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「──今、何とおっしゃいましたか?」
極力抑えたような声音で、クロードがそう言った。広間には貴族たちがい並び、たった今俺が告げた言葉にざわざわとしている。それもそのはず。まだ早い時間に召集され、てっきり療養から戻った妃殿下の挨拶があると思いきや、突然別居すると言ったのだから。
クロードは、俺の部屋に向かう途中でこの広間に連れて来られたというのに、動揺も見せずにすっと立っている。段取りを知っているので当然なのだが、果たして周りからはどう見えているか。
あぁ、ついに。この日が来たぞ。そう思って口元が緩みそうになるが、ここは耐えなければ。
「聞こえなかったのか。お前を、緑の館へ移すと言ったのだ」
緑の館は、一応俺の財産ではあるものの、長らく使用していなかった。その廃墟同然だった館を改装し、この度ようやく住めるようになったので、二人を呼び戻したのである。二人の要望通り、ひっそりと暮らすにはぴったりの小さな家だ。
「それはどういう意味でしょうか」
「クローディーヌ・エヴァ・アストラ。ここにいるすべての者が、今日の証人となる」
「ですからどういう……」
「ミラベル。こちらへ」
「あ、はい。失礼します」
どこか怯えたように震える声で、後ろに控えていたミラベルが一歩前に出て俺の隣に並ぶ。こんなに多くの人間がいるとはミラベルには言っていなかったので、その怯えは本物だろう。
俺の隣に並んだミラベルを、クロードが見つめる。それこそ頭の天辺からつま先まで、じっくりと時間をかけて。するとミラベルがその視線に耐えかねたように、足を少し引いた。演技でも何でも無く、本気でクロードを怖がっている様子だ。
無理もない。ただ、本気のクロードはもっと恐ろしい。それを、ミラベルが知る事は無いのだろう。それは、怒らせてしまった日に、枕に何か仕込まれているのでは、と疑心暗鬼に陥る心配がないという事である。
「その方が何か?」
「お前と彼女は学院時代に交流があったらしいが、その様子だと覚えていないようだな」
「ええ、まったく」
「だがこれは覚えているだろう。彼女に対する嫌がらせの数々をな」
「知りませんわ。自分で怪我をしたのでしょう」
「怪我をしたとは、一言も言っていないが?」
失言だった、というようにクロードが目を伏せる。いつの間にか増えて来ている野次馬がざわついた。あの麗しの妃殿下が嫌がらせを、などという声が聞こえた気がする。
クロードを責める、というのは胃が痛い。だが、認めたくはないがいつも負けてしまう分、少しだけ気持ちがいいのも事実だ。知られたら仕返しが来るだろうから、決して口にはしないが。
「それからもうひとつ、お前は罪を重ねている。よって、お前とは別居する事にしたというわけだ」
「何をおっしゃっているのか、私には分かりませんわ」
「本当に分からないのか? 俺が何も気づいていなかったとでも? お前たちの関係を探る時間はたっぷりとあったぞ」
「なんの事でしょうか」
「お前は引きこもっていると見せかけて、シャルルを部屋に呼んでいたのだろう」
「いったいなんの事でしょう。私にはさっぱり」
尚も白を切る――振りをする――クロードに、胸ポケットからある物を取り出して見せる。それは何の変哲もないイヤリング。だが、ある時期からクロードが頻繁に身に着けるようになっていたので、目にした者も多いだろう。
大きめの黒曜石があしらわれたこのイヤリングは、クロードがシャルルに会いたい時に、メリーがシャルルの部屋に置いていく、という事になっている。実際には、そんな事はしていないのだが。
これを考えたのは意外にもミラベルで、秘密めいていて素敵、という事らしい。そういえばミラベルは、クロードと同じ本の愛読者だったな、と改めて感じた瞬間であった。
「これは、お前の物で間違いないな?」
「まぁ。どこで失くしたのかと思っていましたが、殿下がお持ちだったのですね」
「ああ。シャルルの部屋で見つけた」
クロードがハッとしたような顔で固まり、俺の後ろに一瞬だけ視線を向けた。そこにいるのは当然シャルルである。振り返ってシャルルの表情も見てみたかったが、そこは自重した。
俺が黙ったままクロードを見つめていると、クロードは唇を噛みしめる。先ほどまでざわめいていた観衆も静まり返り、次の展開を待っていた。
「……療養に行けなんて、嘘だったのですわね」
しばらくして口を開いたクロードの口調は、苦々しさを隠しきれていない。それならば、と俺も深いため息を吐く。心底呆れた、と示すように。
「先に嘘をついていたのはお前だろう、クロード。それにまさか、お前が俺を裏切るとはな、シャルル」
「申し開きのしようもございません。すべての責は、どうかこの私に。いかなる処罰も覚悟の上です」
「駄目よシャルル。あなたは悪くないわ。悪いのは私だもの。ね?」
俺の前に膝をついたシャルルに、クロードがその隣にしゃがんで慰めるように言う。このまま二人の世界に入ってしまいそうだ。俺としてはそれも面白いが、それでは終わらなくなる。隣のミラベルも心配そうにこちらを見たので、そろそろ終幕といこう。
「こうなった以上、お前たちに何も言う事は無い。クロード。お前には愛想が尽きた。餞別にシャルルを連れていけ。俺にはもう要らないからな。汚名の一つ増えたところで、お前にはお似合いだろう?」
そう告げると、クロードは立ち上がってまっすぐにこちらを見つめる。すっと背筋を伸ばしてこちらを見る瞳は、どこか威厳すら感じさせた。侮辱に近い言葉を浴びせられようとも、取り乱したりはしない。それが精一杯の矜持なのだろう、と周りも思ってくれている筈だ。
「お気遣いに感謝いたしますわ、殿下。どうぞ、そちらの方と末永くお幸せに」
クロードはそう言ってからぐるりと周りを見渡し、優雅に礼をしてみせる。顔を上げたクロードは、本人が一番美しいと思っている笑みを浮かべていた。
「それでは皆様ごきげんよう。さぁいらっしゃい、シャルル。殿下からお許しが出たもの。これからは何を気にする事なく過ごせるわ」
まるで当てつけかのように本心を言って、クロードはシャルルと共に広間を後にした。
そうしてここに、俺たちの別居計画は完了したのである。




