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憂鬱な王様

作者: 葉山郁

 あなた方のひいひいおばあさんがまだ娘子だった頃の昔、誰も知らない所にある今では誰も知らない国に、剣の天才の王女さまがいました。

 王さまも大層な剣の使い手でしたが、王女さまはもはやそれどころではありません。なにしろたった十歳の時に剣豪と世界に名を馳せた王さまをくだしてしまったのですから、その腕は前代未聞。空前絶後。まるで御伽噺のような腕でした。

 王さまは理解が深く諦めの良い方でしたが、王女様が各地からこい願って呼びよせた剣豪達をばっさばっさとくだしていくたびに、子どもが生まれた嬉しさに二歳の王女さまにおもちゃの剣を持たせその相手となりひたすら遊んだことを、少しばかりやりすぎたかなあ、と思うことをやめられませんでした。

 国を支える賢き大臣達は王さまほど諦めがよくなかったのものですから、お妃さまが病でお亡くなりになり王さまが新しい妃を娶る意志がない以上、なんとしても一人娘である王女さまを飾りたて、その美しさで大国の王子や王の賢い頭を悩殺、夏の昼頃に野外に置き忘れたバターのようにくたりと溶かし意のままに操り国を存続させてもらわねば困る! と使命に燃えていました。

 なにしろ毎日欠かさず剣を握る王女さまの掌のふしは岩のように硬く、お年頃だというのに化粧一つせずいつでも額に光る汗をかき、ドレスは面倒だと与える端から誰かにあげてしまう始末。背中まで伸びる豊かな髪の方は、剣の邪魔になるとばっさり切ろうとしたところ大臣の一人がもしその御髪を切るならば私は首を吊りますからね!と泣き喚いて死守としたというのだから大変なもの。

 これが元があまりどうにもよろしくないものならまだ諦めもつきますが、王女さまは亡くなられたお妃さまの血をついでなかなか整った顔立ちをされていました。身体の方も毎日の鍛錬でたるみなく引き締まり、白樺の若木のようにすらりとしています。畜生中身も穏やかだったお妃さまの血を引けば、とひそかに豪胆な王さまの血が大臣達に恨まれていたりする始末。

 しかも王女さまはこれが人間の上で一番大切なことと思いますが、顔立ちより身体より何よりも気立ても大変よろしくありました。優しく気さくで屈託がなく誰にでも親切で、文句がたらたらの大臣達もみなこぞってこの姫君を愛していました。ただ王女さまの剣が強すぎて、そして三度の食事よりも剣が好きだった。それだけのこと。

 そう、王女さまは強いだけではなく、剣の手合いがとてもとてもお好きでした。毎日毎日あれやこれやの手を使っては剣豪として称えられた剣士を全国各地から城に呼び寄せて、息を呑む凄まじい試合を繰り広げていました。

 目にもとまらぬ剣の応酬が繰り広げられる試合の最中、白粉の一つもしないその顔は輝き、額から飛ぶ汗は眩しく光り、しなやかに動く肢体は美しく、王女さまがどれだけ剣が好きなのかをその全部で示していました。

 大臣達は顔を寄せあい、ひそひそと話しあいました。彼らの言は一致していました。お強いことはまあ百歩譲って構わない。剣を握らねば分からない。しかし剣がお好きなのは困る。王女さまが好きでなければならないものは、刺繍などの針仕事、ダンスをしたり歌を唄ったり詩の朗読をしたり、まあ後はなんだか無意味に窓辺で小鳥と戯れていたりすることだ。

 このうちのどれか一つでもいい。剣以上に好きになってくれれば、野蛮な剣をふるうことなど見向きもしなくなるだろうと大臣達はそれぞれ一つずつを担当し、王女さまの気を必死にひいてそれらを好きにさせようと仕向けました。

 経過を話さず結果をいきなり述べてしまうのは無粋ですが、言いましょう。気をひいたことはひきました。

 王女さまは目の前で一心不乱に針を動かし裁縫をしたり、突然その場でくるくるとダンスをしはじめたり、両手を合わせて高からかに歌を唄ったり、本を持って感涙に咽び泣きながらそこに書かれた詩の朗読をしたり、肩や頭に顔が埋もれるほどの大量の小鳥をとまらせたりする大臣達に当たり前ですが目を丸くしました。このような集団を目の前にして気をひかれない者はおそらくこの世にいないと思います。

 王女様はしばらくの間、物も言わずにそろいもそろっておかしな彼らを凝視していましたが、やがておそるおそる尋ねました。

「大丈夫? みんな」

「大丈夫ですとも!」

 大臣達は声をそろえていっせいに答えました。そ、そう、と王女さまは答えて、目もあてられない、という言葉をまさに体現するように顔に手をあてて、なげやりに横を向いている王さまをちらりと見ました。それからまた大臣達に目を戻して聞きました。

「楽しい? みんな」

「楽しいですとも!」

 大臣達はいっせいに答えました。王さまはため息を吐き出しました。

 そして裁縫を担当した一人の大臣は、やってみると案外面白く奥が深いものだと気づき、ついには他国の王女や女王が先を争って彼の作品を買い求めるほどの端整な刺繍を紡ぐことができるようになり、ダンスを担当した一人の大臣は激しくステップを踏んでいると自分の身体の奥底から奇妙な喜びがわいてくるのに気づき、政務の合間に舞台を開き大反響を巻き起こし一躍国きっての名ダンサーと呼ばれるようになり、歌を担当した一人の大臣は毎夜毎夜唄い続けているうちに自分の中に歌にせねば散らせぬ熱があることに気づき、ついにはひとたび彼が唄うだけで野の獣達も聞き惚れるという伝説の歌い手になり、詩の朗読を担当した一人の大臣は詩の素晴らしさに泣きすぎてハンカチ五十枚をだめにした後、自らも詩を綴り始め、彼が出した詩集は各国で空前絶後の大ベストセラーを達成一躍時の人となり、鳥を担当した一人の大臣は自らの肩にちょんととまり、小首を傾げこちらを不思議そうに眺める黒い瞳にあった瞬間、激しき運命を感じて名高き愛鳥家として鳥の保護に努め、屋敷は世界中のありとあらゆる鳥を集めた鳥屋敷と呼ばれ他国からも見学の客が来る国の観光名所となりました。

 やたらに華やかになった王宮に王さまはもうどうにでもなれ、と片肘をつき、王女さまは大臣達の妙技に手を叩いてお喜びになられ

「最初はどうかと思ったけれど、みんな素晴らしいわ」

 と大臣達を褒め称えました。それからにこと笑って王女さまは席をたちました。「じゃあ、私は剣の稽古があるから」

 そのように王女さまの剣の腕は日に日に鋭く凄まじくなっていくばかり。

 ある時、こんな出来事がありました。王さまがある国の訪問に出かけた帰り、暗くなった馬車で国境を越えていましたところ、同行していた愛鳥家の大臣が突如、む、と唸りました。

「どうした?」

 王さまが不思議そうに問いかけると、愛鳥家の大臣はしっと指で静止するよう指図して、肩にとまっていた鳥とぴちぴちと会話をした後、

「うちのラスカビオスカーンが、恐ろしい獣がこの場所に近づいていると言っています」

 王さまはもうそのような大臣になれていたので、その動向には今更どうのこうは言わずに、けれど完全に真っ当に受け止めるのも難しいのか複雑そうな顔でそうか、と頷いた瞬間、馬車の外から地を震わすこの世のものとは思えないような唸り声が響いて、ぴたりと馬車が止まりました。

 王さまが急いで馬車を出てみると、恐怖のあまり棒立ちに硬直する馬の前に、闇にも燦々と輝く一匹の黄金の雄獅子がいました。獅子はその鋭い歯を見せつけるように口を開き

「ここは俺の領地だ。その領地にお前は無断で侵入した。王よ、今ここで俺に食われたくないならばお前の娘を俺に差し出せ」

 恐ろしい喉奥でぐるぐると唸る言葉に、後ろで大臣達は顔を見あわせました。鼻先でその熱い息がかかる位置にいながら、けれど王さまは微塵も怯まずに言いました。

「一体この世のどこに、自分が助かるために娘を差し出す父がいる。醜き恐喝者よ、私はお前の言いなりにはならん」

 黄金の獅子はグルグルと怒りの唸りをあげ

「ならば今ここでお前を無残に喰ってしまうぞ!」

「喰えるものならばな。たとえ娘には負けようと、我が剣はいまだに――」

 すらりと王さまは腰の剣を抜きかけましたが、次の瞬間真後ろからいきなりダンス名人の大臣に頭を叩かれ、全てを紡ぐことはできませんでした。王さまを後ろから容赦もなくぶっ叩くと、ざっと軽やかなステップで前に躍り出たダンス名人の大臣が、親指と人差し指で丸をつくってみせて

「OKです! 獣の王さま! 王女はすぐにでもあなた様に遣わせましょう!」

 王さまは思い切りよく叩かれた頭を抱えて、ちょっとしゃがみこんでいましたが、その言葉に愕然として立ち上がり振り向いて

「何を言うか馬鹿者!」

「馬鹿は王ですっ!!」

 言うなりダンス名人の大臣は愛鳥家の大臣と力をあわせて、少し前までは世界に敵なしと称えられた屈強な王様を有無を言わさず凄い勢いで馬車に引きずり込み

「いいですかっ! これはビッグチャンスですよ! 古来より、ああいう風に人の言葉をしゃべる獣が娘を要求してきたら、だいたいあれは呪いをかけられたどっかの金持ちの大国の王子なんです!!」

「獣は夜になったら美青年に変わるというお徳用で、まあちょっとその後の展開は色々とあって王女は苦労してしまいますが、やがて苦労の末に元の姿に戻った王子と結ばれてめでたしめでたし!」

「普通の婿が来ない王女なのですからこれはもう神が与えたもうたラストチャァァァンス! 恵まれない王女に婿の手が!! ここは言うとおりにして王女を行かせるんです!」

 怒涛のように畳みかねる彼らの血走った形相に王さまはひそかに気圧されて、御伽噺ならともかく現実がそんなにうまくいくはずはない、しかもいくら大国の王子でも不法侵入=死刑という滅茶苦茶な理論をつきつけてあんな卑劣な脅迫で娘を手に入れようとする輩など婿にしたくない、などとたくさんの意志がよぎりましたが言葉として出てきたのは

「いやちょっと待てお前ら」

「いいから王は黙っていてくださいっ!!」

 ダンス名人の大臣は反論する王さまを馬車に押し込めて、なんだかぽかんとしている黄金獅子に向かい、へらと笑いかけると

「では確かに我が王国の信頼をかけて王女を送り届けます。時間の指定などはいかようになさいましょうか? 午前中? それとも午後に? ああ夜行性でいらっしゃいますから深夜でしょうか?」

「い、いや、そうまで細かくなくても、用意ができたなら遣わせば」

「はいっ! 我が身命かけてしっかと承りました。受け取りの際にはハンコかサインをお願いしますね毎度どうもありがとうございます!!」

 馬車はがらがらと去っていき、獅子は尻尾をへたりと地につけて呆然とそれを見送っていました。


 

 馬車が王宮へとつくと、大臣達は転がりながら躍り出ていきました。

 愛鳥家の大臣の小鳥はことのあらましが書かれた紙を首にさげて王宮を回り(後にこの愛鳥家はこの時のアイディアを通信の手段に応用、伝書バトという名称で活気的な通信手段をつくりあげ、その始祖として名を残しました)、ダンス名人の大臣は軽やかな足裁きで独自のステップをふみこの吉報を王国中の人々に振れまわり(後にこのダンサーはこの時のステップをダンスに応用、お急ぎステップという名称で新たなダンスのジャンルをつくりあげ、その始祖として名を残しました)歌手の大臣はそのあらましを獅子が現れた恐ろしい戦慄を取り入れながらもうっとりと唄い(後にこの歌手はこの時の悲劇的な歌詞を荒々しい曲調で歌う方法を応用、悲劇狂歌という従来とは全く異なるスタイルをつくりあげ、その始祖として名を残しました)、詩人の大臣は可憐なる王女に訪れた悲劇と喜劇が入り混じる詩をかきあげ(後にこの詩人はこの時書いた詩の手法を応用、まったく新しい詩の手法としてつくりあげ、その始祖として名を残しました)、刺繍好きの大臣は鬼気迫るような恐ろしいライオンを刺繍した枕をつくり(後にこの裁縫士はこの時の独特の表現を応用、従来の刺繍とはかけ離れた新たな刺繍の時代をつくりあげ、その始祖として名を残しました)、そしてどの大臣もガッツポーズをきめました。

 突然剣の稽古の最中に呼ばれて、話を聞かされた王女さまも唖然としていました。しかしどちらかというと王女さまはその報よりも大臣達の狂態に唖然としていたようでした。

 王さまは心底憂鬱そうなため息をもらし、そして王女さまに手を振って

「気にするな。私がもう一度、今度はあいつらの邪魔がはいらんよう一人で行って来るよ」

「あらお父様、一応、私いきますよ。不可抗力とは言え約束をなさったんでしょう?」

 なんでもないことのように答えた王女さまに王さまは愕然として、大臣達は諸手をあげて万歳三唱を唱えました。

 王さまのいかような申し出にも聞く耳を持たずに、次の日、王女さまは言われた場所に大臣達の歓声を浴びて、朝も早くからすたすたと出かけていきました。そして昼頃には帰ってきました。

 あまりと言えばあまりの早さにどうしたことかと愕然とする大臣達に、王女さまは安心させるように笑い

「退治してきたわ」

 その言葉にあがった大臣達の悲鳴は何重奏にもなって王宮に響きました。なにしろ美声も名高い歌手の大臣もいるのですから、それはたいした大きさになりました。

 王女さまはそんなに心配しなくても大丈夫だったのに、とにこやかに言っています。王女さまが獅子のもとにいってくる、と言い出した意志の元には、はっきりと大きな勘違いをしていたことは明白でした。

 それでも大臣達は諦めきれずにすがるように王女さまに向かい

「ほ、他にはなにか言ってませんでしたか?」

「実は自分は王子だとかなんとか言っていたけど、うーん。あまり聞いてなかったの。恐喝者の言い分なんて真にうけても仕方ないし」

 次にあがった大臣達の悲鳴には城中の者達が耳を塞ぎました。王さまは耳を塞ぎながらまあそんなもんだよなと思いました。

 そんなこんなで最強の守護神が王女さま自身である限り、この国は平和でした。

 がっかりとして刺繍好きの大臣が自宅の自分の部屋でため息と共に刺繍をしていると、ふと扉をあけて一人息子が現れました。彼はこちらに目を細めて

「また刺繍ですか、父上」

「ほうって置け」

「大臣ともあろう者が女子どもの手遊びに夢中になるとは情けない」

 肩をすくめて息子が言いました。大臣は無言で刺繍をしていました。息子はそれが気に食わないように目を細めていましたがやがて

「いつもはにこやかに刺繍をしているではないですか。今日は顔が曇っていますが」

「姫のことだ。人間の男があの姫に勝つのは無理だとしても、獅子ならまあ勝てないでもぎりぎり均衡するかと思ったのに。あの調子では跡継ぎも結婚も到底恵まれまい。そう思うと刺繍をしていても気がめいるよ」

 そう言いながら大臣の手からは素晴らしい刺繍が生まれていました。

「僕がなんとかしてみせましょう」

 大臣は手を止めて息子を見ました。自信たっぷりに息子は笑っていました。彼はさめた目でそれを眺め

「お前には無理だな」

 と言いましたが、息子は聞いた風ではありませんでした。



 城の闘技場で王女さまは自ら呼び寄せた、東の大陸に名を馳せた剣豪の一人と今日も試合をしていました。

 互いの闘志が溢れたけれど静寂のその場に、白刃が火花を散らして飛び交います。

 やがて一刻もたたぬうちに、目にもとまらぬ剣裁きでやすやすと相手から一本を勝ち取った王女さまは、ふと顔をあげ闘技場の入り口に一人の若者が立っていることに気づきました。彼は腕を組み感心したようにこちらを眺めています。

 その位置にはたまに暇を見つけてやってきた王さまがいるはずでしたが、今はいずにその若者一人がいるだけでした。

 大敗し愕然とする対戦相手に丁寧に礼をして王女さまが引き上げると、自分の様子をじっと眺めていた若者が自分に近づいてくるのが見えました。

「素晴らしい試合でした。聞き及んでいたよりももっとあなたの腕は素晴らしい」

「ありがとう」

 王女さまは言いました。

「あなたは剣術が好きなのですね」

 王女さまは誇りを抱く者の態度にふさわしくはっきりとうなずきました。

「とても」

「それは良いことかもしれません。だけれど誰も好きなことばかりをして暮らせはしない。義務を放り出して権利ばかりを追い求めることはできません。我が父や他の大臣達もあのように好きなことを持ちながら別に義務をきちんと果たしている。あなたは王女さまです。あなたには王女としての義務があります」

 王女さまは怒り出しもせずに若者を眺めて尋ねました。

「どのような義務ですか?」

「国に有益なよう大国の王と結婚したり、跡継ぎを産んだり、そのために王達の気を引くように裁縫をしてみせたりダンスや歌を唄ったり綺麗に着飾ったり」

 王女さまはまた怒り出しもせずに静かにそれをきいていて、やがて

「誤解していらっしゃるかもしれないけれど、私は別に結婚したくないわけでも子どもを産みたくないわけでもないの。ただそれを義務としてこなすのが嫌なだけ。ただの義務として結婚する夫も、なによりなにも知らずにただの義務として生まれる子どももかわいそうだから」

 若者は子どものわがままにあったように笑いました。

「王女というものはとても責任がある地位なのですよ」

「私は、王女をやめようと思ったことがあるの。」

 若者が訝しげな顔をしました。王女さまは平然と言いました。

「でもお父様の娘であることはやめたくなかった。私は王女をやめようと思った覚えはあってもなった覚えはないわ」

「それでもあなたは王女です。王のれっきとした娘なのですから」

「どうして?」

「どうしてとは」

「どうして王の娘なら無条件で王女ということになってしまうの?」

 王女さまは真っ向から若者を見つめました。どんな強敵をも倒す剣士の瞳はとてもとても澄んでいました。

「あなたは言ったわ。王女とはとても責任が重い地位だと。そんなに責任が重くて大切な地位ならば、誰かなりたい人が責任を持って引き受けようとして、それを周りの人が認めるようにしなければならないのではないの? それが叶わないのは、最初から制度の方がおかしいのではないの? 血の繋がりというただそれだけで、いきなり生まれたばかりの赤子を、そんな責任が重い王女の地位につけるなんておかしいわ。あなたは多くの人々のように私を疑問に思い非難するけれど、そのことについてはなんの疑問も抱きはしないのね」

 この言葉に大臣の息子は一言も反論できませんでした。それから帰って刺繍にいそしんでいる父に話しました。

「ただの剣バカの王女ではないのですね」

 それに刺繍好きの大臣はじろりと息子を見やって

「お前がバカだよ」

 といいました。それに反論せずに、大臣の息子はじっと父親の手元を見やり

「楽しいですか? 刺繍は」

「楽しいさ。お前もやるか?」

 息子はじっと父の手元を見て考え込み

「やってみます」

 と一言言いました。



 それから大臣の息子は闘技場で王女さまが手合わせする様を毎日のように見に行きました。素人目にも王女さまの手さばきは見事なもので、まさに名手というに相応しいものであることがわかります。なによりも剣を奮い、真剣勝負に挑む時の、王女さまの顔は輝いています。

 そんなある日、大臣の息子ははあ、と自分の横で誰かがため息をついているのに気づきました。見るとそこにいたのは王様でした。

「どうしたのですか?」

 大臣の息子が尋ねると王さまは、はじめて大臣の息子がそこにいることに気づいたようになに、と言い

「君は最近、よくここで見かけるね」

「はい」

「娘は心底楽しそうだろう。生きがいを感じているように。それが羨ましくてね」

「王さまとて名の知れた剣豪なのでしょう。羨むなら再び剣をおとりになればいいのに」

「いや私がしたいことは、剣ではなかったのかもしれない」

 王さまは娘を見やりました。

「少なくとも私は娘より楽しく剣はふるえない」

 憂鬱そうな横顔に大臣の息子は王さまに興味をひかれました。

「王さまのお悩みはそれなのですか。王女のことではなく?」

「娘は幸せなのだ。娘が幸せなら、私は他に娘に何を望もう」

「王さまは王女さまの幸せをお許しになるのですか?」

 その問いに王さまは大臣の息子をまじまじと見やりました。そして

「君もまだ、今の私と同じ場所にいるのだね。」

「どういう意味ですか?」

 大臣の息子が尋ねると王さまは眼下で戦う娘をあごでしゃくってみせ

「娘にとっての剣や、あの君のお父上の刺繍やら鳥飼だのなんだののように君に夢中になれるものはあるかね?」

 大臣の息子は何も言うことはできませんでした。王さまは寂しそうに笑って

「私にもない。私も遠い昔、あんな風に感じたことがあった気がするのに」

「剣でですか?」

「剣だったか……剣に関わることではあった気がする。けれど娘のように強き者と手合わせすることや己の剣技を磨くことではない」

 そう言って王さまは一つため息を吐き政務の時間だと言い残して、去っていきました。大臣の息子は王さまに立ち込める憂鬱にひどく心動かされました。

 王さまがいつもどこか少し憂鬱そうなことは知っていました。しかしそれはそれこそあの王女さまの無類の剣好きからくる憂鬱であったり、おかしな大臣達のおかしな特技からくる憂鬱だと考えていました。まあ誰だって普通はそう考えるでしょう。 

 けれど王さまはそうではなかったのです。むしろ彼らのようなものが自分にないことに憂鬱になっているのです。

 大臣の息子はふと自分を振り返りました。そして急に自分が暗闇のひどく足場が不安定な場所に立っていることに気づきました。

 あの日から知りもせずに馬鹿にすることをやめて、父の同僚である大臣達が手を染めていることにも少し挑戦してみて、多少はその面白さが分からなくもない、と思った大臣の息子ですが、やはり彼らのように夢中になることはできません。剣もふるってみましたが、どこかで違う、という声が聞こえています。

 ――君もまだ、今の私と同じ場所にいるのだね。

 寒さを感じたように大臣の息子は腕を掴み、そして闘技場の王女さまを見やりました。剣を一心にふるう王女さまの瞳はきらきらと輝いて、飛ぶ汗も輝いて、若い肢体はまるでダンスのように軽やかに動きます。大臣の息子はその姿を綺麗だと強く強く思いました。

 誰だとて一目見れば王女さまに夢中になってしまう。誰だとて。

 そう思い大臣の息子は周りを見回しました。闘技場の観覧席には自分を除いて誰一人もいませんでした。けれどその時、確かに大臣の息子は目にしたのです。人人人で埋め尽くされる一杯の会場を。そして耳にしたのです。王女さまの一挙一動に嵐のようなそれをあげる人々の歓声を。

 大臣の息子の身体の中を、刹那の戦慄が駆け抜けました。そして無我夢中で立ち上がり、観覧席から叫びました。

「姫! 姫!」

 その声に見上げた王女さまに向かって、大臣の息子は手すりを飛び越えて闘技場におりたち、彼女の元へと一目散に駆け寄っていき嬉しさのあまりに両手を広げて抱きつきました。

「見つけましたよ! これが僕のやりたいことだ!」

 ぎゅうと抱きしめてから、身体を離し間近で彼女の瞳を見つめました。

「あなたのおかげだ!」 

 そこで王女さまは彼をじっと見つめました。そしてにっこりと微笑みました。そこで大臣の息子ははたりと自分がしたことに気づき真っ赤になりました。



 何発もの空砲の音がよく晴れた空を叩きました。思ってもみなかった数の観客がそのドームに詰めかけて、その整理に城の軍隊を出さねばならないほど、大会は大盛況に見舞われました。

 今日は王女さまの試合を国民のみなが観客席で自由に見ることができる大会でした。

 千の目の注目が集まる中で、皮の胸当てのみの軽装で長い三つ編みを背中にたらした王女様は堂々と進みでてきました。

 非常に気さくな姫君をこのうえもなく愛していた観客席の国民は、王女さまの勝利を疑わずに熱烈な歓声を浴びせましたが、他国の観戦者のほとんどは、これまた熊をも素手で倒したという大陸中に名が知れる巨大な体躯の対戦相手の剣豪に大金を賭けていました。ちゃっかりと大臣の息子は賭博も開いていたりします。

 王女さまと剣豪は向かい合い、礼をしてそれから互いに剣を抜きはらいました。よく晴れたその日の空から投げられる、太陽の光を返して刀身はきらっきらっと光りました。

 始まってすぐに剣豪の大剣が唸りました。風を切り裂き目にもとまらぬその大剣の風圧に王女さまの前髪がなびきます。けれど一瞬たりとも研ぎ澄まされた顔に怯みをのせることはなく、俊敏な森の中の鹿のよう素晴らしい速さで地を蹴り王女さまは間合いをつめました。

 そのような相手の大きな剣に対抗するには、間合いを詰めることがもっとも効果的です。相手は、ぎょっとする間に詰めてきた王女さまに驚愕し慌てて間合いをとろうとしますが、王女さまは目にもとまらぬその一撃一撃を、柳の葉が風を受けるようにひらりひらりとかわし、つめた間合いを一歩も広げずに瞳を光らせて見つけた一瞬の隙に、華麗な突きで剣豪の手からその巨大な剣を叩き落していました。

 汗一つかいていない王女さまの後ろで、生き物のように跳ねていた三つ編みがとんと背中の元の位置におさまると、次の瞬間、怒涛のような大歓声がドームを揺るがし、花が雨のように王女さまに降り注ぎました。奇跡のような一手を間近で目にした剣豪は王女さまの足元に深く膝を折り頭をこすりつけて「弟子にしてください!」と叫びました。

 王女さまは少し手を振って観客に答えました。誰も彼もが目の前で見たことに夢中になって、拍手はいつまでも鳴りやみませんでした。

 大臣の息子があの時、その幻を見て実現させるために走り回った王女さまの剣術大会は、見事な大成功を収めて幕を下ろしたのです。

 華やかな大会が終わった後、さすがの王女さまも少しくたびれて、控え室から愛用の剣を腰に帯びて出て行き、色彩豊かな一日を思い出しながらさあ王宮の自分の部屋へと戻ろうと暗い廊下を歩いていました。

 いつもは凛とした空気の中で強敵と対峙していた王女さまですから、大観衆のざわめきと集まる視線の中で見世物のように戦うことに、躊躇いがなかったわけではありません。

 けれど、初めから静かで邪魔が入らぬ世界でしか戦えないとなるならば、そんな剣になんの意味があるでしょう。それはただの心弱さに甘える証ではないと、王女さまは心得てこの申し出を受けました。

 そんな意味ではいい経験になったと思い、王女さまが昼間の人の山とはうってかわって誰もいぬ廊下を歩いていると、ふと横合いの小さな部屋から光が漏れていることに気づきました。

 こんな時間まで誰だろう、とのぞいてみると、そこは小さな事務室のようで机の上にかけられたランプからわずかな明かりが部屋を照らしていて、その下で机にふしてあの大臣の息子がぐっすりと眠っていました。

 王女さまは参加者で彼は主催者であるというのに、あまりに忙しく飛び回っているせいか二人は今日にいたるまで、まったく顔をあわせていませんでした。ここ数日を徹夜に費やしたらしく、特に気配を潜ませずとも、いや隣であの歌手の大臣が最大の声量を張り上げようとも目覚めないほど大臣の息子は死んだように深く眠っていました。

 王女さまは部屋に入り、辺りを見回して外套かけにかかっている上着をとってその背に包むようにかけてあげました。そうすると近づいたそのとき、ふと大臣の息子の子どものように眠る横顔が目に入り、王女さま身をかがめてその頬に唇をかすませました。

 それから王女さまは自分のしたことに驚いてしまい、ぱたぱたと部屋から出て行きました。廊下を歩きながら、少しほてった顔に手をあてて複雑そうにつぶやきました。

「襲ってしまった……」



 そんなことは露とも知らない大臣の息子が、生まれて初めて大仕事を成し遂げた達成感にひたっていると、ある日突然王さまに呼ばれてその執務室へと参りました。

「君の開いた娘の大会だがね、その評判を聞きつけた各国の人々からこのように大量に、次の大会を開いて欲しいとの要請が来た」

 王さまは足首まで要請の手紙に埋まりながら、大臣の息子にそう言いました。大臣の息子はびっくりしたと同時に、湧き上がる歓喜に喜んでと言い残してばたばたと去っていきました。

 王さまはその背を見送り、少しだけ憂鬱そうにため息を吐き出しました。大臣の息子の瞳には、王女さまが剣を奮うときや、大臣達がそれぞれの妙技にいそしむ時の、言い尽くせない輝きが宿っていました。これでまた王さま一人が除け者になるのでした。

 王女さまの剣術大会はもはや伝説となっておりました。第二回目の大会もこれまた大成功をおさめ、三回目の大会を希望する手紙は王さまの膝下まで埋め尽くしました。

 ひとつの大会を行うたびに評判は評判を呼び、その評判を聞きつけた人々が新しい大会が開かれるたびに全国各地からわらわらと集まってきます。

 もはや大会当日は国中がお祭り騒ぎ同然で、この大会が見たいがために国民になる人間も続々と現れ始めました。

 他国からの大量の客は王国の経済を発展または活性化させ、人口の増加も伴って瞬く間に国力は膨れ上がり、王さまはかすかな憂鬱を吹き飛ばそうと政務をこなし、大臣の息子はそれこそ大会に全てを費やしてことごとくを成功させきったので、ふと気がつけばこの国は近隣諸国に名だたる大国になっている始末。

 けれど発展する国の中でふー、と大臣達が廊下に集まりぐるりと輪をかいて深いため息をついていました。中でも大会主催者としていきいきと駆け回る息子を持った刺繍名人の大臣は心底憂鬱そうに

「あの馬鹿息子があんな大会なんぞ開いてしまうもんだから、姫の剣技のことはもうどんな辺境の王にも知られてしまった」

「婚姻話の打診に行ったら、それよりぜひ対外試合をと熱烈な要請が返ってきたぞ」

「当たり前だ。これではあの姫の悪癖を、声高に触れ回っているようなものだ。おかげで我らが姫は見世物扱い。これでは姫の結婚など夢のまた夢」

 沈痛な面持ちの大臣達の集まりに、ふと角を曲がって刺繍名人の大臣の息子がひょっこりと現れました。

「あ、父上」

「なんだ。慎め。今取り込み中であるのだぞ」

 気軽に声をかけられて刺繍名人の大臣は不機嫌そうに息子を睨みました。

「ちょっとご報告があるのですが」

「今は取り込み中だといったぞ」

「すぐにすみますので」

 父親の不機嫌さなどまるで気にせずに妙にはしゃいだ様子で、大臣の息子はその袖をしつこく引っ張りました。それを苛立たしげに払い、刺繍名人の大臣はため息を吐き出し

「勝手にしろ」

「あの、僕はこたび姫と結婚することになりました」

「勝手にしろ」

 ろくに耳に入れずに大臣はぷいと顔を背けて、「礼儀を知らぬ愚息が失礼した」といい他の大臣達の集まりに向き直りましたが、その先の同僚達のなんとも言いがたい珍妙な顔、それこそこれでもかこれでもかというほどにおかしな顔を世界から採取して並び立てたようなそれにあって首をかしげ、次の瞬間、息子の言うことをその場でただ一人聞いていなかった刺繍名人の大臣を放り出し、彼らはいっせいに父親の素っ気無い返事にも嬉しげにじゃあと去りかけた大臣の息子に殺到しました。

「ど、どどどどどどどう言うことだっ!!」

「ななんなんなんなんで姫がお前と!」

 襟首を掴まれて詰問された大臣の息子は、我が世の春というようにへら、と幸せそうに笑うと

「なんでって、さっきプロポーズしたら姫が受けてくださったので。じゃあ僕は急いで式の企画や立案をしなければならないので、皆様がた失礼させていただきます」

 と言い残し、飛び跳ねるような足取りで去っていきました。そこに圧倒的な沈黙を残して。

 呆然と立ち竦み若者の浮かれた後姿を見送っていた大臣達は、同時に我に返りばっといっせいに刺繍名人の大臣を振り返りました。

 ようやくに息子が言ったことを頭に届かせた刺繍名人の大臣は、だらだらと汗をかいた後、おもむろに袖から針と糸と布を取り出して動揺を収めるように刺繍をし始めました。その様子に他の大臣達はいっせいに声をあげようとしましたが、そこへ王さまがひょっこりと現れたのでそちらに向きました。

「王! 姫があの大臣の息子と結婚するという話は!」

「ああ、今さっき聞いた」

 王さまはあっさり頷きになられました。

「あの婿にはもう式の段取りや計画がすっかり頭にあるらしいから、私は手持ち無沙汰だよ」

「王! そのような問題ではありません! いつの間に! なんで! どこでどうこじれて曲がってくっついてそんな話になったのですか!!」

 そこで王さまはぱちりと目を瞬かせ

「どうしても何も、あの二人はだいぶ前から恋人同士だろう?」

 その言葉に他の大臣達はいっせいに刺繍名人の大臣を向きました。大臣は一心に刺繍にとりかかっていました。

「まあ私としても可愛い一人娘を他の男にとられるのは複雑な心境だが、あの獅子よりは、と思えばどんな男でも我慢できる」

「王!! なんでこんな一大事をあっさり決めてしまうのですか! 姫の結婚話なのですよ! 我が国たった一人の王位継承者。その姫の結婚話なのですよ! しいてはこの国の大事!」

 ぶつぶつと腕を組んで少し花嫁の父親の心境をこぼしていた王さまは腕組みをとき、物覚えの悪い子どもに教え込むように

「仕方あるまい。子どもができたのだから」

 その言葉にそれまで同僚の大臣達と王さまのやり取りの横で、鬼気迫るほどの迫力で刺繍に取り組んでいた大臣の指がつまむ針が、真ん中でぽきりと折れました。



 そうして国民には充分に祝福されながら、若い二人は盛大な式をあげ、やがて月が満ちると王女さまは珠のようなかわいらしい姫君を産みました。姫君を抱いて王女さまは夫に言いました。

「早く剣をふるいたいわ」

「そうだろうね」

 苦笑して若い夫は答えました。

「大臣達がよく私に言い聞かせたわ。他にも多くの人が私に言ったわ。――あなたも言ったわね」その言葉にまいった、と降参して手をあげる夫に微笑みかけ「どうしてそんな野蛮なものを王女さまが手にしているのか。すぐに手放せ、手放せと。でもそんなのまっぴらだわ」

 そう言って王女さまは腕に抱いた娘を愛しげに見下ろしました。娘の大きな黒い瞳が不思議そうに見上げていました。その娘に王女さまは誇りを持って語り掛けました。

「喜びを知っているかしら。この胸が跳ねる喜びを。あなたもいつか知るかしら。私は喜びを知っている。剣をふるうことよ。それがなければ私はいないの。その理由は知らないわ。ただ私はないの。それがなければ私は、本当に生きていることにもならないのよ」

 王女は体調が元に戻ってくると、さっそく剣を手にしてすっかり身体がなまってしまったわ、と鋭い剣をぶんぶん唸らせながらにこやかに言い、不思議そうに母親を見やる幼い娘を抱いた若い夫は、なまっただなんて全然分からないよ、と苦笑気味に答えました。

 式の間中、呆然としていた大臣達もこの愛らしい姫君には、オーブンに放り込んだバターのようにどろどろに心溶かされて、姫の一才の誕生日にはそれぞれの妙技の限りを尽くして祝いを捧げました。中でも贈られた姫の産着は、それは見事な代物で素の布が見えないほどにびっしりと丹念に刺繍がされていました。

 そうして大臣の息子の生き甲斐の大会はまた開かれ、姫はまた剣をふるい、大臣達も精進しその腕前は冴え続けました。

 そんな平和が続くある日、大臣達は王宮の一室に集まりゆったりとしたお茶会を開き、その席でこんな話をしました。

「結局姫は、着飾り、王女らしくふるまい、大国の王や王子を射止めることはなかったな」

「刺繍も好きにならず」

「ダンスも好きにならず」

「詩も好きにならず」

「歌も好きにならず」

「鳥も好きにならず」

 そこで各自それぞれの生き甲斐を述べた大臣達は、ちょっと別の意味ではあとため息をつきましたが、次にあげた顔は晴れていました。

「だが、我らがこのようにかけがえのない喜びを得て」

「愚息が開いた大会のおかげで大国となったのも」

「元を正せば全て姫の剣好きのおかげ」

「姫は誰よりも剣に純粋な情熱を抱かれておられた」

「悪癖と一概に決めつけていたが」

「頃合だろうな」

「これ以上の文句は言うまい」

 そこで大臣達は満足げに頷きあいました。

「姫の勝利だ」

 そうして大臣達はそれから王女さまの剣好きにとやかく言わなくなり、大会の勝利には手を叩いて彼女を祝福しました。王女さまが彼らが自分の腕前を披露するたびに、屈託なく褒め称えてくれたように。刺繍名人の大臣は少しだけ息子を見直しました。

 ここから全てが発した王女さまは大好きな剣をふるい続け、大臣の息子は大好きな企画運営に携わり続け、大臣はそれぞれ刺繍とダンスと歌と詩と鳥に情熱を注ぎ続けました。

 彼らはみんな、その日々に満足しておりました。ただ一人、夢中になれるものがない王さまをのぞいて。

 それでも王さまは王さまなりに孫娘を可愛がって幸せに暮らしていました。ただ王女さまが試合に挑む時の目の輝きや若者が大会を運営しているときのいきいきとした様子、大臣達の妙技が素晴らしいさまを見ると、少しため息をはかれるときがありました。

 そんなある日、ふと王さまは二歳になった孫娘に柳でできた細い剣を持たせてみました。すると孫娘の幼い顔は輝き、きゃらきゃら笑ってそれを振りまわし、見よう見真似で母を真似るように突きまでやってみせました。

 その瞬間、王さまの胸を何かが駆け抜けました。

 そうして、その日から王宮に仕える多くのものに、夢中になって幼い孫娘が振り回す剣の相手をする王さまの姿が見られました。

 大臣達はその姿を見て、若き日に、自らの娘に剣を持たせて剣を持った娘以上に夢中になってはしゃいでいた王さまの姿を思い出しました。王女さまは幼い頃に、与えられた剣をふるった時に父がこちらに向けたこぼれおちそうなほどの笑顔を思い出し、若者にそのことを耳打ちしました。

 王さまはあだあだと喜んでおもちゃの剣をふるう孫娘の前にしゃがみこんで、彼らがそこにいることにも気付かないほどに熱狂していました。

「よし! そこだっ! そのタイミングだ! 鋭い突きだぞ! そう! そうだ! いいぞ! お前は天才だっ!」

 大臣達が顔を見合わせました。若夫婦も顔を見合わせました。孫娘は楽しそうにきゃらきゃら笑っていました。王さまは心底嬉しそうに孫娘の相手をしていました。その瞳は誰よりもきらきらと輝いていました。

 その様子をみなそろって眺めながら、結局に全ての発端はこの王さまだったのではないか、と皆は思いました。

 後に王さまは引退すると娘の助力を得て身分の上下構わず、誰にでも等しく門戸を開く剣術学校を作り上げ、その講師をつとめていきいきと毎日を送りました。


 そうして、みんな幸せになりました。



 〈憂鬱な王さま〉完



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― 新着の感想 ―
[良い点] 大臣たちのハイスペックぶりに散々笑った後でじーんと泣ける。 王さまも幸せになれてよかった、よかった。 文章もわかりやすくて読みやすく、一気に読んでしまいました。 [一言] はじめまして、日…
[良い点] とても面白かったです。 大臣達のハイスペックに笑いました。 [一言] 何か一つ夢中になれることがあるのは素敵ですね!
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