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記憶と憶測

そうして、蒼達は碧黎の庇護の下、毎日をただ楽しく話すだけという時間を過ごしていた。蒼は、こんな暮らしを夢見ていたような気がする反面、何かをしなければ、という責任のような、そんなものを常に心の奥深くに感じて落ち着かなかった。何を焦っているのか、とふと我に返って思う。自分は、何も背負ってなどいないはず。いや、もしかしたら失った記憶の向こうの自分は、何かを背負っていたのだろうか?

皆が楽しそうに過ごしているので、蒼自身、そんな不安を口にすることは出来なかった。

今日も、皆で庭へと出て楽しく談笑していた。それが、今の自分達の責務のようなものだった。そうしていろいろと話している内に、追々に記憶を戻して行くだろうと、碧黎は常に言っていたからだ。

炎嘉は、明るく饒舌で、常に皆の中心になっていた。炎嘉の華やかで眩しいほどの美しさは、女神達の関心をこれでもかというほどに引いていた。端整で美しい顔立ちというと、維心に敵うものは居ないのでは、と女神達は噂していたが、維心は常一歩退いた位置に居て、炎嘉とそれは仲が良い親友であるようなのに、全く雰囲気は違った。他を寄せ付けないその雰囲気のせいで、咎められた訳ではないが、誰も維心には話しかけようとはしなかった。

それは、久島にも同じようで、維心と並ぶほどのそれは端整で美しい、黒髪に珍しい紫の瞳の男神であったが、誰も寄り付かなかった。しかし久島は維心とは違い、女神達が近付くとあからさまに嫌な顔をしてそっぽを向いた…それゆえに、久島に対しても維心に対しても、女神達は遠くからそっと見るぐらいしか出来なかったのだ。

なので、こういう場では炎嘉の斜め後ろ辺りで、維心と久島が並んで二人、何かを話していることが多かった。こちらの話には入って来ることはなく、黙って聞いている時もあるが、往々にして二人は別のような感じであった。

それを気にしていたのは、蒼だけではなかった。炎嘉も気になるようで、ちらと後ろを振り返ると、苦笑して言った。

「また。そのように離れておらず、主らも話しに加われば良いのに。何か思い出すやもしれぬぞ?」

すると、維心が炎嘉を見て言った。

「常、主とは話しておるではないか。それだけで、我は主とは昔からの親友だったことは思い出した。」と、久島を見た。「久島とは、何かの確執を抱えていたように。今、また話しておったのだが、何やらお互いに勘に触ることがあっての。間違いなく、何かあるの。」

炎嘉は、苦笑した。

「そのように、毎日記憶記憶と思いすぎてもいかんのだ。碧黎殿が言うておったであろう。さりげない風でいて、スッと出て来ることであるからと。主は真正直過ぎるのだ。」

維心は、真面目な顔で首を振った。

「炎嘉、前にも申したの。我は、恐らくは王。己の気を見ても分かる。王が不在の宮が、いったいどうなってしまっておるのか、案じてならぬ。このように責務を放り出して、遊んでおる場合ではないのよ。早よう思い出して、宮へ戻らねば。臣下達や民達が、我の不在で苦しんでおるやもしれぬのに。」

それを聞いた蒼は、下を向いた…まさか自分が王だった、なんてないだろうけれど、確かに維心の言うことは分かる。本当の王は、そう考えるだろう。自分よりも、民臣下のことを考えるのが王だからだ。それが皆の頂点に立つ、王の責務なのだ。

炎嘉は、ふっとため息をついた。

「それを申すなら、我とて王であろう。主と親友であったことからも分かる。」と、真剣な表情になった。「我が、それを考えぬと思うてか。だが、焦っても己との戦いであるのだ。戻って来ることもないであろう。ならば、こうして少しでも思いつくまま話しておるほうが、ずっと有意義というものぞ。己の殻に閉じこもっておって、どうやって記憶を戻すのだ。主は、固く考え過ぎであるのだ。」

蒼は、驚いた。ここの生活を、誰よりも楽しんでいるような炎嘉が、そうやって焦っていたというのか。知らなかった…。

すると、維月が言った。

「私はまさか王妃であったということはないでありましょうけれど、維心様の言うことは分かりまするわ。確かに王なら、民達のことを案じて当然でありましょうから。でも、ここでは身分も何もかもない状態であるのです。炎嘉様の言うように、とにかく皆と接して、そこから何か思い出すこともあるのではないかと思いまするの。外からの刺激で、私も少し、思い出しましてございます。」

皆が、驚いたように維月を見た。

「ほう?主、何を?」

維月は、少し首をかしげて、遠くの何かを聞き取ろうとしているような表情で言った。

「遠いのですけれど。あの、蒼は私の息子であったような気が致します。また、同じく維明様も。それは突然であったのですけれど、昨夜月を見て庭で話しておりました時に、何かが弾けたような気がして…そして、赤子であった蒼や、同じく維明様の姿を、ふっと思い出したのですわ。」と、顔をしかめた。「でも、もしかしたら母ではなく乳母であったのかも。私、どう考えてもそんなに身分のあった女ではないと思いまするし。」

維心が、驚いた顔をした。炎嘉が、苦笑した。

「そのように言うでないぞ。もしかして、皇女か王妃であったやもしれぬのに。」と、将維と維明を見て茶化すように言った。「それを言うなら、維心とそのように瓜二つの主らは、さしずめ維心の子かの?」

維心が仰天したような顔をした。しかし、将維と維明は恨めしげに炎嘉を見ている。炎嘉は、その空気にえ?という顔をして、自分で言ったにも関わらず声を抑えて二人に言った。「…誠、主らは維心の子か?」

将維が、ため息をついて首を振った。

「いや、そうであるやもしれぬと思うただけのこと。何しろ、話しておってもなぜか気圧されて仕方がないのだ。それも、維心殿にだけの。どうしても、頭を下げずには居れぬ。逆らうことが、罪なような気がしてならぬ。父に対してなら、その感情も分かるというもの。の、維明よ。」

維明も、頷いた。

「はい。我もそのように。この間、将維殿と二人でその話になり申して…そうではないかと。」

維心が、絶句している。なぜなら、子が居るということは、妃が居るということだからだ。すると、維月が言った。

「まあ。では、私は乳母確定でありまするわね。」すると、皆不思議な顔をして維月を見る。維月は、皆の察しの悪さに戸惑いながら、続けた。「だって、維明殿の母であったら、維心様の妃ということですもの。」

皆が、一斉に仰天した表情をした。何しろ、快活で明るくて、何事もはっきりという維月は、おおよそ女神の、特に王族の気立てではなかったからだ。確かに、力のある王であるだろう維心が、維月を妃にと考えるには無理があった。

「いや…その、まだ確定ではないかとは思うが。」

炎嘉が、ためらいがちに言う。しかし、維月は首をぶんぶんと振った。

「いいえ。炎嘉様、私の考え方はご存知のはず。王は、妃をたくさん娶られまするわね。私、たくさんの妃の内の一人なんて、絶対に嫌でございまするの。力は無くても、私をたった一人と見てくださるかたにでないと、嫁ぎませぬ。これは、記憶を持った私でも同じはず。なので、あり得ないのですわ。」

皆、ただ呆然とそれを聞いている。しかし、蒼は維月の言っていることが間違っているとは全く思わなかった。だがそれが神世では奇異なことなのだとは理解出来た。それがなぜなのかは分からない。だが、分かった。

あんまりにもはっきりと言い放ったので、炎嘉は口ごもった。

「ああ…そうか、主はそういう考えであったのだの。その、まあ女もそれぞれであるしの。」と、維心を見て話を振った。「まあ、まだ主の息子と決まった訳でもないし。」

しかし、維心は真面目な顔で、じっと考え込んだような状態で、言った。

「…我は、そうであったのやもと思う。」

炎嘉が、それこそ驚いた顔をした。

「何と?あれらが息子であったと?!」

維心は、首を振った。

「違う。そこは我も驚いておる。維月のことぞ。我の、妃であったやもと。」

炎嘉が、今度こそあっけにとられて口をぽかんと開けたまま言葉を失った。皆も、仰天して言葉が出て来ない。しかし、ぱくぱくと金魚のように口を動かしていた維月が、やっと声を発した。

「え…え…維心様?!私でございまするわよ?!」

皆が呆けて異様な雰囲気の中、維心は意を決したように顔を上げて進み出ると、維月の手を取って言った。

「維月。我は主を初めて見た時から、気にしてはいた。だが、このような居候の立場で、我から何を言えると思うか。そのようにはっきりと申す物言いも、その姿も、何やら覚えがあるような気がして…離れておると、落ち着かぬで。なので、このような皆が集う場など本来好かぬのに、こうして常出て来て座っておるのだ。」

維月は、今度こそ言葉を失ってまじまじと維心を見た。それは私だって、こんなに好みのど真ん中の容姿で、しかも仕草も声まで惹かれてならなかったけれど、間違いなく身分違いだとおくびにも出さなかったのに。

そして、手を取られているのを見て、まるで火を噴いたように真っ赤になった。ええええ、維心様が、私の夫~?!

それを見た炎嘉が、ハッと我に返ったかと思うと、急いで維心と維月の間に割り込んだ。

「何を今更!我とて、初めて見た時から惹かれておると申したの!主、それを咎めたではないか!ならぬ!碧黎殿も、思い出さねばそのままで良いと言うた。ここで、関係を再構築すればと。今の話は、我らの憶測でしかない。真実思い出したわけではなかろうが。主、己が維月を気に入ったからと、そのように申しておるのではないだろうな!」

維心は、険しい顔で反論した。

「なぜに我がそんな偽りを申さねばならぬ!主こそ、我の妃を横取りしようと思うておるのだろうが!」

炎嘉は、激しく首を振った。

「何が我の妃ぞ!主の妃だと確定したわけではないわ!維明と将維も、息子ではなく兄弟かもしれぬではないか!」

蒼は、この光景を見たような気がした。なぜか、これを見た。どこでだったか、二人がこうして取り合って…いや、二人どころか何人居ただろう。

皆、大きな気の二人がやりあっているので、声も出せずに居る。蒼は、割り込んだ。

「待ってください。」蒼が落ち着いた声で割り込んだので、二人ともこちらを見た。「とにかく、全て憶測でしかないのです。碧黎様も言っていた。真に思い出すように、と。そうでなければ、ここで関係を再構築しろと。なので、炎嘉様の言うように、思い出すまでは誰が王で誰が誰の子だとか、妃だとか、そういったことは忘れましょう。皆、初めて会うのです…今の記憶の中では。そこで、また作り直すのですよ。」

維心が、険しい顔をしたが、最もなので黙った。炎嘉が、息を荒げたまま頷いた。

「そうよの。蒼、主が言う通りよな。」と、維心を睨んだ。「同じ位置からの始まりぞ。正々堂々と戦おうぞ、維心。」

維心は、炎嘉を睨み返した。

「戦うなどと…維月は戦利品ではないわ。」

維月は、ただ呆然とその様子を見ている。

その日は、そこで茶会はお開きとなった。

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