会合
維心は、維月を連れて龍の宮へと戻っていた。
何しろ、神の会合があるのだ。いつまでも月の宮でぶらぶらしている訳にはいかなかった。蒼もその会合には出るので、維心と一緒に龍の宮へと一足先に来ていた。兆加からも、月の宮の維心に向けて矢のような帰還の催促が来ていたし、維心も責務を放って置く訳には行かなかったのだ。
宮へと降り立った維心を見て、兆加がその足元に膝を付きながら言った。
「王、ようお帰りくださいました!会合が二日後と迫っており、そろそろ宮にも遠方の王達が来られるゆえ、王にご挨拶をとなったらどう申し上げたらと案じておりました。」
維心は、ふんと横を向いた。
「出かけておると言えば良いではないか。それに、此度は本当なら会合どころの騒ぎではないのだ。碧黎を初め、月の宮の神ではない生命達が、軒並み具合を悪くしておっての。」
すると、兆加は驚いて蒼を見た。
「おお、蒼様。では、病をおしてこちらへ?」
蒼は、びっくりした。月の宮の神ではない生命…確かに、自分も月の命を持っている。でも、何の影響も受けていない。
「え、オレはなんともないけど。」
維心が、そういえば、という顔をした。
「そういえば主、前世の維月と十六夜の間の命を宿しておるのに。なぜに平気であるのだ。」
「そんな!オレにも分かりません。今の今まで思い当たらなかったぐらいなのに。」
維月は、首をかしげた。
「蒼は、まだ人の体を使っておるから。もしかして、それでかしら。」
維心も、もっともなような顔をして頷いた。
「そこら辺りに、此度のことの解明の鍵があるやもしれぬの。」そして、踵を返した。「部屋へ戻る。会合の準備は、主らも初めてではあるまいが。良いようにせよ。」
兆加は、慌ててそれを追いながら言った。
「王、しかしながら此度は鷹も来るとのこと。炎嘉様より、前日にこちらへ連れて来るとのご連絡がありましてございまする!それにお返事をなさらねば!」
維心は、兆加に構わず維月を抱いて歩きながら言った。
「わかったと返事をしておけ。どうせ断っても来るのだ、炎嘉は。」
兆加は、立ち止まって頭を下げ、言われた通りに返事をしようと急いで歩いて行った。蒼はそれを気遣わしげに見てから、維心を追って歩き、言った。
「維心様、此度のことは、会合で皆に伝えますか?」
維心は、歩きながら蒼をちらと見て、首を振った。
「いや、言わぬほうが良いの。あれらは己のことしか考えておらぬ。今、月が力を弱めておると知ったら、何をしでかすか分からぬからな。我が居るゆえ、滅多なことは仕掛けて来れぬだろうが、用心に越したことはないのだ。未だ、皆権力欲から逃れられぬ…神も愚かよな。」
そう言った維心は、今生の維心ではなく前世の維心に、蒼には見えた。そう、この維心は前世と今生の記憶の、混合の維心なのだ。
維月は、相変わらずほんのりと黄色い気を遮断する膜に覆われている。蒼はその背を追いながら、今度のことが早く解決してくれることを祈った。
次の日、炎嘉が珍しく輿に乗って到着した。大層な列で、他の神の王達も少なからず到着し始めていたが、それを見て深々と頭を下げた。前世の炎嘉を、皆知っているからだ。
その中を、輿から降り立った炎嘉は、隣りの輿から同じように降り立った箔炎の方を振り返って言った。
「ほんにのう、まさか主と会合にこうして来る日が来ようとはの、箔炎。」
箔炎は、箔翔が降りて来るのを見届けてから、炎嘉に向き直って面倒そうに顔をしかめた。
「こんなもの。どうせ主らが他の神の話を聞いて、それはこうせよだのなんだの指示するだけであろうが。変わったことなどない。あの頃に比べて、誰もが歯向かわぬようになったのは面倒が無いがの。」
炎嘉が、苦笑して前に向き直ると、兆加が慌ててやって来て膝を付いたところだった。
「炎嘉様、ようこそお越しくださいました。王は、応接間にてお待ちでございまする。どうぞ、こちらへ。」
炎嘉は、頷いた。
「鷹を連れてまいることは言うておるか?」
兆加は、先に立って頭を低くしながら、答えた。
「はい。蒼様も、共にお待ちでいらっしゃいまする。」
すると箔炎が、後ろから言った。
「蒼?なんと久しいの。あれも少しは王らしゅうなったか。」
炎嘉は、笑った。
「なんぞ、年寄りのような。お、そうか主は年寄りであったの。ま、その目で確かめるが良いわ。」
そうして、炎嘉と箔炎は、箔翔を連れて兆加について龍の宮の中を歩き抜けて行った。
奥の間の手前、そこそこ親しい王族が来た時に通される応接間の前に、兆加は三人を連れて行った。慣れた炎嘉には、そこがどういう場所であるのか分かった。しかし、箔炎のそうだった。昔から、龍の宮のことには慣れている。
しかし、箔翔は初めて来る大きな宮なので、ただ緊張気味に黙っていた。すると、兆加がその大きな戸の前で声を掛けた。
「王。お連れしましてございます。」
中から、維心の良く通る低い声がした。
「入るがよい。」
戸が開かれ、中では維心と蒼が、並んで座っていた。維心は相手が誰であろうと立たないが、蒼は急いで立ち上がって炎嘉を迎えた。
「炎嘉様。」
炎嘉は、微笑して蒼を見た。
「蒼。そのように我に敬意を表さずとも良いのだ。同じ格の宮の王なのだからの。」
そして、脇へと寄った。すると、そこから箔炎が足を踏み出して維心を見て言った。
「久しいの、維心。こんな応接間に通すとは、主、さては我が死んだと思うておったの。」
維心は、さすがに驚いたようで目を丸くした。
「箔炎!主、生きておったのか。」
そう、炎嘉だけならば、いつもわざわざ応接間になど出て来ずに、奥の居間へ呼ぶ。それは、長い友である箔炎でも同じことだった。鷹が来ると聞いてはいたが、まさか箔炎が来るとは思っていなかったのだ。
箔炎は、くっくっと笑った。
「おお、面白いの。主のそんな様が見れると思うと、楽しみでわざわざ名を告げずに来た。」と、自分の後ろを振り返って、箔翔を前に出した。「我の跡取り息子の、箔翔よ。今回は、これに神の世のことを教えようと会合に出ることにした。」
箔翔は、それこそ緊張で固まったまま頭を下げた。維心は、箔翔のことも驚いたように見た。あれほどに女嫌いの箔炎が、子を。
「そうか。まさかそんなことがあろうとは思わなんだゆえ驚いたわ。とにかく、座らぬか。」
三人は、維心が示した対面の椅子へと座った。箔翔は、ためらいがちに箔炎の動きを見て、それを必死に真似ているように見えた。蒼は、その姿に以前の自分を見た気がした…きっと、こんな風に表に出たのは、初めてなのだ。
維心が、それを見つめながら言った。
「主に跡取りか。そんなことは考えたこともなかった。どうせ主があのまま死して、軍神の誰かが王位に就いたのかと思うておったのだ。なので、こんな場所へと主らを呼んだ。しかし、主の血に繋がる皇子であるなら、我とて奥で話しても良かったのにの。」
箔炎は、しかし無表情のまま言った。
「奥へなど…主、妃を盗られとうないであろう?ここで良いわ。」
維心は、それを聞いて表情を険しくした。こやつ、まだ維月をと言うか。
「維月は我以外を乞うたりせぬ。己が妃を迎えても、まだあれをと言うか。」
箔炎は、維心を睨みつけた。
「妃など居らぬ。これも、一夜通うた女にたまたま宿っただけの子。しかし我が子には変わりないし、その女が出産で死んだゆえ引き取ったのだ。男であるし、我の気をこうして継いでおるからの。我とていつ逝ってもおかしくはない歳。なので表へ出て参ったのだ。」と、箔翔を見た。「主も、龍王とは懇意であった方が良いぞ。何でもこの、維心と炎嘉に聞けば事足りるゆえ。」
箔翔は、まだ緊張したまま頭を下げた。
「は、父上。」
炎嘉が、見かねて言った。
「急には無理よな。今まで男ばかりのあの宮で、ずっと育っておったのであろうが。ならば突然にこんな最大の宮へ連れて来られて、戸惑うことも多いはずよ。」
しかし、箔炎は首を振った。
「あのな、我はそのように閉鎖的に子育てをしておったのではないぞ。我もよう人世へ出かけたりしたし、こやつも人世にしばらく行かせておった。人は、知恵を持っておるし、その知恵の一部を知っておって損はないからの。」
炎嘉は、うっとうしそうに手を振った。
「人世?あのな、住むのが神世であるのに、なぜに別の世へ行かせる。ならば他の宮へ預けるなりあったであろうが。そんな教育のせいで、こやつは今、こうして緊張しながら過ごさねばならぬのだ。」と、蒼を見て、お、という顔をした。「そうそう、この蒼も、人であったのに月になり、突然に神世に放り込まれたのだ。まずは蒼と話しておったら良いではないか。箔翔の気持ちも分かるであろうから。」
蒼は、頷いた。
「はい。確かに分かると思います。ですが…」と、気遣わしげに維心を見た。「あの、今は時が悪いのです。少し、取り込んでおりまして。」
維心が、頷いて炎嘉と箔炎を見た。
「箔炎も居るのなら良かったことよ。主にも話さねばと思うておったのだ、炎嘉。今、月の宮が大変での。」
炎嘉が、驚いたような顔をして、身を乗り出した。
「何ぞ?どこかの宮がちょっかいを出しておるのか。」
蒼は、首を振った。
「いいえ。碧黎様や陽蘭様、それに十六夜、母さん、大氣や維織まで軒並み変調をきたしておって。」
「…あの、変わった命の一族か。」
箔炎が、眉を寄せて言う。維心が頷いた。
「全ては碧黎の身の内の気の流れの乱れのせいだとは分かった。あの流れは一方向へ流れておったが、それが逆転しようとしておるのだ。これは昔にもあったことらしい。しかし、今回は常とは違う。何か、他の力が影響を及ぼしておるようで…皆、平静では居れぬのよ。」
箔翔が、スッと眉を寄せた。
「…気の流れ?」
蒼が、頷いた。
「碧黎様は、地なのです。この、大地そのもの。球体の本体で。」
箔翔は、蒼に頷き掛けた。
「磁場でございまするか。」
炎嘉と箔翔が、驚いたような顔をした。蒼も、目を丸くして箔翔を見た。
「え…箔翔殿、知っておられるのか。」
箔翔は、皆が自分を見るので、また緊張した面持ちになりながらも答えた。
「…我が人世で参ったのは、大学という場所であったから。父上が、学ぶ場へ参れとおっしゃったので、我は人の記憶などを操作して、そこへ編入したのだ。外国の、一般の人としての。地球科学の中で、我が専攻したのは地球物理学。なので、地球電磁気学も知っている。この、我らを支えておる大地に興味があったゆえ、人がどこまで解明しておるのか知りたかった。人は、知らぬながら我らが一くくりに「気」と言うておるものまで、細かく分類して研究をしておるのだ。面白かったので、6年在籍して研究した。」
蒼は、感心した。つまりは、箔翔は地球物理学の専門家みたいなものじゃないか。しかも、この西暦2500年ぐらいの世界の。いや、2600年だったっけ。もう分からなくなって来た。
「すごい…じゃあ、今のこの、磁場の状態も分かるのか?」
蒼が訊ねると、箔翔は困ったように眉を寄せた。
「計器がないゆえ。大学のサーバに我のデータもまだあるであろうが、それがないとなんとも言えぬ。我とて、神の気を使えば地の気を気取れるが、それはあくまで感覚であって、正確に人世の計器で計るのとは訳が違う。数字が欲しい。」
数字。
維心も炎嘉も、箔炎も顔を見合わせた。神世では、数字を使ってどうのすることが極端に少ないからだ。
炎嘉が、やっと言った。
「つまり…あー、主が学んだ大学とやらへ参れば、主は今の地の様子を知ることが出来る?」
箔翔は、フッと短いため息をついた。
「確かにそうでありますが、詳しくと言われると難しいでしょう。それだけを専攻しておったのではないので。しかし、大規模な磁場研究所が地球上の三箇所に建っておるのは知っておりまする。人が言う、北極と南極、そして赤道直下の海上に。地球は、何十万年も前、何度か磁場逆転をしたらしい跡があるとは知られておって、次に磁場逆転はいつなのかと、よく研究室でも話題になっておったので。」
箔炎は、己の息子が話すことなのに、呆然として聞いていた。確かに、学ぶ場へ行けとは言った。だが、学ぶというのは、人の生活を学ぶということであって、そんなに詳しく、学校へ言ってまで何かを学んで来いとは言わなかったつもりだったからだ。
そんな気持ちを知らない炎嘉が、感心したように言った。
「何とのう。箔炎、主は間違っておらなんだ。確かに何の役にも立たなさそうなのに、こんな緊急事態には役に立つではないか。つまりは、その磁場研究所とやらに行けば良いのだろうが。この、箔翔を連れて。」
蒼が、慌てて炎嘉に言った。
「いえ、炎嘉様。人世は、それほどうまく出来ておりませぬ。部外者など、簡単には入れてはくれぬのです。神だからと言って、人に見えないとは言っても、データを見るにはそこの人の手助けが必要でしょう。」
箔翔も、頷いた。
「はい。計器もコンピュータも違うゆえ、我がいきなり行って突然に使うのは難しい。しかも、今のコンピュータは皆本人でなければ立ち上がりませぬ。姿ばかりか、目の中の網膜も照合して開く始末なので。」
蒼には分かったが、他の三人はきょとんとした顔をしていた。何のことか分からないのだ。
蒼は、咳払いした。
「えーとにかく。」と、皆を見回した。「会合が終わったら、月の宮へ。箔翔殿にも、協力して欲しい。」
訳が分からないなりにも、皆一斉に頷いた。
蒼は、ため息をついた…人の世へ。今更。もうこんなに経ってしまって、さすがに自信がないんだけどなあ…。