人の世
蒼は、すっかり様変わりしてしまっている人の世に戸惑いながら、先を何でもないように平然と歩いて行く箔翔と維明の後を追って歩いていた。
何でも人の世では、飛行機とヘリコプターが一緒になったような乗り物が開発されてあって、それに乗って太平洋上のその、磁場研究所近くまで行き、その上空でヘリに変わりそのまま上陸するのだそうだ。着陸するのに、長い滑走路は必要なかった。しかも、それは音速で飛ぶ。人世ではかなり速い方だが、自分で飛んだ方が速いし、気が楽だと蒼は思っていた。
箔翔に促されるまま歩いていくと、広い格納庫のような場所に、小さな変わった形の飛行機が止まっていた。これがその飛行機か、と蒼が思っていると、その前のタラップの下に待ち構えていた、黒い服装の二人が歩み寄って来た。
「お名前を。」
英語だ。すると、裕馬がスッと歩み出て頭を下げた。
「こちらは、ハク・ショウ様。この度海上磁場研究所へお招き頂き、参りましてございます。」
意外なことに、裕馬は流暢に英語を話した。相手は、その名を聞いて頷いた。
「ハク・ショウ様とそのお連れ様4名でございますね。では、お一人ずつこちらで承認を。」
なにやら、変わった機械だ。台のようになっていて、目の前には小さな筒が着いている。裕馬が緊張気味にそれを見ると、箔翔がスッと進み出てそれに自分のカードを乗せた。同時に目の前の丸い筒のようなものを覗いている…きっと、網膜照合だ。
それを、皆が見逃さないようにじっと真剣に見ていると、ピッと音がして正面のモニターにHAKU SHOUと字が現れ、箔翔の顔写真が出た。相手の黒服の男は、頷いた。
「結構でございます。では、お次のかた。」
すると、維明が進み出て箔翔と全く同じようにカードを置くと、筒を覗いた。同じように名と顔写真が出て、承認される。次に蒼、裕馬、猛と終え、その男は満足げにタラップへと促した。
「では、お席へどうぞ。二時間ほどのフライトでございます。」
蒼は、密かにホッと息をついた。とにかく、このカードが有効で、十六夜が簡単に人工衛星のサーバをハッキングした事実が明らかになった。しかし、神はその気になれば、どんなコンピュータの中にでも入れる。箔翔は、あくまで人世に倣ってコンピュータを開けようとするので、他人では無理だと思うだけなのだ。
中へと入ると、10人ほどしか座れないような贅沢な椅子の配置がしてあった。その座り心地が良すぎる椅子に座って、言われるままにシートベルトを装着すると、蒼は窓から外を見た…回りの隔壁が、パタンと開いたかと思うと、ヘリはどこかの海上にぽつんとあるような状態だった。
「これより、離陸致します。私は、副操縦士のライ。機長はサミエルが担当を。」と、ライというその男は側の椅子に座った。「では、出発です。」
飛行機は、急にモーター音をさせたかと思うと、すぐに浮き上がった。蒼は仰天した…こんなに早く動くものなのか。
しかし、今の人世ではこれは当然のことらしい。蒼が目を丸くしているので、ライが怪訝な顔をしている。それを見た箔翔が、わざと声を立てて笑った。
「何だ蒼、主はまだ高所恐怖症が治らぬか?飛行機に乗るたびにそれでは、体が持たぬぞ。」
日本語ではそう言ったのだろう。だが、普通の育ちの良さそうな英語だった。なので、英語圏の人には、変な言葉使いには聞こえなかっただろう。ライは、それを聞いて微笑した。
「ああ、たまに居られますね。大丈夫でございます高瀬様。当機は、墜落したりはしませんから。」
蒼は、せっかく箔翔がフォローしてくれたのだからと、高所恐怖症のふりをすることにした。
「ええ…分かってはいるんですけどね。何度乗っても、慣れませんよ。」
二時間、びくびくのふりをしなければならないのは面倒だったが、それでも疑われるよりはマシだと蒼は思って、窓の外を見ないようにしているフリをしていた。
しばらくして、ライが飲み物を運んで来てくれた。SPである猛は、箔翔の真後ろに仏頂面で座っていたが、ライから差し出されたものが何なのか皆目見当がつかずに、内心悩んでいた。猛がそのカップをいつまで経っても受け取ろうとしないので、ライが困ったように箔翔を見ると、箔翔は今気付いたように猛を振り返って言った。
「ああ、良い。こんな飛行機の中で何もなかろう。主も休むが良いぞ。」
裕馬が、横から言った。
「これは、ハク様のSPでございまして。仕事中は一切何も口にしません。」と、猛を見た。「ハク様がこうおっしゃっておるのだ。さ、飲めばいい。」
猛は、これは飲み物なのか、とやっと知って内心ホッとしていたが、表情は崩さずライからそのカップを受け取った。ライは、感心したように箔翔を見た。
「しっかりとしたSPがついていらっしゃるようで。こちらのかたは?」
裕馬は、そのコーヒーであるらしいものを口に運んでいる最中だったのだが、慌ててそれを下ろして答えた。
「私は、ハク様の専任執事でございます。普段は、ハク様のお世話を。」と、維明を見た。「維明様とは、維明様が幼い頃よりのお付き合い。ハク様のお従兄弟でいらっしゃるので。」
ライは、ほう、と二人を見た。確かに二人とも、ちょっと見ないぐらいに垢抜けた外見で、身のこなしも洗練されている。おおよそその辺では見ないような美しい端整な顔立ちの二人だ。
そして、ライはまだびくびくと窓の方を見ない蒼の方へと視線を移した。それを見ていた裕馬は、愛想良く言った。
「蒼様は、ご学友であられたのです。ハク様が単身…もちろんこの猛も私もついては参っておりましたが…留学をなさっておった頃にお知り合いになって。今でもご友人関係であられます。そのご縁で、今では我が国へとハク様のたっての希望で呼び寄せられて、あちらの研究室へ入っておられます。」
ライが納得して聞いている。箔翔は、裕馬が饒舌なのに感心していた。蒼が、裕馬は誰とでもすぐに仲良くなるような性格だ、と言っていたが、確かにそうかもしれない。人との間は、得意そうな男だ。
結局、ライと裕馬がずっと世間話のようなことをしている間に、二時間は過ぎて行った。皆、知らない人の相手をさせられなくて、ホッとしていた…猛は、特にそうだった。人の間になど、入ったこともないのに。
蒼は、そんな猛を見た。猛の肌は浅黒く、がっちりとした筋肉質の体は2メートル10センチの身長があった。眼光は鋭く、一見容赦のないような外見ではあるが、その実猛が大変に穏やかで責任感のある性格なのだと蒼は知っていた。そのたくましさは、黒人のようだった。黄色人種よりしっかりとした筋肉のつき方で、身体能力の高さを物語るような外見なのだ。
そんな猛を惚れ惚れと見ていると、猛は居心地悪そうにちらと蒼を見た。じっと見ているのに、気付いているらしい。これ以上猛に不安を与えてはいけないと思った蒼は、慌てて視線を反らした。すると、機内に声が響いた。
『当機は、これからヘリモードに切り替わります。あと五分で到着予定です。』
それを聞いて、裕馬と楽しく話していたライは、ああ、と名残おしそうにした。
「何と、もうここまで。時が経つのを忘れてしまいましたな。では、また帰りにはお迎えに上がれることを期待しております。シートベルトをお締めください。」
それを聞いた蒼は、慌ててシートベルトを締めながら、窓の下を見た。他には何もない海の真ん中に、まるで浮かぶように建物がぽつんと建っている。それは、ぐんぐんと大きくなって来ていた…もう到着するのだ。
ヘリがホバリングし始める。間近で見ると、それは大きな海上都市のような場所だった。そこにヘリが着陸して落ち着くと、回りの隔壁が自動的に閉じて、タラップがあちらから動いて来るのが見える…蒼は、覚悟した。さあ、ここからが本番なのだ。
隣りを見ると、箔翔が頷いた。
「さ、参ろうぞ。」
蒼は、頷いて立ち上がった。ライに促され、タラップを降りた蒼は、壮大な建物に人の力の感じながら、こんなものを作ってしまう人ならば、確かに地球をどうにかしようと思うかもしれない…と、諦めのような感情が湧いて来るのを止められなかった。




