堪え切れないこと
皆がシンと静まり返る。
裕馬は、事前の指示で二クラスが一同に介したその教壇に立ち、口を開いた。
「えー…、碧黎様より、本日ご指示があり、本日から二クラス合同で、こうして授業を行なうこととなりました。お教えすることはもうほとんどないと私が報告したからではありますが、今日からは皆さんで、記憶を探る作業として話して参るほうが良いとのことで。」と、気が進まない様子で横の聖を見た。「それから、聖様ですが…、」
裕馬が続けようとすると、聖が苛々したように割り込んだ。
「我から話す。」そして、裕馬が黙ったのを確かめもせず、続けた。「碧黎様から、養子と決めるためには、こちらで碧黎様が行なっておることを理解出来るように努めよ、とご指示があった。まずは、こちらで面倒を見ている主らのことを知ることだと言われ、今日からここへ来ることになった。我にしては不本意ではあるが、主らの話しとやらを聞かせてもらう。」
皆、何も答えなかった。何を言っていいのかも分からなかったのだ。すると、炎嘉が言った。
「…そうは言うて、碧黎殿は妃を迎えたのだろう。ならば、お世継ぎも出来るやもしれぬ。今養子になったとて、すぐに帰されるのではないのか。」
聖は、ふんと鼻を鳴らした。
「分かったようなことを。碧黎様は、妃と夜を過ごされるのもご体調から厳しいのだと言うておられたわ。あのように見た目はお若くても、もう老いは近いやもしれぬ。なので、真剣に我をと考えておられるのよ。」
それを聞いた維心が、ホッとしたように軽く息をついたのを蒼は聞いた。横であったので聞こえたものであったが、離れていたら聞こえなかっただろう。炎嘉も同じようだったが、何も言わずにそのまま黙った。聖は、炎嘉が黙ったので自分の話が利いたのだと思い、少し気を良くしたように側の椅子へと歩いて、誰の許しも得ずにそこへ座った。
裕馬が、それを見て小さくため息をつくと、皆を見た。
「では、いつもの通り何か新しく思い出したことがありましたら、お話を。昨日は咲華様まで回りましたので、本日はまた最初に戻って維心様から、どうぞ。」
維心は、こんな状態で話すのは気が進まなかったが、仕方なく口を開いた。
「…思い出したこととて、新しいことはほんの少し。」維心は、聖をわざと避けて他の皆に視線を向けた。「我が思い出したのは、月のことぞ。」
蒼が、不思議そうに維心を見た。
「月、でございまするか?」
維心は、頷いた。
「そう、月。我の見た夢では、月には陰陽二人いた…時に人型で降りて来ていた。力の強い陽の月、美しい陰の月。」維心は、思い出すように遠い目になった。「我は、陰の月を妃に迎えたいと思うておったようぞ。」
蒼は、陽の月と聞いて、体に電流が走ったように思った…陽の月。そう、陽の月が確かに居た。名があった…なんだったのか。思い出せない…でも、確かに自分は月が好きだった。
しかし、聖が、フンと鼻を鳴らした。
「何を言うておる。月には確かに気配はあるが、たった一人。それに、降りて来たことなどない。ただの夢を記憶だなどと。それに、己を王だと思うておるのか。妃などとはおこがましい。」
それには、久島が厳しく言った。
「維心のこの気、どう見ても王ぞ。主の気など歯牙にも掛けぬ。身分も相当に高かったはずぞ。本来この場で滅することなど、我でも雑作もないわ。たかが田舎者の第二皇子が、控えるが良いわ!」
裕馬が、ハラハラとそれを見ている。聖は、怒りで顔を赤くして唸った。
「たかが居候の分際でよう申したの!何が王ぞ、今は病のただの神よ!世話にならねば生きていけぬようなヤツに、偉そうに言われるいわれはない!」
久島は、馬鹿にしたように肩をすくめて言った。
「ハッ!主こそここで世話にならねば己の宮では居候のようなものであろうが!第一皇子以下は皆臣下ぞ。しかもそれが相当に性格の悪い皇子となれば、外へ厄介払いしたいのも頷ける。父王の安堵した顔が目に浮かぶわ!」
聖は、大きな音を立てて立ち上がった。皆が何が起こるのかと緊張して見ている中、聖は口元をぶるぶると震わせていたが、くるりと踵を返して戸へと向かった。それを見た皆が、出て行くのかとホッとした顔をしたのに、裕馬が慌てて叫んだ。
「聖様!碧黎様がおっしゃったことを、お忘れですか?!」
聖は、戸の前で立ち止まった。皆が、物問いたげに裕馬を見る。裕馬は、聖の背中を見るばかりで、こちらを向かない。聖は、しばらくそのまま立ち止まっていたが、またこちらを向くと、スタスタと歩いて元の椅子へと戻った。
「…ふん。下々の者の言うこと、一々間に受けておっては王などやれぬよな。」
炎嘉が、落ち着いた、しかし軽蔑したように目を細めて言った。
「まだ子供であろうに。よう言うたことよ。」
聖は、激しい目で炎嘉を睨んだが、しかし口調は押さえて言った。
「我は、どうあっても王にならねばならぬ。この、月の宮碧黎様の後を継いでの。」と、椅子の背に身を預けながら炎嘉を見て薄っすらと笑った。「さすれば、碧黎様は今迎えられたばかりで、ろくに相手も出来ぬ維月を、我に託して参ると言うておった。こんな歳の我に嫁いだ妃が不憫だと申しての。我は、維月を娶りたい。なので、主らが何を申してもそれまでは我慢するのだ。良い王になれると証明せよ、と言われたのでな。」
維心と炎嘉が、絶句した。
蒼も、そんなことが、と思ったが、しかし神世では、王の妃がそのまま皇子の母であるとは限らない。王には妃がたくさん居るのが通例で、もしも跡継ぎの皇子が、王が逝去するか、もしくは譲位の際に、望めば王の妃を自分の妃として奥宮へ残すことが出来た。今の碧黎の妃は維月だけ。碧黎が逝去して聖が継げば、維月は嫌でも望まれれば奥宮へ残らねばならない。そうして、聖の妃となるのだ。
いつもは穏やかな志心が、険しい顔で声を荒げた。
「何を馬鹿なことを!維月は主をそれは嫌っておったわ!そのようなことをすれば、あの気の強い維月のこと、自害するやもしれぬぞ!」
炎嘉が、ハッとしたように我に返ると、志心に続いて叫んだ。
「主などに…!主のような神に、維月を渡すなど出来ぬ!」
聖は、余裕のある様をわざと見せながら言った。
「何の権利があってそのようなことを?王ですらない、頭のおかしい主が、維月を娶りたいとでも言うか。笑止よな。」
炎嘉は、ぶるぶると拳を震わせていたが、急に立ち上がると教室の戸が勢い良く音を立てて開いた。炎嘉が、気で開いたのだ。
「え、炎嘉様…、」
裕馬が止めようとしたが、炎嘉は裕馬の方へは見向きもせずにそこを出て行った。蒼は、おろおろと炎嘉が去った後を見つめていたが、聖が急に表情を凍りつかせたので、何事かと振り返った。
維心が、静かに目を青く光らせてじっと聖を睨んでいた。
維月は、奥宮で窮屈に感じていた。
今まで、宮のどこへでも好きに行けた維月にとって、王の妃とは本当に窮屈な立場だった。奥宮の中は自由にしてもいいが、出るには王の許可が要る。しかし、滅多なことでは奥を出ないのが、妃の務めだった。
「妃の待遇でなくても良いと言ったのに…。」
維月は、ふっとため息をついて、庭を見ながら王の居間で佇んでいた。すると、急に背中から何かがふんわりと自分を包んだのを感じた。
「何を見ておる?我が妃よ。」
維月は、パッと表情を明るくすると、碧黎を見上げた。
「碧黎様!お帰りなさいませ。」
碧黎は、維月に微笑みかけて、そっと口付けると頬を摺り寄せた。
「何やら物思いに沈んでおったようよ。何を案じておる?」
維月は、ため息をついた。
「碧黎様には何でもお見通しでありまするわね。あの…とっても退屈で。皆のことも、あれから会えず仕舞いでありまするし。何も言えずに来ましたもの…。」
碧黎は、ため息を付いた。
「主があのように強引に子をと申したから、こうなったのだぞ?」と維月を抱き寄せた。「まあ良い。それも僅かの間ぞ。我も、そのうちに老いが参って世を去るだろう。それまでの辛抱ぞ。」
維月は、少し暗い顔をした。
「碧黎様…。」
碧黎は、フッと笑うと言った。
「またそのような顔を。まあしかし、我が世を去っても、主はこの地位に居るやもな。」
維月は、一瞬訳が分からなかった。
「え?地位?」
碧黎は、頷いた。
「そう。我はそんなことは考えておらなんだが、聖がの。」維月は、まだ呆けたように碧黎を見上げている。碧黎は、維月にどういえば分かるのか、と言い方を変えた。「今朝のことよ。主を娶ったことに、えらく不機嫌であったので、主が欲しければ我が世を去ったら妃として残すことが出来る、と申したのだ。あれも困った性質のようであるから、主を望むならばどうあっても王らしくならねばならぬ。我の養子にならねばならぬからの。良い王になれることを、証明せよと申した。あれは、維月を望むので、努力すると申した。良い傾向よな。」
維月は、絶句して碧黎を見上げた。つまり…つまり私は、碧黎様が亡くなったら、聖の妃にされるってこと?!
「そのような…そのようなこと!私は、望みませぬ!」
碧黎は、きょとんとした。
「維月?…しかし、妃の地位は硬いものぞ。なので主も、我に嫁いだのではないのか?」
維月は、ぶんぶんと首を振った。確かに神世では、そう考えるのが普通なのだと知っているけれど!
「碧黎様は、慕わしいと申しました!なので…覚えてはおりませぬけれど、夜を共にしても、嫌ではありませぬの!でも…聖など!絶対に嫌!」
碧黎は、困ったような顔をした。
「そのように申してものう…。これが神世の決まりであるしな。死した後まで、我にはどうにも出来ぬ。」
確かにそう。
維月は思って、口をつぐんだ。どう言っても、自分ではどうしようもない。碧黎様は逝ってしまわれる…とてもそうは見えないし、とてもお元気に見えるけれど、本人がそうおっしゃるのだから、養子までああして探しているのだから、きっとそうなのだ。そうしたら、自分は聖に…。
維月は、自分を抱きしめて物思いに沈んだ。ああ嫌…!絶対に嫌!月の宮の次の王が聖になるのを阻止するためにこうして妃になったのに、それは報われないと言うの…。
月が、昇り始めていた。




