月
「え…え…?!」
リックは、弾かれたように椅子から立ち上がって、足元から三十センチほど浮いているその美しい顔立ちの男を見た。エレーンは、あまりに驚き過ぎて声も出ず、ただ呆然と座っている。十六夜は、床に降り立った。
「いいんだな?こいつらは、信用出来るのか。」
箔翔は、頷いた。
「信用するもしないも、とにかく七日などと期限を切って来られたら、こやつらの協力がなければ無理ぞ。」
十六夜も、英語を話している。その十六夜は、蒼を見て言った。
「さっきに話の続きだ。どうしてオレが駄目なんだ、蒼。」
蒼は、険しい顔を崩さずに言った。
「碧黎様の代わりをしようなんて、土台無理な話なのに。月が力を無くしたら、地上がどうなると思ってるんだよ!十六夜、死ぬことはなくても、母さんと二人で月から降りて来ることが出来なくなるんだぞ!実体化するだけの、力が無いんだから!」
十六夜は、息をついて蒼を見た。
「だがな、それより他にどうすればいいんでぇ。このままじゃ、維心達は本当に都市部を壊滅させるぞ。残るのは、役に立つ上皆のために生きるような、そんな性質の良い人ばかりしかない。あいつらは、とことんやる。」
蒼は、箔翔を見た。
「箔翔も分かっているだろう。地が力を失った上、月まで力を失ったら、地上はどうしようもなくなる。大氣だけでどうやって生物を守るんだ!」
リックが、ハッと我に返って言った。
「落ち着け。落ち着いて…」と、自分に言い聞かせるように言うと、十六夜を指した。「待ってくれ。それで、これは?月?」
箔翔が、頷いた。
「そうだ。月に宿っている生命だ。人のテクノロジーではまだ解明されていないだろう。これは、エネルギーで構成されている体。実体化させている。」と、自分と維明を指した。「我らも、同じような物質で構成されている。本来ならば、主らに可視出来るものではない。しかし、こうしてその構成を変えて、主らにも見えるように変化させている…理解出来るとは思っておらぬ。だが、信じよ。我らは、主らが言うところの、神ぞ。」
エレーンが、力が抜けたようにへらへらと笑った。
「ふ、ふふ。神様?そんなこと、信じられるっていうの?私達は、最先端テクノロジーの創造者なのよ?」
箔翔は、エレーンを見た。
「分かっておる。だがの、これは事実。我らは、主らを止めに来た。これ以上、あのT-X波を照射してはならぬ。地が変調をきたしておる…このままでは、神の王達が、人類を殲滅するためにやって来る。地を殺されぬため…七日後にの。」
リックも、おかしくもないのに笑いの衝動が湧き上がって来るのを感じた。
「へえ?神様ってのは、人を守ってくれる存在なんじゃないのか。」
それには、維明が答えた。
「人は尊大ぞ。地に生きておるのは、何も人ばかりではないわ。我ら神も、それにたくさんの生物も居る。地が滅んでは、困るのだ。知恵のある生き物であるゆえ、我らも今まで黙っておった。だが、己をはぐくんでおる地をいいように動かそうとするなぞ…滅しられて当然ぞ。我なら、七日も待たぬ。」
維明の目が、薄っすらと光った。その目に危険を感じたリックは、隙を見て側の机の引き出しを開け、そこから拳銃らしき銀色のものを取り出すと、壁を背に皆にむけた。
「動くな!さては、ここの施設を乗っ取りにでも来たのか?!それとも、情報か?!」
維明が、うんざりしたように手を上げようとすると、箔翔がそれを制した。
「良い。我が。」そして、拳銃を構えるリックの正面から歩いて行った。「落ち着かぬか。信じられぬのは分かっておると言うに。そんなもの、我らには利かぬ。分からぬか。」
リックは、それ以上下がれないのに、もっと下がろうとジタバタしながら拳銃をむけ続けた。
「来るな!お前らは、頭がおかしいんだ!」
箔翔は、手を上げた。
「もう良い。」
拳銃が、リックの手からスッと抜けると、箔翔の手の上に浮いた。リックが呆然としていると、その目の前でその拳銃は箔翔の手の平の上に浮いたまま、真っ赤になって熱を発したかと思うと、煙を残して消え去った。金属を一瞬にして昇華させるなど…人の力では無理だった。
「我らは、神。」箔翔は、言った。「主らを助けたい。このままでは我の父王を始め、神の王達が一斉に主らの都市を消しに掛かる。方法を考えよ。リック、エレーン、このままでは、どちらにしても人類は多大な損害をこうむるのだ。見えもせぬ神達が大挙して都市部を襲うのだぞ。我らは、こうして一瞬にして全てを無に返してしまうのだ。共に助かる道を模索せよ。」
リックとエレーンは、今目の前で起こったことに、まだ信じられない思いでいた。しかし、共にテーブルにつき、どうにかして太陽風から人類を守ることが出来るのか、それを考えようと知恵を絞ったのだった。
やっと落ち着いて来た、リックが言った。
「我々には、個人の通信手段があって。」と、小さな端末を出した。「これで、スコットとライリーには連絡がつく。所のコンピュータを通したら、誰が見るか分からない。オレ達は、いつも三人でどうしたら地球を自然なままで置いて、人類に損害が出ないでいられるかと、いつも考えていたんだ。だが、堂々巡りだった。自然のままに置いておくと、ポールシフトが起こる。そうすると、磁場喪失が起こる。どうすることも出来ないじゃないか。地下に潜ったって、助かるのは一部の完成した施設に入れる人たちだけだ。なら、上の言う通りに制御しかないのかと、随分と悩んだ。」
十六夜が、頷いた。
「お前らの気持ちは分かるよ。だがな、それをしちまうと、地が死んじまう。恐らく内部コアも徐々に冷えてただの岩の塊になっちまうだろう。そうなったら、磁場どころの騒ぎじゃねぇ。」
「…その仮定の、証拠は?」
箔翔は、首を振った。
「リック、理屈ではない。命の無くなった人の体を、人工心肺で動かして、それは生きておると言えるか?意識もない。いつか、体は滅ぶだろう。地は今、二つの命で構成されておるが、その二人が消える可能性があるのだ。とにかく、話した通りに事を運ぶ。T-X波を使うのを、それで止めるだろう。とにかくは、皆の避難を急がせよ。」
リックは、じっと箔翔を見た。
「それで、それは確実にT-X波をとめるのか?」
箔翔は、維明を見た。維明が、頷いた。
「先ほど感じた力であろう。あれを防ぐ力なら、我らにも作ることが出来る。照射の瞬間、我らはそれを阻止するべく地に膜を張る。それが何度か続けば、T-X波が利かなくなったと判断される。次のエネルギーを開発しておる暇などない。避難せざるを得ないであろう。」
リックは、それを聞いてため息をついた。そして、エレーンを見た。
「…仕方がない。」そして、立ち上がった。「エレーン、アレックに連絡を。T-X波が利かなくなりそうだと、言ってくれないか。準備に取り掛かるのは、早いに越したことはない。」
エレーンは、まだ信じられない面持ちで頷いた。
「わかりましたわ。」
リックは、気が進まなかったが、それしか選択肢は残されていないのだと悟った。もう、時間はない。この、自分を神だと言う頭がおかしいかもしれない存在達に、任せるより他ないのだから。
十六夜が、すっと浮き上がった。
「じゃあ、オレは一旦戻る。維心達は、お前の目を通してみんな見てるよ。」
十六夜は蒼にそう言うと、すっと隔壁を抜けて出て行った。リックは、それを見送って思った。何もかも、知っているわけではない。世には、まだ知らないこともたくさんあるのではないか。だからこそ、それを探求するために、自分はこの仕事に就いたのではなかったか。理解出来ないからと、否定してしまってはいけない…。




