龍の宮
炎嘉達が聖にぶら下げられているのを見た維心は、構えた…これは、一発で仕留めなければならない。こうして、何度も蘇って来るというのなら、遊んでいる暇はない。
しかし、吊り下げられている炎嘉が、維心の目を見て慌てて叫んだ。あれは、仕留めてしまおうとしている時の目だ。
「維心!ならぬ、違う!聖は、我らを運んでおるのだ!主らを龍の宮へ連れて参ろうと探してこちらへ参ったのに!」
維心は、驚いて炎嘉を見た。聖が気をそっと断ち、聖に吊り下げられていた三人が地上へと降り立つ。炎嘉は、腰に手を当てて呆れたように言った。
「こら。少しは様子を見よ、今にも仕留めようとしているような目で見おってからに。肝を冷やしたわ。」
維心は、呆然と聖と炎嘉を見比べた。
「しかし…炎嘉よ。我は先ほど、追って参った聖が草へと還って散り行く様を見た。」
聖が、それを聞いて身を固くした。炎嘉は、息をついた。
「主…聖を滅したか。」
しかし、後ろから維明が言った。
「違う!父上は、当身を食らわされただけだった。しかし、ふらついたかと思うと、ばったり倒れた。そして、草となって散ったのだ。」
維心が、頷いて懐へと手を差し入れた。そして、そこからあの折掴んだ草を出した。
「事実を知って、不憫でな。せめて弔ってやろうと、草をこうして持ち帰っておった。」
炎嘉は、気遣わしげに聖を見る。聖は、その草をじっと見つめていたが、頷いた。
「…ああ。確かに、我の気がする。」と、その草を手に取った。「これで分かった。炎嘉が申した通り、我は碧黎様に操られておったのだ。記憶を刷り込んで作れる人形であるのだろうの。しかも、素材はその辺りの草。幾らでも作れる…死しても代わりは幾らでもある。」
志心が、聖を見た。
「そのように言うでないぞ。草であっても、命には代わりない。こうして生まれ出て生きておるということ自体が、もう己の命を生きておるのだ。誰に自由にされる謂れはない。」
維心も、頷いた。
「そうだ。主の命、最初に見た時はなんと軽いと思うたものだが、今は重みを増して来ておる。つまりは、己の考えを持って生き始めておるということではないのか。」
聖は、志心と維心を見た。その目は、潤んでいた。
「維心殿、志心殿…我は、あれほどに無礼な振る舞いをしたというのに。炎嘉もそうぞ。なぜに主らは、そうして我を哀れむ余裕がある。そうして、気を奪われておるのに…。」
維心は、その素直な反応に驚いた。そうか…まだ生まれたばかり。つまりは子供のようなもの。感情に振り回されるのだ。
「命は、生まれ出れば皆己の権利を持つ。生み出した者の好きにしていいはずなどないのだ。」維心は言って、明けようとして来た空を見た。「さあ、我が宮へ。碧黎が何を考えておるのか分からぬが、とにかくは宮へ戻らねばならぬ。そこで、策を練ろうぞ。聖、主はある程度の衝撃で身を構成する物が散ってしまう性質であるようだ。とにかくは、どこかにぶつからぬように、我らを宮へと運んでくれぬか。」
聖は、頷いた。そして、涙を拭ってから浮き上がると、維心達三人と、炎嘉達三人を気で掴んで下へ吊り下げ、龍の宮を目指して飛んで行ったのだった。
いくら元は人形とはいえ聖は神、難なく6人を連れて龍の宮の到着口へと降り立った。皆は自分達がどれほどに気に頼って生きて来ていたのかを痛感していた。人は、こうして不自由な中でも、道具を使って知恵を絞り、生きている事実を身を持って悟った。
維心が、シンと静まり返った宮の中を見渡した。
「…おかしい。当直の軍神が居るはずなのに、誰も出て来ぬ。」
炎嘉は、頷いた。
「それもそのはずよ。」維心が振り返るのに、炎嘉は続けた。「月の宮のほうが、そうだったからの。皆死んだように眠らされておって、王の不在も知らぬはず。蒼は、そんな臣下達を案じて、宮へ残ったのだ。」
維心は、眉を寄せて宮の中を歩き抜けた。確かに、誰の気配もない。気が使えぬ今でも、その静けさは異常だと感じた。すると、聖がスッと眉を寄せた。
「…碧黎様の、気を感じる。」
維心が、聖を振り返った。
「見ておるであろうからの。常感じてもおかしくは無い。」
しかし、聖は首を振った。
「いや、この宮の中。」と、指差した。「ここを真っ直ぐに行った先ぞ。」
維心は、そちらを振り返った。こちらは、謁見の間に通じる回廊。つまりは、謁見の間で待ち構えておるということか。
炎嘉が、冷や汗を流しながらもフッと笑った。
「まあ良い。逃げても無駄なほどの力の神ぞ。あれも言うておったが、地上に居る限り逃れることなど出来ぬ。行くしかないの。」
すると、久島が進み出て言った。
「では、我が先に行く。」皆が、驚いて久島を振り返った。久島は、肩をすくめた。「何を驚いておる。この中で、どうでもいい神というたら我であろうが。一番主らの中で気が弱かった。何かあったとして、それを試すのに最適なのは我ぞ。」
すると、志心が首を振った。
「弱いとて我とさして変わらぬではないか!では、我も共に。」
二人が並んで進み出そうとすると、箔翔がその前に出た。
「ならぬ。ならば我が。主らは王。我は、皇子でしかない。」志心と久島が揃って眉を上げた。箔翔は、頷いた。「思い出した。この龍の宮で厄介になっておって、共に月の宮へと行き、催しに参加したのだ。王は、己の一族を守らねばならぬ。我には、父王が居る。なので、我が居らぬようになっても、さして世は変わらぬ。主らはここに居れ。我が参る。」
すると、維明が慌てて飛び出した。
「ならば我も!我の父は最強であるし、あのように若い。我が居らぬでも宮は回る。」と、箔翔を見た。「共に行く。」
箔翔は、反対しようと口を開きかけたが、維明の目の真剣さを見て頷いた。維心が、険しい顔で二人を見る。
「…何かの気配を感じたら、すぐに退け。今はあれに抗うこと自体が難しい。分かったの。」
維明は、維心に頭を下げた。
「は。行って参りまする。問題なければ、すぐに呼びまするから。」
二人は、頷き合って回廊を真っ直ぐに進んで行った。
維心は、何かあればすぐに助けに入れるようにと、なるべく近くへと寄って、二人の連絡を待った。
箔翔と維明は、大扉の前で深呼吸をした。この向こうに碧黎が居るというのに、気が使えず気配を読むことも出来ない。それに不安を覚えながらも、思い切ってその扉を手で押し開いた。
中へ入ると、勝手に扉は背後で閉じた。正面の玉座には、碧黎が座ってこちらを見て、興味深げにしていた。
「ほう。主らが来たか。なかなかに興味深いことよ。」
維明と箔翔は、碧黎を睨んだ。
「何が興味深いと申す。」箔翔が言った。「いったい、このようなことをして我らをどうしようというのよ!」
維明も、碧黎に言った。
「お祖父様、我は偉大な祖父だと思うておったのに。このようなことをなさるとは。」
碧黎は、維明を見た。
「主には分からぬか。」と、怒った風でもなく言った。「まだ若いしの。しかし、気が遠くなるほどの長い間、我はこの地を守って参った。人も新しい生き方を模索しておる。我もこうして、気が一新された。では、神はどうか?」
維明は、ためらった。神…神は、変わらない。生まれながらに持っている、気を使って身を守ることが出来るゆえ、これまでの生き方を貫くだけで…。
「…これまで通りに。」
碧黎は、頷いた。
「その通り。人はの、己の過ちに気付くと生き方を変える。そうして、新しい道を模索してより良き人となって行く。しかし、神は長い時間を持っておるゆえ、間違った者であってもそのまま長き時を進んで行く。最近は維心の力で太平であったゆえ、個々の神の考え方や能力、資質も分からぬようになっておっての。もしかして、王たる資質を持って居らぬ者や、持っておったのに忘れ去ってしまっておる者が引き続きその資格も無いのに王座に居る可能性を考えた。我は、それを見極めようとこうして主らを窮地に陥れ、反応を見た。」
維明は、碧黎を見上げた。
「では…では、資質が無いと判断されたなら?」
碧黎は、頷いた。
「寿命を切る。と申して、王は通常よりも長い時を生きるのを、普通の神と同じ寿命で逝かせるだけよ。急に滅してしまおうなどとは思うておらぬ。」と、立ち上がって二人を見た。「主ら、我にそれを証明する機会が、これまでなかった。なので、もう一芝居打たねばならぬかと思うておったが、最後に見せてもろうたことよ。個としての自分より、世全体を見通して己の価値を見極めることが出来る。主らは、確かに王座に座る価値はある。」
箔翔と維明は、顔を見合わせた…まさか、そんなことを見られていたとは。
「他の、王達は?」
碧黎は、フッと笑った。
「それは主らが知るところではない。」と、手を上げた。「先に帰って居れ。主らに時を返そうぞ。」
スーッと自分達の姿が消えて行く。どこかへ送られるのだと悟った維明は、咄嗟に叫んだ。
「お祖父様!お待ちを…他の神達も…!」
しかし、気が遠くなって行くのを感じ、二人はそこから消え去った。




