宮へ
維月は、月を見上げた。十六夜の気配がある…全てを思い出した訳ではない。なので、戻るにもどうしたらいいのか、今一思い出せずに居た。それでも、維月は月に語りかけた。
《十六夜?そちらへ帰りたいわ…でもどうしたらいいのか、まだ思い出せないの。》
すると、驚いたような気が月から返って来て、そしてその声はためらいがちに応えた。
《維月…オレを思い出したのか。》
維月は、頷いた。
《ええ。碧黎様がお父様だってことも思い出した。でも、他のことがなんだかぼんやりとして…どうして、こんなことになっているの?お父様は、なぜこんなことをされたの?》
十六夜は、言った。
《それは、オレの口からはまだ言えないんだ。だが、言えるのは親父は、自分が新しい命を生き出したから、世のことも見直そうと思い始めたってことぐらいか。》
維月は、驚いた顔をした。
《え…見直すって、どういうこと?まさか…皆を試しているの?》
十六夜は、頷いたようだった。
《人類も新しく生き始めてるだろう。だからなんだ。神も、能力のない神の王は上に立つ権利はないと思っている。だから、こうして決められた王達を集めて、試しているんだ。》
維月は、首をかしげた。
《人類が新しく?…なんだか、まだはっきりしない…。》
十六夜は、苦笑した。
《そうだな。お前には記憶がないんだからな。よし。じゃあ、まずは帰って来い。戻ろうとイメージするんだ…ここは、オレ達の本体だ。それだけで、すんなりこっちへ戻れるよ。》
維月は頷いて、目を閉じた。そして、戻りたいと念じた。
それだけで、維月の体は光り輝いて光の玉へと戻り、そうして、月へと打ち上がって行ったのだった。
碧黎が、ハッとして王の居間から外を見た。…維月が、月へ戻った。
「…思い出したのか。」
碧黎は、それを見て呟いた。思っていたより早い…記憶の封じは、まだ完全なはずだった。
碧黎は考えた。大氣は何を言っていた…確か、封が弱かったとか言っていなかったか。ならば、あれらの記憶は、戻りつつある。では、このままではあれらはこちらをどうにかして出ようと考えるはず。
碧黎は慌てて宮の中を探った。
維心達は、二手に分かれて脱出を試みていた。碧黎の結界は絶対だったが、それでも弱い箇所がある。そこには、月と碧黎の二つの結界があって、月の結界に頼っているのか、碧黎の力が弱い。そんな箇所を、維心はずっと気を飛ばして探り、二箇所見つけていたのだ。
一箇所は、森の奥にある、銀杏の木の近くだった。維心と維明、そして箔翔と将維は、そちらのルートを来ていた。ここまで、碧黎に見咎められずに来ていた。
《ここだ。》維心は、銀杏の木の裏側を見た。《ここからならば、恐らく我の力でも結界を抜けることが出来る。月も手助けしてくれるだろうからな。》
将維が、頷いた。
《確かに、碧黎殿の力をあまり感じない。これは、月の結界でございまするな。》
維心は、頷いた。
《ああ。しかし、かなりの抵抗があると見て良いであろう。》と空を見上げた。《炎嘉達は、まだか。》
すると、空から十六夜の声が返って来た。
《まだだ。あれらが目指してるは、宮の中の地下にある洞窟から抜けるルートだろう。蒼の目から見ているが、あと少しのところだろう。》
維心は、頷いた。同時に破らねば、どちらかを先にしてしまえば気取られて結界を強くされてしまう可能性がある。そうしたら、どちらも脱出は不可能であるからだ。
維心は、ただじっと待った。
その少し前、蒼は、月の宮の他の神達が住む場で、自分達が入ると不安がるので入ってはならぬと言われていた区域を抜けていた。そこは、シンと静まり返って、とても神が住んでいるような場ではなかった。炎嘉が、言った。
《まるで、皆死に絶えておるようぞ。》と、側の戸を開けた。《確かに気配はあるのだが。》
蒼は、その中を覗き込んで、絶句した。そこは、侍女達の部屋のようだった。しかし、たくさんある寝台の上には、まるで死んだようにきちんと体を横たえた神達が、ずらりと並んで眠っていたのだ。炎嘉も、眉を寄せてそこへと足を踏み入れた。
《…これはどういうことぞ。目を覚ましもせぬ。》
蒼は、側の侍女の腕を掴んでゆすってみた。しかし、炎嘉の言うように、ただ眠っているだけにしては、あまりにも不自然な姿だった。
《もしかして…皆、眠らされておるのでは。》蒼は、言った。《記憶を操作するのが億劫で。こちらの本当の王も、きっとこの中に含まれておるのですよ。王だけの記憶を操作して、後は、我らに見せるための数人の侍女達の記憶を操作して…術にかけるにも、数が多いと面倒でありまするから。》
炎嘉は、頷いた。
《おそらくはそうよ。これは…早よう我も戻らねば。我が臣下達も、恐らくこのような状態ぞ。早よう元に戻してやらねば、皆の生きている時間が無駄になってしまうではないか。寿命のいくらかを、ただ眠って過ごすなど…。》
すると、久島が言った。
《我も、これらを見て初めて我が宮が心配になった。早よう戻らねば…しかし、記憶を戻すのが先ぞ。どこに我が宮があるのか皆目分からぬからの。》
志心が、頷いた。
《なので、先に龍の宮へ集まろうと決めたのではないか。我はそれよりも、残しておる他の者達が気に掛かる。あれらが、我らが逃れた後どのように扱われるか分からぬではないか。》
蒼は、下を向いた。確かにそうだった。ここに今居るのは、炎嘉、久島、志心、蒼の四人だけだった。逃れる能力があるのは、別動の四人を合わせてこの八人だと維心と炎嘉が判断したためだった。他は、一緒に逃れることは不可能だった。何しろ、気に差がありすぎる…あの気では、皆逃れるのは困難だった。他の八人ですら、それで逃れられるのか疑問だったからだ。
炎嘉が言った。
《我らが逃れて、ここから助け出す策を考え出すよりないのだ。危害を加えられることはあるまい…あれらには、我らの懸念を伝えておらぬし、不安もなく過ごすことは出来ようぞ。とにかくは、早よう逃れようぞ。》
炎嘉が、その部屋を出て先へと歩く。
蒼は、それを追って素早く歩いた。
地下の、維心が言った場所には、確かに戸があった。何かで封じられているような気配がする…一つは、碧黎の気。そして一つは、月の気だった。しかし、ここでは碧黎の気は極端に少なかった。ほとんどが、月の気であるそこは、蒼の手は難なく鍵を外すことが出来るようだった。
《オレ…月には、何の抵抗もないみたいだ。》
蒼の言葉に、炎嘉は苦笑した。
《確かに。主はの、なぜか大きな気がして…それが、どうも月のようなのだ。探ろうとすると、うまく行かぬので今まで分からなかったが、もしかして主、ここの王なのではないのか。》
蒼は、目を丸くした。オレが月の宮の王…。では、あの眠らされていた侍女達は、皆オレの臣下なのだ。オレが、不甲斐ないばかりにああして眠っている…。
蒼は、ピタリと動作を止めた。
《炎嘉様、オレは行けない。》
炎嘉は、驚いて蒼を見た。
《何を言うておる。ここで何をしようというのよ。》
蒼は、炎嘉を見た。
《臣下達を置いて、ここを逃れることなんて出来ません。どうか、炎嘉様達は維心様の宮へ。オレは、月に力を借りてここでどうにかこの術を破れないか策を練ります。》
炎嘉は、首を振った。
《何を言うておる。記憶のない主が、どうやってあれらを助けると言うのだ。》
蒼は、じっと炎嘉を見た。
《それでも、です。それでもオレは、臣下達を守らねば。炎嘉様、どうか行ってください。炎嘉様は、ご自分の臣下達を守る義務がおありでしょう。》
炎嘉が絶句していると、十六夜の声が割り込んだ。
《維心達が待ってるぞ。早くしなきゃ、親父が気取って探り始めている。今すぐ結界を出るんだ!》
蒼は、頷いた。
《よし!》と、戸に手を掛けて結界の見えない錠を外した。《さあ!月の結界は開きました。早く!》
炎嘉は、ためらうような顔をしたが、手を上げた。
《…主も精進せよ!我も記憶の封じ、必ず破って見せるゆえ!》
一緒にいた久島も、志心も手を上げた。光輝いたその戸は、きしむような音を立てて、ゆっくりと開いた。
十六夜の声が、叫んだ。
《行け!維心達も今結界を破った。気配を隠して、闇の中を飛べ!》
それを聞いた炎嘉と志心、久島の三人は、蒼を一度振り返ってから、一気に浮いて物凄いスピードでその地下通路を飛び抜けて行ったのだった。




