激戦
維心は、うつぶせになって腕を前に組み、そこへ顎を乗せて合図を待ちながら、両隣を見た。第一組は、皆軍神達だ。敵の居ないこの状態で、万が一にも自分が負けるわけにはいかぬ。
気を使えばこの世最強と言われている維心でも、体を使うことには慣れていなかった。しかし、やはり通常の王としての誇りにかけて、個人競技で負けるわけには行かなかった。
「位置について」
翔馬の声が聞こえる。維心は構えた。
「用意、」
パンッと軽いピストルの音がする。維心は、持ち前の瞬発力で飛ぶように立ち上がると一目散に旗目掛けて走った。
「速い!」
維月は、思わず観覧席で身を乗り出して叫んだ。他は全く追いついてこれておらず、一瞬のうちに維心が、飛び込むこともなく旗を取った。
「第一組、青の勝利です!」
維月は、思わず立ち上がって維心に手を振った。維心は、維月のことだけはどんなに混雑していても見えるので、嬉しそうに維月を見て微笑んだ。それを見た、維月の回りの皇女達が、一斉にバタバタと倒れた。
「ええ?!あ、しっかり!」
維月は慌てて回りの皇女達を起こす。月の宮の治癒の者達が、慣れたようにやって来て皆を看護し始めた。維月は、おろおろと回りを見た。
「何?!何があったの?!」
看護の者は、涼しい顔で言った。
「ああ、龍王様がこちらを見られたからでございまする。あちらの観覧席でも、殊に美しい炎嘉様や志心様、それに維心様や久島様がふと目を上げられただけで、皆卒倒しておりまして。皆様には、観覧席を見ないようにと申し上げておりますのに、維心様があのようにこちらを見て微笑まれたので。」
維月は、そうだった、と思った。神なのだから、後光が差すように美しいのだ。毎日一緒だから見慣れて来て、忘れていた。
維月が反省して椅子に座り、回りではまだ治癒の者達が駆けずり回っている中、次の走者がうつぶせで並んだ。維月は、それを見て回りの騒ぎを忘れて身を乗り出した…これは、荒れる組だ。
あちらから、将維、久島、赤組の誰か、志心、と並んでいる。維月が知っている三人、しかも力のある神ばかりが揃っているのだ。
「大変…誰が勝つのか、予想も付かないわ。」
それを聞いた隣の麗羅が、ふらふらしながらも必死に前の椅子の背に掴まって身を起こした。
「まあ…!なんとお美しいかたがたかしら…!」
維月は、え?!とそちらを見た。関心があるのはそっち?!
すると、咲華も必死に起き上がった。
「滅多に見れませぬわ!将維様に久島様…志心様が並んでおられるなんて…!」
確かにそうだった。将維はもう隠居しているし、志心は宮に引っ込んでいるし、久島に到っては、会合すら滅多に出て来ない王だったからだ。
見ると、他の観覧席の女神達も、皆身を乗り出している。女神に限っては、勝敗よりもその姿を見ることが重要であるらしかった。
「用意、」
翔馬の声が言って、ピストルの乾いた音がする。皆、一斉に立ち上がった。
「志心様…」
維月は、呟いた。志心が、やはりこの組では一番速かった。白虎はかなり柔軟ですばしこいと有名なのだ。維月も、前世立ち合う時に苦労させられた。将維も、追いつかない。しかし、まだいけそうな距離だった。
旗があるマットの手前で、皆が一斉に飛び込んだ。維月には、それがスローモーションのように見えた。ほぼ同時に跳んだが、僅かに前の志心が、その跳躍力を見せ付けるようにアウトコースから旗に手を伸ばした。久島が、必死にその下から手を伸ばしている…将維は、アウトコースの上からそれを押さえ込むように手を伸ばしていた。
しかし、取ったのは志心だった。
「青!第二組、青の勝利です!」
「すごいわ!」
維月は、思わず手を叩いた。久島が、悔しそうにマットの上で座り込んでいる。将維は、呆然と自分の手を見ていた…掴んだと思ったのに。
「よし!」維心が、それを見て言った。「これで二勝。次は炎嘉が出るゆえ、維明はどうか分からぬな。箔翔か義心が取ってくれたらいいのだが。」
視線の先では、炎嘉と維明が並んでうつぶせになっている。月の宮の方は慎吾、久島の方は筆頭軍神だった。見た目、維明は人の20代ぐらい、炎嘉は30代ぐらい、慎吾も久島の宮の筆頭軍神も同じくだった。なので、維明が一番身軽そうに見えるが、炎嘉の能力は底が知れない。維月は、それを固唾を飲んで見守った。
「位置について、用意、」
パンッと軽い音がする。一斉に立ち上がった…立ち上がりが速いのは、維明。しかし、炎嘉はその僅かな遅れなどすぐに取り返した。加速が良い。慎吾ともう一人は、完全に遅れた。炎嘉が先に飛び込んだ…維明も跳んだが、距離が足りない。
「…やはり炎嘉か。」
維心が、それを見て言った。その瞬間、炎嘉が旗を掴んで立ち上がった。
「第三組、赤組の勝利です!」
維月が手を叩いていると、炎嘉がふとこちらを見て、維月に向かって旗を振った。維月が思わず手を振り返すと、また回りの皇女達がふらふらとよろけた。
「ああ、また!もう、そろそろ慣れてよ~!」
また、引き上げかけた治癒の者達がわらわらと寄って来る。
維月は、居た堪れなくなって、少し早く休憩に行こうと席を立った。次の借り物競争は、各組一人ずつしか出ないらしいし、すぐに終わるだろうから。
その後、箔翔も取り、猛が取りで、圧倒的に青と赤が取り、ここでの順位は一位青、二位赤、三位紫、四位白となった。グラウンドを整備している軍神達を眺めながら、蒼が控えの席で言った。
「次ぐらいはオレ、出ておかないと一つも出なかったらいけないしさ。でも、翔馬が嬉しそうに借り物競争のカード作ってたのを覗いたんだけど、とんでもないものも混じってるらしくって。」
まだビーチフラッグのショックから立ち直れて居ない将維を後目に、嘉韻が言った。
「とんでもないものと申されますると?」
蒼は、頷いた。
「普通、人の世の借り物っていうと、物なんだけどね。どうも人が混じってるようで。」
嘉韻は、眉を寄せた。
「人?というと、どのような?」
蒼は、首をかしげた。
「『皇子』とかさ。具体的に名前が書いてあったりしたりして。」
嘉韻は、眉を跳ね上げた。
「そのようなものを、担いでゴールするのでございまするか?気も使えぬのに?」
蒼は、頷いた。
「そうなんだよ。困るだろ?だから、オレが出て大丈夫かなって。」
嘉韻は、気が進まなかったが、言った。
「では、我が代わりに出場を。」
蒼は、しかし首を振った。
「いいや、いいよ。どうせこれで優勝なんて無理だろうし、何を引くかで時間も決まるし、要は運なんだ。勝てないつもりで行く。気軽でいい。この競技に一人しか出ないのは、その借り物に時間がかかるからだと思うよ。」
蒼は、そう言って伸びをしながら準備が出来て行くグラウンドを見た。嘉韻は、あのばら撒かれているカードに何が書いてあるのかと気になって仕方がなかった。
「たった一人でございまするね。」義心が、プログラムを見ながら言った。「きっと、時間が掛かるのでありましょう。宮で練習しました時は、簡単な物をカードに書いておりましたが、ここでは想像も付きませぬ。とんでもないものであった場合、気を使えぬのですから、ゴールするのにそれは時間が掛かるだろうと思われます。」
維心は、ばら撒かれているカードを恨めしげに見た。
「…普段であるなら、何が書いてあるかなど簡単に透視出来るものを。気が使えぬと、何と不便であるか。」
維心は、黙って座っている青組の皆を振り返った。
「まだ出ておらぬ者はおらぬか。その中から決めようほどに。」
皆が驚いたように身を固くした。たった一人で勝敗を左右するような、そんな責任の重い競技に出たいとは思わないからだ。
義心が助け舟を出した。
「王、この後昼から騎馬戦や綱引きなど、全員参加の競技が出て参ります。必ず皆出ることになるのですから、ここは力のあるものが出た方が良いかと。」と、赤組の控えの方を見た。「赤は、炎嘉様が出られるようでございまするし。」
途端に、維心は目の色を変えた。
「炎嘉だと?!では、我が出る!」
義心がホッとして頷くと、グラウンドの方から翔馬の声がした。
「では、選手のかたは出て来てくださいませ!」




