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その夜、どうしても眠れなかった私は、迎賓館の裏庭に設けられた東屋で、一人ぽつんと座っていた。夜着にショールを羽織っただけの姿で、ぼんやりと夜空を見上げている。
アストラにいた時も眠れない夜は、こうやって寝台を抜け出していたものだ。いつもそばにメリーがいて、私が飽きるか眠ってしまうまで側にいてくれた。
「……クロード」
囁くような声に導かれて顔を向けると、シャルルが心配そうな顔をして立っていた。足音に気が付かなかった事に、私はちょっと苦笑する。
「あら。どうしたの、シャルル。駄目よ、こんな時間に裏庭をうろつくなんて」
「それはあなたもでしょう。体を冷やしますよ」
部屋に戻りましょう、と言うかと思いきや、シャルルはそのまま私の隣に座った。そして少し躊躇う素振りをしてから、私の肩を抱き寄せる。凭れ掛かるようにして寄り添えば、身も心も温かくなるようだ。
「少し眠れなかったのよ。明日から学園祭ですもの。それも私にとっては最後の。寂しいけど、思いっきり楽しまないと損よね。演劇に出るという役目もあるし。お兄様がいるから少し緊張してしまうけれど。ああ、それから殿下との事も見せておかないとね。お兄様は勘がいいから少し心配だけれど。そうそう、お兄様はね」
「クロード」
ぺらぺらと一人で喋っていると、静かな声で名前を呼ばれた。シャルルが私の言葉を遮るなんて、珍しい事もあるわね。
「なぁに?」
「それだけじゃないんでしょう?」
「どうしてそう思うの?」
「少し様子が変でした。……あの、エヴァン殿のせいですか」
確信を持った問いかけに、私はつい笑ってしまう。
(まぁね。あれで何も無いと思うはずもないわよね)
私はまだ、不意を突かれた時に弱い。始めに会った時も、お兄様が名前を言った時も、ついつい、感情を前面に出してしまった。
別に知られたら困るわけでもないけれど、進んで話したい事では無い。出来れば一生話さずにいたかったけれど、ここまで来て誤魔化せないだろう。それに、シャルルに隠し事をしないでとお願いしておきながら、自分だけが隠すのは不公平だ。
「……そうね。ちょっと昔を思い出して」
「もしかして、初恋のお相手、とかですか?」
「今となっては、あれはただの風邪のようなものだったわ。今じゃ大っ嫌い」
「聞いてもいいですか?」
「つまらない話よ。私が十歳の時だったかしら。私より八歳年上のエヴァンは、お兄様たちが唯一私に近づいても嫌な顔をしない人だったの。たぶん、私が懐いていたから。殿下と婚約していたとはいえ、私はまだ子供だったの。幼心に好きだったのでしょう。だけど、それは一瞬で消えたのよ」
「何があったんですか?」
「あの時、十六歳だった二番目のセレスお姉様が、あの男に奪われてしまったの。意味は分かるわよね?」
「……はい」
「そのせいでお姉様は王宮を追われてしまったから、私はあの男を許さないと決めたの。お姉様に取られたというより、お姉様を取られたという思いが勝ったのね」
「今、姉君は?」
「二年くらい前に許されて、王宮へも行けるようになったそうよ。あの男が今はお兄様の侍従をしているくらいだから、きちんとした生活が出来ているだろう事は間違いないわ」
「そうでしたか」
ホッとしたようなシャルルに、私も笑う。シャルルは優しい。会った事も見た事もないお姉様を、心配してくれた。けれど、だからこそ、少しだけ心配な事がある。
「というかね、眠れなかったのは、あれの事を考えてたわけじゃなくて、あなたの事よ」
「私ですか?」
「もしも、シャルルが誰かに取られたらどう思うかしらって。私はたぶん、その子を許さないわ。どんな酷い事でもしてしまいそう。傷つけて傷つけて、最終的にあなたに捨てられてしまうのよ。それをぐるぐると考えていたら、全然眠れなくて」
私の言葉に、想像力が豊かですね、とシャルルは笑った。それから思いついたように、ポツリと付け加える。
「私の身も心も、すべてあなたのものですよ」
その台詞に、私はくすくすと笑う。ちょっと見上げると、シャルルの耳が赤くなっているのが見えた。いつもならここでそれをからかうけれど、今日は止めておこう。
「嬉しいわ。それが本の中の台詞でなければ、もっと嬉しかったけれどね」
「バレましたか」
「ええ。でもありがとう。不安だったの」
「クロードも不安になるんですね」
「なるわよ」
そう答えた私に、シャルルがまた笑ってくれる。それだけで、私の胸のもやもやは晴れて行った。大抵の事は何とか出来ると自負している私にも、不安で眠れない夜はある。それでも、誰かが、愛する人が側にいてくれるのなら、きっと大丈夫。
私たちはそれからしばらく、━━正確に言えば、私がくしゃみをしてシャルルが慌ててしまうまで、━━とりとめもない会話をしながら、夜空を一緒に見上げていた。