喪失
その状態は、南極の箔翔も見ていた。エレーンが口を押させている…突然に、地から一切の磁場が喪失した。今まで、これほどに静かな時があっただろうか。いくらなんでも、幾つかの反磁束斑ぐらいは残るかと思ったのに。
目の前で、ライリーが必死に計器を読んでいた。
「どうなってる…この月の数値は本物か。」ライリーは、まるで自分に問いかけるように呟いていた。「地上の放射線量は、まだ通常のままだ。何てこった…月の磁場が、地球を守ってるって?!なんだって、急にこんなことに!」
箔翔が、計器をにらみつけた。
「まるで、月が意思を持っているような、か?」ライリーが、驚いて箔翔を見る。箔翔は頷いた。「月が守ろうとしているのだ。己の力では足りぬのを知っておって、身を削って守ろうとしている…主らは、早く地下へ。恐らく、長くはもたぬ。」
ライリーが頷いてドアへと向かう。エレーンは、箔翔にぐいと背を押されて、振り返った。
「ハクは?!一緒でないと嫌よ!」
箔翔は、眉を寄せた。
「我は主らとは違う。何度申せば分かる。己の身は、己で守れるわ。主は、人と共に逃れよ。我は、他の神と合流せねばならぬからの。」
ライリーが、エレーンの腕を掴んで引っ張った。
「そうだ、エレーン!あの装置を素手でぶっ壊したこのハクが、どうにかなると思ってるのか!とにかく、逃げなきゃならないんだよ!」
エレーンは、その腕を振り解いた。
「うるさいわね!」と、箔翔を見た。「ハク、人と神だって、結婚出来るって言ったじゃない!つまり、一緒に暮らすことも出来るんでしょう?!私を、そちらの世界へ連れて行って!」
箔翔は、ため息をついて首を振った。
「エレーン、それは出来ぬ。申したであろう、長続きはせぬのだ。」
エレーンは、同じように首を振った。
「続かせて見せるわ!きっと、慣れてみせるから!」
箔翔は、険しい顔をした。
「主は分かっておらぬ。我に母は居らぬ、と以前申したの。」エレーンが、ハッとしたように箔翔を見た。箔翔は続けた。「人に、神の子は産めぬのだ。産めばその気を食われて死する。我も、人だった母の気を食らい尽くして生まれた子。我は、そのような婚姻など出来ぬ…エレーン、我と主は、種族が違う。相容れぬのだ。我のことは忘れよ。」
エレーンは、食い下がって箔翔の胸の辺りの服を掴んだ。
「離れないわ!一緒に行くの!」
箔翔は、スッと手を上げた。すると、エレーンはぐいと何かの力に持ち上げられて、驚いているライリーの腕の上へと落ちた。
「我は、主を望んでおらぬ。エレーン、諦めよ。」と、ライリーに言った。「頼んだぞ。」
箔翔は、その場からスッと消えた。それは見えないだけで、もしかしてまだそこに居るかもしれないことは、エレーンにはもう分かっていた。だが、今言われたことがショックで、声が出なかった…どこまでも、私を拒絶するの。
「ハク…!神だろうとなんだろうと、ずっとあなたを想って来たのに…。」
エレーンがそう言うのを、ライリーは優しくあやすように言った。
「そうだろう。だが、なんだって上手く行くわけじゃないさ。エレーン、今はとにかく、生き延びよう。それから、もしかしたらまた会えるかもしれないじゃないか。」
ライリーは、そう言うと泣きじゃくるエレーンを抱き上げたまま、地下へと走った。箔翔は、それを見送っていた…いや、もう二度と会うことはない。我では応えてやることが出来ぬゆえ…。
箔翔は、再び南極を後にして維明の気を探って飛んだ。
維明は、全く誰にも見咎められることもなく、さっさと研究所を後にしていた。神は元々人には見えないので、簡単なことだった。父に戻れと言われていたので、箔翔と蒼と合流して戻らねばと飛んでいて、ふと天上を見上げると、空がいやな色をして、そして十六夜の気が空いっぱいに広がっていた…これは、十六夜が必死に地上を守ろうとしているということ。つまりは、碧黎の磁気が喪失したということで、今は十六夜が居なければここには聞いていたあの、変わった気とやらが降り注いでいるということだ。
維明は、空を見上げた。
「猛…お祖父様の気が、喪失したのだ。」維明は、複雑な表情だった。「お祖父様は、まだ小さく残っていらっしゃる。我にはわかる…だが、またあの大きな気が戻って参るのか、疑問ぞ。このまま、気取れなくなるではというほどに、お祖父様は消耗されておるような気がする…。」
猛は、必死の顔で維明を見た。
「維明様、それでは王は、我が王はこのまま、元に戻られることがないと?!」
維明は、猛を見た。
「分からぬ。恐らく誰にも分からぬのだ…このようなこと、今までに起こったことはなかったと言うておったろう。だが」と、再び天上を見上げた。「母上と十六夜の二人は、ああして天上で必死にお祖父様が守っておった地上を、同じように守ろうと力を放っている。おそらくお祖父様が望んでおったのは、こうして地上を守ることであろうと…。」
猛は、涙がこみ上げて来るのを抑えられなかった。我が王が…王は、我をこうして神に変え、そして軍神として送り出してくれた。その王の、何の役にも立つことが出来ず、ご恩を報いることも、出来ておらぬのに…!
「我に、何か出来ぬのでしょうか。」猛は、維明を潤んだ目で見て言った。「我は、何も王のお役に立ててはおらぬのに…。」
維明は、寂しげに首を振った。
「我らには、何も出来ぬよ。歯がゆいことであるが。さあ、蒼と箔翔に合流せねば。我も父の元へ戻らねばならぬ。まだ、十六夜が抑えてくれておるうちにの。」
二人が海上研究所へ向けて飛ぼうと体を向けた。まだ打ちひしがれたような状態の猛に、維明は気になったが、とにかくも戻らなければと思っていた。すると、遠くから覚えのある気が近付いて来るのがわかった。
「箔翔…?」
維明がそうつぶやくと、その気は突然に目の前へと到達し、止まった。
「維明。今、磁気が喪失して十六夜が地を守っておるのを知っておるか。」
維明は、頷いた。
「我は北極へ向かう前に父上に会うた。そこで、お祖父様がいよいよ危ないのだと聞いた。そして、この十六夜の気…そうではないかと思うておったのだ。」
箔翔は頷くと、海上研究所の方へと足を向けた。
「では、蒼と裕馬を連れて戻るのだ。このままでは、十六夜はもたぬ。我らも少しならば己の力で凌げようが、早よう父上達の結界の中へ入らねば、とても長時間持ちこたえることは出来ぬだろう。」
維明は、頷きかけて、ハッとして空を見上げた。十六夜と母上…今、全開で力を使っているのだろう。では、蒼は?
「…箔翔。蒼は、おそらく力を失っておろう。我らが守ってやらねば、あれは太陽風とやらにやられてしまうのではないのか。」
箔翔も、今気が付いたようだ。慌てて飛ぶスピードを上げた。
「急げ!あれも地下へ逃れておろうが、このまま置いて置くわけにはいかぬ!」
維明も、慌ててそれに倣う。猛は、まだ立ち直っていないようだったが、それでも二人に遅れず必死に飛んで海上研究所へと急いだのだった。
十六夜は、その熱い暴風を必死に力で押し返していた。自分だけの体…月一つなら、恐らく守りきれただろう。だが、地球は大きい。それを包むほどの力を放出して、尚且つ自分のことも包んでいるこの気は、想像以上に十六夜を消耗させた。やはり、親父には敵わないのか。
あの大きな気…生まれた時から、その背を追って、先に飛んで行く父の背に追いつかねばと必死だった。今思えば父は、十六夜がやる気を失わないように、徐々に飛ぶ速さを上げて、常に十六夜が追いつけるか追いつけないかという速さで飛んでいた。時に笑いながら、時に厳しく、十六夜が成長するために先を飛んでいた。
前世の記憶を戻しても、十六夜の心の根底にはそれがあった。碧黎は、父なのだ…間違いなく、父親として、自分を育ててくれていた。
《親父…》十六夜は、呟いた。《オレは、やっぱり親父には敵わねぇな。》
十六夜は、必死に張るその結界の、自分の指の先から何かが漏れて行くような気がした。




