不安と騎馬戦
碧黎は、維心達の前世の頃、初めて会った地の化身だった。
月の命を作った、それは大きな力の化身であったが、人との交流が全くなかったため、人や神の気持ちや常識などが完全に欠如しており、それゆえにやることは非情で、一度前世の維月は黄泉へと送られたことがあったほどだった。
単に、常識も感情も何も分からなかった碧黎は、それがそれほどに皆の悲哀を誘うのかも、何も分からず、その時にそれが合理的だと思ったら、その通りに行動していただけだった。しかも、地の長く片割れである陽蘭とも諍いを起こして離れていたため、諌める者も居らず、たった一人で判断して地を維持するためを考えていろいろなことを行なっていた。
そんな碧黎が、陽蘭との和解と、維月や十六夜との交流、そして他の神との交流をするにつれていろいろなことを学び、こちらの感情を理解して、神や人らしく生きるようになっていた。
なので、助けられることはあっても、困ったことなど、碧黎の行動絡みで起こることは無くなっていたのだ。
それが、あのようなことを言った。久しぶりに、と。
維心は、もう競技が始まるというのに、それが頭を離れなかった。騎馬を組んで戦いに挑むのに、必死に頭を振ってそれを追い払うと、目の前の敵に意識を向けた。
「何か別のことを考えておったら、我には勝てぬぞ、維心。」
久島が、そんな維心に気付いて言った。維心は、不敵に久島を見て笑った。
「ふん。主になど体を押さえつけられておったとしても負けぬわ。来るが良い、久島。」
両者は、激しく睨み合った。
しかし、フィールド上には、全ての騎馬が出ていた。白、赤、青、紫のジャージで組まれた騎馬に、それぞれの色の帽子を被った一人が乗って、スタンバイしている状態だった。これが、一斉に他の組の帽子を取りに戦うのだ…考えただけでも、怪我人が出そうな雰囲気だった。
さすがの翔馬も、緊張気味にピストルを構える。
「位置について。」
皆が、そのままの体勢で目当ての騎馬を睨む。各組、作戦はしっかり立てていた。大将の騎馬は、皆に守られ後ろに居る…しかし、維心はすぐにでも久島の帽子を取りたいとうずうずしていた。
「用意、」
パンッとピストルが鳴り響く。各騎馬一斉に進みだした。
ジャージで色分けされているので、敵味方が分かりやすい。観戦している側も、それはありがたかった。入り乱れてしまうと、分からなくなってしまうからだ。
さすがに神の軍神達だけあって、まるで本当の戦の布陣のような形で相手方に攻め入って行く。しかし、狙っているのはその頭上の帽子だった。
「すごい…。」
蒼は、その只中で皆の勢いを見て呟いた。蒼は大将なので、将維と嘉韻、明人に作られた騎馬に乗って、じっとそこに留まって戦いを見守っていた。月の宮はとてもおとなしい神が多かったので、守りに徹していて他の組に帽子をなかなかとらせなかった。しかし、取ることもまた出来ていなかった。
将維が、騎馬の先頭で言った。
「…いらいらするの。やはり我は、他の騎馬で先鋒を務めたほうが良かったのかもしれぬ。」
蒼は、苦笑した。
「だから、これは遊びなんだよ。そんなに必死に勝ちに行かなくてもいいんだ。皆、怪我さえしなければいいとオレは思ってる。」
将維は、キッと蒼を振り返った。
「あのな、主はなぜにそうよ!我らは闘神なのだぞ?!勝負ごと、勝たなくてどうするのだ!何でも全力で当たって、勝利を勝ち取ることに意味がある。怪我がなんぞ。王なのだぞ?ほんにもう。」
蒼は、その迫力に思わず頷いた。確かに、将維も龍。しかも、前龍王。勝ち負けにこだわる気持ちも分かる。
「じゃあ…皆苦戦しているようだし、オレ達も出るか?」
将維は、途端に機嫌を直して頷いた。
「参ろうぞ!」
蒼の騎馬は、将維に引っ張られてぐんぐんフィールドの激戦地帯へと進んで行ったのだった。
一方、維心もこちらで皆の戦い具合を見ていた。義心の騎馬が、相当に頑張っているのが見える。そして、静かに戦っているにも関わらず、志心の騎馬も同様に手際よく他の組の騎馬を崩して行っていた。志心は、かなりすばしこいのだ。真正面で渡り合って、その手さばきから帽子を守りきるのはかなり難しいようだった。
ひとつの組に8騎の騎馬があって、大将を除くと7騎。なので、青にとって敵は21騎あることになる。その内の4騎を義心が、3騎を志心が取っていた。
「…炎嘉め。策しておるの。」
維心は、炎嘉の所の騎馬が、攻めてはいるが、守りの方が堅いのを見てとって言った。赤の騎馬は、まだ三つしか帽子を取っていないが、まだ大将を含む四騎が残っている。一方、久島は、攻めてはいるが青組ほどは取れておらず五つの帽子を取っていて、やはり四騎が残っていた。
「やはり、大将戦に持ち込もうと。」
慎怜が言うと、維心は頷いた。
「そうよ。制限時間が来て同じ数の騎馬が残っておれば、その大将同士の一騎討ちになるからの。我らは、志心と義心が7つも取っておるにも関わらず、同じ四騎の残り。既にニ騎しか残っておらぬ白は無しでも、充分に勝ちはあり得るであろうて。」
すると、白の大将騎馬が出て来た。将維が、気が出せる時なら闘気が出ているのではないかという勢いで出て来る。義心も志心も、それに他の組の騎馬達も驚いて一瞬退いた。
「まだ勝負は分からぬわ!」
将維は、一つの紫の騎馬の前に瞬時に到達した。相手は、びっくりしてのけぞる。蒼は、将維の迫力にこの帽子を取らねば殺されると思い、必死に腕を伸ばした。そして、人の頃の記憶が脳裏を過ぎった…そういえば、オレ、いつも騎馬戦じゃ馬の役だったっけ…。
わあっと歓声が上がる。蒼が気が付くと、手に紫の帽子が握られていた。
「取ったよ…。」
嬉しいよりも、どっと疲れが来る。しかし、将維はまた次の騎馬へと駆けて行く。
「その調子ぞ!」
維心が、それを見て眉を寄せた。
「…まずいの。将維は本気ぞ。我も出る。慎怜、行け!」
慎怜は頷くと、他後ろの二人に合図して一気に駆け出した。それを見た久島が、自分も合図して、維心とは別の方向、炎嘉の方へと向かった。このまま維心と将維がぶつかり合って、もしも維心が落ちた場合、今一騎失った自分は二位になり、炎嘉の一人勝ちになるからだ。
「炎嘉ぁ!そうはさせぬぞ!」
炎嘉は、軽く舌打ちした。
「気取られたか。仕方のない。嘉楠、行け!」
「は!行くぞ猛!」
猛が、正面で頷いた。
「は!参ります!」
猛が走り出した。神の世でも相当に大きい猛の迫力は、物凄かった。それが炎嘉を背負って真正面から突っ込んで来るのだ。
「はっはあ!猛、主、大したものぞ!」
炎嘉が楽しげに上で叫ぶ。確かに紫の騎馬は、突っ込んで来る猛を見てさっと退いた。
しかし、久島の乗っている騎馬だけは違った。
「炎嘉~!その首、獲ってやるわ!」
炎嘉は、ふふんと笑った。
「そっくりそのまま返そうぞ、久島よ!」
二人は、手をがっつり組んで宙で睨み合った。
こちらでは、蒼の乗った将維の騎馬と維心の乗った騎馬が当たっていた。
「蒼、主には恨みはないが、将維を生かしておくと危ないゆえ!もらうぞ!」
維心が、手を伸ばして来る。蒼は、始めっから維心になど勝てないと思っていたので、必死に身をよじって逃げた。
「わあああ!!」
ジタバタとしている。将維は、必死にバランスを取りながら言った。
「蒼!逃げ切るのだ!父上とて、足場が悪いのは同じぞ!気が使えぬのだからの!」
蒼は、確かに気が使えないのなら、そこまでびびることはないかな、と思ったが、実際に維心を見ると、かなりの迫力でとても直視出来なかった。だから、どうして騎馬戦でそんな鬼気迫るんだよ。
「蒼様、お覚悟!」
横から、義心の騎馬が入って来て手を伸ばした。蒼は、そっちも必死に避けた。義心は、案外に素早い蒼に、驚いたような顔をしている…蒼は、昔からどドッチボールであろうと何であろうと、逃げるのだけはうまかった。
「将維~!」
蒼は、必死だった。将維が、ここから抜けてくれなければ、ずっと二つの騎馬に襲われることになる。
「囲まれておるのだ!」
蒼は、それが合図だったように、ふと気配を感じて伏せた。すると、その上を別の腕が掠めた。
「…志心殿までか!」
そう、蒼の騎馬はこの三つに囲まれていた。いくら将維でも、この囲みを騎馬の形を崩さずに抜けるは難しい。
「…なんと、すばしこいの!」
維心は叫んで、必死に蒼の帽子を掴もうとする。だが、蒼は必死に身を反らしてそれを避けた。ここまで必死になる理由はなかったし、どうせ騎馬の数でも勝てるはずもないし、獲られてしまえば楽になるのは分かっていたが、殺されるほどの緊張感の中、どうしても身が勝手に反応して避けてしまっていた。
ここは、制限時間が切れるのを待って避け続けるしかない。
蒼は必死に落ちないように腕をぶんぶんと振り回して、あっちへこっちへ無理な体勢で避け続けた。そうすると、踏ん張った拍子に何かを掴んだ。
「…あれ?!」
「ああ!」
その声にふと見ると、義心が悔しそうに騎馬を崩した。蒼は驚いて手を見た…青の帽子。
「蒼!ようやった!」
将維が叫ぶ。そして、開いた場所から瞬時に囲みを抜けて、残っている白組のひとつの騎馬と合流した。維心は、舌打ちをした。
「くそ、まさか蒼がここまでやりおるとは。」
志心が、言った。
「蒼は良い。それより、赤の炎嘉殿ぞ。見よ、久島と戦っておる…我が、大将以外の騎馬を崩して来るゆえ。維心殿は久島殿と炎嘉殿を。」
維心は、じっと戦況を見た。
「…いや、やはり我は蒼を襲う。あれらの内、一つは必ず落ちよう。何騎残っていようと、大将が落ちた組は負けであるから、雑魚は放って置いたら良いのよ。志心、我らはやはり蒼を崩すぞ。」
志心は、頷いた。
「よし。では、参る!」
維心と志心は、白の二騎に向かって行った。




