月の帰還
維心が、真っ先に我に返った。
「維…」と、飛び上がらんばかりに立ち上がった。「維月!おお維月ではないか!」
維月は、碧黎の腕から下りて、維心に手を伸ばした。
「維心様…ご心配をお掛け致しました。」
維心は、皆が見ているのも構わず維月を抱きしめると、その頬に自分の頬を摺り寄せた。
「案じておった。しかし覚悟もしておった…もう戻らぬかと。そうしたら、追って参ろうと。このように早く実体化出来るとは。」
維月は微笑んで維心を見上げた。
「はい、父がすぐに気を戻してくれたので。十六夜は元の気が大きいので、少し戻るのに時間が掛かりましたけれど、今はこのように。」
十六夜は、床に降り立っていたが、側の椅子へとどっかり座った。
「そうなんでぇ。実体化するのも億劫だったんだが、親父がどうしても一緒に下りろって聞かなくてさ。だから一緒に来た。別にすぐに来なくてもいつでも顔ぐらい見れるのによ。」
維心が、抗議するように言った。
「あのな、勝手にあのように力を使いよって。こっちは大変に案じておったのだぞ?!また、置いて行かれるのかと…。」
維心は、声を詰まらせた。維月は、そんな維心の背を抱きしめた手で撫でた。
「維心様…もう大丈夫でございまするから。そのようなこと、あるはずはありませぬから。お気持ちを静めてくださいませ。」
維心は、潤んだ目で維月を見つめた。
「維月…。」そして、少し弱い声で言った。「我は…しかし責務のことを考えて、耐えた。」
まるで、子供のようだ。維月は維心が、悪い方へ考えないように、自分の心を追い詰めないようにと一生懸命気を張っていたことを、それで知った。なので、子供をあやすように言った。
「まあ、とても頑張られたこと。維心様は、大変に良い王であられまするわ。」
それは蒼には、いい子いい子と聞こえた。維心は、嬉しそうに微笑んだ。
「維月…。」
なるほど、今生ではまだ精神的に子供なところがあるので、母さんは母の役目も果たしているのか、と蒼が思っていると、炎嘉が、盛大に鼻を鳴らした。
「ふん、何を甘えて!王は誰しも孤独に戦っておるのだ。前世の主は、そうであっただろうが。己だけ維月をそうして囲い込みおって…腹が立つの!」
箔炎が、同じように不機嫌に横を向く。
「ああ腹が立つの!だからここへも来ずに来たというのに!」と、立ち上がった。「もう良いわ!箔翔、主が碧黎から聞いておけ。我は先に戻っておるゆえ、報告せよ。」
箔翔は、ハッとした顔をしたかと思うと、ためらいがちに頭を下げた。箔炎は、そのまま誰に挨拶もせずに、さっさとそこを出て行った。維心は、それを見送ってから、維月の手を引いて自分の椅子へと座り、横へ座らせた。箔炎が出て行ったことなど、気にも留めていないようだ。碧黎が、軽く息を付いて側の椅子へと腰掛けると、言った。
「相変わらず…我の娘を巡って、主らは争うておるのだな。」と、維月を見て目を細めた。「まあ、これほどに慕わしいのであるから、分からぬではないがの。」
今までの碧黎でも少し抵抗があった維心だったが、今の碧黎は大変に若々しい外見で、とてもこんな大きな子持ちであるようには見えなかった。そんな碧黎が維月を愛おしそうな目で見るのは、さすがに気になった。
「碧黎…主、その人型はなんぞ?なぜに若くしておる。まさか維月と見合うようにというのではないであろうな。」
碧黎は、意外にも驚いたような顔をした。そして、自分の体を見回した。
「若く?そうなっておるか。確かに少し休んだことで、身がすっきりしたことは確か。しかし人型は、意識して作るものでもないゆえの。人型と思うてとったら、こうだった。」と、フッと笑った。「ふーん、維心、我を恋敵と思うておるか?確かに我ら、主らの言う親子ではないがの。維月とはあのように過ごしたこともあるし…別に我は良いぞ?維月を我に返すか。」
維心は、慌てて維月を抱きしめると、ぶんぶんと首を振った。
「ならぬ!どうあっても維月は渡さぬからの!」
十六夜が、気だるげに手を振った。
「維心、どんなに頑張っても、親父が本気になったら無理だよ。今度のことで思い知った。親父にはかなわねぇ。絶対無理だ。」
碧黎が、声を立てて笑った。
「ああ、冗談よ。案じずとも、主から取り上げようとは今、思うておらぬ。維心、主も少し学習せよ。我に敵うはずがあるまいが。そんなことより、主らは知りたいのであろう。」
蒼は、知りたくてうずうずしていたので、やっと割り込めると急いで口を開いた。
「はい!碧黎様、それで…なぜに急に戻ったのですか?」
碧黎は、首をかしげて顔をしかめた。
「突然に何かに軽く身を打たれたような衝撃を受けての。それで目が覚めたのだが、その時に維月の声が聞こえて…我の代わりが出来なかったと、それは弱々しい声で。その後、無我夢中で飛び出したゆえ、己でも何が起こったのかあの時にはわからなんだ。」
蒼は、維明と顔を見合わせて頷き合った。きっと北極の爆発が碧黎の眠る場にまで届いたのだ。
「人世の物が、その時太陽からの気に晒されて爆発したのです。きっとそれを気取ったのでしょう。」
碧黎は、頷いた。
「そうかもしれぬ。しかし、我に気取らせようと思うたら、昔戦争で使われておった大きな爆弾ほどの威力が要るがの。そんなものが爆発したのか。」
蒼は、頷き返した。
「はい。その時の爆風は辺りをなぎ倒して吹き飛ばして、北極は大変な惨状となっておりました。人は地下のシェルターに篭っておって無事でありましたが。」
十六夜が、感心したように蒼を見た。
「ふーん、人ってのは大層なもんを作るじゃねぇか。あの面倒くさい装置といい…それで、あれはどうしたんだ?」
維明がそれには答えた。
「我らが三つに分かれて全てを壊して参った。と申して、人のことであるからまたあれを作り直すことは雑作もないとは思うが、今は混乱しておる生活を立て直すのに必死であろう。しばらくは、ないと思うがの。」
それには、維心が口を挟んだ。
「そう、それで炎嘉とも箔炎とも話しておったのだが、人はあまりに変な道具を作りすぎておる。衛星は、我と炎嘉が面倒なものをよってどさぐさに紛れて破壊したゆえ、今は大丈夫だ。しかし、とりあえずは数百年は面倒など起こらぬように、ある程度の物は破壊して来ようと思うておる。」
炎嘉が、頷いて続けた。
「人のテクノロジーとはいうものには、今まで干渉せずに来た。力を持たぬのだから、道具ぐらいは良いかと思うての。しかし、力を持ちすぎたのだ…此度のこれがそうよ。このままでは、また同じようなことが起こらぬとも限らない。ゆえ、少しその道具を間引こうというのだ。」
碧黎は、じっと考え込むような顔をした。
「…確かにそれも良いのかもしれぬが…先ほども申したの。また作る。人とは、そういった生き物よ。」と、息を付いた。「…では、我がやろう。今まで見逃しておったが、少しいろいろな気が飛び交っておって我も鬱陶しいと思い始めておったところ。我が地から、ある一定の気を発して他の気を妨害する。つまりは地球上からその気を遮断されて使えぬものは、皆使えなくなるということだ。通信などは良い…人は、念が使えぬのだから、それぐらいは残してやられねばの。後は、電子機器とか申すもの、いくらか使えぬようにしようぞ。なに、我の気を遮断しようとしおってもこの地上に住んでおる以上は無理ぞ。」
蒼は、碧黎を見て頷いた。
「それならば、磁場が大きく変わったせいだとか考えて、それほどに皆、おかしくは思わぬでしょう。不自然ではない。」
碧黎は、微笑んだ。
「であろう?いい機会ぞ。今のうちにいろいろと変更してしまっておくことよな。」と伸びをした。「で、他に聞くことはあるか?」
それには、維月が急いで言った。
「お父様!あの、お母様は?」
碧黎は、笑って言った。
「おお、そういえば忘れておったの。あやつはまた怒りよるわ。」と、十六夜と維月を見た。「案じることはない。あれはまだ眠っておる。目覚めたのは我だけ。だが、死んでおるのではないゆえ、大丈夫よ。そのうち寝ぼけて出て参るわ。待っておれ。」
十六夜も、維月も頷いた。良かった、二人とも無事で…。
「では、帰る。」碧黎は、立ち上がった。「またいつなり呼べば良い。十六夜もまだ本調子ではないゆえ、すっかりだれて無口になっておるではないか。」
十六夜は、だるそうに立ち上がった。
「親父が来いって言ったくせによ。やっと帰れる。」と、維月を見た。「維月、じゃあな。お前もまた戻って来るといい。オレはしばらくあっちに居る。」
維月は、苦笑しながら頷いた。
「無理しないで。月に居たって話は出来るんだから、大丈夫よ。」
十六夜は頷くと、ふらふらと窓際へと足を向けた。碧黎が、それを追うと手を貸して、二人は夜空へと舞い上がった。
「ほんに、地上がこれほどにすっきりとしておるとは!一度気を失ってみるものよの!」
碧黎は、そう笑いながら言うと、十六夜と共に飛んで行った。
「そうたびたび気を失われちゃ困るんだけど。」
蒼は、小さくそう呟いていた。




