい。もしアリアがとても父親っ子で、もし早くに亡くしてしまっていたら? アリアに辛いことを思い出させるかもしれない。
いや、だが、アリアは大の男嫌いだった。今は少し和らいではいるが、自分たちと出会う前は相当だっただろう。
そんなアリアの男嫌いの理由の一つに、父親も含まれていたらどうだろう。それなら辛い思い出もない、はずだ。
いや、しかし、だが、もしも。
ヴァンの頭の中で様々な推測と憶測が飛び交い、そして、一つの言葉で別の方へ思考が飛んだ。
その前に。
何故そんなに聞きたがっているのだろうか、自分は。アリアが話さないのなら別に無理して聞かなくとも良いのではないか?
アリアの父のことを知ってどうするというのか。知る必要すらないだろう。
そうだ。聞かなくともいい。そのほうがいい。アリアと気まずい雰囲気になるくらいなら、いっそ聞かないほうが。
だけど。
知りたい、と思う。アリアの父のことではなく。アリアのことが。
今でも結構知ってるだろう。そう自分に言い聞かせても、この欲求はどこまでもなくならない。いつまでも満たされない。
アリアの全部が、知りたい。
全部・・・・・・?
そこまで考え、ヴァンは自分の顔が急激に熱くなっていくのを感じた。
隣にいるリシャが俯くヴァンに気づき、声をかける。
「・・・・・・ヴァン、さん?」
「・・・・・・・・・・・・」
しかし、考えに没頭しているヴァンは真っ赤な顔で俯いたままで返事を返さない。
「あ、あの・・・・・」
おずおずとヴァンの肩に手を触れた瞬間。
「ひゃわぁっ!?」
「きゃっ!?」
直立不動で飛び上がるヴァン。
リシャも思わず声をあげて手を胸の前まで引っ込めてしまう。
「な、なに!?」
さらにはアリアも思い切り振り返って驚きの顔を見せた。
「ご、ごめんなさい、驚かせるつもりはなかったんだけど・・・・・・」
「あ、いや、すまん。ぼーっとしてたから・・・・・・」
しゅんと頭を下げるリシャに、ヴァンは慌てて手を横に振りながら返す。
「もう、びっくりさせないでよね」
少しの呆れを含んだ溜息を落とし、アリアは前を向いて再び歩き出し。
「えっと、なんだ?」
同じく歩き出すヴァンが、リシャに尋ねる。
「あ、いえ・・・・・・ヴァンさんが怒った顔したり青くしたり赤くしたりしてたから・・・・・・どうしたのかなと、思って・・・・・・」
言われ、そんな顔をしたのかと思わず自分の顔を両手でペタペタと触るヴァンだが、分かったのは恥ずかしさで熱を持ってることだけだった。
「何か・・・・・・悩み、ごと、でも?」
気遣うように聞いてくるリシャを、ヴァンはじっと見つめる。
この娘は、強い子だな。ヴァンはそう思った。
父も母も、妹も、今日亡くしたというのに、自分に気を遣ったり、こうして何かを手伝おうとしている。
自分ならこんな風に気丈でいられるだろうか。
想像してみる。ラルウァ、セレーネ、ヘリオス、フラン、ウラカーン・・・・・・そして、アリア。
父が、仲間が・・・・・・。
無理だ。言葉にするのも悲しい。
本当はこの少女も、泣き叫びたいのかもしれない。
こうして体を動かすことで、悲しみを考えないようにしているのかもしれない。
なら、自分に出来る事はなんだろうか。
「・・・・・・あ、の・・・・・・?」
「ん、あぁ、すまん。いや、悩み事はない。・・・・・・強いて言うなら、悩み事が無いのが悩み、かな」
唇を歪めるだけの笑みを浮かべて言うヴァンに、リシャは目を丸くして見つめた後、不思議そうに首をかしげた。
「え・・・・・・男の方として生きてて、女の子になった、のに・・・・・・ですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
逆に返され、今度はヴァンが目を丸くして視線を泳がせる。
いつの間にかアリアも振り返ってヴァンに目を向けていて、じっと様子をうかがっていた。
「・・・・・・あれ?」
一つ冷や汗をかいて首をかしげ、情けない声を落とすヴァン。
微妙な沈黙が流れ、
「まぁ、今更なんだけどね」
アリアがぼそっと呟き、それを聞いたリシャが少し吹きだす。
それを切り口に、誰とも無く小さく笑いあった。
「魔術のことは、何も知らなかったので驚きましたけど・・・・・・良かったですね、女の子になった苦悩とかが無くて」
弱く戸惑うような笑みだが、やっと見せてくれた笑顔にヴァンは胸中で安堵の息を落としつつ、それを面に出さないよう嫌そうな表情をつくる。
「それは喜ぶべきところなのか・・・・・・むしろ何故俺は今まで深刻にならなかったんだろうか・・・・・・」
「本当は女の子だったから、しっくりきちゃったんじゃないの? むふふ」
同じように表情を崩すアリアが、右手を口に添えて妙な笑い声を漏らした。
「・・・・・・お前が言うとどうもやらしく聞こえるな」
「ちょっと、どういう意味よ。ピンクエプロンつけてるヴァンに言われたくないわ」
「これはお前が無理矢理つけさせたんだろうがー!」
がーっと吼えるヴァンを、まだ淡い笑顔を見せてくれるリシャがなだめる。
「でも、ヴァンさん、かわいいですよ、本当に」
「・・・・・・かなり複雑な気持ちだが、うん、ありがとう・・・・・・」
リシャの言葉にヴァンは体全体でうな垂れ、大きく溜息をついた。
しかし、すぐに取り直したように顔を上げると、リシャのほうを見て口を開く。
「あー、俺のことはヴァンで良いぞ。あと敬語もいいから」
「あら、ずるい。私のこともさん付けいらないからね。歳も近いし、お友達になりましょ」
二人の言葉にリシャは一瞬面食らうが、照れたように頭をかくヴァンと、手を差し出してくるアリアを交互に見て、また淡い笑みを浮かべ、出された手を握った。
「・・・・・・ありがとう。わたしも、リシャって呼んで、ね」
長い時間、廊下で立ち話をしてしまった三人はしばらくしてやっと目的の部屋にたどり着いた。
「この部屋なんだけど・・・・・・」
部屋に入り、壁につけられた魔道具の明かりを灯すアリア。
「なんだ、片付けるものなんてないじゃないか」
続いて部屋に入ったヴァンが中の様子を見て言い、リシャも同意の声を出す。
「そう、だね。埃っぽくもないし、ベッドの数も・・・・・・えっ、と、ベッドは一つ足りないね」
一つずつベッドを数えたリシャが眉を八の字にし、アリアとヴァンを交互に見る。
「だな。まぁ、誰かが床に寝れば問題ないだろう」
「敷布団はあったかしら・・・・・・。リシャ、ちょっとお母さんに聞いてきてもらっていい? 私とヴァンは軽く掃除しておくから」
「うん、分かった」
中に入るヴァンの背中と、振り向いているアリアの顔を見ながらリシャはすぐに頷き、今来た廊下を戻っていく。
「・・・・・・別にヴァンは私の部屋で一緒に眠ってもいいのよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「ちょっと、なんで無視するのよ」
リシャが去った部屋の中からは、二人の話し声と掃除をする音が漏れ出ていた。
少女三人が居間から出た後、レリアが椅子から立ち上がるのと、席に戻ったセレーネが口を開くのは同時だった。
「それで、あの子達には話せないことが、何かあるのですか?」
「む、なんじゃ、気づいておったのか」
セレーネの問いに、フランが意外そうな表情で返す。
「えぇ、まぁ。ヘリオスは私がお酒を飲めないのは知ってますから。なのに、お酒を勧めるのは妙だと思いましたので」
「・・・・・・そうか。なら早速本題に移ろう」
姉弟ならではの合図というやつかのぅ、とフランが感心している横で、ラルウァが真剣な声音と言葉を全員に投げる。
その背景では、椅子に座る全員にコップを運ぶレリアの姿があった。
「先に襲撃された村と、この街の魔獣除けだが・・・・・・」
「ちょっと待ってー。レリアねーさんにも話していいわけー?」
そのまま続けるラルウァを遮ってウラカーンが危惧の声をあげる。先ほどセレーネがレリアに説明したものの中で、テリオスたちのことが含まれてないからこその杞憂だった。
「不本意だが、こいつは一応、そういうことに関しては信用できる。それに、娘のアリアに関することは知る権利があるだろう」
「なんだか棘があるわね、紅蓮の。私が今まであなたを裏切ったことがあるかしら?」
自分が座っていた椅子に再度腰かけ、テーブルの上に酒瓶を音を立てて置きつつ軽く不満を述べるレリア。
「気のせいだ、山吹の。さっきはヴァンたちがいたが、今なら全て話してもいいだろう。フラン、今までアリアに何があったか、話してやってくれ」
レリアの白い目を流しながら、ラルウァがフランに頼む。
赤く長い髪を三つ編にもどしたフランは頷くと、アリアを狙っていたオスマンとのことや、フォカーテの香水のこと、戦った末にオスマンが死んでしまったこと、その時のアリアの状態などを覚えている限り全て話した。
聞き終わったレリアは特に表情を変えることも無く、そう、とだけ短く返した。
「それで、そのフォカーテの香水というのがキーとなって、今度はヴァンちゃんのほうに話がいくということね。それがこの街の魔獣除けが壊されていたのに関することへ繋がるのかしら?」
レリアが自分のコップにお酒を注ぎ、琥珀色の液体に満たされるのを確認した後、フランのコップの上で酒瓶を傾けながら尋ねる。
「あぁ、そうだ。フォカーテの香水や秘宝については端折るとして・・・・・・。僕らの妹、アリスはある男に狙われている」
フランの上で傾いていた酒瓶は、今は言葉を返しているヘリオスの目の前で傾いていた。
「その男の名は、テリオス。私たちの父母を滅し、アリスを秘術によって自らの物にしようとしている倒すべき敵です」
セレーネが目の前に持ち上げられた酒瓶を押し止めながら続く。
「テリオス、ね。そいつも魔族なのかしら?」
つまらなそうにセレーネの前から酒瓶をどかし、今度はラルウァの前で停止させつつレリアが尋ねた。
「あぁ。今はもう魔族ですらないただの化け物になっているらしいがな」
コップを持ち上げて酒瓶に近づけながらラルウァが返す。
「あら、どんなのか興味があるわね。で、そのテリオスが魔獣除けを壊したの?」
「いや、魔獣除けを潰したのはテリオスの手下の魔獣、ライカニクスだ。こいつも今は人語を解し、人の姿を模倣する化け物になっている」
その問いもラルウァが返し、手に持つ琥珀色の液体を喉へ流し込んだ。
最後、ウラカーンのコップへ酒を注ぎつつレリアがまとめた考えを口にした。
「なるほどね。これで合点がいったわ」
セレーネを除く全員に酒を注ぎ終えたレリアが、自分のコップを持ち上げて口につけ、少し飲み下すと口を開く。
「その魔獣はヴァンちゃんを探そうとした。けれど、人間は多い。ならば、まずは数を減らそう。そのためには魔獣除けが邪魔だ。あとは雑魚の魔獣が数を持って人間を減らすはずだ・・・・・・。だいたいこんなところかしら?」
すらすらと淀みなく話すレリアに、ラルウァ以外の皆が目を丸くさせた。
「相変わらず、嫌になるほど勘が良いな」
「お褒めのお言葉、ありがとう。ついでにいうと、さっき話せなかったのもヴァンちゃんに、自分を狙う魔獣のせいで沢山の人が死んでいったと思って欲しくなかったからでしょう? 紅蓮のもずいぶん優しくなったものですこと」
「・・・・・・いちいち言わなくていいことを言うのも、相変わらずだな。・・・・・・ん?」
溜息をついてまた酒を喉に流そうとコップを持ち上げたラルウァが、奥の廊下に続く扉を見て眉をひそめる。
「どうかしました?」
扉を凝視するラルウァに顔を向けて首をかしげるセレーネ。
ラルウァは扉に視線を定めたままで返事をした。
「いや・・・・・・誰かの気配がドアの向こうにあったからな」
その言葉に反応したフランが、レリアから受け取った酒瓶を空になったコップの上で傾けてながら渋い顔をする。
「む? もしや娘っ子たちに聞かれたんじゃなかろうな?」
「・・・・・・かもしれないな。ちょっと見てこよう」
「私も行きます」
そう言ってヘリオスとセレーネが席を立つのと同時に。
家全体に怒鳴り声が響き渡った。
読んでいただきありがとうございます。
やー、久しぶりの更新ですね。生きてますから、まだ(←
あえてこれ以上なにも言いません、えぇ、言いませんとも。
ではっ、また次回に!