現状
リックに促されたのは、海が見渡せる席だった。本当に回りには何も無く、海だけだった。
大きめの丸テーブルにずらりと並んで座った皆だったが、猛だけは座らなかった。箔翔の後ろに、スッと立って皆を睨みつけていた。それを見た裕馬も、椅子を少し後ろへ退いて、箔翔の斜め後ろへと輪を外れて腰掛ける。あくまで、自分達は箔翔の使用人という感じでいなければならないからだ。
蒼は、猛があまりに職務に忠実なので驚いてもいたし、感心しもていた。炎嘉からは、何としても箔翔を守れと言い付かっているらしい。居るだけで充分に威圧になる猛だったが、目立って仕方がないのもまた事実だった。
リックは、それを見て苦笑した。
「…なるほど。ショウさんの親御さんは、余程あなたを大事に思っているようですな。これでは、ここへもこれなかっただろう。」
箔翔は、頷いた。
「我のことは、ハクと。そう、父は大変に心配性での。何もかもを己で決める訳にも行かぬ立場であるし、大学を出たらすぐに戻れとの命で、仕方なく戻っていた。だが、久しぶりに連絡を取ってみたら、エレーンが大変に困っておるとのこと。なので、従兄弟や蒼を連れて行くことを口実に、こうして出て参ったのだ。」
リックは、それなりに納得したようで、テーブルに両肘をついて、前で手を組んで険しい顔で頷いた。
「T-X波だ。」
箔翔は、頷いた。
「反磁束斑はどうだ。」
リックは、首を振った。
「それは二年前のこと。あれから、上層部から連絡が入って、方向を変えた。」と、隣りでジェファーソンが居心地悪げに身を揺らしたのを感じて、眉を寄せた。「…ここでは、詳しくは言えない。」
エレーンが、ため息をついた。
「とにかく、研究室へ来てもらいましょう。状況を詳しく話して、手を貸してもらわないといけないでしょう。」
ジェファーソンが、急いで頷いた。
「ここでは、突っ込んだ話はするべきでない。」とすぐに立ち上がった。「では、私は忙しい身ですので、これで。後はよろしく頼んだよ、エレーン。」
ジェファーソンは、まるで逃げるようにその場を離れて行った。それを苦々しげに見送ったリックは、同じように立ち上がった。
「所長は、自分の立場しか考えていない。」リックは吐き捨てるようにそう言うと、箔翔に言った。「来て早々だが、来て欲しい。オレ達が何をしてるのか、見てもらってからだ。」
アレックが、同じように立ち上がって慌てて言った。
「オレだって、こっちの進行状況を見て欲しかったのに。」
リックは、振り返って首を振った。
「アレック、お前んとこは確かに大事だが、こっちが切羽詰ってるんだ。後にしてくれないか。まだ時間はある。遅くても明日は、そっちに行ってもらうよ。」
アレックは不満そうだったが、ため息をついた。
「分かった。急いでくれ。こっちだって、そっちが間に合わなかったら世界規模で大変なことになるんだ。」
リックは、険しい顔で頷いた。
「わかっている。」
蒼は、人も必死なのだと知った。今、まさに碧黎の気の流れは反転しようと動いている。本当にそうなのだと、ここに来て蒼は実感したのだった。
リックについて入った部屋は、先ほどよりずっと下の位置にある、外は海底に当たる場所にある部屋だった。回りは暗く、コンピュータやモニターの明かりだけが見える。正面に、大きなガラスがあって、その向こうには広い格納庫のような別の部屋があり、そこでは、何やら見慣れない巨大な機械が設置されていて、たくさんの人がその回りで何かの作業をしているのが見えた。それを見た箔翔が、眉を寄せた…なんだ、この大きさは。
「…以前の設計図を見たが、こんな大きさのものは初めて見る。」
リックは頷いた。
「あれから二年だろう。方針が変わったと言った…あの頃、我々は小さく反磁束斑だけを地道に消せればと考えていた。」
箔翔は、嫌な予感がしながらも、蒼と維明とちらと見た…まさか、本当に。
「まるで、この地球の地軸自体を何とかしようとしているように見える。」
箔翔がわざとそう言うと、エレーンが後ろで下を向いた。リックは、ガラスの向こうから目を離さずに一つ、頷いた。
「そう。ハクが大学から去ったと聞いたまさにそのぐらいの時だったがな。あの頃から、確かにポールシフトが反磁束斑を消すぐらいで阻止出来るなどとは思えなかった。だが、ただ人類が何か別の手段を見つけて太陽風を阻止出来る方法を見つけるまで時間を稼げたら、と思っていた。アレックのセクションが仕事を終わらせるまでの時間稼ぎのような感覚で。」
蒼は、それをじっと聞いていて思った。つまりは、あちらで地下へと退避して、どれぐらい続くか分からない磁場喪失の間、そこで生活できるようにと研究してその術を開発して形作る間、こちらはもたせようと思っていたのだ。
リックは、続けた。
「しかし、上層部はそうは思えなくなったようだ。太陽風に晒されて困るのは、何も地表だけではない。月コロニーも、スペースコロニーも、それに無数の人工衛星も、全てが被害を受ける。被害総額は計り知れない…もうバックアップは取ってあるとはいえ、皆の生活を一手に面倒みている全人類の情報が入ったサーバを抱える衛星も、そこには入っているのだ。もちろん、アレックの方では、それに変わるサーバを地下へと設置する準備も出来ている。」リックは、そこで息をついて、視線を箔翔に向けた。「それらに掛けた金と労力が一瞬して無になることを、上層部は嫌がったのだ。だからと言って、今の科学力をもってしても太陽風を完全に阻止することは出来ない。つまり、ポールシフト自体を起こさないように、起こったとしても速やかに反転させて流れるようにと、磁場をコントロールすることを指示して来たんだ。」
維明も蒼も、そして箔翔も一斉に顔をしかめた。やはりそうか。
「…我は、そんなことが出来るとは思っておらぬ。出来たとしても、してはならないことだと思う。地球の磁場をコントロールするのだぞ?主らは母なる地球、と言っておったのではないのか。そのままで充分に健康に生きておる親の体に、メスを入れて人口器官を埋め込むつもりか。金とかのために。」
リックは、キッと顔を上げた。その顔は怒りに歪んでいたが、目は悲しげに光っていた。
「オレに何が出来る!オレだって、分かっている。だが、オレがしなくても誰かがする。ならばオレがこれを、遅らせながら完成させなかったらいいんだとも考えた。しかし、時は過ぎて行く…地磁場は、ここ最近異常値を出すようになって来た。そのたびに緩やかにT-X波を照射して、流れの向きを促して来た…だが、それも限界だ。」
そこで、エレーンが何かを操作して、目の前に何かのグラフィックを光の線で浮かび上がらせ、その横にはたくさんの数字を並べて見せた。そして、蒼を見た。
「蒼、これのことなのです。」
蒼は、その描き出された球体が、月なのだと知った。数字のことなど皆目分からなかったが、頷いた。
「…磁場が、感じられない。」
エレーンも、リックも頷いた。
「月には、極弱い磁場が存在しているだけで、なくなったとしてもこっちに影響はない。だが、問題なのは、この時期に月の磁場が喪失したことなのだ。」
実際は、遮断されているだけでなくなった訳ではないだろう。しかし蒼は、険しい顔で二人を見た。
「…では、磁場反転も近いと。」
リックは、力なく頷いた。
「月と地球の磁場がどう繋がっているのかは分からないが、しかしあり得ないことではない。」
その時、回りに計器が一斉に鳴り出した。他の職員達が、バタバタと入って来て席に着く。ガラスの向こうの広い部屋では、慌てた職員達が一斉に退避していくところだった。何事かと思っていたら、職員の一人が言った。
「T-X波、照射一分前。」
蒼は仰天した。今から、照射?!
「…地の磁場が極端に弱まったのだ。」箔翔が、側のモニターを流れる数字に目を通しながら言った。「流れを止めないためだろう。」
両側にある大きなモニターが突然についた。そこから、別の同じような部屋に居る、誰かがリックに呼びかけた。
『リック!あと30秒だ!』
後ろに映っている職員たちは、それこそパニック状態の動きでバタバタしているのが見える。リックは、頷いた。
「南極はどうだ?」
『間に合う。』もう片方のモニターに映る男が答えた。『同時照射だ。』
「15秒。」
こちらの職員の声が言った。一気に緊張感が増す。蒼達が見守る中、目の前の巨大な機械は光り輝いて機動していた。
「10秒。9、8、7、6、5、」二つのモニターからと、こちらの職員の声が、揃って聞こえる。「3、2、1、照射。」
思っていたより、静かだった。何が起こったのかも、蒼には分からなかった。しかし、しばらくの沈黙の後、モニターの向こうも、こちらの職員も忙しげに何かをチェックしていて、そして、エレーンが側の職員と共に、ホッとしたような顔をした。
「…成功よ。」
リックは、頷いた。モニターの向こう側も、二つ共ホッとしたように緊張を解いていた。
『今日はもう、3回目だ。』最初に話しかけて来た男がモニター越しに言った。『もうそろそろ、限界だぞ。』
リックは、分かっている、と頷いた。
「もうちょっと待ってくれ、スコット。」と、反対側のモニターを見た。「ライリーも。」
相手は無言で頷くと、一言だけ、言った。
『頼んだぞ。』
そして、現れた画像はそのまま宙でスッと消えた。そこで、宙から別の声が割り込んだ。
《…そうか。人がこれをするたび、我はあのような衝動を受けて困っておったということか。》
五人が、びっくりして回りを見回した。
しかし、人は何もないように自分の仕事に没頭していた。




