誰も知らない
蒼は、窓際の椅子で目が覚めた。
なぜか、不思議な気分だった。爽快なようで、不安なようで、変な心持ちだった。それにしても、どうして窓際なんかで眠ってしまったんだろうと、少し固まってしまっていた体を起こして立ち上がり、誰かを呼ぼうとして、ふと立ち止まった…誰を呼ぼうとしたんだろうか。
ぼーっとした頭は、すぐにいろいろと判断出来ない。まだ寝ぼけているのかと、部屋についている洗面所の方へと向かい、顔を洗った。本当なら神世には洗面所などない…皆、侍女が持って来た水で顔を洗うのだが、蒼はなぜか、それがあるのが当たり前だと思ってそこへ向かっていた。
そして、ハッとした…自分は、どうしたのだろう。まだ、頭がはっきりしない。何がどうなってそうなのか分からないが、ぼーっとするような…。
仕方なく蒼は、誰かと話せば頭もはっきりするだろうと思って、そこを出て歩いて行った。
すると、しばらく歩いたところで、女が数人、こちらへ向けて歩いて来た。侍女だ、と蒼は思った。しかし、どうしてそれを知ったのかまた分からなかった。相手は、頭を下げた。
「蒼様。王より命があり、皆様謁見の間へとお越しになっていただくように、とのことでございます。ご案内を。」
蒼は、驚いた。王。いったい、どの王だろう。
「王とは?ここの、王か?」
侍女達は、頷いた。
「はい。この月の宮の王、碧黎様でございます。このたび、皆様に変化があったようなので、ご説明をと。」
蒼は、混乱していた。碧黎と言う名は、聞いたことがある。確か大きな力を持っていた…そうか、月の宮の王だったか。思い出して来た。
「では、案内をよろしく頼む。」
侍女は微笑んで頭を下げると、蒼を案内して、謁見の間へと向かったのだった。
謁見の間へと入って行くと、数人の神達が既に来ていた。蒼は、そこへと慎重に入って行って、皆に見覚えがあるのを見てためらった…そう…確か、クラスメイトだったか。そうだ、クラスメイトだ。
「維心様、炎嘉様。」
蒼は、やっと知った顔に出会ってホッとして歩み寄って行った。維心が、こちらを見て蒼をみとめ、軽く会釈した。
「おお、蒼。主とは、同じ組だったの。何やら、朝から具合が悪く…炎嘉もそうよ。あちらに居る、久島もだ。何が起こったのかの?」
蒼も、首を振った。
「分からないのです。今の今まで、維心様のことも炎嘉様のことも頭に浮かんで来ませんでした。お顔を見て
やっと、クラスメイトであったと記憶が上って来た感じで。やはり、何かあったのでしょうか。」
炎嘉が、険しい顔で頷いた。
「おそらくの。何があったのか、こちらの王がご説明くださるらしい。どうも、頭がはっきりせぬし…すっきりしないのだ。困ったものよ。」
志心も、昧も銘も、それに将維、維明、箔翔も居る。女神は、あちらにひとまとまりになっていたが、そこには咲華、麗羅、維月を含む、皇女達が10人ほど心細げに立っていた。皆知った顔ばかり…顔を見て、その記憶が湧き上がって来るといった感じだったが、それでも思い出せたのでよかったと思っていた。
皆が不安げに待っていると、王座の横の仕切り布が動いて、碧黎が出て来た。皆が、一気に緊張した表情になった。
「皆、集まったの。」碧黎は、王座に付きながら薄っすらと微笑んだ。「では、皆に説明をしようぞ。横の椅子に、どこなりと腰掛けるが良い。」
言われて、左右の壁際にある椅子に、皆思い思いに腰掛けた。それをみとめてから、碧黎は話し出した。
「まず、本日は皆、頭がはっきりせぬのではないか。」皆が、無言で頷くのを、碧黎は見て続けた。「それゆえ、主らはここに居る。焦らず思い出すが良い…ここ数ヶ月、ここで主らの病を治そうと努めておったのだ。しかし、昨夜また大きな気の動きがあっての。そのせいで、ここ数ヶ月の努力も水の泡になろうとしておる。まずは、主らが忘れて居るであろうことを、我の口から一から説明しようぞ。」
碧黎は、少し息をついて、また続けた。
「我はこの月の宮の王、碧黎。ここは癒しの場と言われておって、ゆえに主らの世話を受けてここに至る。そして主らは、変わった気の変動の影響で、記憶に障害が現れる病にかかっておる。王であった者達も居る…記憶を失って、王であることは難しい。なので、我はここへ一切の身分など告げずに、主らを受け入れて記憶の修復に努めて来た。数が多いので、組み分けをして、こちらにある学校という施設を使って神世を一から覚え直し、それが記憶修復の手助けにならぬかと試しておるのだ。ここ数ヶ月の記憶、今我が説明したことで少し蘇って参ったか?」
蒼が、頷いて答えた。
「はい、碧黎様。今朝起きた時にはぼうっとして、何が何だか分からない感じでございましたが、今おっしゃられたのを聞いて、確かにそのような記憶が戻って参りましてございます。」
碧黎が、満足げに頷いた。
「そうか。恐らく皆そうであろうの。」と皆を見回した。そして、誰も異を唱えないのを見てから、立ち上がった。「では、これ以上我が申すことはない。皆、これまでと変わらず組に分かれて神世を思い出すように精進せよ。早よう、危険分子のように言われず、己の宮へと戻るためにもの。」
それを聞いた、維心が驚いたように碧黎を見た。
「危険分子?」
碧黎は、維心の方を見て頷いた。
「そう。主などは特にの。何しろ、その大きな気であるのに、記憶をなくしてしまっておるのだからの。常識もわきまえず、何をしでかすか分からぬと皆に恐れられるのだ。」
炎嘉が、隣りで眉を寄せた。
「…ゆえ、月の宮の結界は我らを出さぬような強力なものであるのか。」
碧黎が、苦笑した。
「仕方がないのだ。主らを引き受ける際に、我が神世に約したことであるからの。主らも、我が領地から出たければ早よう思い出すことぞ…同じ境遇の者同士、協力し合っての。」そうして、王座を離れて歩き出した。「ではの。困ったことがあれば、また何なりと申すが良いぞ。」
碧黎は、そこを出て行った。それを見送ってから、呆然と座っていた面々だったが、炎嘉が先に立ち上がった。
「さあ!ぼーっとしておる場合ではないの!思い出したからには、早よう元の宮のことも思い出して、戻れるようにならねば。暗くなっても仕方がない。さ、行くぞ!」
炎嘉に引っ張られるように、皆がそこを後にして、まだぼんやりとだが思い出して来た月の宮の学校の、自分対の教室へと向かって歩き出した。病気なのか…まさか、自分がこんな病気にかかっているなんて!
それを、仕切り布のこちら側で見ていた大氣が気遣わしげに見て言った。
「碧黎。あれで良いのか?皆、無事に封じた記憶の代わりに書いた、記憶に従って動き始めたの。」
碧黎は、頷いた。
「これからよ。皆王でも妃でも、皇女でも皇子でも、親子ですらない。ただの神。何しろ、覚えておらぬのだからの。あれらは、どう動くと思う?」
大氣は、首をかしげた。
「さあのう…。楽しみでないと言うと嘘になるが、今は維織と婚姻して神のことがよう分かるようになったゆえ、手離しで楽しみとは言えぬのだ。維織は、かなり反対しておったからの。」と、息を付いた。「で?いつまで続けるのだ。この間、他の神は眠ってもらっておるだろうが。」
「臣下達が起きておったらうるさいゆえの。」碧黎は言って、肩をすくめた。「わからぬ。満足したら戻すが、いつになるかの。ま、そう何年もにはならぬだろう。ことがややこしくなると、戻すのもややこしくなるゆえ。主は、案じず見ておれば良いのよ。」
そうは言っても、気になった。しかし、碧黎が言い出したことは、反対してもやり遂げるだろう。自分が見守っていれば、厄介なことになりそうになったら、妨害も出来る。なので、大氣は黙って頷いた。
蒼達は、スクールライフに入って行った。




