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私は本が好きだ。
お姉様や他の貴族令嬢たちのように、新しいドレスを仕立てるよりも、私は新しい本が欲しい。ダンスや刺繍が苦手な私にとって、本を読む事が何よりもの楽しみ。だからここ、学園の図書館は私の憩いの場所。
伯爵家のひとつとはいえ、平凡を絵に書いたような我がブランシュ家は、当主であるお父様からして、野心というものがまるでない。
後継者の弟も、まぁなんとかなるよ、が口癖だし、お母様もおっとりしている。唯一お姉様は、もっと上を目指さなくちゃ、と自分磨きに余念がなく、先日侯爵家の男性と婚約して学園を離れていった。
私はというと、婚約者もいないし、好きなようにやりなさい、とお父様に言われているのをいいことに、図書館に入り浸っている。元々、自分から誰かに話しかける事が苦手な私は、学園に入学して二年が経った今でも仲のいいと言える友人は少ない。そのせいで変わっていると言われているのは知っているけれど、それでいいと思っていた。
そんな私に転機が訪れたのは、ある休日の事だった。
休日でも図書館は解放されていて、自由に入る事が出来る。それに休日はほぼ貸し切り状態。寮の自室や談話室で読むよりも、図書館で読むことが好きだった。だから、その日もいつものように本を読んでいたのだけど。
「お隣、よろしいかしら」
その声に、特に何も考えずにどうぞと頷いて顔を上げた私は、思わず驚きの声をあげてしまった。
「……クローディーヌ様!」
「しーっ。図書館では静かに、でしょう?」
私の反応にくすっと笑って、唇に人差し指を当てて首を傾げているのは、紛れもなく、アストラ王国の王女様、そして王太子殿下の婚約者であるクローディーヌ様だ。
きっと呆けたような顔をしているだろう私をよそに、クローディーヌ様は隣の椅子を引いて腰を下ろす。遠目でしか見た事の無いクローディーヌ様が、私の隣にいるなんて信じられない。間近で見るクローディーヌ様は、言葉では言い表せないほど綺麗だったし、クチナシのような甘い香りがした。
「驚かせてごめんなさいね。ずっとあなたと話がしたかったの」
「私と、ですか?誰か違う方では……」
「間違いなくあなたよ。あなた、黄金の園を読んでいたでしょう。私ね、あのシリーズが好きなの」
「クローディーヌ様もですか?」
黄金の園は、とある国の貴族社会を舞台にした恋愛小説だ。一巻から五巻まであって、それぞれ別の主人公たちの恋愛模様が描かれている。所々で、別の巻の登場人物たちが登場するのも、読んでいて楽しい。
「も、という事はやっぱりそうなのね。だから、ずっと声をかけたくて。だけど違ったら悪いし、急に声をかけたら驚くでしょうから躊躇っていたの。けれど、もうすぐ卒業だから、今日は思いきって声をかけてみたのよ」
「そんな、光栄ですクローディーヌ様」
「クロードでいいわ。あなたと仲良くなりたいから。お名前は?」
「ミラベルです。ブランシュ伯爵の次女になります」
「よろしくね、ミラベル。貴女ほど可愛らしかったら、もう婚約者もいるでしょうね」
「まさか。それに私なんて本が好きなだけの変わり者です」
「……ちょうどいいわね」
「え?」
何かを呟いたけれど聞こえなくて首を傾げると、クローディーヌ様はにっこりと笑った。その笑顔に妙に迫力がある、と思ったのは気のせいかしら。
「こちらの話よ。それより、ミラベル。あなたはどの巻が好きなの?」
「ええと、どのお話しも素敵ですけど、私はやっぱり四巻の騎士と王女様のお話しです」
「分かるわ。思いを中々伝えられない王女がもどかしくて、それに気がつきつつも、護衛役に徹するしかない騎士が切ないわよね」
「そうなんですよね。私は、当て馬として登場する伯爵が憎めなくて、意外とお気に入りなんですけど。クロード様はどの巻が?」
「私は二巻かしら。しがない音楽家と侯爵令嬢の燃えるような恋。結末はいろんな想像が出来るでしょう。私は生きて結ばれた派なんだけど、ミラベルは?」
「私は逆です。あのまま終わっていた方が綺麗だと思うので。だって、箱入りの侯爵令嬢が普通の生活をするなんて、たぶん無理だと思います」
「現実的ね。私もそう思うけれど、ロマンが無いわ」
「ここは絶対に意見が分かれますよね」
「そうよね」
うんうん、と頷きあいながら、私たちはたくさん話をした。以前から知り合いだったのではないか、というくらい私にしては珍しく、会話が途切れる事は無くて驚いたほどだ。
この日から私たちは、度々図書館で顔を合わせるようになる。
だけど、本当の驚きはこれから始まるという事を、この時の私はまだ知らない。