何かが
維心は、輿の中で維月の肩を抱きながら、険しい顔でじっと外の景色を見ていた。維月は、そんな維心に不安げに話し掛けた。
「維心様?何かございましたでしょうか。」
維心は、ハッとしたように維月を見た。
「何も。戻ってからの政務を考えておった。」と、維月の頬に口付けた。「しかし、主はほんに困ったことよ。いくら父とは言うて、あのように子供のようなことをしてはならぬぞ?それが高じて妃になどとなったら何とする。」
維月は、びっくりしたように維心を見た。
「まあ、妃?あり得ませぬわ。お父様ですのに。」
維心は、苦笑した。
「まあの…主は記憶もないであろうしの…。」
維月は、目を丸くして維心を見つめた。
「記憶?何の記憶でありまするか?」
維心は、首を振った。
「良い。とにかくは、我だけを見て居よ、我が妃よ。」
維月は、まだ不思議そうな顔をしていたが、維心の胸に寄り添った。
「はい、維心様。」
維心は、そんな維月を抱きしめがら、ホッと息をついた。
…実は維心には、記憶があった。
目覚めた時には確かに何も覚えてはいなかった。浮かんで来たのも、運動会の次の日の朝、という記憶だった。そして、それに何の疑問も持っては居なかった…あの時、聖の顔を見るまでは。
聖の顔を見た瞬間、一気に走馬灯のようにこの数週間のことが頭を過ぎり、そして、こうして居るのも全ては碧黎が作ったことなのだと分かった。
恐らく、もう新年も間近のはず。あれは11月末のことであったが、今の空気はもう12月末ぐらい。維心には、それが分かったが、碧黎に言わずに、皆が記憶を無くしているのを良いことにそこを去った。
明日起きれば、兆加がいきなり数週間すっ飛ばした状態で新年の話を持って来るのであろうな。
維心は、それも碧黎が記憶を操作して行なうのかと思うと面白くなかったが、それでもその力は今回のことで思い知った…自分は、あれの望むように地を平定し、しっかりと治めねばならない。でなければ、今度は維月を取り上げるなどと言い出す可能性もある。
なので維心は、このことは自分の胸の中に留めていようと思っていた。維月も、記憶をなくしているのだ。ならば、何も知らないふりをする方が良い。
維心は、ため息をついた。それにしても、長い外出になったもの。しばらくは、気を使えぬような状態にはなりたくないものよな。
そうして、龍の宮へと入って行ったのだった。
蒼は、寒空の月の宮で、妃達と臣下の新年の挨拶を受けて、そうして龍の宮へと向かった。龍の宮では、たくさんの神の輿が到着し、てんやわんやの状態だった。神世では、格下の神が格上の神の宮へと挨拶に行くことが礼儀となっており、龍の宮はいつも大変なことになる。
ちなみに蒼の宮では、それは受け付けないと告示していた。そんな対応に時間を割くのは、無駄だと蒼は思っていたし、新年はのんびりしたい、というのが蒼の考えだった。なので、蒼の臣下達には、正月休みというものがあったのだった。
いろいろな神の宮から息子だけが蒼の宮に仕えている、というパターンもあったので、そういう臣下軍神はいつも、この正月休みを利用して里帰りをしていた。一石二鳥だと蒼は正月の挨拶を受けないことを気に入っていた。
しかし、龍の宮ほどの規模になると、古くからのしきたりを破る訳にも行かず、維心も面倒だと言いながらこれを受けていた。
そんな訳で、いつも正月には大変なことになるのだった。
蒼の宮の序列は高かったので、着いてすぐに呼ばれ、謁見の間に通された。すると、気だるげにしていた維心が、目を上げた。
「おお、蒼。元旦から来るとは、急いだの。外は大変であったろうが。我も幾つかの宮からまとめて挨拶を受けるようにしておるのに、まだ終らぬ。朝から座っておるのだぞ?」と、隣りの維月を見た。「維月など、着物の重さに先ほどから戻りたいとそればかりで。」
維月は、眉を寄せて言った。
「もう幾百の宮の王達の挨拶を受けたのですもの。疲れて参るのも当然でありまするわ。かんざしがとにかく重くて。もう、首が限界でございまする。」
維心が、なだめるように言った。
「あと少しだと、先ほど兆加もいうておったではないか。今年は近隣の宮の若い王が年末に亡くなっておるゆえ、喪に服しておるその友人の宮も幾つかある。少ない方ぞ。我らの務めぞ、維月。」
維月は、不満そうにしたが、頷いた。
「はい。維心様がお務めを果たしておられるのですから。私も最後までご一緒致しまする。」
維心は、ホッとしたように頷いた。
「良い心がけぞ。」と、蒼を見た。「では、主とはまたの。宴席も本日はあるし、ゆっくりして参れ。明日には、炎嘉も来る。あちらも正月の挨拶対応で元旦は宮を出れぬとぼやいておったわ。」
蒼は、苦笑して頭を下げた。
「はい。では、維心様、母さん、また。」
蒼は、出て行った。すると、すぐに背後で声がした。
「お次は、銘様、昧様、暦様、史青様、牧様…」
長々と名を告げる声が響く。蒼は、もしも自分もそうだったことを考えて、ぞっとした。あんなものを、一日中受けるのが正月だなんて。自分だったら、絶対無理だ。最初から、完全休みにしておいて本当に良かった。
蒼は、そう思いながら龍の宮の中にある、自分の部屋へと歩いて行ったのだった。
維心は、やっと謁見の間から引き上げて来て、宴席用の着物に着替えた。説得はしてみたものの、もう宴席には無理だと言う維月を残して、一人暗くなった奥宮から本宮へと繋がる回廊を歩いていると、窓の外の庭に、何かが降り立ったのが目に入った。自分の結界にも掛からなかった相手なので急いで視線を向けると、それは碧黎の人型だった。
維心は、何をしに来たのかと回廊の横の戸を開けて外へと足を踏み出した。
「何をしに参った。まさか主が新年の挨拶などということはあるまい。」
大真面目な顔で言う維心に、碧黎は笑った。
「そんなはずはあるまいが。主から我に挨拶に来なければならぬのではないか?」
維心は、眉を寄せた。我が誰かの元へ参じて挨拶をするなぞ。
碧黎は、維心の心情を見て取ってまた笑った。
「ああ、主は素直よな。今まで誰一人として頭を下げたこともないような主に、そのようなことは望まぬ。それより、主、覚えておるの。」
維心は、急に話題が変わったことに驚いたが、碧黎がそれを確認しに来たのだということは分かった。
「…誰もが何も思い出さぬのが不思議なぐらいぞ。あれほどのことがあったというに。」
碧黎は、維心をじっと見た。
「やはり主にはあまり封が通じぬな。ま、我がそのように作ったのであるから、仕方のないこと。で、どう思ったのだ。維月や他の神に話さぬのか。」
維心は、首を振った。
「混乱するだけぞ。これは我の心に留めておく。主の考えは分かったし、我も確かに責務より維月、という感情に負けてしまうことが度々であったから。今生は甘えておったのだと少しは反省もした。なので、主がそれを案じて来たのなら無駄足よな。」
碧黎は、首を振った。
「そんなためにだけ来たのではないわ。主が誰にも言わぬことは、あの出発の折何も言わなんだゆえ分かっておった。それよりも、我が案じておるのは、鷹。」
維心は、思いっきり眉を跳ね上げた。鷹?
「…箔翔は我の宮で学んでおるし、箔炎は相変わらず出ても来ぬ。何を案じる。」
碧黎は、まだじっと維心を見つめながら、言った。
「今生はぬるま湯に浸かって来たゆえ、主の勘が鈍っておるの。しばらくは、維月よりまずは世を優先して見てみるがよい。前世の主は、僅かな変化にすぐに気付いて対応する素早さがあった…己が命の危機に晒されるような現場によう立っておったからの。しかし今生は安穏と育ってまた太平の中で生きておるし、鈍っておるのやもしれぬ。何か事が起こってから対応するだけが王ではないぞ。未然に防ぐのも、また王の責務。維心、いつもと違う気がしないかよう観察するが良い。いい具合に、維月も宴席には来ぬのだろう。宴席で、広く気を探って参れ。以前の主が常、そうしておったようにの。」
維心は、そう言って浮き上がった碧黎を見上げて、慌てて言った。
「碧黎?何を知っておる!鷹など、箔炎は来ておらぬぞ?!」
碧黎は、笑った。
「我には見えておっても言えることが限られておるのだというに。箔炎が来ておらぬと?ああ、そんなことだけではない。早よう前世の主に戻ることぞ。性質は申し分ないのに、これでは先が思いやられるぞ?」
碧黎は、すっと消えて行った。
維心は、急に焦る気持ちが湧き上がって来た…確かに、我はいつも宴席でも会合の席でも、他の神の気を探って何か変わりはないかと常気を配っていた。いつも、そればかり考えていた。だが、今はいつでも維月を伴っているので、そちらに気を取られてばかりだった。これではいけない…世で、また何か起ころうとしておるのか。
維心は、また回廊に戻って大広間へと歩いて行きながら、表情を険しくした。
そう、我は龍王。地を押さえつけている非情の王。これではならぬ…何かが起ころうとしておるのなら、それを知らねばならぬ。
月は、十六夜の気配を宿していたが、何も言わずにそんな維心を見送っていた。
神の世に何か、また不安を孕んでいるのか、月からも見えはしなかった。
昼メロ状態でだらだらと続くのかと思いきや、前半はSFちっくになってしまいました。次回は、神世の中でまた一波乱が起こります。箔翔の恋愛のことに関しても、ここでは書けなかったのでまた次でということになります。続・迷ったら月に聞け6~ながくもながと http://ncode.syosetu.com/n9545cg/は、9/7午前7:00から始まります。また、よろしくお願いします。ありがとうございました。8/23




