爆発
維明は、猛を追って北極近くまで来ていた。猛は、そこで宙に浮き、呆然と氷河が割れて行く様を見ていた。維明は、自分の気で、眩しく感じるその目の前の激しい気を遮断しながら、猛に近寄った。
「もう、駄目だ。」維明は、急いで言った。「見よ、もう十六夜の結界が崩壊し始めている。主とてあの太陽から吹き付けて来る気をまともに浴びたら消滅する。お祖父様は意識がおありにならぬのだ。我と共に参るぞ!」
猛は、首を振った。
「維明様、どうか我のことはお捨て置きくださいませ。我は最後まで我が王に忠義を尽くしとうございます。」と、手を翳した。「僅かばかりでありまするが、この気で地上を支え申す。我が王が、守ろうとしたものを守らねば。我は、人が嫌いでありまするが、他の生物は、好ましいので。」
ふと見ると、猛の浮いている足の下には、数匹の群れから離れてしまったらしいアザラシが居た。白い毛で覆われている、まだ赤子と思われるアザラシも居た。皆何事が起こっているのか、分からぬような不安な目でこちらを見上げていた。
しかし、維明は同じように首を振った。
「ならぬ!無駄なことぞ。主の力ごときで、とめられるような気ではないわ!月ですら僅かな間しかもたなんだ。無駄死になどする必要はない!」
しかし、猛は断固として聞かなかった。
「我のことなど!維明様、お帰りを!」
その時、十六夜の結界が勢いよく破れ始めた。北極の研究所が、見る見る傾いて崩れて行くのが見える…維明は、咄嗟に気を遮断する膜を、自分と猛に張った。
「…無理ぞ!」
箔翔の声が、背後でしたかと思うと、箔翔からも気が流れて来て、三人の上に、三人の力で張った気を遮断する膜が出来た。それは、三人の頭上数メートルの所で、直径二十メートルほどの小さな、しかし分厚い膜となって、まるで放射線から守る傘のように三人と、足元の数頭のアザラシを守った。維明が、叫んだ。
「…何と重い気ぞ!我ら三人の力をもってして、やっと防げるほどか。」
箔翔が、必死に上に向かって気を放ちながら叫び返した。
「どれほどもつか…恐らく我らでは、そう持ちこたえられぬぞ!」
維明は、回りを見た。
「しかし…もう、逃れる場所はない。」
辺り一帯は、既に十六夜の守りから外れていた。
「これまでか。」
箔翔は、小さく呟いた。不思議と、悲壮感はない。維明は、同じように必死に膜を維持させる気を送りながら、ふっと箔翔に笑いかけた。
「まさか宮からこのように離れた場所で尽きようとはの。」
そして、空を見上げた。
母上…我は、お先に参るかも知れませぬ。
維月は、ハッとした。今、維明の声が聞こえた気がする。
《十六…夜…》維月は、朦朧とする意識の中で、十六夜に呼びかけた。《維明が…維明が居るのよ。きっと、あそこに居る…。》
十六夜は、おぼろげに見える地上に必死に焦点を合わそうとした。
《…見え…な…》
十六夜の念は、言葉を成さなかった。だが、維月は気力を振り絞って地上を見た。
そこに、維明が居た。箔翔と猛と共に、ぽつんと北極のその只中に、放射線にさらされないように必死に小さな傘のような膜を張り、自分達を守っている。だが、どんどんと下へ向かって落ちていた…つまりは、気が消耗して来て、浮いていられなくなって来ているのだ。
維月は、一気に目が覚めた。
《ああ!維明!》維月は、必死に叫んだ。《ああ私のかわいい子が!あんな所に…!ああ誰か!十六夜…お父様!》
維月は、必死に叫んだ。いつも、子供の頃から、こうして叫んだらどちらかが来て自分を助けてくれた。なので、自分はいつも困らずに済んでいた。だが、今は返事はない。目の前で、維明は箔翔と猛と共に、どんどんと下へと降りて行く。このままでは、皆消滅してしまう…!
《ああ誰か…維心様…!私達の、子が…!》
維月は、必死だった。
そして、その時、突然に激しい音を立てて、研究所の場所から大きな粉塵が混じった煙が吹き上がった…いつか見た、きのこのような形をした雲がそこに現れていた。
汗を額から流れるがままに、スコットはモニターを睨んでいた。そこには、完全に計測不能となってしまった、地下四階から上の表示が出ている…つまりは、計器諸共、木っ端微塵になったということだ。
その衝撃はすさまじく、これほどに地下へと頑強に作られた建物であるのに、激しく揺れて回りの物が落ちて、椅子も倒れた。耐震構造になっているので、揺れるようには作られては居たが、まさかあれほど近くの爆風から守るために使われるとは思ってもいなかった。
職員が、他の計器も見ていたが、ホッと息を付いた。
「総員、無事です。設計通りに隔壁は階下を守り切りました。恐らく地下五階も無事なはずです。」
スコットは、やっと袖で額の汗を拭うと、頷いた。
「良かった。居住区は狭くなったが、それでも生きてさえ居ればどうにかなる。」
スコットは、言ってスクリーンを見上げた。そこには、何も映っていない。今も、皆で南極と海上に連絡を取ろうと必死に呼びかけているが、それに答えはなかった。あちらも、きっと目を塞がれた状態で、何が起こっても分からないだろう。側に危険が寄って来て、初めて分かるなど…。
「引き続き、他の二つの研究所に呼びかけを続けよ。繋がったら、すぐにアンチメタライト結晶の危険性を知らせるんだ。すぐに階下へ避難をと。」
スコットは、全ての今生き残っている人類が、無事にこの最初の試練を乗り切ってくれることを祈っていた。
「なんだ…爆発したのか?!」
比較的近くでそのきのこ雲を見た、猛と維明、箔翔の三人は、その爆風からも必死に身を守りつつ、そちらの状況を見つめた。
「まるで父上が気を放った時のようぞ。」
維明が言うと、箔翔は苦笑した。
「普通はああはならぬ。かなりの力でないと、ああはならぬからの。」と、大きく膨れ上がって横へと流れて行くその雲を見つめた。「あれは人の火遊びぞ。己で扱いきれぬもので遊んではならぬ。恐らくはあの装置の心臓部にあるアンチメタライト結晶という人造の結晶が、空気に触れたのだ。あれで犠牲になった者がおらねば良いが。」
何気なくしているが、維明も箔翔も額から汗を噴き出して、もう地上まで数メートルまで下りて来てしまっていた。自分達も、もうそろそろか。
「…維明。我は…そろそろ、らしい。」
維明は、箔翔を見た。
「何を申す。我はまだ気が残っておる。まだ守りきるゆえ。」
箔翔は、よろよろとアザラシ達の上へと降りて維明を見上げた。もう、猛がそこで膝を付いて、それでも必死にまだ空へ向けて気を発し続けていた。
「気の量の違いぞ。維明…すまぬ。」
箔翔は、ふらふらとそこへ突っ伏した。維明は、途端に重くなった膜を、歯を食いしばって持ち上げるように気を込めた。
「我は、あの父の跡を継がねばならぬのだ!」維明は、天上を睨んだ。「どうしても、ここで果てるわけには行かぬ!」
維月は、それを見ていた。維明を助けたいのに、自分の力が思うように出ない。いったい、あの大爆発はなんだったんだろう。
《十六夜…十六夜、物凄い爆発があった…》維月は、力が出ないながら、十六夜に呼びかけた。《ああ、維明が…。ああお父様、十六夜も維明も、もう気が枯渇してしまいまする。私も、もう…。お父様の守りの代わり、出来ませんでした…。》
維月の視界も、段々に暗くなって来る。
北極の地が、激しく崩れて行っているのが見える。
そして、維月が最後に見たのは、今までにない地の底から轟くような振動と、見たこともない光の柱だった。




