友
箔翔と蒼、維明が横に並んで歩いて行く後ろに、裕馬と猛がついて行くような格好で、五人はその隔壁の自動ドアを抜けた。すると、そこには明るい茶色の髪にグリーンの瞳の女性と、初老で髪にちらほらと白い物が混じる少し尊大な印象を与える男性、それに濃い目の茶色の髪に黒い瞳の男が並んで立って待っていた。女性のほうは、まだ二十代といったところか。
蒼が緊張気味にしていると、その女性ははちきれんばかりの笑顔で箔翔をまっすぐに見て言った。
「ハク!」
箔翔は、薄っすら微笑んだ。
「エレーン。」
裕馬と猛は無表情だったが、維明と蒼は驚いた顔をした。何しろ、神世ではそう簡単に女が皇子に話しかけて来られる環境ではないからだ。これが、話していた大学の同僚というものなのだろうか。
エレーンと呼ばれたその女は、飛ぶように箔翔の前に進み出たが、抱きつこうと手を上げて、箔翔がそれに少し眉を寄せると、慌ててそれを退いた。そして、バツが悪そうに箔翔を見た。
「…ごめんなさい、思わず。あなたの国では、こういう習慣がなかったわね。長い付き合いになるのに、こればっかりは慣れないわ。」
箔翔は、頷いた。
「それが主の国の習慣だとは知っておる。なので、触れられたわけでもないし、我は気にせぬよ。」
人世に来てからずっとそうだが、英語だ。しかし、蒼の頭の中では、そういう風に変換されて聞こえていた。エレーンには、別な解釈で聞こえているのだろう。
当のエレーンは、少し寂しげに笑うと、気を取り直したように明るく表情を変えて、後ろに立つ男達を振り返った。
「こちらが」エレーンは、初老の男の方を箔翔に紹介した。「デイヴィット・ジェファーソン。こちらの所長なの。」
ジェファーソンは、きっと外向きの笑顔がそうなのだろうが、満面の笑みで手を差し出した。
「ショウさん。お会いしたいと思っていたのだ。歓迎するよ。」
箔翔は、しかしその手を握らずに軽く頭を下げた。
「こちらこそ、よろしくお頼みする。」
ジェファーソンの表情が、笑顔のまま固まった。エレーンが、呟くように言った。
「だから言ったのに。」そして、声を潜めるように、ジェファーソンを突付いて言った。「所長…他人に触れられるのを嫌う種族の出身だとお話したでしょう。」
ジェファーソンは、ハッとしたようにエレーンを見て、慌てて手を退いた。
「ああ…そうだったな。忘れていたよ。」
エレーンは苦笑すると、今度はその後ろで心細げにしている若い男の方を見た。
「アレック、こっちへ。」アレックと呼ばれたその男は、嬉しそうに微笑んで箔翔の前に立った。エレーンが続けた。「こちらが、アレック・ターナー。この若さだけれど、こちらの地下退避プログラム・セクションの責任者なのよ。私の友人で、今回ハクが来ると言ったら、あなたの論文を読んでいたみたいでどうしても会いたいって言って。」
箔翔は、首をかしげた。
「あの、TーX波を観測するための計器関連の論文か?」
それなら、大学に在学中もよく人が訪ねて来た。しかし、アレックは首を振ってきらきらと輝く瞳で箔翔を見て言った。
「いえ、地質学の方の。地層や新しい鉱石などを分類していたあの論文です。」
箔翔は、まるで図鑑のようになってしまったあの論文を思い出した。あれは、あまり有名にならなかったものなのに。
「…埋もれておると思っていたのに。」
アレックは、ぶんぶんと首を振った。
「あれは、私のバイブルのようなもの!あのように綺麗に分類され、尚且つその性質などを詳しく分析した論文は過去に見たことがありません。視点の置き所が絶妙で、未だにあれに助けられることが…」
アレックはまだ熱く語りそうだったが、ジェファーソンが眉を寄せたのを見たエレーンが急いでそれを遮った。
「アレック、それはまた後で。それよりハク、その方々は?」
アレックはまだ話し足りないのを、仕方なく黙った。箔翔は苦笑しながら両脇を見た。
「これは、龍皇子維明。我の従兄弟よ。地質学の博士だ。」
維明は、軽く会釈程度に頭を下げた。普段から、父以外に頭を下げることがないので、何やら妙な感じだ。同じように、ジェファーソンもエレーンも、アレックもぎこちなく頭を下げた。触れることを嫌がると聞いているので、手を差し出すわけにもいかないからだ。エレーンは、美しい顔立ちの維明に、顔を紅潮させていた。血筋かしら…ハクもそれは美しいもの…。
エレーンは思っていた。
「じっくりお話してみたい。」アレックが、維明を見てそれは嬉しそうだった。「龍皇子さん、私も地質学をやっていたんですよ。」
維明は、内心ため息をついた。一応、それに関連した本を、三十冊ぐらいはまる暗記して来た。だが、これは神経を使いそうだ。
しかし、言った。
「我のことは、維明と。我こそ、話すのを楽しみにしておる。」
箔翔は、蒼の方を見た。
「こっちは、我の国の研究施設で天文学を使って研究しておる、蒼。我の友人でもあっての。月に詳しい。」
蒼は、微笑んだ。
「よろしくお願い致します。こちらへ来ることが出来て、とても嬉しいです。」
蒼は、ジェファーソンに手を差し出した。ジェファーソンは驚いた顔をしたが、蒼が箔翔達と違う習慣の国出身なのだと知って、ホッとしたようにその手を握ってようやく微笑んだ。
「そう言っていただけるとこちらも嬉しい。月なら、調度お力をお借り出来るかも…」と、エレーンを振り返った。「博士に、あのデータを見てもらったらどうだ?」
エレーンは、ハッとしたように蒼を見ると、頷いた。
「そうですわね。高瀬博士、異常値が出ておるのですわ。」
蒼は、エレーンの手を握り返しながら、言った。
「私のことは、蒼と。」そして、手を離して、頷いた。「後で見てみましょう。」
多分、十六夜が気を遮断する膜を被っているから、何かこっちの計器の数字上でおかしくなってるんだろう。
蒼はそう思いながら、アレックとも握手を交わすと、退いた。すると箔翔がそれを見てから、後ろを振り返った。
「後ろは、我の執事の山下裕馬と、SPの熊地猛。どこにでも着いて来るが、気にせずでもらいたい。」
裕馬は深々と頭を下げたが、猛は微動だにしなかった。小山のように見える猛に、こういった男達は見慣れているはずの面々が、一斉に顔を強張らせた。別に、何も悪いことをしていないのだから、恐れることはないが、この見た目の雰囲気が人を圧倒するらしい。
実際には、美しい顔立ちですらりと見える箔炎と維明、それに蒼の方が、神として大きな力を持っているなどとは、人には分からないだろう。蒼は、炎嘉が人は見た目で判断すると言っていたが、確かに大体はそうなのかもしれないと思っていた。
それから、五人はまた次の扉までに機械の認証を受けて、裕馬が一人で引っ張っていた荷物を預けてからその研究所の中へと足を踏み入れた。
エレベーターを降りると、そこは別世界だった。
広いホールのようなその場所は、職員の憩いの場なのだという。天井からは光が入り、そこらじゅうにある円テーブルには、職員達が思い思いに座って、話に花を咲かせながら、お茶を楽しんでいた。蒼達がエレベーターから降りて歩いて行くと、それに気付いた近くのテーブルの者達がこちらを珍しげに見て、それから何やら声を潜めて話をする。声を潜めても人の話し声など、神である五人には普通に聞き取れた。仙人の裕馬でさえも、聴力は人のそれより良かったのだ。
「あの所長が、迎えに出たって金持ちの息子があれだろう。」
すると、違う男が答えた。
「ただの金持ちじゃないぞ?半端なく頭がいい。お前あの論文読んだか?たった6年大学に居ただけであれを書けるんだぜ。」
「ま、救世主になってくれることを祈るか。今のままじゃあ、オレらにだってやばいのは分かってるんだからな。」
蒼は、ため息をついた。聞こえると、気になって仕方がないじゃないか。
当然そんなことが聞こえていないジェファーソンは、誇らしげにそのホールの説明をした。
「ここは、全職員の憩いの場。下の階には居住区やらジムやらがある。ここを挟んで両側に磁場観測のセクションと、地下退避研究セクションが分かれてあるのだ。」と、あちらから歩いて来る、黒髪の男に気付いてうなづきかけた。「ああ、リック。」
その男は、年の頃は30代後半ぐらい、鋭い瞳は、ブルーグレーだった。あまり愛想は良くないような雰囲気だったが、ジェファーソンに軽く頷き掛けた。
ジェファーソンは、皆に向き直った。
「リック・マイヤー。磁場研究セクションの責任者だ。」
箔翔は、その名を知っていた。在学中に是非にここへ来て欲しい、と言って来たのは、このマイヤーだったからだ。
「初めてお目にかかる。」
箔翔は言った。相手は、軽く頭を下げた。
「以前は、こちらからの要請にもお答えいただけなかったが、此度は見学したいと?」
ぶっきら棒な感じだが、悪気はないらしい。蒼は、こんな感じには維心ですっかり慣れていた。なので気にしていなかったが、エレーンは違ったらしい。慌てて割り込んだ。
「ハク、私の上司に当たる人なの。」そして、マイヤーを見た。「リック、今度の壁を打ち破ることが出来るかもって、心待ちにしてたのではないの?」
リックは、フッと息をついた。
「何も責めてるんじゃない。突然のことなので、何か理由があるのではと思っただけだ。」と、奥のテーブルに促した。「こちらへ。」
ジェファーソンですら、このリックには気を使っているらしい。なのでリックが先に立って歩いて行くのに、五人は黙って従った。




