重圧
数日後、蒼が準備された今の人の世の服を着て箔翔と維明と共に緊張気味に座っていると、翔馬が頭を下げて、厨子を手に入って来た。そして、蒼の前に膝を付くと、言った。
「王、お申し付けの物、出来あがりましてございます。」
蒼は頷くと、その厨子の中に並んでいる、青い透き通ったプラスチックのような材質のカードを手に取った。そこには、アルファベットでSOU TAKASEと書いてある。他にも三枚あって、一つはIMEI RYUOUJIと書いてあるのと、YUMA YAMASHITA、TAKERU KUMACHIと書いてあるものが並んでいた。それぞれには、数字とアルファベットのIDらしきものも記されていた。
「これが、人の世のIDカード?…何だか、昔の診察券の綺麗なやつみたいだ。」
蒼が素直に感想を言うと、箔翔が言った。
「診察券は知らぬが、これは大変に優れておるのだ。どこでも、これを翳すだけで自分を認識するように出来ておる。支払いもこれ。これを翳すことによって全てのデータが人工衛星のサーバから地上で確認出来るのだ。これに網膜照合をあわせることが多く、両方が合わねばデータは引き出せない。どんな小さな山間の国であろうとも、生まれたらこれに登録することが義務付けられておる。」
蒼は、感心してそのカードを見た。つまりは、ただのプラスチックでもないようだ。きっと、蒼の知らない材質の物なのだろう。
「人工衛星のサーバでございましたので、簡単に入り込むことが出来ましてございます。十六夜様のお力をお借りまして。」翔馬は、手にした紙を皆に配った。「それが、サーバに書き込まれました皆様のデータ。ご生年月日など、決してお忘れにならないように。何を聞かれるか分かりませぬし。」
蒼は、頷いて自分の紙を見た。自分は、日本の高瀬蒼。名は人の頃と同じなので、間違うはずもない。しかし、経歴が違った。東京大学で天文学を学び、途中で箔翔の国から引き抜かれてそこの研究機関へ入ったことになっている。専門にしているのは月だった。何やら難しい論文を書いたことになっている。蒼は、顔をしかめた。
「オレ、天文学なんてからっきしなのに。人世では、看護士の勉強してたんだよ。」
翔馬は、ため息をついた。
「お諦めくださいませ。あそこでは、天文学のことを聞かれることはありませぬでしょう。基本的なことを知っておられたら大丈夫です。学者でなければ、箔翔様にご同行されるのはおかしいのですから。」
蒼は、仕方なく頷いた。維明が、ためらいがちに言った。
「我は龍皇子維明という名になっておるが、おかしくはないか?」
蒼が、横から覗き込んだ。
「龍皇子っていう苗字ってことになってるんだよ。大丈夫、ちょっと変わった感じだけど、ありそうな名前だから。」
維明は、箔翔の従兄弟で地質学の博士となっていた。箔翔は大学に行く時にかなりの権力者の息子ということにしているようなので、縁者のほうが何かと都合が良かった。裕馬は、箔翔の専任執事、猛は、箔翔のSPだった。
箔翔は、言った。
「我のことは、ハクと呼ぶと良い。我のIDカードに、HAKU SHOUと書いてあっての。間が開いておるから、これで名と苗字になってしもうておるのだ。国は北の小さな国、サミラナ。しかし、裕福な者達が過ごしやすいゆえ大挙して住む場として人世では認知されておるのだぞ。その方が、何かと都合が良くてな。」
蒼は頷いて、そのカードを胸の内側のポケットに大事にしまった。皆がそれに倣う中、裕馬と猛、それに十六夜と維月が入って来た。裕馬が、深刻な顔をして蒼を見た。
「蒼、困ったことになった。今、オレもちょっと廊下で聞きながら来たんだが。」
蒼は、不安になって裕馬を見た。
「何だ?もうバレたとか?」
裕馬は、首を振った。
「まだ行ってもないのに。違う、十六夜が教えてくれたんだ。」
十六夜は、頷いて蒼を見た。
「ほんとは出発前にどうかと思ったんだが、維月と話し合って、とにかく先に言って置いたほうがいいだろうってことになってよ。お前ら、人類のために頑張って来てくれよ。」
蒼は、目を丸くした。何か、大げさなことになっているような。
「…碧黎様が、もっと具合が悪くなったとかなのか?」
維月が、首を振った。
「都市部の人たちのことよ。蒼、維心様や炎嘉様、それに箔炎様が揃って言うには、人が地をコントロールするようなことがあってはいけないので、それをしようとするならば全ての都市部を破壊するって。」
箔翔も、蒼も維明も仰天して維月を見た。
「え…!?どういうこと?」
十六夜が、息をついて言った。
「神は、人だけを守っているんじゃねぇってことさ。人が地をいいようにしようとして、親父が死んじまったらどうする?そんなことになりそうならば、先に皆、テクノロジーごと消し去ってしまうと言っているんだよ。それも、神の責任なのだそうだ。人のほかの生命も守らなければならないってさ。」
箔翔は、慌てて叫んだ。
「そのような…全てがそのようにいいようにしようなどと思っておる訳ではない!都市部には、子供も居ろう。それなのに、全て消し去ると?!」
維月は、それを聞いて悲しげに十六夜を見上げた。十六夜は、その肩を抱いて、箔翔に頷き掛けた。
「そうだ。全て消し去ると。山間の人は残るだろう。磁場喪失の時も、恐らく地下へと逃れてでも、幾らかは生き残る。そこから、また始めれば良いと言っていた。」
箔翔は、言葉を失って下を向いた。そして、誰にともなく呟くように言った。
「…そんな勝手な…。」
維月が、続けた。
「でも、まだそうと決めた訳ではないの。なので、しっかりと磁場研究所を見て来て欲しいのよ。もしも、お父様の気を根本から操作するようなことを考えておるのだとしたら、止めさせられるように考えて。そうでないと、維心様達は嘘は付かないから…地を守るために、都市部の人も街も、完全に破壊されてしまうわ。神の軍神達と、王達によって…。」
それこそ、防ぎようがない。神が襲って来るのを、人には見ることが出来ない。見えても、防ぐ準備をしている時間もない…。
箔翔は、この任務の重さを感じた。都市部の人が全て殺されてしまうのを防ぐためには、地を操作しようとしているとしたら、他の方法を考えさせなければならない。しかし、自分一個人意見など聞くものだろうか…。
「…人は、ままならぬのに。」箔翔は、搾り出すように言った。「個人が努力したからと、どうにかできることではない。決まっておるのなら、それを壊すより他ないのだ。方向を変えさせるなど、土台無理な話ではないか。神世でもそうであろう…上層の、机上で事を決めておる者達の考えなど、簡単には変えられぬ。」
弱音と受け取られても仕方がないような口調だった。だが、最もなことだった。箔翔は、人世をとてもよく理解しているのだ。
しかし、蒼はキッと顔を上げると、言った。
「人の未来が掛かってる。もしも碧黎様をどうにかするようなことを考えているのなら、オレ達で壊そう。それしか、都市部の人達を助ける手立ては無い。維心様はやると言ったらやる…そうやって、今まで神さえも消し去って地を守って生きて来られたんだから。」
維月と十六夜が、心配そうに皆を見ている。維明が、箔翔に歩み寄って肩に手を置いた。
「そうよ。我らが居って、壊せぬことなどないであろう。元より、人の世に住むつもりも住むことも出来ぬ身。ならば何をしても良いではないか。箔翔、主は鷹の宮の王座に就くのだろう。人世に二度と戻れなくとも、良いではないか。それで、多くの人類の命が守られるのであれば。」
箔翔は、迷うような素振りをしたが、維明の目を見ると、決心したように頷いた。
「そうよの。元より二度と戻るつもりもなかった世。ならばあちらの犯罪者になっても良いわ。」
そうして、箔翔と維明、蒼、裕馬、猛の五人は、十六夜と維月と翔馬に見送られて月の宮を飛び立って行った。
五人の様子は、龍の宮の維心、南の炎嘉、それに鷹の宮の箔炎も、遠く気を使って探って見ていたのだった。




