2-7
──少し時間を遡り、クロードが大広間を出て行った頃。
令嬢とのダンスを終えた後、僕はちょうど殿下の姿を見つけた。壁際に設えられたソファで、優雅に飲み物を飲んでいる。
ワインでも飲んでいそうな姿だけれど、学園の行事で用意される訳もなく、飲み物は全部果実を搾ったものだ。
僕が近づくと、人の悪そうな笑みを浮かべて私を出迎えた。令嬢をダンスに誘わないのは、クローディーヌ様としか踊らないというふりである共に、単に面倒だからだろう。
殿下は、どうでもいい時は本当に行動しない。十四歳という同い年ではあるけれど、王太子である殿下はやはり感覚が違うのだろうか。
クローディーヌ様にいじられている時だけが、年相応に見える、と言ったら不敬かもしれない。
「殿下。あの、クローディーヌ様の姿が見えないようですが」
「出て行った。帰ったんじゃないか」
何でもない事のように言って、殿下はまた飲み物を口にする。驚いてしまったのは僕の方だ。
「……え?どうして」
「拗ねたんだろうさ。お前が踊ってやらないから。泣きそうな顔をしていたぞ」
「そこまで見ていたんですか?」
「まぁな。俺としては、中々楽しい光景だった。クロードのあんな顔は、中々見られたものではない」
「殿下は本当に、彼女に対して冷たいのですね。それに悪趣味です」
あ。つい本音が零れてしまった。いけない。
「……すみません」
僕の謝罪に、殿下は口角を吊り上げる。なんだか楽しそうだ。殿下とクローディーヌ様は、実は似ていると思う。人をからかう時とかが特に。
殿下は、今この状況を確実に楽しんでいる。ニヤニヤと笑う顔が、それを物語っていた。
「いや、事実だ。で、何で踊ってやらなかった?」
「それは……」
「今日のクロードはどうだった?」
「……綺麗でした。目のやり場に困りますけど」
それは素直に認める。青いドレスはクローディーヌ様の雰囲気にぴったりだったし、真珠の髪飾りを着けてくれているのが嬉しかった。
僕の返答に、殿下は満足した様子で笑う。
「そうでなくては困るぞ。お前の為にあつらえてやったんだ。ああでもしなければ、自分の気持ちに正直にならないだろうと思って」
やっぱり殿下は、わざとあのドレスを選んだらしい。あの姿を目にした瞬間、大袈裟ではなく女神かと思った。
きっと笑われるから、自分の胸だけにしまっておこう。今夜のクローディーヌ様の姿は、きっと忘れられない。
「ですが、殿下」
「今までクロードが、何の意味もなくお前に構っていたとでも?本当に気がつかなかったのなら、一つ、良いことを教えておこう。俺とクロードは、結婚後にしばらくしたら別居する予定だ。その後の事を俺は知らない。シャルル。お前なら、この意味がわかるよな?」
首を傾げた殿下を見つめ、僕は手を握り締めた。
殿下とクローディーヌ様が、たまにこそこそと話していたのはこの事だったらしい。
「……追いかけてきます」
「幸運を祈る」
ひらひらと手を振る殿下に見送られ、僕は大広間を後にした。外に出て一気に階段を駆け降りる。そのまま走って、寮への道を辿った。
もし、帰っていなければ行き違いになる可能性があるけれど、クローディーヌ様はたぶん真っ直ぐ帰るはずだ。
殿下の言う通り泣きそうだったなら、もしくは泣いていたならば、誰にも見られたくないはずだから。
クローディーヌ様は、弱さを決して見せない。いつか、蜘蛛を怖がっていたけれど、あれは不可抗力だ。いつだって気高く、美しく、強い。
ずっと、憧れの人だった。
だけど殿下の婚約者だから、それ以上の事は考えないようにしていた。殿下との仲が冷めていると知っても、我慢してきた。
もしもの事を考えないように、感情を抑えることを学んだりもした。自分の気持ちを隠す為に。だって、彼女は王女様で、本来、僕のような侯爵家とはいえ三男には、接点なんて無い人だ。
クローディーヌ様がやたらと接触してきたりしても、わざとじゃないんだ、と思い込もうとした。
明らかに故意だということは、うっすら気がついていたけども。ある時期から、直接的な接触が無くなった事に安堵しつつ、少しだけ寂しいと思ったけども。
そんな事を思い出しながら走っていると、とぼとぼと歩く後ろ姿を捉えた。
頼り無さげな背中が不意に立ち止まったところで、僕はその名前を呼んだ。




