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シャルル殿を部屋へ案内すると、彼は疲れたように椅子に座り込んでしまう。その姿は頼りなさげに見えるが、あの兄さんと姉上のいる前で、落ち着いた顔をしていたのだから大したものだ。
「何か飲み物と軽食でも持って来させようか。せっかくのお茶会だったのに、結局何も口に出来なかっただろう?」
返事も待たずに侍女に指示を出し、向かいの椅子に腰かける。すると、疲れた様子が嘘のように、背筋を伸ばして座り直した。どんな状況でも王族に敬意を払うのは、貴族としては当たり前の行動だけれど、たぶん彼の場合にはそれ以外もあるだろう。
何せ僕は、クロードの兄なのだ。きちんとしなくては、と思うのは当然のこと。僕にとってはそれが微笑ましい。だからこそ、味方をしてあげたいと思った。
「さっきはお疲れ様。あの対応は合格点じゃないかな」
「そうでしょうか。精一杯でしたが」
「姉上に接触しないと言ったのだから、あそこでクロードを追ったらすべてが台無しだし、案内を頼んだのもいい事だよ。こっそり会いに行った、なんて思われないからね」
笑って言った僕に、シャルル殿も小さく笑う。
「それなら良かったです。私も少し考えて、そう思ったので」
「機転が利くのはいい事だよ。自由なクロード相手に、それは大変かもしれないけれど」
「まぁ、否定はできませんが。そういう所も、その……」
「可愛いよね?」
言い淀んだので後を繋ぐと、シャルル殿は苦笑して頷く。おそらくクロードは、こういうところが好きなのだろう。先ほども、結構恥ずかしいと思われる言葉を口にしていた気がするけれど。
「そういえばさっきの台詞、クロードが好きそうだよね。あなたが幸せならそれで、って。もしかして、言ってもらいたい言葉とか、言わされてないかな?」
そう問いかけると顔が引きつったので、それが答えだろう。
クロードがそれに楽しさを見出したのは、セドリック殿下との初対面以降だったと記憶している。十歳頃にメリーが男装するまでは、兄上たちがその対象になっていた。残念ながら僕は喜んでやるので、苦痛だと思わなかったけれど。
兄上たちはその遊びをするとなると、何かと理由をつけて姿を消したものである。結局クロードのおねだりの前に屈し、甘い台詞から、何故か罵詈雑言まで言わされるはめになる。後者の場合、姉上に見つかってはこっぴどく叱られるが。
「いやぁ、懐かしいな。もしかしてセドリック殿下も?」
「ええ、そうですね。ゲームなどに負けると言わされてしまいます」
「なるほど。クロードは自分の楽しみのためには譲らないからね。それで鍛えられたというわけかな」
「アレクシス殿下は、慣れていらっしゃいそうですね」
「そのせいか、僕が言うとクロードはつまらないようだったよ」
むしろ僕の方から、こういう台詞はどうだろう、と提案した事もある。それをクロードはいつも楽しそうに聞き、実際に言ってみた相手の反応を聞かれもした。それが今クロードたちの役に立っているというのなら、それはとても喜ばしい。
アストラの社交界でも、すでにクロードの噂が聞こえ始めている。人の口には戸が立てられない。ガルムステットに噂好きの知り合いがいれば、すぐにでも知る事となる。そしてさらに尾鰭が付いて、ある事無い事囁かれる事となるだろう。
それは僕らにとって痛手となるが、大きな打撃にはならない。何故ならクロードは、同盟の為に結婚したとはいえ、嫁いだ以上、もはやアストラの王女では無いのだから。
ガルムステット王太子妃としての責任を問うのは、僕たちではない。
「そんなクロードも可愛かったけどね。でもやっぱり、僕はクロードの笑顔を見るのが好きなんだ。楽しそうな笑顔は、いつも周りを明るくしてくれたからね。アストラの花と呼ばれるに相応しい王女だった。実際は自由奔放な王女だったなんて、きっと誰も知らないね」
「けれど殿下は、最初からそれをご存じでした」
「ああ、そうだったね。最初から素で接していたのは、珍しい事だった。だから、意外と気が合うのかもしれないね」
「それはいつも感じています」
苦笑するシャルル殿の顔には、これまでの苦労のようなものが滲み出ているような気がした。主人と恋人の間に挟まれ、世間的には主人を裏切る立場とは。想像しただけでも大変そうだ。
「僕でよければいつでも相談に乗るよ。滞在中も暇を持て余すだろうしね。僕が君の監視役を引き受けよう」
「それは、とても助かりますが。よろしいのですか?」
「兄上と兄さんは怖いからね。姉上は普段は公爵邸にいるんだけど、クロードがいる間は頻繁に来そうだし。僕の領地に行くというのもいいけど、姿も見られないんじゃクロードが可哀想だ。もちろん君もね」
笑ってウィンクをするとシャルル殿は苦笑しながらも、ありがとうございます、と口にする。素直なのはいい事だ。信頼に値する。クロードの心を奪ったのが、隠れた野心を持つような輩でないのは、心の底から安心出来る事だった。
「恋多き王子と呼ばれる僕が、君たちを否定できないのは兄上たちも理解してくれるだろう。だからきっと、僕に任せてくれる筈だよ。みんなクロードには甘いから。一人くらい味方がいても、ときっと思ってくれる筈さ」
実際は、セドリック殿下が別居計画を考えたというのを知ったら、どんな顔をするのだろうか。見てみたいけれど、僕が明かすわけにはいかない。
いつかそのうち、兄弟たちには何らかの形でクロードが明かしてくれることを祈るばかりだ。




