事実
皆が絶句している前で、箔炎は続けた。
「維心が居るし、あまり言いたくはなかった。」箔炎は維心を見た。前世、維心も龍王と人の間に生まれ、生まれながらに母を知らなかった。維心は、死ぬと知っていながら母に自分を産ませた父を憎んで、前世父王を殺しているのだ。「だが、我とて生きておるからの。主は維月を側から離さぬし、維月に似た人の女が、神の宮に居ると聞いて、珍しいと見に参ったのだ。そして、一夜だけ共にした。それだけで、箔翔が宿ったのだ…死して、当然だったのよ。」
蒼が、ハッと我に返って問うた。
「でも…箔翔殿は完全な鷹でしょう?」
それには、炎嘉が答えた。
「主に以前話さなんだか。鷹も、龍と同じく誰に産ませても生粋の鷹を産ませることが出来る。龍と鷹では、龍の方が強いようで生粋の龍が生まれるが、鷹は龍以外なら、どの神でも人でも、鷹を産ませることが出来るのよ。前世の維心は、完全な龍だったではないか。」と、箔炎を振り返った。「つまり、箔翔には人が混じっておると?しかし鷹よの。」
維心は、割り込んだ。
「人のように見せようと思うたら、見せることが出来ると思うぞ。」皆が、維心の方を見た。「我も、言わなんだが前世は、人前に姿を現す時は、通常神が人に己を見せるようではなく、人の血を使っておったように思う。なのでより、人に近い形で自然に見せることが出来るのだ。今生は母も神だったゆえ、それが使えぬ。なので、不自由だとは思っておった。人から見ると、神々しく見えるそうだの。神だけに。」
箔翔は、人世に降りていた時の自分を思い出していた。確かに、人に混じろうと人に見せたいと思っていたら、本当に少し姿が人より大きくて整った感じに見えるぐらいの、自分の目から見ても人に変貌することが出来ていた。後光が差すような姿には、ならなかったのだ。
「そういえば、心当たりがあり申す。」箔翔は、維心に言った。「我は、神ではなかった。己でも、あれは人ではないかと、思えるような姿に変貌することが出来ておった。」
維心は、頷いた。
「人の血が成せる技よの。ならば主は、皆と共に行け。」
箔翔は、ためらいがちに頷いた。すると、横の維明が言った。
「父上、我も参りまする。」
維心は、驚いて目を丸くした。
「主、今の話を聞いておらなんだか。主は我と維月の間の子なのだから、人の血など混ざっておらぬ。維月が人の体を使っておったのは、前世のことぞ。」
維明は、首を振った。
「我は、母上のお命も継いでおるのです。」と、維月を見た。「母上、母上にはお分かりになりまするか。」
維月は、じっと維明を見ていたが、頷いた。
「ええ。陰の月だもの。」
十六夜が、それを聞いて手を叩いた。
「そうか!陰の月は、相手に合わせて気を変えることが出来る。つまりは、人の中に入ったら、人と気が同じに変化するんだ!」
維明は、十六夜を見て頷いた。
「勝手に変化することは無いが、意識して変えることは出来る。だから、我も参ることが出来る。」
炎嘉と維心は、感心したように維明を見た。
「何との。ただの龍ではなく、陰の月も混じっておるのだからの。では、維月も大丈夫ということか。」
炎嘉が言うのに、十六夜が首を振った。
「いいや。こいつは、不自然だ。今、オレと同じように気を遮断する膜を着てるだろう。不自然に何の気も発してない状態だから、行けないんだ。逆に怪しまれるじゃねぇか。」
蒼が、頷いた。
「確かにな。死んでるようなもんだから。じゃあ、十六夜も行けないじゃないか。」と、仕方なく裕馬の方を見た。「仕方がない。もし不測の事態が起こったら、オレが裕馬を担いで飛ぶよ。あんまり体力には自信がないんだけど。」
裕馬は、申し訳なさげに蒼を見た。
「すまないな、オレが腹の出たおっさんになっててさ。お前らみたいに若さを維持出来るものじゃないようなんだ、仙人ってのは。」
維心が、少し焦れたように息をつくと、言った。
「して、流れは?我らは、上空からか、宮から気を探って主らの動向を見守ろうが、動きが分かっておらねば困っておっても手を貸すことは出来ぬであろう。」
裕馬が、慌てて手元の紙をくって、重臣筆頭の翔馬の方を見た。
「ああ、翔馬とも話したんですが」と、翔馬と視線をあわせた。しかし、翔馬が口を開く様子がないので、裕馬は続けた。「まずは、人世の状況を。箔翔様がおっしゃる磁場研究所は、北極と南極、それに太平洋の赤道上の海底に杭を打って、その上と三箇所に作られております。これの目的は、地球の磁場の計測と、磁場反転が起きることを前提にそれの対策を練るためにと数十年前に同時に建設されたもの。何カ国もの出資で膨大な額を投入しているとか…つまりは、それだけ地球規模で磁場反転を警戒している、ということです。」
炎嘉が、口を挟んだ。
「我らは、己の気で己を守ることが出来るが、人は違うだろう。あれらのとって、死活問題であるはずよの。」
裕馬は頷いて、続けた。
「はい。磁場反転自体の影響は、それほど危惧されておりません。生態系に何らかの影響はあるだろうが、全てが死滅することはないと思われるからです。人が恐れているのは、反転の際に起こる、磁場喪失によって、地上が一時的に太陽風にさらされること。どれぐらい続くが分からない上、放射線は全てに降り注ぐことが分かっています。大気によって幾らか緩和されたとしても、その被害は計り知れない。ようは、放射線にもろにさらされるということは、地上がレンジでチンされるような訳でありますから。」
神達の目が、一斉に点になった。分かったのは、十六夜、維月、蒼、そして、箔翔だけだった。
一瞬の沈黙の後、蒼が慌てて言った。
「その、放射線という気は、物を構成する小さな粒を震わせて、熱を発しさせ、焼いてしまったりするのです。それを利用して、人は食物を作ったりするのですが、その機械の名がレンジでして。出来上がりを知らせる音を、人はチンと表現します。」
その説明には、皆がああ、という顔をした。箔翔は、蒼がこういうことを神に分かるように説明するのに長けているのに感心した。きっと、長く苦労して来たのだろう。
しかし、裕馬はそれに構わずに箔翔を見た。
「それで、箔翔様にお聞きしたいのは、人は一体どういった方向にこれを乗り越えようとしておったのでしょうか。いろいろ調べてみたのですが、詳しいことは書かれておりませんでした。」
箔翔は、頷いた。
「人世に混乱が起こってはいけないと判断され、それを研究して政府に認められておる機関以外は詳しく知らされることがない。内部の者も、部外者にそれを話すことを許されることがない。我も、大学院を出てすぐに、本当は赤道直下の磁場研究所へ行くつもりで、テストも受け、レポートも提出しておった。我の専門ではなかったが、それでもあちらからは我を、まだ在学中であるのに大学から引き抜こうと何度もオファーを受けた。しかし、面接を受ける段階になって、我は神世へ帰ろうと思いなおして、こちらへ戻ったのだ。なので、結局は深くは知らぬ。知っておるのは、我と同じようにオファーを受けてすぐにそちらへ向かった、同じ研究室の同僚から聞いたことぐらいか。」
裕馬は、身を乗り出した。
「それでもいいです。一体何を?」
箔翔は、ため息をついた。人世の常識では、これは秘匿せねばならぬこと。しかし、ここは神世なのだ。
「…その同僚から密かに相談を受けたのだ。あちらでは、大きく二つのセクションがある…磁場をコントロールしようと研究しておる場、それと、地下へと退避する時の対策を練る場。」
蒼が、驚いて箔翔を見た。
「コントロール?磁場を?そんな大きなことをしようとしているのか!」
箔翔は、蒼を見た。
「今のテクノロジーで、不可能ではないと我は思うぞ。しかし、そう思い通りにならぬのも自然現象というもの。我が調べた文献では、ほんの三百年ほど前に発見したエネルギーがある…かなり稀少な発生させるのが難しいものであるらしいのだがの。それを、この研究所でコアマントル上の最大の逆磁束斑に照射することで消失させようとしているらしい。」
蒼が、顔をしかめた。神達は、皆きょとんとしている。裕馬が、首を振った。
「専門的なことは分からないのですよ。で、その逆磁束斑とは何ですか?」
箔翔は、視線を落とした。何と言えば皆に分かりやすいか。
「あー、通常の磁束とは違った向きで流れる磁束。地球には、そんな磁束がたくさん存在しておって、全てコアマントル上で発生しておって…」皆の眉が、ますます寄って行く。箔翔は困って、半ば自暴自棄になって言った。「地が大きな磁石だとしたら、反対の向きの小さな磁石があっちこっちにあるということぞ。その小さな磁石が、大きな磁石を反対にする原因を作っておると考えられておるのだ。」
皆が、ああ、と肩の力を抜いた。通じたようで、箔翔はホッとした…そうか、小学生に教えておるのだと思えばいいのだな。
蒼は、やっと今のところを理解して、箔翔に言った。
「では、その小さな磁石を取り除く作業をしておるのが、研究所というわけですか。」
箔翔は、それには首をかしげた。
「いや、あの言い方ではそうではないの。」箔翔は、相手がそれを電話で話していた時のことを思い出して言った。「はっきり言えぬようだった。そんなことでは、磁場の逆転を防ぐことも、磁場のコントロールも出来ぬだろうと。何しろ、後から後から発生するし…どうも、根本的にどうにかしようと考え始めておるようだったの。」
黙っていた維月が、声を上げた。
「え、お父様の磁場を、直にどうにかしようとしておるっていうこと?!」
箔翔は、眉を寄せた。お父様?
十六夜が言った。
「誰もお前に言わなかったか?地はオレと維月の父親なんでぇ。ちなみに母親も同じ体を共有してる地なんだけどな。」と、維月を見た。「なんだか分かって来たような気がしないか。人が親父をどうにかしようとしてるから、親父はああやって具合が悪いんじゃねぇか?」
維月は、口を押さえて頷いた。でも…。
「…放って置いたら、磁場が反転する時の一時的な磁場喪失で地上の生き物がチンされてしまうのでしょう。こればっかりは、大氣がいくら頑張っても無理なんだもの。人が必死になるのも、分かるわ。」
維心が反対側の横から言った。
「しかし、このままではなるまいが。碧黎は悪くすると力を無くす。それに、人が地をコントロールするなど、あってはならぬ。碧黎の自我がなくなる…最悪、あれらは黄泉へ逝くことになろう。死の惑星になって、人が管理するようなことになろうぞ。良いはずはあるまい。」
箔翔も、それには同意した。
「我も反対です。同僚も、それを危惧して我に相談をして参った。つまりは、地球を人類がコントロールしてしまうのはどうかと。人は、全てを管理下に置ければと考えておるようで、それを前提に研究を進めておるようです。しかし、そんなことをしようと思って地球物理学を取ったのではないと…」そう。エレーンは悩んでいた。それで、自分に電話して来たのだ。「地球自体を好きだからこそ、それを学んで調べておったのに。これでは、地球の良いところを無くしてしまうのではないかと。だが、ポールシフトも阻止せねば人類が大変なことになると。」
箔翔は、長く息をついた。神世に戻って、もう思い出すこともないだろうと思っていた人世なのに。こうして、それを神に話して聞かせる事になるとは…。




