南極
箔翔は、人に可視出来るエレーンを連れて居るので、面倒だと思いながら南極の建物に近付いていた。
エレーンが、南極に近付いてスピードが緩まったので下を見る余裕も出来て、箔翔に言った。
「あちら側が、正面よ。」エレーンは、指差した。「今居る方から見える側面が、裏側。ここまで来れる人なんてあまり居ないから、北極も南極も守りはあまり強くないわ。だから、こっちから二つ目の棟にある、三階の窓から入ったらいいと思う。休憩室なのだけれど、まだ夜が明けてないから、誰も居ないわ。」
箔翔は頷いて、スーッとエレーンの言う窓へと飛んで行った。そして、中を覗くと、誰も居ないのを確認して、中へと足を踏み入れた。
薄っすらと夜が明けて来ているそこは、シンと静まり返っていた。大きなホールのような場所なので、エレーンが下へと降り立つと、カツンと靴の音がした。しかし、箔翔は床から数センチ浮き上がっていたので、何の音もしなかった。エレーンは、窓を閉めて防寒具を慌てて脱ぎながら、声を潜めて言った。
「ハク、本当に神様?ただの超能力者とかじゃなく?」
箔翔は、眉を寄せた。
「超能力者?人の?いいや、我は生まれた時から神だったが。母は人だったらしいがの。」
エレーンは、脱いだ服をそばの予備の椅子を入れてある倉庫に押し込みながら、驚いたような顔をした。
「え、人?人と神で結婚している場合もあるの?」
箔翔は、首を振った。
「いいや。たまに女神が人に下っておるときがあるとは聞いたことがあるが、男神が人の女と婚姻することは神世で禁じられておるゆえの。滅多に無いと聞く。そもそも、そういう婚姻関係は長くは続かぬからな。」
箔翔は、回りを見回しながら、すーっと移動した。エレーンは、靴も脱いでそれを手に持ってそれを追って走った。靴を履いていると、どうしても音がするからだ。
「長く続かないって…!」
エレーンが言って箔翔に追いつくと、箔翔は止まって回りを見た。どうも、たくさんの気が激しく動き回っているように感じる。どういうことだ。
「シッ!黙れ。主の声は、人に聞こえる。我の声は、人に聞かそうと思わねば聞こえない。」
エレーンは、反射的にまた小さな声になった。
「じゃあ、今もそう?」
箔翔は頷いた。
「我の声が主に聞こえるようにしておる。つまりは、他の人にも聞こえる。」と、面倒そうに手を振った。「そんなことはどうでも良い。何やら騒がしいぞ。何かあったようだな。」
エレーンは、じっと考えていたが、側の壁についているパネルを押した。パネルに、エレーンが何かを打ち込むと、ぱっと瞬いてその画面は表示された。
「良かった。私のコードで大丈夫かと思ったけど。」と、またパネルの指で何度も叩いた。「…地下の施設に、避難命令が出ているわ。」
箔翔は、エレーンの横に立って横からそのパネルを忙しく叩いた。すると、そこに地球のグラフィックが現れた…そこに、たくさんの孤を描いている線を見た瞬間、エレーンも箔翔も息を飲んだ。
「何…どうして、こんなことに!」
そう、磁場を表すその線は、めちゃくちゃに乱れて見たこともないような状態へと変貌していた。箔翔は、尚も眉を寄せて、何度も画面を叩いた。
「やはり、北極か。」箔翔は、苦々しげに言った。「我らの膜が間に合わなんだ。」
箔翔は、走り出した。エレーンは、慌ててその後を追って走った。
「ハク!どこへ行くの?!」
箔翔は、走りながら答えた。
「司令室ぞ!もうこうなると時間は少ない…あれを壊すよりも先に、現状を把握して皆を避難させるしかない!」
エレーンは、エレベーターに飛び込む箔翔の後ろへ必死に追いついて、ドアが閉まる寸前で中へと滑り込んだ。ぜいぜいと息を上げる…全くこちらを気遣ってくれない。
「ハク…もうちょっと加減してよ!」
箔翔は、息も切らさずエレーンを睨んだ。
「主が居るからこのようなものに乗ったのだぞ。我なら壁を抜けて飛んでいけるのだ。時間が掛かって仕方がないわ。足手まといにだけはなるでない!」
エレーンは、在学中の箔翔とイメージが違うことに驚いても居たし、失望してもいた。あの時の箔翔は、大変に落ち着いていて気を遣ってくれていた。これが、同じ人?いや、神か。
そんなことを思っていると、エレベーターが目的の階について止まった。飛び出して行く箔翔について、エレーンも必死に走った…回りには、不自然なぐらい人っこ一人居なかった。
司令室に飛び込んだ箔翔と、靴を手に必死に息を切らせて走って来るエレーンを見て、振り返った男は仰天した顔をした。
「え、エレーン?ハクさん…海上に居たんじゃなかったのか?!」
箔翔が、ずかずかと歩み寄って来てその男を脇へと押しやり、パネルを物凄い勢いで叩いた。すると、地球のグラフィックが現れ、あの磁場の孤も現れた。
「…どんどん弱くなっている。」と、男を見た。「避難は?!」
その男は、頷いた。
「ここの職員はもう、皆あっちのセクションの地下へと避難させた。オレはこっちで、コンピュータの切り替えが終わるまで磁場をモニターしていたんだ。」
エレーンが、靴を放り出してその男に歩み寄った。
「ライリー、間に合わなかったのね。あの、装置を壊しに来たの…これ以上、地中に照射させないために。」
ライリーは、仰天した顔をした。
「え、壊す?!エレーン、あれにいくら掛かってるか知ってるのか?!そんなことをしたら、何を言われるか…」
箔翔が、ライリーを睨んだ。
「地がどうにかなろうとしておる時に、何を言うておる!人類が滅んでしまうわ!」と、箔翔は前のガラスの向こうに見える、格納庫の中に視線を移した。「あのような玩具を作ったばかりに、逃げるより操作などという夢を見ることになったのだ。我が消して参る!」
箔翔は、すっと二人の前から姿を消した。実際は、消えたのではなく神モードに切り替えて、ガラスを抜けて隔壁の中へと入って行ったのだが、エレーンとライリーは仰天して回りをきょろきょろと見回している。
「どうなっている?!今、消えた?!」
ライリーが、目の前で起こったことにまだ信じられずに居ると、エレーンが前のガラスにぴったり張り付いた。
「…見て!」
ライリーも慌ててガラスの向こうを覗き込むと、装置のわき腹辺りの金属板がばりばりと音を立ててめくれて、中からはバキバキと空き缶でも押しつぶしているような音が断続的に聞こえて来た。ライリーは、何が起こっているのか分からず、必死に叫んだ。
「ああ!そんな…もしも心臓部をやられたら、ここは大爆発を起こすぞ!」
ライリーは、急いで別のモニターを叩くと、装置の全体図を表示させた。それが装置の現在の様子をモニターしている画面だと、エレーンには分かった。既に、内部の半分以上は異常を知らせるアラートが着いている。エレーンは、じっとガラスの中を見ていたが、首を振った。
「きっと、そんなことにはならないわ。」
ライリーが、エレーンを睨んだ。
「何を言っている!押しつぶされているんだぞ!もう、半分以上…ああ、心臓部まで、もう少しだ!」
エレーンは、ライリーを見た。
「ハクは、全て知っているもの。心臓部には手を付けない…ライリー、あれは無い方がいいのよ。」
ライリーは、抗議しようと口を開きかけたが、しばらく黙って、それから何も言わずにじっとガラスの中を見つめ続けた。何が起こっているのか分からない…あれが、どんな存在なのかも。だが、確かに今この時に、あんなものは必要ない。必要なのはただ一つ、地球の正常な磁場だけなのだ。
北極では、誰に見咎められることもなく、維明と猛が格納庫へと入っていた。回りは慌しく、必死に地下へと逃れようとしている人に幾人もすれ違っていた。しかし、二人の姿に気付く者はただの一人も居なかった。
上を見上げると、ガラスの向こうに一人の男が見える…あれは、モニターで見たスコットか、と維明は思った。その他には、誰も居ないようだ。
「何と素早いことよ。危ないと見たら、まるで蜘蛛の子を散らすように消えるのであるの。」
猛は、下を向いた。我が王を、あのような状態へと陥れたことの機械とやら…人は、何を作り出すのか。
「維明様、お早くけりをつけましょうぞ。」
維明は、頷いた。
「そうよな。これがまた使われることがあってはならぬから。」
維明は、上から見えない裏側へと移動すると、そこからすっと腕を差し入れた。大丈夫、設計通りこの辺りは空洞だ。
「ここから抜けて入ろうぞ。参れ、猛。」
猛は頷くと、維明についてその中へと入って行った。




