3-1
初めて彼女を目にした日の事を、俺はよく覚えている。それは、学園の図書館を訪れた時の事だ。
ようやくシャルルとクロードが丸く収まり、クロードの恋愛相談に付き合わされる事から解放された俺は、度々図書館を訪れるようになっていた。
いちゃつく二人から逃げている、とも言うが。クロードは、俺に見せつけているのかというくらい、シャルルにベタベタとくっついている。いやまぁ、長年の想いが叶って嬉しいのは理解できるが、正直よそでやってくれ。
シャルルの方は真っ赤になって、やめてください、と言いながら俺に助けを求めてくるのだが、助け舟を出すことはない。一度それをして、男の嫉妬は見苦しいですわ、とからかわれて以来、何も口出しはしない事に決めた。
だいたい、シャルルには慣れてもらわなければ困る。それゆえに、
(クロードの愛を受け止められるのはお前だけだ、頑張れ)
と、心の中で応援してからクロードの部屋を出てきたのである。
クロードの部屋にシャルルを残し、俺だけが出て来ても誰も疑わない。影の薄いと言われがちなシャルルと、俺を愛してやまないと思われているクロードがどうこうなるとは考えていない。
むしろ、クロードの愛を疑っていない、とか、従者を信頼している、と言われる方が多い。それもこれも、俺たちの地道な、見せかけ婚約者としての活動の成果だろう。
将来、誰かがこれを思いだし、この時から愛し合っていたのでは、と噂してくれれば、さらに俺たちとしては万々歳だ。その者には喝采と共に、何か褒賞を贈りたい。
「おや殿下。何か良い事でもありましたか?」
受付の、白髪混じりの司書にそう言われ、俺は動揺を隠しながら、誤魔化すように笑みを浮かべる。俺はそんなに、緩んだ顔をしていたのか。
「いえ、クロードが驚く顔を想像したんですよ。ほら、あと一年半くらいで卒業ですからね。その時に贈るドレスの事を考えていました」
すらすらとこんな言葉が出てくるようになったのは、実はクロードのおかげである。クロードの大好きな長編恋愛小説から、嫌というほど台詞や仕草を覚えさせられた。
物語自体は忘れてしまったが、そのお陰で甘い台詞を吐く事に、あまり抵抗が無くなってしまった。しかし、相手がクロードだという事が虚しい。
そんな俺の心境を知らず、司書は俺の言葉に穏やかな笑みを浮かべると、奥の扉へ俺を通した。
図書館は三階建てで、一階と二階が書棚、三階が読書スペースとなっている。天井は吹き抜けで明るく、中央の通路の左右に等間隔に本棚が並んでいた。俺は本棚の間を歩きながら、適当に数冊の本を見繕い、三階へと続く螺旋階段を上がっていく。
唯一窓のある三階は温かな日差しが降りそそいでいた。机と椅子が整然と並べられ、勉強や読書に勤しむ生徒がちらほらといるのが見える。試験前ともなれば息詰まるくらいの生徒で溢れるが、試験もないこの時期は穏やかなものだ。
俺はあまり目立たない隅の席につこうと足を動かし、何とはなしに視線を動かしたところで、そのまま動けなくなった。
窓際の席に、一人の女性徒が座っている。頬杖をついて、ぼんやりと外を眺めている。明かりを弾く黒髪が美しく、僅かに笑みを浮かべたような口元が可愛らしい。
何故だか、その彼女から目が離せなかった。どくどくと、胸の中の何かが騒ぐ。
あまりに見つめ過ぎていたからか、ふと顔を上げた彼女と目が合った。今なら、クロードの気持ちが分かると思った。
その瞬間、俺は恋に落ちたのだ。
クロードに言ったら確実に、にまにまと笑って面白がり、殿下にもついに春が、などと言うのだろう。
彼女は俺に軽く会釈をして、また窓の外に視線を移した。俺はぎこちなく彼女の二つほど前の席についたが、意識は背後に集中している。本を開いても、まったく集中出来ない。
その日の俺は、情けなくもそのまま帰ったのだが、その日から毎日図書館に通いつめるようになった。
また彼女に会えるだろうか、また彼女に会いたい。そんな望みを抱きながら。