この娘、ヤンデレにでもなるつもりか?
そろそろ理事長の娘って打つのしんどいです。
その日、俺は理事長に招待されて学校の敷地の中央にそびえ立つ、超高層ビルの最上階へと向かっていた。
あの後、結局理事長の娘は教室に帰ってこず、俺は理事長とその秘書に導かれるままに敷地の中央へと向かったのだった。
彼女は一体どこへ行ってしまったのだろうか?
理事長によると最近の彼女はパソコンいじりにゾッコンなのだそうで、きっとネットルームにいると誇らしげに言っていた。
多分それは俊樹のプライベートを暴くために篭っているのであって決して純粋なマシンやネットへの興味じゃないと思う。
だが、俺が親なら確実に知りたくない情報なので、理事長の娘の名誉を守ることも兼ねて黙っておいた。
エレベーターの示す数字は四十を超えていて、エレベーターの窓から見える景色は見慣れた校舎とは少し表情が違った。
授業の時はただただ馬鹿でかいだけの邪魔な建物だと思っていたが、いざ来てみると景色だけでも既に採算が取れてるんじゃないかと思ってしまうほどの建物だった。
生徒には十階までが図書館として解放されているのみでそこから上の四十階は生徒にその全貌を明かされていない。
ただ、そこには学園を経営するための全ての機構が備わっているらしい。
そして、最上階は理事長の居住スペースであるとも説明されていた。
ポーン
という優しい音が響いたあと、五十を示したその箱の扉が開いた。
「さぁ、上がってくれたまえ」
「あ、はい。失礼します」
そこはショッピングモールでしかエレベーターを使ったことのない俺にとっては強烈な違和感を感じさせるスペースだった。
エレベーターの前にごく普通の脱靴スペースがこじんまりと存在し、その先に何気なくフローリングの廊下が続いていた。そして、壁に囲まれ少しだけ狭いその廊下の側面にはドアが所々に取り付けられていた。
「さぁ、あまり広くないが寛いで言ってくれたまえ」
少し進んだところにあったドアを開けて部屋に入った理事長は俺にそう促した。
その部屋は予想以上に普通だった。
それほどに広くなく、テレビやソファーなんかが普通の家庭と同じように配置されていた。
「拍子抜けしたような顔をしているね?金持ちの家はみんな豪邸だとか思っていたかい?」
俺の心を見透かすような発言に少し俺は心臓に悪いな、と思いながらも答えた。
「正直にいうと理事長の言う通りです。赤いカーペットが敷き詰められたエントランスの真ん中に広い階段がある豪邸を思い浮かべていたものですから」
「ははは。まぁ、別荘の一つにそういう趣のものもないことはないが、君に誇っても仕方がないからね。そういう豪邸はお偉いさん方を接待するのに使っているよ」
そういうと、理事長は座り心地の良さそうなソファーに座るように促した。
俺はお礼の挨拶を言うと、そこに腰かけた。
「さて、まぁ、私から話すことは話した。それじゃあ、希を呼んでくるよ」
俺は正直呼ばなくてもいいと思ったが、さすがにそれは口に出さなかった。
理事長は言うだけ言うと、部屋から出て行った。
部屋に一人取り残された俺は、静寂の中、読みかけていたラノベを取り出し、読み始めた。
しばらくすると、なんだかうとうとしてきた。
暇な空間で一人取り残されているのだ。眠くなるのは必然だが……。
まぁ、ラノベのおかげで辛うじて意識は保てているが、眠気はどんどん強くなっていく。
本の文字列が歪んできた。
まずい、これは確実に寝る、とそう思った時には多分俺から意識は奪われていた。
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目が覚めても目の前が真っ暗だった。
まだ、体も上手く動かない。
金縛りにでもあったかのようだった。
喋ることもできない。
それなのに、意識だけははっきりしている。
ドアの開く音が聞こえた。
「はぁ?」
聞き覚えのある声が聞こえた。
理事長の娘だ。
いや、こっちが「はぁ?」と言ってやりたい。
少なくともまともな人間に開口一番かける言葉ではない。
俺も抗議の声を上げたいが、顔の筋肉も硬直しているため、口すら開けられなかった。
「……、多分パパの仕業ね」
そう言った後、俺の寝転がっている地面が軋んだ。
ここはベッドか?
「はぁ……。どうしてよりによってここなのよ……。私眠れないじゃない」
はぁ?
いや、いやいやいやいや!?
まて、ここもしかして理事長の娘のベッドか!?
「でも、コイツもかわいそうよね……。私のこと好きそうじゃないのに付き合わされて。挙げ句の果てには意識ないわけだし」
理事長の娘にしては珍しく優しい言葉だ。
これからは理事長の娘を見たら狸寝入りするっということを視野に入れていこう。
椅子がギシギシと呻き、机の引き出しの開けられる音がした。
なんでだ?
おい、もしかしてだけどさ。
俺が理事長の娘を襲うことを見越して、俺を宮刑に処すつもりじゃないだろうな?
やめてください、理事長の娘さん……。俺の息子に罪はない……。
そうやって俺は男性としての終末に震えていたのだが、その悲劇は訪れなかった。
「ちょっと、私の部屋に危険物が置いてあるんだけど?何?やっぱりお父様の命令?」
理事長の娘のお怒りの声が聞こえた。
どうやら理事長の娘は電話を取り出しただけであるようだった。
俺は何も見えないから、不安から神経質になってしまっていたのかもしれない。
「はぁ?認めないのね。まぁ、いいわ。で、これはどうすんのよ?え、何?じゃあ、何してもいいの?」
理事長の娘の言葉を聞く限り、ものすごく不穏な空気だ。
「わかったわ。じゃあとりあえずこっちでなんとかする。いつもごめんね。あんたには苦労かけてるわ。ありがとう、藤原」
藤原さん、多分理事長の娘のデレに悶えてるのかもしれない。関係のない俺ですらドキッとしたくらいなのだから、多分確実だ。
そんな感傷に浸っていると、今度はまたドアの開くような音がした。
ベッドが揺れているところを見るとかなり重量感のあるものが運ばれてきたようだ。
「さてと」
理事長の娘はそう言った直後、ドリルが回るような、歯医者さんでよく聞くあの音が聞こえてきた。
待て待て待て待て。
聞いてない。
殺される、殺される、殺されるーーー!!??
そう思って、全身を強張らせ……られないのだが、とにかく次なる衝撃へと備えた。
その直後。
硬い二つの感触が肩甲骨と足に伝わった。
ふわりと、体が浮いたような感覚がした。
何かに持ち上げられているようだ。
時々、先ほどの音が聞こえる。
多分、モーターの駆動音か何かだろう。
だが、不安定なその感触は俺を支えるのには十分ではなかった。
つまり、俺はそのまま背中から地面に落ちた。
無抵抗の俺は受け身すら取れずに、地面に転がった。
今度の床は硬い。
「あ、やっちゃった……」
やっちゃったじゃないですよ!?
意識飛びそうになったよ!?ほぼないも同然だけど!
多分、機械で俺の体を持ち上げたのだろう。操作ミスで落としたみたいだが。
「まぁ、これで眠れるわね」
その言葉とともに、機会の駆動音は鳴りを潜めた。
そして、胸のあたりに彼女の手が触れているのに気がついた。
今度は何をする気だと、訝しむ俺の気も知らず、理事長の娘は俺の頬をツーンツーンしてきた。
はぁ?
俺の初めの感想はそれだった。
だが、心は現実に徐々に追いつく。そして、めちゃくちゃ恥ずかしいことをされている事に気がついた。
くすぐったいし、女子にこんなことをされるのは初体験なので、心音が聞こえないか本当に心配になってきた。突くならおでんだけにしてほしいものだ。
「なんか、かわいいわね……」
その呟きにいろんな意味で心臓が止まりそうになった。
絶対裏がある、という理性と理事長の娘のデレだ!という本能が脳内で抗争していた。
だが、そんな夢のような時間はそう長くは続かなかった。
「そ、それにしてもコイツ、ほんとムカつくわ!この私が彼女なのに、いつも嫌そうな顔して!なんでこんな奴なんかと付き合わなきゃいけないのよ!この!この!」
今度は脇腹を蹴ってきた。
痛い!手加減してくれてるの分かるけど痛い!
俺は悲鳴を上げたくてもどうすることも出来なかった。
俊樹が好きなくせに、俺にも好意を持たれないと気に入らない理事長の娘の貪欲さに俺は半ばドン引きである。
「はぁ……。昏睡状態の人に暴力を振るうなんてパパが見たらなんていうかしら?でも、まぁ、コイツはこれくらいされておいた方がいいわ」
一体何を以てそれを判断しているのか甚だ疑問だが、今の俺は死体も同然だ。目だけでもいいから早く開いてほしい。
そういうと、ベッドの軋む音が再び響いた。
「それにしても、シュールな光景だわ……。私の部屋に男が転がってるだなんて」
理事長はそう言うと、俺の腹の上に足を置いた。
何踏んでくれてやがる、と声を出したいが残念ながら体は俺の命令を一切受け付けてはくれない。
「でも、案外こいつの顔にも慣れてきたかもね」
そう言うと、彼女の足は俺から離れ、また引き出しの開くような音がした。
「まぁ、落書きでもしなきゃまだ見られた顔じゃないけど」
落書きをしたら改善されるほどに俺の顔面指数は低いのだろうか?
俺はそんな疑問を感じながらも、なんだかこの動けない状況に慣れ始めていた。
そうやって油断していた時だった。
唐突にお腹のあたりが柔らかい感触に圧迫されている感覚を俺の脳に伝えてきた。
おい待て、これってまさか……。
いや、そんなまさか。
でも、俺の勘違いかもしれないじゃないか。
そうやって自分に言い聞かせても、俺の聡い部分は耳元で囁きかけてくるのだ。
そうだ。それだよ、と。
だが、やはり、理事長の娘は俺の葛藤など知る由もなく、落書きの構想なんて考え始める。
「うーん、どんな落書きにしようかな……。まぁ、私にかかればどんな風に書いても芸術的に……」
そんな、なんでもないタイミングでだった。事が起こったのは。
運の悪いことに俺の目はそこでぱっちりと開いたのだ。
あれほど焦がれた開眼なのに、求めた光なのに、なぜか今は全然嬉しくなかった。
だが、俺の目はお役所仕事を淡々と続けている。目の前の現実をそっくりそのまま俺に報告してくるのだ。俺の上に乗って今まさに顔に落書きを加えようと、ニヤニヤしている理事長の娘の顔のドアップを継続的に。
「………」
理事長の娘の顔が引きつっていくのが目に見えてわかった。
「………」
気まずい沈黙が流れる。
そして、彼女の顔は段階を経て無表情へと変わって行った。心なしか遠い目をしている。
そして、俺の唇は先ほどまでの硬直が嘘のように軽く動いた。
「……、あのさ、理事長の娘さん……」
「何?」
彼女の声は驚くほどに平坦だった。彼女は現実からできる限り目を背けることで心の平穏を守っているのだ。俺も極力彼女の心を刺激しないよう細心の注意を払い、こう言った。
「悪いことは言わない。怒らないから俺の提案を聞いてくれ」
「し、仕方ないわね」
理事長の顔がだんだん赤くなって来た。
「今あったこと、全部忘れてあげよう。だから、俺への制裁も下さないでほしい、というか……」
彼女の目に涙が溜まっていくのを見て、俺の言葉はだんだん尻すぼみになってしまった。
「………」
理事長は無言でいた。驚くほどに大人しかった。
「………」
この一瞬だけは。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
だが、彼女の心のダムは遂に決壊した。
まぁ、そりゃ、自分が嫌いだと公言するような人物の上に乗っているのだ。それも端から見れば勘違いされるような体勢で、である。
魔が差しただけのしっぺ返しにしては倍返しどころの話しではなかっただろう。かわいそうに。
いや、俺は被害者だし、同情するのは変な話か?
そんなことを考えている俺は、理事長の娘に強力なビンタを受けて床に転がっている。
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「う、うぅ。これじゃ、私もう俊樹くんのところへお嫁にいけない……」
ベッドの前で横座りで泣く彼女にはなんとも言えない艶めかしさを感じるが、俺がヤらかした事後みたいな絵面になるのでやめて欲しい。
「いや、自業自得だろ……」
俺はやけくそになってそう呟くと、徐に立ち上がった。
「どこいくのよ?」
ぐすり、と彼女は涙目でそう聞いた。
「帰るんだよ」
「今、午前二時よ」
「終バス……」
俺は多分今から三時間ほどは帰れない事実を突きつけられて、床に腰を下ろすしかなかった。
そして、俺は再び彼女を見た。
「何みてんのよ」
「いや、理事長の娘も泣くんだなぁ……と」
俺はそう言うと、少し笑った。
なんだか、理事長の娘には悪いがおかしかったものは仕方がない。
いつもイライラしている理事長の娘しか見てこなかったから少し新鮮で、違和感を感じたのかもしれない。そして、その予想外が俺の笑いのツボにハマってしまったのだろう。
「笑わないでよ!私がバカみたいじゃない!」
「ごめんごめん、今回ばかりは俺が悪いな」
「他はあんたが悪くないみたいな言い方やめてくれないかしら?」
「おう、いつもの理事長の娘に戻ってきたな」
「うっさい、あんたもう黙って」
「やだね、今まで喋れなかったんだ、今の俺はそこらへんの羽虫なんかよりは断然五月蝿いぞ!」
ズイっと、俺は理事長の娘の方に体を乗り出した。
「ちょ、なんか、あんたテンションが変よ!?どっかに頭でもぶつけたんじゃない?」
理事長の娘は、俺の気迫に押されてジリジリと後ろへ下がっていく。
だが、俺は彼女を逃がす気はない。
俺は被害者なのだ、この際自己主張してやる。
「ぶつけられたわ!そこにあるゴツい機械で俺の身体持ち上げて落としたんだろが!意識飛ぶかと思ったぞ!?」
「ちょ、なんでそれを!?」
「意識はあったんだよ!体は動かなくてもな!」
「うわぁぁぁぁぁぁ………」
理事長はそう呻くと頭を抱えて動かなくなった。
「ちくしょう、脇腹蹴られてる時は本当に、死ぬんじゃないかと思ったんだからな!」
「ちょっと、もう話しかけないで……、私、もう立ち直れないかもしれない……」
「何を今更……。もしかして俺にしてきた悪口雑言その他諸々を反省する気になったのか?」
「あんたに一瞬でも同情したのを後悔してんのよ!それに……、うわぁぁぁぁぁぁ、最悪だぁ……」
理事長の娘は顔を赤くしてもう少し小さくなった。穴があったら入れそうなサイズだ。
「お前に期待したのが間違いだった」
俺は大きく息を吐くと、やはり心変わりをして立ち上がった。
「ちょっと、どこ行くつもり?部外者にあんまりうろちょろされたくないんだけど?」
「部外者扱いかよ、酷いな」
そう言って、俺は理事長の娘の使っている勉強机らしきところへ手をついた。
ガコン、という音がして机の一部が沈み込んだ。
まるで、何かのスイッチのようだ。
「あっ」
理事長の娘の惚けた声に、一瞬何が起こったのかと思ったが、これは起こる前触れだった。
「なんだ?」
プシュー
と、いかにもな音を響かせて、理事長の部屋の壁が開いたのだ。
だが、黒い幕が張られていて、中の様子を垣間見ることはできない。
俺は呆然と、その様子を見ていたが、やがて俺は正常な判断力を取り戻した。
そして、俺は足を自然に進めた。それはさながら誘蛾灯に集まる虫そのものだった。
正常な男なら、隠し部屋なんてロマンを見せ付けられちゃ、もうこれは行くしかない、行かざるを得ないのである。
「ちょっっっ……」
そう言うと、彼女はその部屋の入り口の前で立ちふさがった。
「なんだ?俺はこの先に用があるんだ、退いてくれないか?」
「待って!本当、待って!なんでもする!なんでもするから!ほんと待って!」
理事長の娘は半ば悲鳴のような声を上げて、俺に制止をかける。
だが、理事長の娘よ、そんなこと言って本当にいいのかな?
「ほほぅ。なるほど。なんでもすると……」
「……、そ、そうよ……」
彼女は俺の目を見据えた。
彼女の目の焦点はあってないし、冷や汗がダラッダラである。
そして、彼女は割と震えていた。
「なら……」
「なら、何よ……」
理事長の娘は生唾を飲み干した。
部屋に緊張が走った。
なんでもするか。
そんなもの、やることは一つしかないに決まってるよなぁ……。
「そこを退いてくれ、理事長の娘!!!」
「ちょっ、それはなし!?」
「問答無用!」
俺は、彼女に怪我をさせないように、注意をしながら彼女の隣をすり抜けた。
そして、俺はついに足を踏み入れたのだ。
その隠し部屋というロマンに。
「………」
だが、見ないからこそのロマンなのだ。
旅は計画の段階が一番楽しいという。旅それ自体の価値を上回ることすらありうる。
そして、これはこのパターンだ。
そこに俺の想像していたロマンなど何もなかった。
「……うわぁ、マジ引くわぁ」
その部屋は、コンピュータルームだった。
たった一つのキーボードに無数のディスプレイが並んでいた。
そして、そこに映し出されていたのは、無数の盗撮写真であると思われる俊樹の顔と、現在進行形で行われている彼の家の監視映像だった。
理事長の娘は俺の後ろで崩れ落ちた。