原因
碧黎と大氣は、高く上がって地の様子を見渡した。地表は、一見穏やかにそこにある。人の世も、蒼達が生きて来た世から数百年、落ち着いていて、戦が起こっているのも、ほんの一部だった。碧黎が、大氣を横に遠く薄っすらと見える成層圏を眺めながら、北を指して言った。
「…人世は、変わった。あのように極寒の場所になど、住むこともなったのに。」
それは、北極の位置だった。大氣は、頷いた。
「見たこともないの。最近に建てられたのではないのか。小さな小屋のようなものは昔からあったが、あのようなしっかりとした建物を見たのは初めてよの。何やら大きな気を感じるが、あれは人が生み出したものか?テクノロジーとか言うのだと、我は月の宮で学んだ。」
碧黎は、頷いて不意に再び眉を寄せた。大氣が、慌てて碧黎を見た。
「主?大丈夫か。確かに我も、今何やら衝撃を感じた。しかし、主ほどはっきりとした感じではなかったが。」
碧黎は、眉を寄せて内から湧き上がる衝動を抑え、大氣を見た。
「…余裕がなくなる。大氣よ、今何か地表に起こっておるか?」
大氣は、意識を集中して地表を探った。広く探索する形に気を探っていると、この丸い地の中を流れる気を感じた。それは、常にあったものであったが、改めてそれを感じると、以前と何か違っているように見える。
「何であろうの…碧黎、主の本体の中を流れる、気があるであろう。」
碧黎は、険しい顔のまま頷いた。
「ああ。人はあれを、磁場というの。それが何ぞ?」
「それが、何やら迷うような動きをしておる。」大氣は、首をかしげた。「今まで、迷いなく同じ方向へと循環しておったのに。どうも、緩いような…うまく気取れぬが、そんな感じよ。」
碧黎は、地表を見た。表面は何事もないようだが、確かに自分の身の内の流れが滞っているような…。
「どうなっておるのだ。我も己の身の内まで、どうのうまく出来ぬゆえ。」と、碧黎は降下し始めた。「大氣、月の宮へ参るぞ。蒼なら、人が知りうることを知っておるのかもしれぬし。磁場のこと、はっきりと調べてみようぞ。」
心持ちふらふらと、碧黎が飛んで行くのに、大氣は頷いて従った。しかし、このまま地が変調をきたしたままだと、人の方にも影響が出よう…。
月の宮では、蒼がコンピュータを前に、眉を寄せていた。碧黎が、疲れ切った様子で前の椅子に座っている。それを、気遣わしげにちらちらと見ながら、大氣は聞いた。
「それで、何か分かったか。」
蒼は、目を上げた。
「いくら人だったとは言っても、それももう数百年前のことなんだよ。」蒼は、ため息をついた。「その間に、テクノロジーは発展して、人はかなりのことを制御出来るようになった。オレが使っているこのコンピュータも、かなり古いタイプのもので…今のデータの多さに、ついていけないし読み取れないんだ。人の世からの帰還者に聞いて、これでもだいぶ新しい物に換えたんだけど。」
碧黎は、苛々して言った。
「そのようなことは聞いておらぬ。我の身の内がどうなっておるのか、調べておる人は居らぬのか。」
蒼は、頷いた。
「それはたくさん居る。」蒼は、空中に現れたディスプレイに、その図を映し出した。「これが、地の中の磁場の流れ。」
碧黎は、それを面倒そうに見た。そして、頷いた。
「ああ、確かにそんな感じよ。しかし、これが逆だったことがあったの。」
大氣は、遠い目をして頷いた。
「そうだったの。あれは…」と、ハッとしたように碧黎を見た。「そういえば、あの時主はしばらく気を失っておったの。返事もせんようになって。やっと返事をした時には、地上は大変なことになっておった…何でも、あの流れを感じ取ってそれで生活しておった生き物もおったようで、それらにとっては大問題だったのだ。かなりの生き物があれで滅んだ。我も、逆転するまでの間、地上を必死に包んでおったが、それでも一人では、完全に外から来る変わった気を押さえ込むのは無理だった。その変わった気のせいで、死滅した生物も居たの。」
蒼は、驚いた顔をした。
「え、磁場って逆転してたことがあったのか?!あの…北がNで、南がSでなかった時が?!」
碧黎が顔をしかめた。
「なんだ、NとかSとか。そんなものは知らぬが、逆の時が確かにあったような気がする。あまりに遠い記憶であるから、我もはっきり出て来ぬわ。だが、一度や二度のことではなかったぞ?何を驚く。」
蒼は、愕然としながら宙に浮く光の図を見た。これが、逆の時があったってことは…。
「まさか…また逆転しようとしてるんじゃ?!」
碧黎と大氣が、驚いたように目を見開くと、お互いに顔を見合わせた。
「…それは考えたことがなかったの。そうなのか?」
大氣が言うのに、碧黎は、心もとなさげに首をかしげた。
「分からぬの。これほどに変調をきたすということは、もしかしてそうかも知れぬ。ま、それならば逆転するまでの辛抱か。どれほど掛かるか知らぬが、変わってしまえば安定するしの。」
蒼は、ぶんぶんと首を振った。そんな問題じゃないのに!
「逆転しても、多分流れていれば問題はないと思いますけど、これが止まってしまったらどうするんだ?!磁場が消失するんじゃないのか?!」
碧黎は、また大氣と顔を見合わせた。そして、真面目な表情になって、頷いた。
「…そうだ。磁場の消失、それは我の死を意味する。地は、あれで気の流れを作っておるからの。我は死んでも別にもういいほど長く生きてはおるが…」
大氣が、大きく首を振った。
「ならぬ!そんな問題ではない。主が死したら、誰が地を保つ。つまりは、地を守るものが居らぬようになるのだぞ?!」
蒼は、必死にコンピュータに向き直った。
「磁場が消失したらどうなる?!」
コンピュータは、優しい女声で軽やかに応えた。
「方位があらゆる生物に分からなくなります。」蒼は、なんだ、大したことにはならないのか、と少しホッとしていると、コンピュータは続けた。「太陽風を押さえるものが大気しかなくなり、放射線は地表にまで達するかと思われます。」
蒼は、目を見張った。それって…。
絶句している蒼の横で、大氣が大げさにため息をついた。
「おーおー、そうか。あの変わった気は人世では太陽風と言うのか。普通なら我が押さえ込んで地表までは届かぬが、地が力を消失したら我一人には荷が重いのだ。気を失っておった時よな、碧黎。」
碧黎は頷いた。
「思えばそうよな。あの時、流れが一時止まっておったのかも知れぬの。」
蒼は、必死に頭を働かせた。つまり…つまり、逆転するにしても、一時流れが止まって磁場が消失してしまうってことじゃないか!
「それって…それってもしかして、困るんじゃ!」
碧黎と大氣が、きょとんとして蒼を見た。
「何が困るのだ?神達は、そんな時には己で結界を張って己のことは守るからの。」と、窓から空を見上げた。「それにしても…十六夜も、我の気の流れの中に本体があるゆえな。乱れが伝わっておるのだろうて。これを伝えねばならぬ。」
蒼は、必死に訴えた。
「人のことだ!碧黎様、人が困るんだよ!」
碧黎は、ちらと蒼を見た。
「蒼。我にすら分からぬ我の身の内のことを、あれらは知恵を使って知っておる。つまりは、主が生きていた時代には叶わなんだことが、あれらの発達した知恵で何とかしようと努力しておるのではないのか。これは、今までもにもあったことぞ。今生きておる人が経験したことがなかっただけではないか。これを乗り越えていけぬようなら、人はこの地表で生きていく力がないということだ。」
蒼は、ぐっと黙った。しかし…きっと、命を落とすようなこともあるかもしれない。磁場が完全に消失している時間は、一体どれぐらいなんだろう。その長さで、きっとまた困ったことになってしまうんじゃ…。罪もない人が苦しむ様は、見たくない…。
どうすればいいのだろうと、蒼は考えをめぐらせながら話した。
「でも…じゃあ碧黎様。今まで知らなかった、その衝動がどうして今回の逆転に限って現れたのか、理由は?」
また、碧黎と大氣は顔を見合わせた。
「…そうであった。」碧黎が、少し黙ってから言った。「いつも、このような衝動は無かった。少し気が遠くなるような感覚がして、いつなり陽蘭と同じ本体の中で命を合わせて…主らの感覚では、身を寄せ合うような感じかの。そうして、気を失っておった。次に気が付いた時には、全く問題がなかった。」
大氣は、顔をしかめて呆れたように言った。
「問題がなかったことはないであろうが。我がその間、どれだけ大変な思いをしておったか。地上の生物を殺してしもうてはと、必死に包んでおったのに。」
碧黎は、首をかしげた。
「うーん、外に出ておるのが良くないのか。本体に居った方が…」と、そこで、また碧黎はぐっと眉を寄せた。「また来おった…!」
碧黎から、まるで炎でも沸き上がるような形に、その気が大きく人型の体の上に見えた。蒼は、その気に見覚えがあった…維心だ。
「碧黎様、それは、あの衝動…?!」
大氣も、同じように眉を寄せたが、碧黎ほどではないようだ。碧黎が、口を開くことも出来ずに居るのに比べ、大氣は蒼に答えた。
「何と言うか…時にこのように。」大氣は、何かを探るように空を見た。「やはり、蒼の申す通り常と違う。何か、別の方向から力が加わっておるように感じる。もしかして、何か常とは違うものが地の気の流れに干渉しておるのではないか。」
碧黎は、真っ青に光った目を上げた。
「…駄目だ、抑え切れぬ。我も本体へ戻る。いつ戻れるか分からぬが、少しでも余裕が出来たら戻って参る。何処へ向かって話しても我には聞こえるゆえ。蒼、何か分かったら我に向かって話せ。頼んだぞ。」
蒼は、心もとなく頷いた。
「では、母さんも月へ戻した方がいいかな。いくら維心様でも、ずっと相手してる訳には行かないだろうし…政務もあるし。」
碧黎は、光に戻った。
《好きにせよ。維心がそれを許すならそうすれば良い。だが、あやつは己の身に鞭打ってでも維月を側から離さぬと思うぞ。》
碧黎はそう言い置くと、そのまま一瞬にして飛び去って行った。大氣は、それを見送りながらため息をついた。
「また…あやつは面倒を押し付けて行きおってからに。蒼、主も苦労よの。いつなりこうして皆に面倒ばかりを押し付けられておるのではないか。」
蒼は、大氣の言葉にハッとした。確かにそうだ。これは、オレの問題じゃないのに。押し付けられたことになるのか。
「大氣様…あの、手伝ってくれるよね?」
大氣は、何度も頷いた。
「ああ、手伝うつもりよ。我らのことであるしな。だが、我とて万能ではないゆえ。すまぬが、主がいろいろと意見を出してもらえると助かるの。」
蒼は、一気に消沈した。結局、オレなのか。
とりあえず維月のことからどうにかしようと思った蒼は、維心の対へと向かったのだった。