決断
維月が龍の宮で、有明の月を見上げながら不安にしていると、十六夜が声を掛けて来た。
《維月。》
維月は、じっと月を見つめた。
「十六夜…磁場は、どう?」
十六夜の声は、思ったほど暗くなかった。
《めちゃくちゃだ。それでも、まだ太陽風からは地上を守ってる…親父は、大したもんだよ。意識を失っても、まだ地上を守ってるんだからな。》
維月は、涙がこみ上げて来るのをとめられなかった。
「お父様と、もう一度お話したい。」
十六夜は、頷いたようだった。
《ああ。親父は、もうこれ以上は無理だろう。段々と弱くなっている…もう、あまりもたないんじゃないか。きっと、不自然に流れを変えられ続けたせいで、今一気に来てるんだろう。》と、少し黙ってから、続けた。《維月、戻って来るか。》
維月は、十六夜を見上げて涙をこぼした。
「十六夜…。」
十六夜は、光になってこちらへと降りて来た。そして、人型になると、維月の前に浮かんだ。
「オレは、地上を守る。どうなるかわからねぇが、出来るところまでやる。力を極限まで使わないと、無理だろうし、それでも守りきれないかもしれない。人や動物、植物を守りたいんだ。親父が今まではぐくんで来たんだ…意識を失っても守ろうとしているものを、オレが守りたい。だが、力を失ったら、お前も実体化する力がなくなっちまう。月へ戻ってないと、戻る力も無くなるかもしれねぇ。」
維月は、じっと十六夜を見た。十六夜は、手を差し出した。
「オレと行こう。オレ達は、力を失っても一緒だ。死ぬ訳じゃねぇ…また、力が戻れば実体化出来る時が来るはずだから。」
維月は、じっと考えていたが、手を伸ばした。
「ええ。維心様や龍達も、二人で守ろう。きっと維心様ならご自分で守ってしまわれるんだろうけど…。」
十六夜は、微笑んでその手を掴むと、引き寄せて抱き寄せた。
「実体化出来なくなったら、あいつはうるさいぞ?維月維月って。だが、きっと分かってくれるさ。しばらくの我慢だ。」
二人は、光になって月へと打ち上がって行った。月の力を、最大限に使って地上を守るために。
維心は、皆へと念を飛ばして龍達を率いて戻って来るところだった。地上は、既に大混乱を呈していた…磁場の乱れで、船舶も航空機も、何もかもがストップしていた。その上、何を利用して動かしていたのか皆目わからないが、光を失っている都市もいくつかあった。機器の異常は地球規模で同時に起こっていて、その上衛星を中継して通信していたものが一切使えなくなっているので、ローカルな有線の通信を使って必死にやり取りしているのが、人の会話を盗み聞いて分かった。そしてそれさえも、機器の異常で使えなくなって来ていた。
大氣が言っていた通り、都市でも危険を知らせることが、まだ出来ていなかった。今まで衛星に頼っていた通信のせいで、素早く連絡が伝わらない。そのうえ、維心が戻ろうとしているアジア地域は、まだ明け方だった。つまりは太平洋上のあの、研究所はまだ夜だった。
これは、かなりの犠牲者が出る…大氣の言うように、手を下すまでもない。
維心はそう思いながら、ふと気を感じて顔をそちらへ向けた。月へ向かって、二つの光が重なるようにして打ち上がって行く。
「…十六夜?維月?!」
維心は、急にその場に止まった。ついて来ていた龍軍も、一斉にそれに倣って止まる。
「王?いかがなさいましたか?」
慎怜が、進み出て問う。維心は、その空を見た。
「なぜに月へ帰る。」維心は、独り言のように言った。「今…このような時に。」
すると、後ろの列に居た炎嘉が先頭の維心に追いついて来て、言った。
「維心…月に二人が戻ったぞ。あれは、もしや…。」
維心は、突然に高く浮き上がって月へと叫んだ。
「十六夜!維月!やめよ、主らでは無理ぞ!人など、放って置けば良いのだ!助かる者は助かる!維月!」
十六夜の声が、返って来た。
《維心、オレ達には無理だ。前世の記憶があるからよ…維月は人だったし、オレは人の、維月に繋がる家系を守って生きて来た。見捨てることは出来ねぇ。せめて、一人でも多くの人が避難出来るように地上を守る。ほとんどの人は、善良なんだ。悪いのは、一握りさ。そいつらが助かって、何も知らない人ばかりが滅ぶなんて理不尽だろうが。》
維心は、その声に向かって叫んだ。
「力を無くしたら、地上に他の影響もあろうが!それに…主も維月も、実体化出来ぬようになる!」
維月の声が答えた。
《維心様…きっと、力を無くしても、また回復すると思いまするわ。それまでのご辛抱でございます。私達は、父が意識をなくしても守ろうとしているこの地上を、二人で守りたいのです。死ぬわけではありませぬから。維心様にも、私達が太陽風を食い止めている間に皆を守ってくださいませ。》
維心は、月へといけない自分を恨んだ。行けるなら、どんなに嫌がっても連れて戻るのに。
「維月…!」
月は、それから声を返さなかった。
そして、それを包んでいた膜は消失し、月の気は今まで発していなかった気を発し始めた。
蒼は、裕馬と一緒に格納庫へと降りていた。
もはや、司令室にはリックとジェファーソンしかいない。姿を隠す必要もないが、それでも二人は人から見えないように姿をいつもの状態にして、そこを歩いて行った。
誰もいない格納庫は、シンと静まり返っている。目の前にあるそのT-X波を生み出す機械は、それは大きかった。上から見ていた時は、これほどとは思わなかった。
大きな筒ような形をしているが、下の台座のように見える所は実は台座ではなく、地下へと繋がっているようだ。先ほど見た設計図を思い出して、蒼は横の隔壁の、特殊な工具がないと開かないネジを、するすると気を使って回した。裕馬が、それを見て感心したように言った。
「すごいな、蒼!お前何でも出来るのな。月になって、こういう時良かったと思わないか?」
蒼は、顔をしかめた。
「ネジ回せるのが?オレ別に、技術者になりたい訳じゃないんだけど。」
何本ものネジを同時に回していたので、すぐに隔壁は外すことが出来た。そっと中を伺うと、入ることが可能だ。中へ入って、メンテナンスするようになっているようだった。
「さ、行こう。でも、変なところを触るなよ、裕馬。心臓部は、中身が空気に触れても駄目らしいから。」
裕馬は、ゴクリと唾を飲み込んだ。
「核並の威力って言ってたな。オレは手を出さないよ。」
蒼は頷いて、そっと中へと入って行った。そして、慎重に一つずつ部品を消しにかかった。鉄とは少し違うようだったが、蒼が触れると、それはサラサラと崩れて、まるで砂のように床へと零れ落ちた。裕馬は、それこそびっくりして蒼が歩く後ろについて行きながら、その粉末にソッと触れた。きらきらと輝きながら、明らかに何かの金属のそれは、裕馬の指からこぼれ落ちた。
「すごい…月の力か。」
蒼は、振り返って苦笑した。
「天然素材だったんだな。オレ達は月は、地上に存在している物質ならこうして崩して、そしてまた再構成することも出来るんだ。これが、人の手が加わっていて変な物質に変化していたら、出来ないんだけど。もしそうだったら、焼き消すしかないなあと思ってたんだが、手間が省けて良かった。」
蒼は言いながらも、どんどんと先へと進んで行く。触れた先からどんどんと粉末になって行くので、辺りは砂の山のようなものが山積して来た。
とうとう小さな部屋のような場所に、粉末と一メートル四方ぐらいの大きさの四角い箱のようなものしか残らなくなった時、蒼は言った。
「…これが、例の心臓部だ。」
裕馬は、ゴクリと唾を飲み込んだ。それは、仙人でしかない裕馬にも、得体の知れない力の波動を感じるものだった。金属の箱のようなものに包まれているため、中は見えないが、床にしっかりと固定されていて、どうあってもこれが外れたりしないようにと考えられているのが分かった。
蒼が、肩をすくめた。
「ま、詳しいことはわからないけど、こいつは今、ただの箱だ。これを使ってどうにかしていた装置はみんな粉末になってしまったからな。」と、じっと透視でもしようかというように、その箱をじっと見た。「…なんて物を作ったんだ、人は。面倒そうな波動を感じるな。これが何かの衝撃で壊れでもしたらどうなるんだよ。」
裕馬は、蒼の腕をぐいぐいとひっぱりながら言った。
「おい、終わったなら早く行こう。核爆弾と一緒にこんな狭い中に居ると思ったら、落ち着かないじゃないか。」
蒼は、頷いて歩き出しながら言った。
「あれは核の威力はあるけど、核じゃないんだよ。人類は、とうに核なんか使ってない。それがどれほど愚かな物なのか、もうみんな知ってるんだ。原子力に頼るのも、もうとっくにやめてるだろうが。その代替手段が、これだっただけで。」と、そこを出る前に、またそれを振り返った。「こうして、また学ぶんだろう。他に、何かまた…そうだな、安全そうな物を見つけたらいいけど。」
蒼は、そう言うと、隔壁をソッと閉じた。ここは終わった。だが、箔翔と維明はどうだろう。維心達は、どこまで進んだのか。十六夜は、何を見ているのか…地上は、磁場は…。間に合うのか…。




