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十六夜

蒼は、一人自室へ帰って来て、肩の力を抜いた。

授業は、あの後緊張した状態のままだった。維心が、じっと何も言わず、ただ聖を睨み続けていただけで、教室の雰囲気は、まるで戦場で追い詰められた状態の敵を見るような、そんな気に溢れていた。維心の無言の圧力に、結局聖は10分も耐えることが出来ず、そのまま何も言わずに、そろそろと足音を忍ばせるように出て行った…もちろん、その間も維心の視線が聖から離れることはついになかった。

炎嘉も、自室へ篭って出て来る様子はなく、維心も、それから自室へと篭っていた。蒼は、とにかく帰ろうと自分も部屋へと帰って来て、昇って来ていた月を見上げた。

そういえば、聖のせいでうやむやになってしまったが、月のことを思い出していたっけ。維心様が言うように、確かに月には陽の月が居る。自分は、かなり強くその陽の月が好きだった。陽の月は、女だったんだろうか?でも、陰の月を妃にと維心様が言っていたということは、陰陽という性質から考えて、男のような気がするけど。

蒼は、月を見ながら考えた。月の名前。ずっと自分が呼んでいた、親しみのある名前。なんだったか。それが、重要な気がしてならない。

昨日は、満月だった。今日も、月は少し欠けてはいるものの、それでも明るい光を放っている。今も、月には懐かしい気配があった。蒼は、じっと見つめて、名前を思い出そうと必死になった。

月の名前って言うと…三日月とか、繊月とか、下弦とか上弦とかかな。今日は、満月の次の日だから…。

「…十六夜。」

《なんだ?》

蒼は、びっくりして窓から飛びのいた。聞きなれた声…十六夜?そうだ、十六夜だ!

「い…十六夜!」

その声は、ホッとしたような声を返した。

《なんでぇ、やっと思い出したのかよ、蒼。いつになったら呼ぶのかと、ずっと見てたんでぇ。》

蒼は、首を振った。

「ううん、違うんだ。今、やっと思い出したよ。でも、まだ名前と、仲が良かったってことぐらいしか…。」

相手の声は、残念そうに答えた。

《そうか…よっぽど強い封じだなそりゃ。ま、仕方がねぇよ。》

蒼は、十六夜に向かって言った。

「十六夜、オレ達どうなってるんだ?どうして記憶がないんだよ。オレは、どこの誰なんだ。維心様だって炎嘉様だって、王なんじゃないのか?こんなままじゃ…みんな、お可哀想だよ。どうにか出来ないの?」

十六夜の声は、しばらく黙ったが、言った。

《なあ蒼、オレにはそれに答えることが出来ねぇんだ。だが、一つだけ教えてやろう。お前は、王だ。》

蒼は、仰天して目を丸くして月を見た。

「え?!オレ?!維心様や、炎嘉様だけじゃなく?!」

十六夜は、苦笑したようだった。

《困ったやつだなぁお前ってよ。そうだ、お前は王だ。試されていると思うといい。》と、ちょっと黙った。《じゃあな。親父に気取られる。》

蒼は、びっくりしたまま言った。

「親父?月の親っ?」

十六夜の声は、小さく言った。

《そう、親父だ。またな、蒼。次はちゃんと思い出してからな。》

蒼は、必死に呼びかけた。

「十六夜!待って、何を試されてるんだよ!」

しかし、暗くなった空に輝く月は、何も返さなくなった。

蒼は、それでもそれを見つめ続けた。十六夜…いつも、あそこで見ていてくれている十六夜。何を試されているのか分からないけれど、自分に出来るだけのことはしよう!早く、早く思い出さないと!


次の日、授業は休みだった。

蒼は、しかし起き出してすぐに維心を訪ねた。維心は、昨日と同じ着物のまま、じっと窓際の椅子に座って、庭を眺めていた。蒼は、その姿を見て、昨夜は寝ていないのだと悟った…維心も、無表情ではあるが、かなり心の中に何かを溜め込んでいるのだろうと蒼は思った。

維心は、蒼が入って来たのを見て、言った。

「蒼。何かあったか?」

蒼は、驚いて維心を見た。

「え?どうしてそう思われるのですか?」

維心は、ふっと息をついて頬を緩めた。

「このように朝早くから来るのは珍しいであろうが。主は神には珍しく、朝は日が高くなるまで寝ておるのに。」

蒼は、そういえば、と思った。神は皆、夜明けと共に起き出す。それなのに、自分と維月は日が高くなるまで寝るくせがあった。蒼は、やはり自分は人と何か関係があるのではないか、と思った。

「やはり、オレは人だったのかも。維月殿が言っていたでしょう。オレ、本当に母親なのかもと思えて。」

維心は、維月の名が出た時少し表情をゆがめたが、頷いて横を向いた。

「主は、維月と似ておる。その目、維月とそっくりぞ。なので、あれが言うた通り、主は恐らく維月の息子なのだ。そして、維明も。」そして、少し黙って、言った。「ゆえに間違いなく、維月は我の妃であったろうの。」

蒼は、維心が気の毒に思った。分かっていたのに、どうすることも出来なかったのだ。その上、聖が維月を望み、碧黎の後を継いで娶ろうとしている。それを阻止することも出来ず、あまつさえその聖に面倒を見られるという屈辱にまで耐えねばならないとは…。

蒼は、話題を変えようと言った。

「維心様、オレがここへ来たのは、維心様が思い出したと言っていた、月の陰陽のことです。」維心は、蒼を見た。蒼は続けた。「オレ、昨日月と話しました。陽の月と、オレはとても仲が良かったのは確かだったようです。陽の月は、オレが王だとだけ教えてくれた。父親に気取られるからと言って、それ以上は話せなかったけど…名前は、十六夜です。」

維心は、今度こそ目を見開いて、本当に驚いたような顔をした。そして、額を押さえて、じっと何かを考えている。蒼は、維心が話し出すのを待った。

そのまましばらく黙った後、維心は、口を開いた。

「…蒼。やはりそうよ。我は、それで確信が持てた。」と、一度口をつぐむと、じっと蒼を見つめた。《ここからは、念で話そうぞ。そこへ座るがよい。》

蒼は、びっくりしたが頷いて、側の椅子へ座った。

《碧黎様ですか?》

維心は、頷いた。

《王であれば、己の結界の中は全て見えるからの。しかし、念で話せば聞こえぬ。蒼、十六夜は、碧黎殿の息子。十六夜が言うたは、碧黎殿に気取られる、ということだったのだ。》

蒼は、息が詰まった。つまり、これは碧黎殿の?

《では…我らがこうなっているのも、碧黎様が何か?》

維心は、険しい顔のまま頷いた。

《我は覚えておる。十六夜という名で出て参った、その月の親の存在。地そのものの、大きな気。あの気を、我は忘れるはずなどなかったのに。》維心は、何かを思い出すように視線を横へ向けた。《我でも敵わぬほど、大きな力を持っていた。あれは、ただの月の宮の王ではないことは確かぞ。》

蒼は、ためらいがちに維心を見た。

《では、碧黎様はどうしてそのようなことを?我らのこの病は?》

維心は、ますます眉を寄せた。

《我らは、病などではない。》蒼が驚いているので、維心は続けた。《全てが、碧黎の仕業だということだ。あれが、我らの記憶を封じておるのだ。我は、今ある記憶…ここで、皆と学んでおったのだという記憶が、どうも上っ面だけの軽いものであるように思えてならなかった。しかし、深い所にある記憶の中では、皆で走り回って競技などに参加したものがあったので、病のせいでそう感じるだけかと思っておったのだ。だが、違う。後で作られた記憶を植えつけられておっただけなのだ。》

蒼は、混乱した。碧黎様が。どうしてそんなことを。

《でも…そんなことをして、碧黎様にどんなメリットがあると言うのですか?我らの世話をしなければならないのに…そんな、面倒なことを。》

維心は、視線を落とした。

《分からぬ。何をしようとしておるのか…我らの反応を見るのが目的であるとしか、思えぬのだ。我は、思い出したとてまだ、深くは思い出せぬのだ。碧黎がどんな性質の神であったのかなど、まだ思い出せない。》と、考え込むようにした。《維月を、娶りたかったのだろうか。我の妃であったから…。》

蒼は、瞬間的にそれは違う、と思った。

《違うと思います。あの、お話してはおりませんでしたが、維月殿は自分から、戸惑う碧黎様を引っ張って聖を跡継ぎにしないためにと子をなすために奥へと入って行ったのです。なので、碧黎様が望んだのではありません。》

蒼は、それは間違いない、と思った。どうしてなのかは分からないが、碧黎は絶対に維月を望まないという確信があったのだ。維心は、蒼を見た。

《維月が?あれの性質ならば、ありうることよな。しかし、どちらにしても、維月は碧黎殿の妃になったのだろう。》

蒼は、珍しく険しい顔をした。

《はい…でも、それも怪しいような。あの、確かに碧黎様の所に居るのですが、どうも本当に妃ではないような気がします。》

維心は、じっと蒼を見た。

《なぜにそう思う。根拠を申せ。》

維心の、鋭い言葉に蒼はたじろいた。そして思った…維心は、本当にそうであって欲しいと思っている。なので、納得出来る理由が欲しいのだ。

蒼は、自分の感情と記憶の無さの間でジレンマを感じていた。絶対にそうだと言えるのに。どうして、こんなに思い出さないんだろう。

「母さんが」蒼は、口から自動的に言葉が出て来たのに、驚いたが止まらなかった。「母さんが維心様と十六夜の他に、本当に心から夫なんて思えるとは思えないから。」

維心が、目を丸くした。蒼は、自分で言って驚いた。母さんと言った?母上ではなく?

維心は、そのまま5分ほどびっくりしたように黙っていたが、言った。

「蒼…覚えがある。」維心は、呆然としているようだった。「覚えがあるぞ。十六夜と、維月。あれらは兄妹だ。月の陰陽は、十六夜と維月なのだ。だから、我は陰の月を妃にと思っておったと思い出した。維月が、陰の月なのだ。つまりは、碧黎は維月の父ではないか!」

蒼は、ぱあっと頭の中にいろいろなことが広がって行くのを感じた。そうだ、母さんだ。オレは、確かに人だった。人で、月の命を分けられた。十六夜が、母さんと一緒に産んだ命が、自分に宿ったからだったんだ!

「ああ」蒼は、一気に戻って来たいくつかの記憶を大事に確認しながら言った。「維心様、思い出しました!全てではないけれど…つまりは、碧黎様は…、」

蒼が先を続けようとすると、維心がスッと手を上げてそれを制した。蒼は黙った。そうだ、声に出して言ってはいけない…。

《碧黎様は、きっと母さんを手元に置いているだけで、妃にはしていません。ややこしいことにならないように、保護するためにそうしていると思っていいと思います。》

維心は、頷いた。

《そうだ。碧黎は維月を娶ってはおらぬ。そうしようとしても、きっと十六夜が抑えている。我は、それが分かる。》と、立ち上がった。《これではならぬ。我らは、こんな力に押さえ付けられておってはならぬのだ。我が民達も、今頃どれほどに不安であることか。我は、妃を連れて宮へ帰らねば。世を治めねばならぬのに。》

蒼は、慌てて自分も立ち上がった。

《どうなさるのですか?碧黎様の結界は、破れぬでしょう。》

維心は、振り返って蒼を見た。

《それでも、よ。蒼、主も王だというのなら、それを証明せよ。民のため、諦めてはならぬのだ。王は、己の宮へ戻り、責務を果たさねばならぬ。そうでなければ、存在する意味などない。共に考えようぞ。我は、炎嘉の所へ参る。》

維心は、そこを出て行った。蒼は、急いでその後を追って歩いたのだった。

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