いつもに帰ったら、彼女はセットでついてきた。
俊樹は理事長の後ろ姿を適当に見送るとうーん、と唸り始めた。
「なぁ、恭弥?お前理事長に何を言われたんだ?」
俺は理事長の言葉を頭の中で反芻していた。
世界の幸福のバランス。
他人を不幸にして世界を保つ。
それは罪のない人かもしれない。
こんなのあんまりだ。
幸せでいるだけで世界のバランスが崩れるだなんてあまりにもおかしい。
それに情報のソースは理事長だけだ。
他を当たれば……。
いや、ダメだ。他にこれを知っている人に心当たりなんてない。
「おい、恭弥!」
「うわっ、なんだよ!?」
「お前、本当に大丈夫か?」
「大丈夫だよ、なんでもない」
俺はそう言うと、俊樹から目を逸らした。
「なんだよ。教えてくれよ。俺はお前を助けるってミナと約束したんだ。俺は彼女との約束を反故にするつもりはないんだぞ」
「うるせぇな、お前に何がわかるんだよ!」
ガラにもなく怒鳴ってしまった。
明らかに俊樹に非はない。
悪いのは俺のほうだ。
だが、俊樹は俯いて黙ってしまった。
「ご、ごめん、俺……。すまん……」
俺は謝ることしかできなかった。
「いや、いい……。俺には、言えないことなんだろ?」
「……」
「なら、無理に話さなくてもいい。最近お前の様子がおかしいからよ、ちょっと力になりたかっただけなんだ」
俺は少し考えた。
もしかしたら、こいつなら力になってくれるのかもしれない。
俊樹なら、この俺の幼馴染なら信じてくれるかもしれない、と。
だから、俺は覚悟を決めて言った。
「……お前さ。神様って信じてるか?」
「あぁ。必ずいるさ」
俊樹は即答した。
少しは迷うとそう思っていたのに、これだ。
相変わらず、俺とこいつの間にはかなりのギャップがあるらしい。
「どうしてそう断言できるんだよ?」
「直感だよ」
「なんだそれ?」
理由も俺には納得できないようなものだった。
だが、なんだか、それが俊樹らしいように思えた。
「まぁ、いいじゃねぇか。話を続けろよ」
俊樹はそう言って俺に続きを言うよう促した。
だから、俺はそのまま理事長の言ったことを俊樹に伝えた。
俊樹は真剣そうな表情で俺の話を聞いていた。
笑い飛ばすでもなく、真剣に。
俺はこの日、久しぶりにこいつが親友でよかったと思った。
俊樹はその後しばらくして帰った。
俺は、数日後、検査結果が良好というお墨付きを貰い、退院した。
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人は、驚天動地の出来事を目の当たりにすると、こう言うらしい。自分の目を疑った、と。
だが、幸いにも俺は17年の短い人生の中でそれに思い当たるような場面に出くわしていない。
だから、俺は今、人生で初めて文字通り自分の目を疑った。
いるのだ。
奴が。
理事長の娘が。
俺のクラスに。
「何よ?」
「何よ、じゃねぇだろ。なんでいるんだよ」
おかげで、クラスが静まり返って通夜みたいな雰囲気になっていた。
あの、理事長の娘がいるのだ。それも、クラスメイトと関わっている様子は一切なく、彼女の周りには謎の障壁があるように錯覚するくらいだ。
そして、俺が話しかけたことで反面クラス中の視線を集まっていた。
ここまで興味を持たれているのに、何もアクションを起こさないだなんて、コイツ、実はコミュ障なのではないだろうか?
「クラス替えよ」
相変わらず、凛とした声でそう答えた彼女だったのだが、彼女の声が発せられるごとに、漢どもの荒い息が徐々に大きくなっている気がするのは気のせいか。
俺はこのクラスが嫌な方向に進化していく様子に目を背けながらこう言った。
「何で?」
「私が優秀だから?」
「何言ってんだこいつ……」
だめだ。理解が追いつかん。
「分からないの?私の優秀さが認められて、特別に一つわがままを聞いてもらったのよ。一応、他の生徒にも適応される制度だから、勉強のモチベーションアップに繋げるんだって」
「はぁ……。なるほど、ストレートな意味だったのか……」
俺は無駄に高い理事長の娘のポテンシャルに半ば呆れながらそうこぼした。
俺は彼女の方をふと見た。彼女はなんだか少しそわそわしているように見えた。
「と、ところでね!」
理事長はまた俯きながら顔を赤くしていつかのようにモジモジし始めた。
くそ、可愛いな……。外見だけは。
「なんだよ、なんか嫌な予感がするんだが……」
「俊樹くんと一緒にお弁当を食べたいから……、その」
「……」
だいたい何が言いたいのかは察した。
俺に恋のお手伝いをしろと、そういうことなのだろう。
俺の彼女だからといったと思えば、俊樹のことが好きだと抜かすところを見ると、なかなか感情の入れ替わりの激しいやつだ、と俺は思わざるを得ない。
「一緒に誘ってくれない!?」
「……、自分で誘えよ……」
俺は丁寧にお断りさせていただいた。
いや、別に嫉妬したとかではない。心の距離とかなんとかコイツはほざいてやがったのを思い出しただけだ。
いつまでも、俺たちはそばにいるわけにはいかないのだ。
体育だって、男女別だし、トイレとかにまで付いて言ったら変態だと思われかねない、いや、変態だ。
さすがに俺もそんな身分に身をやつすつもりはさらさらない。
なら簡単な方法は俺たちが両想いになることだ。
別に俺の片思いでもいい。
俺が近づける限界まで近付いておくだけ損はないだろう。
だが、コイツは俊樹にご執心で俺がそのキューピッドとかそういう立場になれば、俺の心も最終的には片思いを維持する力をなくすだろう。
いや、まて。
そもそも、俺はこいつに片思いをしてないな……。
「ちょっと、私の話聞いてる!?」
「聞いてない」
「やっぱり、そうだったのね!急に胡散臭い顔をしだしたと思ったのよ。きっとオタクチックなことを考えていたのね!キッモ!」
だめだ、お嬢様。
このクラスには、俺なんかの比じゃない変態どもがいるのだ……。
「「「はぁ、はぁ、はぁ……」」」
ほらやっぱり……。
「なぁ、理事長の娘さんよ?」
「その呼ばれ方ムカつくからやめてくれない?」
「なら、その前に俺の提案を聞いてくれないか?」
「いやよ、その前に私の言うことを聞きなさい!」
「なんだよ、融通の利かないやつだな」
「なんか文句ある?私は金持ちで可愛いお嬢様なのよ?」
「だからなんだよ?」
「なっ!?」
理事長の娘は可愛い握りこぶしをぷるぷるさせてちょっと涙目になっていた。
何か、プライドに傷つけるようなことを言ってしまったようだ。
「「「………」」」
視線が刺さる。
数の暴力が俺に、こう言っていた。
謝れ
謝れ
謝れ
と、まるで俺を突き殺さんが如く力で。
「わ、悪かったよ」
「な、何よ!?なんで謝るのよ!私が負けたみたいじゃない!」
謝っても怒られるのかよ……、と俺はうんざりしながらささやかな反撃に出ることにした。
「ごめんなさい、理事長の娘さん!僕が悪うございましたぁ〜」
謝られて負けならどんどん謝ってやろうじゃないの、とそう言う魂胆である。
「何よ!?あんた、絶対許さないんだから!!!」
効果はてきめんだった。
理事長の娘は顔を真っ赤にして怒っていた。
そんな時だった。
「おっ?今日は珍しく賑やかじゃん!誰かきてんの?」
リア充臭の漂う声が聞こえてきたのだ。
そう、俺の幼馴染こと俊樹だった。
理事長の娘は、彼をみた瞬間に俺の陰に隠れて、小さくなってしまった。
なんだか、差を思い知らされた気分になる。
「はぁ……」
俺は最近多くなったため息に自分の未来を憂いながら、俊樹の方を見た。
俊樹の金色の髪が光を反射して、俺の目を眩ませていた。